皇女奪回

「ふざけるなぁ!」

 皇帝の怒号が帝国政府専用機『鳳凰』の機内に響き渡り、その場にいた側近たちが、ただ一人を除いて全員亀のように首をすくめた。

「第二艦隊の敗北はある程度想定しておったが、本土の第一艦隊がよりにもよってこの余に対して叛旗を翻すとは――! どいつもこいつも余を愚弄しおって!」

「陛下のお怒りは御最もでございますが、まずは善後策を協議いたしませんと……」

 恐る恐る進言してきた西園寺海軍相に、皇帝が灼熱した怒りの炎に燃える視線を向けた。

「何が善後策だ! 海軍の最高責任者は貴様であろう! にもかかわらずまるで他人事のような口を叩きおって! 貴様もあの毛唐の猿どものように首をねじ切ってくれようか」

「ひいいっ! それだけは御勘弁を……!」

 震え上がって恐懼する海軍大臣に代わって侍従長の金城が進み出た。

「どうか落ち着きくださいませ、陛下。御気持ちはわかりますが、いくらお怒りになられたところで事態が解決するわけでもございますまい。あの『神龍』の猛攻の前に第二艦隊までもが敗れ去り、さらに内においては第一艦隊が叛乱を起こしたとあってはまさに国家の一大事。ここはどうか冷静になって叡慮をお示しくださいませ。陛下の御聖断に我らだけでなくこの大日本帝国の命運がかかっているといっても決して過言ではございませぬ故……」

 皇帝はまたも顔中に怒気をみなぎらせ、金城に罵声を叩きつけようとするかに見えたが、ぐっと唇を噛みしめ、玉座に座り込んだ。

「シンガポールに駐留している第四艦隊とインド洋に展開している第五艦隊に至急勅命を下せ。あと、第二艦隊の残存兵力にもだ。これらの艦隊を全て合わせれば四百隻以上になる。この大艦隊でもって第一艦隊など一気に押し潰してしまえ!」

「なれど、帝国には未だ『神龍』という強敵が存在しておりますし、アメリカの残党やドイツ連邦の動向も気がかりです。このような状況下において、連合艦隊が二つに分かれて相撃つような事態になれば、いたずらに敵を利するだけかと存じたてまつります」

「ならばどうせよというのだ。この余に向かってさかしらに意見するということは、当然何かよき案があってのことであろうな」

 陰険な視線を向ける皇帝に対し、金城は決然たる表情で威儀を正した。

「では腹蔵なく申し上げます。近衛少将及び第一艦隊の将兵たちは皇女殿下の即時釈放、ただそれのみを要求しており、決して皇帝陛下に対し心から叛意を抱いて挙兵に及んだものではないと推察いたします。である以上、今回ばかりは彼らの要求をお聞き入れあそばしてはいかがでしょうか」

「戯言を申すな! 事もあろうに余に叛徒どもの要求を呑めと申すのか!」

「御言葉を返すようでございますが、これは決して彼らに屈することを意味するものではありません。申すのも畏れ多きことながら、そもそも今回彼らがこのような暴挙に及んだのは、陛下が皇女殿下に対してあまりに過酷な仕打ちをなされたことが原因でございます。確かに皇女殿下が陛下に対して暴行を加えようとなさったことは許されざる行為ではございますが、であるにしても陛下が今少し寛大な処分で済まされていたならば、恐らくこのようなことにはならなかったでしょう」

「それでは何か、余が全ての元凶だとでも申すつもりか!」

 皇帝が再び怒気を発しかけたが、金城は臆することなく続けた。

「そうは申しておりません。ただ、申し上げますながら、陛下も皇女殿下の処分を決めかねておられるというのが率直なところでございましょう。いくら罪人とはいえ、仮にも御自分の姉君を処刑するわけにも参らぬでしょうし、かといってこのまま皇女殿下を錦衣衛の牢獄に幽閉したままにしておくわけにも参りますまい」

「…………」

「重ねて申し上げます。一度だけ……たった一度だけで構いません。どうかこれまでのことは全て水に流し、皇女殿下に御慈悲を賜りくださいませ。陛下が皇女殿下を御赦免あそばされれば、近衛少将も第一艦隊の将兵たちも矛を収め、改めて皇帝陛下に忠誠を誓いましょうし、そうすれば同じ日本人同士で相争い、血を流すこともなく、大日本帝国は救われましょう」

 金城の熱誠に満ちた諫言に、皇帝は玉座に肩肘をつき、陰険な眼つきをしたまま、長い間沈思黙考していたが、やがて忌々しげに口を開いた。

「よかろう。金城、そなたがそこまで申すのならば、あの女を解放してやってもよい。ただし一つだけ条件がある」


 その頃、近衛少将が指揮する第一艦隊所属の海兵隊及び彼らと同心した近衛師団の一部は、帝都を守備する近衛師団本隊及び錦衣衛の機動部隊と各処で激戦を繰り広げながら、薫子が幽閉されている「巣鴨プリズン」を完全に包囲下に置くことに成功していた。

「貴殿らは完全に包囲されている。武器を捨てて大人しく降服せよ。さすれば寛大な措置を約束しよう」

 近衛が指揮車両からスピーカーで呼びかけると、通信システムの画面に黒いマオカラースーツを着た陰気臭い顔つきの男の姿が現われた。

 錦衣衛の長官の魏忠犬である。

「叛乱軍の分際で偉そうに投降を呼びかけてくるとは……。近衛少将、貴官は一体何様になったつもりアルか」

「そうですね。囚われのお姫様を救いに来た白馬の騎士とでもお答えしておきましょうか、魏忠犬閣下」

「ふざけるな! この私を誰だと心得ているアルね!」

「言われなくても知っていますよ。悪名高き帝国の秘密警察兼特務機関にして、この国の汚れ仕事を一手に引き受けてきた皇帝の忠実なる番犬たる『錦衣衛』の長官様でしょう」

「皇帝の忠実な番犬だと……」

 魏忠犬の陰気な青白い顔が怒りと屈辱でさらに蒼くなった。

「そう怒りなさんな、だって事実なんですから。それにしても中国人のあなたがこの期に及んでまであの皇帝に忠義立てする必要はないでしょうに。憎まれ役の錦衣衛の長官の地位なんかさっさと放り出して、中国大陸にお逃げになられたらどうです? 日本人の私が言うのも何ですが、大日本帝国の秘密警察の長なんかよりも、抗日パルチザンの英雄にでもなられた方がはるかにかっこいいと思いますけどね」

「うるさい、黙れ! 確かに私は中国人だが、だからこそ、この私に眼をかけて錦衣衛の長官にまで取り立ててくださった皇帝陛下には計り知れないほどの恩義がアルね! その私の気持ちが、所詮大貴族のお坊ちゃまである貴官にわかってたまるアルか!」

「なるほど、中国人でありながら錦衣衛の長官として、憎き日本人を監視し、無実の罪で投獄したり、拷問にかけたり、場合によっては秘密裏に処刑したり、謀殺したりできる。あなたにとってはさぞかしやり甲斐のあるお仕事でしょうな。そりゃあ皇帝に対する忠誠心も人一倍湧いて出てくるでしょうよ」

「やっ、やかましいアル! これ以上私を愚弄するとただでは済まさんアルよ! 皇女殿下だけでなく、帝国御三家の面々の命も私の手の内にあることを忘れるなアル!」

「やれやれ、これ以上話しても無駄か……。とりあえずさっきも言ったようにあなた方は完全に我々の手によって包囲されています。ですからここは大人しく皇女殿下を解放していただけませんかね。さもなくば我々も実力行使に訴えざるを得ませんよ」

「……残念ながら皇女殿下はここにはいないアルよ」

「何ですと……」

「我々錦衣衛の情報網を甘く見てもらっては困るアルね。貴官らがクーデターを起こした直後、皇女殿下はこの『巣鴨プリズン』より極秘裏に運び出され、どこか別の場所に移されたアル」

「どこですか、その別の場所というのは?」

「さあ、天国アルかな、それとも地獄アルか……」

 近衛の両眼が薄い刃のようにすっと細くなった。

「出来の悪い冗談はそのぐらいにしておいた方がいい。さもないと貴官の方が地獄に強制送還される羽目になるぞ」

「ふん、やれるものならやってみるアルね」

 捨て台詞を残して、魏忠犬との通信が切られた。

 それと入れ替わるように、指揮車両に同席していた九条見栄子が近衛に声をかけてきた。

「近衛のお兄さ……いえ、参謀長閣下、『大和』から通信が届いております」

「『大和』から通信が……。わかった。回線をつないでくれ」

 近衛がそう言うと、『大和』艦長の有馬幸作大佐の姿が通信スクリーンに現れた。

「お忙しい時に失礼します。実は先程、『鳳凰』からの暗号通信を受信いたしまして……」

「『鳳凰』からの? で、内容は?」

「それが、皇帝陛下が閣下との話し合いを望んでおられるというものでして……」

「皇帝が?」

 近衛はやや驚いた。

 確かに第一艦隊の将兵を指揮して帝都の大半を制圧することには成功したが、所詮は一個艦隊、帝国軍の総兵力に比べればその一割にも満たない寡兵であり、また、あの皇帝ならば、叛乱を鎮圧するため、問答無用で帝都に核攻撃を加えることすらやりかねないと、そこまで想定していたのである。

 にもかかわらず、こうもあっさり相手の方から交渉を申し入れてくるとは……。

「ふむ、話し合いか……」

「いかがしますか。ひょっとしたらこれもまた何か我々の想像もつかないような悪辣な謀略の一環かもしれませんぞ」

「ふむ、その可能性は充分すぎるほど考えられるが、しかしこれ以上無益な血を流さず、交渉を通じて平和裏に皇女殿下を奪回することができればそれに越したことはない。そもそも純軍事的に見れば、いくら帝都を抑えたとはいえ、我々の方が圧倒的に不利という事実に変わりはないのだからね。皇帝が交渉と称して我々に一服毒を盛ってやろうと企んでいるのは間違いないだろうが、だからと言ってそれを恐れるあまり、我々がテーブルの席に着かないとなれば、それこそ毒を盛られる以上の目に遭いかねん。何せ相手は味方を巻き添えにしてでも平気で核を撃つような史上最凶のモンスター・チャイルドだからね。じゃあお手数をかけるが、『鳳凰』からの通信をこの指揮車両までつないでくれ。とりあえず私が直接相手の出方を窺ってみよう」

「了解いたしました」

 画面から有馬大佐の姿が消え、それと入れ替わるように金城侍従長の姿が現われた。

「あなたは……そうですか、あなたが皇帝から私との交渉役を命ぜられたわけですね」

「その通りです。近衛少将閣下。私ごとき身分卑しき者が相手では御不満でしょうが、これも陛下の命故、どうかご容赦ください」

「不満など……。こちらこそあの皇帝と直接交渉するより、あなたのような良識人と話し合える方がはるかに気が楽です」

 そう言って近衛は微笑んだ。

「そう言っていただけるとこちらも幸いです。ところで、緊急事態故、単刀直入にお伺いいたしますが、あなた方の要求を再度確認させていただけませんでしょうか」

「我々の要求は帝国全土に発した声明に記してあるように、『皇女殿下の即時解放』、ただそれのみです」

「本当にただそれだけですか」

「天地神明に誓ってただそれだけです」

「承知しました。ではそれに対する陛下の御返答を申し上げましょう。『此度の第一艦隊の叛乱、まことに不埒千万の極みなれど、その事情を深く考慮し、帝国第一皇女、桜宮薫子内親王の罪を赦免し、連合艦隊司令長官の地位に復職せしめる……』」

「ほう……」

「……ただし条件がある」

――ほら、案の定来たぞ。

 近衛は心の中でつぶやいた。皇帝が自分たちを無条件で赦すなど、万に一つもあり得ないと最初から予測していたのである。

「何でしょうか、その条件とは……」

「内親王を連合艦隊司令長官に復職せしめる代わりに、同長官及び連合艦隊に対して、『神龍』討滅を命じる、というものです」

「なるほど……『夷を以て夷を制す』……いかにも皇帝陛下がお好みそうな名案ですな」

「これが陛下曰く『最大限の譲歩案』であるそうでございます。もしこの提案を拒否するならば、たとえ帝都が灰塵と帰そうとも、帝国軍の総力を挙げてあなた方叛乱軍を殲滅すると……」

「わかりました。どうやらその案をお受けする以外、他に道はなさそうですね。では恭順の証として、ただちに帝都から全ての部隊を撤退させ、横須賀の海軍基地に引き上げさせましょう」

 近衛がそう言うと、画面の向こうの金城が、安堵の表情を浮かべて深々とを下げた。

「御承諾いただきありがとうございます、近衛閣下。これでお互いに無益な争いを避けることができました」

「いえ、お礼を申すのはこちらの方です。何せ我々と皇帝との間に入って仲介の労を取ってくださったのですから……。あなたのような『大人』が皇帝のお側についておられなかったら、今頃この帝都は火の海と化していたでしょう。だが、私がこんなことを言うのも何ですが、皇室だの王室だのというのは厄介なものですな。市井の一般家庭ならば、単なる子供同士の姉妹喧嘩で終わるようなことが、国家の命運を左右するような大騒動に発展してしまうのですから……」

 近衛の冗談めかした言葉に金城も苦笑寸前の表情を浮かべた。

「確かに……」


 こうして和平交渉は成立した。

第一艦隊のクーデター部隊は帝都を「無血開城」し、横須賀の海軍基地へと引き揚げた。

 皇帝を載せた政府専用機『鳳凰』は当初、羽田空港に着陸する予定だったが、未だ第一艦隊に根深い警戒心を抱いている皇帝が強い難色を示したので、わざわざ帝都から遠く離れた中部国際空港セントレアに着陸し、そこから中部方面軍所属の第十師団に護衛されつつ、皇帝とその一行は、帝都に帰還した。

 それとほぼ同時に、薫子内親王は「巣鴨プリズン」から釈放され、近衛らの手によって、横須賀にある海軍病院へと身柄を移された。

 こうして、薫子は無事救出されたが、それはまた、彼女にとって、皇帝から課せられた新たなる大きな試練の幕開けを意味していた。

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