第二次ミッドウェー海戦

「戦艦『武蔵』に魚雷三発、命中しました」

 副長の李の報告に、神恭士郎は会心の笑みを浮かべた。

「よし、このまま『武蔵』に攻撃を集中しろ。あの艦には俺たちの、いや、人類最大の敵が座乗している。『武蔵』もろとも奴を沈めれば、俺たちの戦いは終わり、そして世界も救われる」

「しかし、あの巨大戦艦がそう簡単に沈むとは思えません。その間に皇帝が『武蔵』から脱出する可能性が充分考えられますが……」

「忘れたか、李。この『ユリシーズ』には対空ミサイルも装備されている。もし奴がヘリなどに乗って逃亡を図ればそこを狙い撃ちにしてやるまでだ」

 神がそう言った時、突然発令所に鋭い「きゃあ!」という声が響き渡った。

「どうした、<セイレーン>」

 神がヘッドセットに付着しているマイクロフォンから呼びかけると、悲鳴交じりの少女の叫び声が耳に飛び込んできた。

「眼が! 眼が! <コウタイシサマ>の眼が!」

「眼……? コウタイシサマ……? おい、どうした! 一体何を言っているんだ!」

 神は思わず声を張り上げて問いただしたが、しかしマイクの向こうの相手は半ばパニック状態になっており、まともに会話ができるような状況ではなさそうだった。

 神が慌てて発令所の後部ハッチを開けると、そこには人間一人がようやく入れるほどの小さな区画があり、頭にヘッドギアを装着し、全身にコードが繋がれた少女がリクライニングシートの上でもがき苦しんでいた。

「おい、どうした! しっかりしろ」

 神が抱き起すと、少女はやや落ち着きを取り戻したようだった。

「ジン……お願い、逃げて。ここから早く……」

「逃げる……? 一体何故?」

「<コウタイシサマ>……<コウタイシサマ>が近くにいる。<コウタイシサマ>の眼が見えたの……」

「コウタイシサマ……皇太子……? ひょっとして、『コウタイシサマ』というのは皇帝のことか!」

 神がそう言った時、指令室から李の声が聞こえてきた。

「艦長! 『武蔵』がこちらに向かって近づいてきています。速力は約三十ノット以上、最大戦速と思われます」

「『武蔵』が……? 他に護衛の艦は?」

「ありません。『武蔵』単独で突進してきています」

「何、『武蔵』単独だと……!?」

 常識的に考えればあり得ない行動だった。

 『武蔵』がいくら不沈を誇る巨大戦艦とはいえ、第二艦隊の旗艦であり、皇帝と司令官はじめ艦隊の首脳部が座乗しているはずである。

 よしんば、皇帝と司令官がすでに退艦していたり、他の艦船に乗り移っていたりしたとしても、艦隊の旗艦、それも『武蔵』ほどの戦艦をまるで捨て駒にするかのような敵の行動は、さすがの神でも理解しかねた。

 本来の彼であれば、そんなことには一切躊躇せず、『武蔵』に攻撃を命じていたであろう。

 しかし、<セイレーン>の突然の異変と、彼女の言葉が彼の心に迷いを生じさせていた。

――『武蔵』を沈める絶好のチャンスは今しかない。しかし、<セイレーン>の能力が使えない今、『武蔵』を攻撃すれば百%確実に敵に発見されるだろう。そもそも何故、皇帝の存在を感知した<セイレーン>はあそこまで恐怖感を示すのか。そして、皇帝のことを<皇太子様>と呼ぶということは、セイレーンは即位する以前の皇帝のことを知っているのか、だとしたら彼女と皇帝の間には一体どんな関係があるというのだ。そして皇帝の眼というのは……。

「艦長、『武蔵』が次第にこちらに向かって接近してきています。このままでは敵に発見されて先手を打たれる可能性があります。攻撃しますか、それとも退却しますか」

 発令所から李の声が飛んできて、神はふっと我に返った。

 そうだ、今は戦闘中だ。こんな考え事に耽っている場合ではない。指揮官にとって最も必要とされるのは咄嗟の時の決断力だ。もし一瞬でも判断が遅れれば、それが自分だけではなく部下全員の死を招く。

「李、軍医を呼んで<セイレーン>を医務室に連れていけ。そして『武蔵』に対しては雷撃準備」

「しかし、それでは<セイレーン・システム>なしで戦うことに……。そんな状態で攻撃を仕掛けたら間違いなく敵第二艦隊の集中砲火を受けることになりますが」

「構わん。今、『武蔵』を沈めなければ、あの艦は再びこの世界のどこかの海域で猛威を振るうだろう。それだけは絶対に阻止せねばならん。『武蔵』の船体にありったけの魚雷をぶち込んだら、即座に最大戦速で『ユリシーズ』を前進させるんだ」

「前進ですと!? そんなことをすれば敵のど真ん中に――」

「今、後退すれば、旋回行動を取っている最中にやられる可能性が高い。それに李、貴官は『島津の退き口』というのを知っているか」

「島津の退き口?」

「関ケ原の戦いの時、東軍に敗北した西軍の島津隊が後ろに退却するのではなく、あえて前に向かって突撃し、十倍以上の大軍を敵中突破して窮地を逃れたという戦法だ。この戦法を使って敵の裏をかいてやる。どうだ、このまま尻尾を巻いて逃げるより、敵の懐に切り込んで帝国軍の度肝を抜いてやろうではないか」

「……わかりました。やりましょう」

 神の不敵な笑みに李をはじめ発令所にいた全員がうなずいた。

「よし、では機関最大戦速! 魚雷全弾発射用意!」

「魚雷全弾発射用意完了!」

 水雷長のグエンが答えた。

「撃て!」

 神の叫びと共に、十二門の発射口から一斉に放たれた魚雷が『武蔵』目がけて襲いかかっていく。その後を追うように、『ユリシーズ』も原子力エンジンをフル稼働させて急速前進を開始した。

 十二本の魚雷が『武蔵』に命中し、大爆発を起こす。その傍らを『ユリシーズ』は海中を駆ける獰猛な鮫のような速さで通り過ぎていった。



「『武蔵』左舷に魚雷十二発被弾、機関室と弾薬庫が爆発。船体が急速に左方向に傾斜しつつあります」

 オペレーターの報告を聞くと、『武蔵』から戦艦『比叡』に司令部を移した山本中将の官僚的な顔立ちに冷笑が浮かんだ。

「愚か者どもめ、まんまと餌に食いついたな。敵艦の位置を確認せよ」

「哨戒機『ピクシー〇一』より入電! ソナーに反応あり、敵潜水艦と推測されるとの報告です」

「よし! ついに見つけたぞ! 全艦、『ピクシー〇一』より報告があった位置に向かって魚雷と対潜ミサイルを発射せよ!」

「お待ちください!」

「何だ」

「『ピクシー〇一』より続けて入電です。轟沈された『武蔵』の爆発音と沈没音のため、敵潜水艦らしき存在の位置をロストしたとのことです」

 オペレーターの報告に山本は音高く舌打ちした。

「おのれ、千載一遇の好機を逃すとは! 『武蔵』め、どうせ沈むのならばもっと静かに沈めばよいものを……」

 『大和』と並んで帝国海軍の象徴であり、つい先程まで自分の旗艦であった『武蔵』がほとんど無駄死に同然のような形で撃沈されたにもかかわらず、顔色一つ変えるどころか、冷酷な言葉を吐き捨てる山本に、居並ぶ幕僚たちは皆、憤りと諦めが入り混じったような複雑な表情を向けた。

 そう、今の山本中将には何を言っても無駄なのだ。あの皇帝の恐るべき<魔眼>によって人格を支配されてしまっているのだから……。

「このまま敵を逃したとあっては偉大なる皇帝陛下に対して面目が立たん。全艦、何としてでも探し出せ。場合によってはまた別の艦を囮に仕立て上げるぞ」

 山本がそう言い放った次の瞬間、『比叡』の周囲を固めていた駆逐艦や巡洋艦が数隻、凄まじい爆発と共に吹き飛んだ。

「司令官閣下、敵襲です!」

「ええい、そんなこと、わざわざ言われなくともわかっておるわ! それより敵はどこだ! どこから撃ってきた!」

 山本の怒声にオペレーターの一人が青ざめた顔で答えた。

「ソナーに反応あり。恐らく敵艦と思われます」

「何、どこだ。どこにいる!」

「それが……『比叡』の……我々の真下です!」

「何だと! そんな馬鹿な! ひっ、ひえええっ!」

山本は絶叫した。しかしその絶叫は下から突き上げてきた強烈な衝撃と轟音によってかき消された。

 『比叡』の船体が真っ二つに折れ、火山の噴火のような爆炎と黒煙を噴き上げながら沈没していく。

 こうして、あの山本五十六の孫、山本悟郎海軍中将は、『武蔵』『比叡』をはじめ、第二艦隊の多くの艦艇と、自らの幕僚たちを道連れに、かつて祖父がアメリカ軍に対して大勝利を飾った栄光の地、ミッドウェーの深海の奥底へと沈んでいった。


 第二艦隊敗北と山本中将戦死の報は、時を置かずして、ミッドウェーからの帰国の途上にあった皇帝の元にもたらされた。

 それとほぼ同時に、もう一つの凶報が太平洋の反対側から彼の元に飛び込んできた。

 それは、帝国本土において、連合艦隊参謀総長にして、司令長官代理である近衛少将率いる第一艦隊が叛乱を起こし、帝都を占拠したというものであった。

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