勝者と敗者、そして叛逆者

 帝都を出立してから約六時間後、皇帝とその随員たちを載せた専用機はミッドウェーの空港に到着した。

 一行はそこでさらに軍用ヘリに乗り換えると、沖合に停泊している第二艦隊旗艦『武蔵』に移動した。

 『武蔵』最上甲板に着艦したヘリから皇帝が紫紺のマントを潮風にたなびかせつつ降り立つと、軍楽隊が演奏する華やかなファンファーレが鳴り響き、艦隊司令官山本悟郎中将及び『武蔵』艦長猪熊敏平大佐以下第二艦隊の幕僚たちが一斉に跪いて彼らの主君の臨御を出迎えた。

「陛下、遠路はるばるこの『武蔵』まで御行幸いただき、我ら第二艦隊の将兵一同恐懼の極みでございます」

「うむ、そなたたちこそ此度の武勲、まことに祝着至極である」

 珍しく機嫌がよさそうな様子で鷹揚にうなずくと、皇帝は艦橋の前に設けられた臨時の玉座に腰を下ろした。

「さて、舞台の準備は万端整ったようだが、肝腎のロックフォード大統領はまだか。調印式は午前十時きっちりに始めると外務省を通じて先方に何度も念を押してあったはずだが……」

「はい、まだ到着しておりませぬ」

 山本中将の言葉に皇帝は眉をひそめた。

「遅刻か……気に入らぬな……。これだから外人は嫌いだ……」

「そうおっしゃると思いまして、ささやかな余興を御用意いたしました。しばしの間、お楽しみくださいませ」

 軍人というより官僚のような鋭利な顔立ちの山本中将が薄笑いを浮かべ、右手を上げて部下に合図した。

しばらくして、薄汚れたボロボロのアメリカ軍の軍服を着た白人の男たちが十人、兵士たちによって連行されてきた。

「何だその汚らわしい白豚どもは?」

「ロスアンジェルス沖の海戦で我が艦隊が撃沈した空母エンタープライズの乗員の生き残りでございます。これからこの者たちを陛下の御前で公開処刑にしたく存じます」

「公開処刑……。今さら言うのも何だが、捕虜の処刑や殺害、虐待などはジュネーヴ条約で禁止されているのはそなたも知っておろう」

 皇帝が面白くもなさそうな目で山本中将の顔を見やった。

「はあ……ではおやめになられますか?」

「いや、誰もやめるとは申しておらぬ。そうだな……。あの白豚どものうちの一匹を余の前まで連れてこい」

「はっ」

 兵士たちがアメリカ人の捕虜の中の一人を皇帝の前に引き据えた。皇帝の陰険な視線が目の前で強引に跪かせられている男に向けられる。

「犬畜生にも劣る下賎な劣等人種とはいえ、そなたも仮にも兵士であろう。それなりの名誉や誇り、矜持というものがあるはずだ。にもかかわらず何故潔く戦死や自決をせず、むざむざと生きて虜囚の辱めを受けたのだ。その理由如何によっては生かして母国に帰してやってもよいぞ」

 捕虜の男はためらうように、あるいは屈辱を耐え忍ぶようにずっとうつむいていたが、やがて意を決したように顔を上げ、口を開いた。

「私には……家族がいます。妻と今年で五歳になる娘です……」

「…………」

「戦争が起きて出征する前、私は妻と娘に誓いました……。たとえ何が起ころうとも必ず生きてお前たちの元に帰ってくると……。だから……」

「くだらぬな」

 皇帝の冷然たる声が男の言葉をさえぎった。

「何が家族だ。そんなくだらぬ私情のために貴様は生きて捕虜となる道を選んだというのか。こんな屑は生かしておく価値もないわ。今すぐ処刑せよ」

「まっ、待ってください! 我々捕虜は国際条約によって保護されて……」

「黙れ! 余の言葉はこの地上のあらゆる法や条約よりも優先する! さあ、死ね! 殺せ!」

 たちまち周囲に銃声が響き渡り、アメリカ人の捕虜たちは全員血まみれのボロ人形のような無残な姿となって『武蔵』の甲板上に倒れ伏した。

「ふん……」

 足元に転がっている米兵の死体を、侮蔑と嘲笑を込めた陰険な眼つきで見下ろしながら、皇帝が鼻を鳴らしたその時、鈍いプロペラ音と共に一機の軍用ヘリが飛来し、『武蔵』の甲板上に着艦した。

「どうやら来賓の御到着のようですな」

 皇帝の傍らで金城がささやいた。

 ヘリのドアが開き、SPたちに続いてロックフォード大統領がその姿を現した。

「これはこれは大統領殿、よくぞここまで参られたと言いたいところだが、三十分以上も余を待たせるとは一体どういう了見だ。敗戦国の分際で巌流島の宮本武蔵でも気取っておるつもりか」

 挨拶を述べる間もなくいきなり皇帝から陰険かつ辛辣な言葉を浴びせられ、大統領はむっとした表情を見せたが、次の瞬間その眼が驚愕と恐怖で大きく見開かれた。

 何人ものアメリカ軍の兵士の死体が、甲板上にできた血の海の上に横たわっている凄惨な光景を目の当たりにしたのだ。

 呆けたように開かれた大統領の口からひび割れた声が漏れる。

「これは……一体……」

「貴殿らがあまりに遅いので少し暇つぶしをしておったのだ。怠惰でルーズなアメリカ人と違って我々日本人は時間にうるさいのでな。それにしても、貴殿らが調印式に時間通りに間に合っておればこの者たちも死なずに済んだものを……。哀れなものよのう」

「おのれ……」

 大統領は全身を震わせながら憤怒の形相で皇帝を睨みつけたが、かろうじて自制し、大きく息を吸い込んで眼を閉じた。

 気持ちを鎮め再び眼を開くと、この世で最も見たくない光景が否応なしに眼に飛び込んできた。

 目の前に鋼鉄の城塞のごとく傲然とそびえ立つ『武蔵』の艦橋と砲塔、そしてそれらを背にして、勝ち誇るように玉座にふんぞり返っている尊大な黒髪の小僧とその取り巻きの臣下たち。

 何十万ものアメリカ国民をその主砲たる四十五口径レールガンで粉々に吹き飛ばした巨大戦艦、それに空母や爆撃機、ミサイルといった、この世に死と破壊をもたらすためだけに造られた恐るべき殺戮兵器の数々。

そしてそれらの兵器をまるで玩具のように意のままに操って、無数の人々を殺し、いくつもの国を滅ぼしておきながら平然とした顔をしている悪魔のごとき帝国の支配者たち。

 そして自分は今、そんな悪鬼どもにせめて一矢なりとも報いるどころか、膝を屈して和議を乞わねばならないのだ。

――戦争に負けるとは、ここまで無残で、そして無念なことなのか……。

 改めて大統領の胸中にそんな思いが去来した。

「さあ、これ以上貴殿らのために時間を浪費するのは余にとってあまりにも貴重すぎる。さっさと調印式を始めてとっとと終わらせようではないか」

 呆然と言葉もなく立ち尽くす大統領の足元に一枚の紙片が投げつけられた。

「その紙切れが降伏文書だ。サインしろ」

大統領はきっと顔を上げ、冷笑を浮かべながら自分をねめつけている皇帝をしばし無言で見つめていたが、やがてその眼から一筋の涙がこぼれ、頬を伝って流れ落ちた。

「あなたという人は……一体どこまで我々を踏みつければ気が済むのですか……」

「勝者が敗者を踏みにじって何が悪い。不満があるのならば国際司法裁判所でもどこにでも訴えろ。そもそも貴殿ら白人どもとて、アフリカの黒人や南米のインディオたちを奴隷としてこき使い、何百万人も虐殺してきたではないか。言わばこれは貴殿らの過去の所業に対して神が下したもうた天罰である。大体今さらこの場で悲嘆の涙を流すのならば、何故我が帝国に対して身の程知らずの戦争を仕掛けてきた。国内の人気取りのために反日政策を取り続け、世論を煽り続けてきた、その結果がこれではないか。自国の国民に対し大日本帝国打倒を叫び続け、多くのアメリカ人を血で血を洗う地獄のような戦場に送り込んだのは一体誰だ。貴様は仮にも一国の為政者であるにもかかわらず、国家の舵取りを誤り、その結果、無謀にして無益な戦争によって数多の兵士や人民を犬死にさせ、塗炭の苦しみを味あわせた。そんな愚劣な男にかける情けなどないわ!」

「う……」

 皇帝の容赦ない罵声に打ちひしがれたように大統領はがっくりとその場に膝をついた。

「さあ、もはやアメリカ合衆国の命運は尽きた。それでもまだ戦いを続け、あえて滅亡の道を歩むか、それとも余の属国として生き延びる道を選ぶか。後者を選ぶならば早く降伏文書にサインしろ。ペンがないのならば貸してやるぞ」

 嘲弄交じりの陰険な声と共に一本の万年筆が無造作に投げつけられ、甲板に転がった。

 ジャクソン副大統領やフォレスター国務長官ら、アメリカ側の代表団全員が、ただ声もなく、慟哭と共に溢れ出る涙で頬を濡らしながら見守る中、ロックフォード大統領は『武蔵』の甲板に両手両膝をついた犬のような格好のまま、震える手でペンを取り、降伏文書にサインをしようとした。

 その時、蒼天に爆音が鳴り響き、洋上に停泊していた日本軍の駆逐艦が数隻、一斉に炎の柱を噴き上げた。

「何!?」

「敵襲だ!」

 いくつもの叫び声が上がり、兵士たちが慌ただしく『武蔵』の艦上を行き交う。

 さしもの皇帝も虚を突かれたようにひきつった顔をして呆然としていたが、やがてその顔が見る見るうちに紅潮し、怒髪天を衝くような形相へと変じていった。

「山本! レーダーやソナーに反応は!」

「いえ、全くございません。海中からの魚雷攻撃という以外、敵の情報は全く不明でございます」

「海中からの攻撃……あの化け物め、核攻撃を受けたにもかかわらずまだ生きておったか!」

 逆上した皇帝が玉座から躍り上がって怒声を響かせた。

「各艦、この『武蔵』の守りを固めよ! 敵の狙いはこの艦もろとも余を討ち取ることだ! 急げ!」

 皇帝の判断は正しかった。だが、この判断が同時に第二艦隊全体の行動を縛る最大の原因となった。

 第二艦隊の全艦艇が一斉に怪鳥の鳴き声のような甲高い汽笛を鳴らし、動き始めた。

 しかしどの艦とも完全にエンジンを止め、停泊中のところにいきなり奇襲攻撃を受けたため、その動きは鈍く、どこからともなく矢継ぎ早に飛来する魚雷の直撃を食らい、駆逐艦や巡洋艦、護衛艦が次々と爆破、炎上していった。

「お・の・れぇ……」

 皇帝が憎悪に満ちた視線をロックフォード大統領に向けた。

「降伏と称してよくも余をたばかったな。この毛唐の猿め……」

「違う、誤解だ! すでに『ユリシーズ』は我が軍から除籍されている。あれはもはやアメリカの潜水艦ではない!」

 そう叫んだ直後、大統領は自らの失言に気づいた。

「『ユリシーズ』とは我が帝国が開発した『神龍』のことだな。違うか……」

「いや、それは……」

「やはりそうか……。貴様らは我が帝国の手から逃げ出した海賊どもを匿い、自分たちの手先として利用していたのだな……」

「待ってください。それにはわけが……」

「わけもクソもあるか! あの化け物のせいで一体何人もの将兵が犠牲になったと思っている! 真珠湾や珊瑚海で散々煮え湯を吞ませてくれたその報い、今こそその身に受けるがよいわ!」

 皇帝の両眼がたちまち血のように禍々しい真紅の色に染まり、爛々と光り輝いた。

「う、うわぁ……!」

 恐怖に声を上ずらせる大統領の――いや、大統領だけでなく、その場にいたアメリカ人全員の両手が、まるで自らの意思を持ったようにひとりでに上がり、鎌首をもたげた蛇のように彼ら自身の喉首に喰らいついた。

「貴様らのような下劣漢どもにはその所業に相応しい死に様を与えてやる。自分の手で自分の首をねじ切って死ね!」

「ぐ……か……あ……」

 皇帝の眼に宿った真紅の光がその輝きの度を増していくごとに、大統領たちの首を締めあげている手に力がこもり、顔が見る見るうちに紫色に染まっていく。

 やがて、細い木の枝がへし折れるような乾いた音と共に、大統領たちの首が異様な角度にねじれ、糸の切れた操り人形のように全員がその場に崩れ落ちた。

 それと同時に皇帝の眼からも真紅の光が消える。

 皇帝の<支配の魔眼>の人智を超越した凄絶な力を見せつけられた日本人将兵たちも、さすがに皆、息を呑み、蒼白な顔をしたまま静まり返っていた。

「山本司令」

「はっ」

「こ奴らの死体を海に投げ捨てろ。鮫の餌にでもしてやれ」

「ははっ」

「それと『神龍』の討伐をそなたに命じる。第二艦隊の総力を挙げ、今度こそあの化け物を海底に沈めるのだ。あの名将山本五十六元帥の子孫たるそなたの手腕に期待しておるぞ、よいな」

 そう命じて皇帝がヘリに向かって歩き出そうとしたその時、『武蔵』の右舷に数本の魚雷が命中した。

 爆発の衝撃でさしもの『武蔵』の巨体も大きく揺らぎ、皇帝もその余波で足を取られてしまった。

「ぎゃ!」

 一天万乗の君主の口から思わず猫のような悲鳴が漏れる。

 そのまま無様な格好で甲板上にすっ転びかけた皇帝の身体を、傍らに控えていた金城が慌てて支えた。

「大丈夫でございますか、陛下」

「おのれ……おのれおのれおのれぇ! よくももよくもよくもぉ!」

 金城の腕に抱かれた皇帝の眼に狂乱の光が閃き、その口から歯ぎしりと共に毒炎を吐くような凶悪な叫び声が上がった。

「何をしておる! 敵の位置はまだ掴めんのか!」

「現在鋭意捜索中ですが未だ……」

 山本中将が答える。

「では『武蔵』を囮に使え」

「は?」

「は? ではないわ! 敵の魚雷が飛んでくる方角とその速度から敵のおおよその位置を割り出し、その地点に向かって『武蔵』をあえて単艦突進させよ。そうすれば敵は必ず喰らいついてくる。その瞬間を狙って残りの全艦隊で集中攻撃を浴びせるのだ!」

「いや、しかし……この『武蔵』は『大和』と並んで帝国海軍の象徴……」

「いいから黙って言われた通りにしろ!」

 皇帝の両眼が再び血の色に染まり、紅蓮の矢のような眼光が山本中将を刺し貫いた。

「勅命、謹んでお受け奉りました! 皇帝陛下万歳!」

 表情を消し、まるでロボットのような機械的な動作で敬礼すると、山本中将は艦橋に向かって行進するような歩調で歩き出していった。

「さあ、皇帝陛下、早く……」

 未だかすかに揺れ動き続ける甲板の上を、金城をはじめとする侍従たちが皇帝を護衛しながら軍用ヘリまで案内する。

ヘリに乗り込みながら、皇帝は憎悪と怨念の炎に燃ゆる視線をはるか水平線の彼方に向け、呪詛の言葉を吐き出した。

「滅ぼしてやる! 『武蔵』どころか帝国海軍の全ての艦船を失うことになろうとも、余に刃向かう逆賊どもは一匹残らず滅ぼし尽くしてやるからな! 覚悟しておけ!」

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