帝都繚乱

 どこまでも果てしなく広がる太平洋の上空を、尾翼と胴体に菊の御紋が描かれたジャンボジェット機が十二機のF-0戦闘攻撃機に護衛されながら飛んでいた。

 茶色とベージュを基調とした落ち着いた内装の貴賓室の中、大日本帝国皇帝は窓辺に設置されたデスクに座り、机上に置かれたノートPCの画面に眼を通しながら、一心不乱にキーボードを叩いていた。

 壁掛け時計の針が午前七時を指すとほぼ同時に、ドアをノックする音と若い女性の声が聞こえた。

「失礼いたします」

「入れ」

 ノートPCの画面を見つめたまま皇帝が命じると、民間の旅客機に例えるならば客室乗務員の任を務めている紺色の空軍の制服に身を包んだ女性士官が恐る恐るドアを開けて入室してきた。

「お……おはようございます陛下。朝の御食事は何になさいましょうか」

「食事……。そうか、もうそんな時間か。あまり空腹でないのでサンドウィッチのような軽い物でよい」

 気のないような声で皇帝が答える。

「かしこまりました。ところでお飲み物は何になさいましょうか」

「飲み物か……。ではロシアンティーを一杯、ジャムでもマーマレードでもなく蜂蜜で」

「かしこまりました」

 恭しく一礼して立ち去ろうとする女性士官の背中に向かって不意に皇帝が声をかけた。

「待て」

 思わずぎくっとした様子で女性士官が振り向く。

「なっ、何でございましょう」

「言うのを忘れておった。侍従長を呼んできてくれ。話がある」

「承知いたしました」

 半ば逃げるような足取りで女性士官が退室するのに眼もくれず、皇帝はノートPCの画面を凝視し、キーボードを叩き続けた。

 ややあって再びドアをノックする音が聞こえた。

「皇帝陛下、金城でございます」

「入れ」

 皇帝の言葉と共に金城が貴賓室に入ってきた。

「おはようございます陛下。こんな時間から御公務に励んでおられるとは相変わらず御熱心でございますな」

「通常の政務に加えて戦争まで重なったからな。中央政府の各省庁から送られてくる上奏文に加え、各方面軍の司令部や前線から送られてくる報告書が山ほど溜まっておるのだ」

「政務に御熱心なのはよろしゅうございますが程々になさいませんと……。御身体に毒でございますよ」

「深層睡眠導入剤を服用しておるので三時間も睡眠を取れば充分だ。かのナポレオンも毎日三、四時間しか寝なかったというではないか。それに帝国二十億の臣民の中には余よりもはるかに過酷な労働に従事しておるものが多数おろう。である以上、皇帝たる余が安逸に耽った生活などしておれようか」

「それはそうでございますが……」

「しかし戦争というのは思っていた以上に費用がかかるものだな。おかげで今年中にも着工する予定だった中国から中央アジアを経て中東へと至る道路と鉄道、それに石油のパイプラインの建設を延期せざるを得なくなってしまった」

「例の『シルクロード計画』でございますか。確かあれは中国や中央アジアで内乱やテロが相次いでいるので、リスクやコストのわりには採算が合わないといって財務省が難色を示していたようですが……」

「そこが奴らの無能たる所以なのだ」

 PCの画面を見つめていた皇帝の視線が一瞬険しくなり、両手の指が音高くキーボードに叩きつけられた。

「あ奴ら財務省の官僚どもの頭の中にあることは目先の国家の歳入を増やし支出を減らすことのみで、国家百年の大計を思案するほどの大局的な視野というものが欠けておる。そもそも考えてもみよ。メタンハイドレードの採掘と実用化に成功したとはいえ、我が帝国のエネルギー資源の約四割は未だ石油に依存しておる。である以上、中東と帝国本土を結ぶ交通路がシーレーンのみという現状は我が帝国にとって致命的な弱点になりかねない」

「『神龍』の存在ですか……」

「そうだ。第二次珊瑚海海戦以来、消息が途絶えてはおるが、もしあの化け物が生き残っていて我が国のシーレーン海域で暴れ回ったりされてみろ。経済の大動脈を断たれて帝国は深刻なエネルギー危機に陥りかねん。それだけではない。ドイツがベルリン・イスタンブール・そしてバグダッドを結ぶいわゆる三B鉄道の建設を着々と進めている以上、我が国も海路だけでなく陸路でも中東と帝国本土を結ぶ交通路を是が非でも建設しておかねばならぬ。それはそうと――」

 皇帝がキーボードを叩く手を止め、傍らに立つ金城を横目で見やった。

「こんな政治談議をするためにそなたを呼んだわけではない。そなた、日本を発つ前、余の許可も得ずに姉上のところに面会に行ったそうだな」

「……はい」

「しかも姉上に対して余が今まで隠しておいたことを全部暴露したそうではないか。言っておいたはずだぞ。姉上に一言でも秘密を洩らせば容赦はせぬと……」

「ならば私めを陛下のお好きなようになさいませ。いかなる御処分も甘んじて受ける覚悟はできております」

 開き直りとも、あるいは挑戦とも受け取れるような金城の発言と表情。皇帝の眼に凍てついた炎のような光が浮かび、氷の矢のような冷たい怒りの視線が金城に向けられた。

 冷酷な激情の光を帯びた皇帝の眼とどこまでも冷静で静謐な光を湛えた金城の眼、二つの視線が互いにぶつかり合う。

 通常の人間であれば思わず窒息してしまいそうなほどの緊迫した空気が流れたが、先に視線をそらせたのは皇帝の方だった。

「姉上を投獄したことで帝国政府内部や一部の臣民の間でひそかに動揺が広がっておる。この上、余の第一の側近であるそなたまで処断したとあっては、動揺はさらに広がるであろう。それに余は今いろいろと忙しいし、何よりこれからアメリカとの講和条約調印式が控えておる。そなたの処分はいずれ日本に帰国してからゆっくり考えるゆえ、それまでその首はあずけておいてやろう。ありがたく思え」

「ははっ」

「ではもう下がってよい。余の怒りが冷めるまで当分その大人ぶった面を見せるな。癪に障る」

 一礼して退室する金城と入れ替わりに女性士官がおずおずと銀のトレイにティーセットとサンドウィッチを載せて運んできた。

 皇帝はキーボードを打つ手を止め、運ばれてきた白磁のティーカップに口をつけたが、すぐに口を離し、顔をしかめて小声でつぶやいた。

「余は確かに蜂蜜といったはずなのに何故かいちごジャムが入っておる……」


「見栄子、もういい加減泣くのはおやめなさい」

 九条公爵家の令夫人の紗栄子が隣の席でずっと泣いている娘をたしなめた。

「だって、皇女様があまりにお可哀想で……」

 両手で涙をぬぐいながら見栄子がしゃくり上げた。

「ですから、その皇女様を何とかお救いするために今日は近衛、鷹司の両公爵家の方々にもお集まりいただいたのではありませんか。貴女は皇女殿下の付き人兼副官で、曲がりなりにも海軍中尉の階級をいただいているのですから、皇女殿下の副官らしくしっかり気をお持ちなさい。他のお客様にご迷惑でしょう」

「まあまあ、我々のことはお構いなく……」

 アンティークな丸テーブルを挟んで紗栄子夫人の真向かいに座っていた近衛犬麿が苦笑いを浮かべた。

「見栄子さん、いえ、九条中尉のお気持ちは私も痛いほどわかります。何せ皇女殿下が連合艦隊司令長官の地位を解かれた上、錦衣衛に逮捕、拘禁されて、泣きたい気分なのは我々も同じですから――」

 近衛の言葉に隣に座っていた鷹司輝彦公爵が両腕を組んだまま無言でうなずいた。

「しかし困ったものですな。事もあろうに皇帝陛下が実の姉君たる皇女殿下を捕らえて幽閉なさるとは……。この件に関しては帝国政府も徹底した情報秘匿を図っているが、ひそかに情報を伝え聞いた臣民の間でも、陛下のあまりのなされように対する恐怖と反感が広まっておるようだし、このままでは尋常ならざる事態になりかねん」

「いっそこのまま尋常ならざる事態になった方がいいかもしれませんよ」

「またそんなことを……。そういう事態にならぬためにこうして我々『帝国御三家』の代表が集まって会議を開いておるのではないのかね」

「冗談ですよ冗談。相変わらず鷹司の叔父様は御説教好きでいらっしゃいますね」

「そういう近衛のお坊ちゃまこそ相変わらず悪い御冗談がお好きでいらっしゃいますこと」

「嫌だなあ。九条の叔母様まで僕のことを未だにお坊ちゃま呼ばわりするなんて。これでも僕は昨年亡くなった父に代わって立派な近衛公爵家の当主なんですよ」

 混ぜっ返すような紗栄子の言葉に近衛は肩をすくめて反論した。

「それより皇女殿下を皇帝の手から解放するために我々は具体的にどうすべきか。貴族院の議長でいらっしゃる鷹司の叔父上に何か名案はございませんか」

 近衛の問いに鷹司は苦渋の表情を浮かべた。

「確かに貴族院はこの帝国で皇帝陛下に意見を具申したり、場合によってはその権力を制限したりできる唯一の機関だが、残念ながら今の貴族院は完全に有名無実化している。二年前の大粛清によって貴族院を構成していた議員の多くが無実の罪を着せられて処刑されたり、あるいは投獄され、その欠員は未だ補充されないままだ。私をはじめ御三家の面々は幸いなことに粛清を免れたが、今表立って皇帝に盾突くような動きを見せれば、我が鷹司家だけでなく近衛、九条の両家も恐らくただでは済まぬだろう。それほどまでに皇帝の中央集権化――いや、個人独裁は進んでしまっている。何より情けない話だが、わしはあの皇帝が正直怖い。宮中に参内して皇帝陛下のあの陰険な眼つきで見すえられるたび、例の<支配の魔眼>の力で何をされるかわからぬと背筋が凍りつくような思いがする始末だ。それより海軍一の俊才をもって知られる近衛君の方こそ何か名案はないものかね」

「そうですねえ。名案かどうかはわかりませんが……」

「ほう、やはり何か策があるのかね」

 興味深そうな様子で鷹司が近衛の眼を覗き込む。

「話は変わりますが、今年のバイロイト音楽祭は十年ぶりにベルリン・フィルの首席指揮者のヘルベルト・フォン・フルトヴェングラーが『ニーベルングの指輪』を指揮するとかで、ヨーロッパだけでなく日本のクラシック・ファンの間でも大層話題になっているそうですね」

「何だねこんな時に音楽の話など……。我々には関係ないだろう」

「いや、関係はあるでしょう。鷹司の叔父様も九条の叔母様も大変な音楽好きで、毎年この時期になると、バイロイトやザルツブルクの音楽祭を鑑賞しに、ヨーロッパにお出かけになるではありませんか」

 鷹司の眼が一瞬鋭く光った。

「……つまり、我々に日本から出て行けというわけか」

「身も蓋もない言い方をしてしまえばそういうことになるでしょうね。無礼を承知で申し上げますが、今のこの状況下では我々御三家が束になっても皇帝の持つ絶大な力には到底かなわないでしょう。それに鷹司、九条の御両家が日本国内におられてもかえって足手まといになるだけです。それならばいっそ御両家揃ってヨーロッパへバカンスにでもお出かけくださった方が私も動きやすいというものです」

「しかしそれでは近衛家だけに責任をかぶせてしまうことになるではないか」

「無論私の母や一族の者たちも御両家に同行させていただきますよ。戦争もほぼ終結しましたし、何より御三家揃ってのバイロイト詣では毎年恒例の行事ですから、誰一人としてて怪しむ者などいないしょう」

「君一人だけで戦うつもりなのかね。あの皇帝と……」

「戦うなんてそんな大袈裟な……。私はただ皇女殿下を開放していただくための『運動』を起こしてみるだけです。それに私は決して一人ではありません。私にはあの連合艦隊がついていますから」

 鷹司はしばし無言のまま近衛の顔を見つめていたが、やがておもむろに立ち上がると近衛に向かって頭を下げた。

「本来ならば、このような事態の時は、御三家の中でも長老格であるわしが矢面に立つべきなのだが、力になれなくてまことに済まぬ。だが、もし万が一の時は君一人に罪を負わせるようなことはせぬ。その時は、わしの身命を投げ打ってでも君と皇女殿下のために盾となろう」

「それは私どもも一緒ですわ」

 早くに夫を亡くし、それ以来九条家の当主代理を務めてきた紗栄子夫人が毅然とした口調で言った。

「もともと我ら御三家は二千年以上に渡って大日本帝国の皇室をお支え続けてきた藤原氏の末裔。ならば私ども九条家も、生きるも死ぬも、栄えるも滅びるも、近衛家、鷹司家の皆様方と最後まで運命を共にいたしましょう」

 紗栄子の言葉に娘の見栄子も静かにうなずいた。

「では結論が出たようですね。そうと決まった以上は、鷹司家と九条家の方々は一刻でも早く私の家族を連れて日本から離れていただけますでしょうか。鬼のいぬ間の何とやらではありませんが、皇帝がアメリカとの調印式のために帝国本土を留守にしている今が恐らく最大で最後のチャンスです。皆様が御出国し次第、私も行動を起こします」

 そう言って近衛は席を立った。

 屋敷を辞去する近衛と鷹司の二人を玄関先まで見送りに出た紗栄子夫人が突然肩を震わせ、両手で顔を覆った。

「ごめんなさい。娘の前ではああ言ったものも、どうしても感情が抑えられなくなってしまって……。たとえどのようないきさつがあったにせよ、皇帝陛下も皇女殿下もどちらも同じ血を分けられた御姉弟、今は亡き先帝陛下と皇后様が残されたたった二人の忘れ形見であることに変わりはありません。その忘れ形見同士が互いに骨肉の争いを演じ、よりにもよって弟君が姉君を、一度入った者は二度と生きては出られぬといわれる錦衣衛の牢獄に幽閉なさるとはあまりにも酷すぎます……。生前皇后様と親しくさせていただき、皇帝陛下と皇女殿下をまだ産まれたばかりの頃から存じ上げている私にとっては、今のお二人のことを思っただけで胸が張り裂けそうな心境です……。私の亡き夫も今頃きっと草葉の陰で泣いておりましょう……」

「それはわしとて同じじゃ」

鷹司もまた目に涙を浮かべながら声を震わせた。

「たとえ皇室であろうと、市井の一庶民であろうと、兄弟姉妹というものはお互いに支え合い、助け合いながら生きていくというのが本来あるべき姿であろう。男勝りの御気性だが、天性の明るさと優しさ、それに親しみやすさを持っておられ、帝国二十億の臣民から上下を問わず愛されておられる皇女殿下が皇帝陛下と共に手を携えて国を治め、それをさらに我ら臣下が御守りし、補佐したてまつる――そうであってこそこの大日本帝国の真の繁栄と安泰が得られるというものであろう。にもかかわらず、悪魔でさえも蒼ざめるような非道な人体改造によって地上の魔王と化した皇帝陛下が、事もあろうに実の姉君である皇女殿下をも虜囚とし、今にもその手にかけんとなされようとは……。先帝陛下から生前直々に幼い御姉弟のことを頼むという御言葉を頂戴しておきながら、何もできずにいるこの身を今日ほど情けなく、また恨めしく思うたことはない。我ら御三家の者たちがもっと早く岩倉らの謀略に気づき、断固阻止しておれば、このような事態には相成らなかったであろうに……。皆、皇帝陛下を恐れて口に出しては何も申さぬが、わしや九条家の奥方殿のように先帝御一家のことを昔から存じ上げている者は全員心の中で声を上げて泣いておろう……」

 気丈な九条公爵夫人と剛毅剛直な性格をもって鳴らす鷹司公爵――二人が共に肩を震わせて痛哭する姿を前に、さすがの近衛もかける言葉すら見つからず、無言で一礼してその場を立ち去ろうとしたその時――

「待ってください、近衛さ――いえ、参謀長閣下!」

 玄関ホールの二階から声が聞こえ、海軍の制服を着た九条見栄子が会談を走り降りてきた。

「お願いします。私も一緒に連れていってください!」

 突然の出来事に近衛は困惑した。

「いや、しかし貴女は公爵夫人らと一緒にヨーロッパへ――」

「私、クラシック音楽とか聴いても全然わかりませんから……」

「いや、そういう問題ではなく――」

「わかっています。私がいたってどうせ足手まといになるだけでしょうし、自分がどんなわがままを言っているのかも……。でも私もこれでも皇女殿下の付き人です。連合艦隊司令長官の副官です。だから私も一緒に連れていってください。お願いします!」

「よくぞ申しました! それでこそ我が娘です!」

 近衛が口を開くより早く、さっきまで泣いていた紗栄子夫人が打って変わったように叫んだ。

 呆気に取られている近衛を尻目に紗栄子がいそいそとした足取りで何処かに立ち去り、やがて一本の短刀を胸に抱いて戻ってきた。

「これは九条家に先祖代々伝わる宝剣。これを貴女に授けます。万が一の際は貴女もこの短刀を手にして皇女殿下と近衛殿をお守りいたしなさい。よろしいですね」

「はい、お母様。謹んでお受けいたします……。たとえこの短刀で皇帝陛下と刺し違えるようなことになろうとも、天地神明に誓って皇女殿下は必ず私がお救いたてまつります!」

 見栄子が目を真っ赤にしながら母親から短刀を受け取った。

近衛は目の前で繰り広げられる母娘の時代劇のような光景を相変わらず呆気に取られたように眺めていたが、やがてあきらめたように小さくため息をついた。

「わかりました。見栄子さん、私と一緒に皇女殿下を救出しに参りましょう」

 九条邸を出ると、近衛と見栄子は玄関の車止めに止めてあったBMWの後部座席に乗車した。

「いかがでしたか。御三家揃っての会談は?」

 BMWの運転席から重巡『愛宕』の艦長の荒木武雄中佐が声をかけてきた。

「ああ、鷹司公も九条夫人も僕の家族と一緒にヨーロッパに一時避難することを了承してくれたよ。最も、僕の隣にいるお嬢さん――失礼、九条中尉は自分も残ると言い張ったので、仕方なく連れてきたけどね」

 硬い表情のまま隣に座っている見栄子の方を見やりながら近衛は答えた。

「本当によろしいんですか。大変失礼ですが、これから我々がやろうとしていることは単なる子供のお遊びじゃあないんですよ」

「そんなことはわかっています。それを承知の上で参謀長殿に私も連れていってくださいってお願いしたんです。これでも私も一応軍人で、司令長官閣下の副官なんですから」

「ということだそうだ。荒木中佐」

「やれやれ、他ならぬ九条公爵家の御令嬢様にそうおっしゃられてしまえばこちらも反論できませんなあ」

 硬い表情のまま応じる見栄子と小さく肩をすくめる近衛の姿に、荒木中佐の苦笑交じりの声が重なった。

 荒木中佐の運転するBMWが麻布通りから六本木通りを経て、霞が関インターチェンジから帝都高速環状線に入ると、まるで待ち構えていたかのように黒いベンツが三台、後ろに張りついてきた。

「どうやら錦衣衛の犬どもが早速臭いを嗅ぎつけてきたようですぞ」

「そうみたいだね。まあ、御三家の当主が一堂に会すれば否応なしに嗅ぎつけられるだろうなとは思っていたけどね。ひょっとしたら九条邸に盗聴器でも仕掛けてあったかもしれないな」

「まさか、そんな」

「そのまさかがあり得るのが今の帝国の恐ろしいところなんだよ、九条中尉。ひょっとしたら君の皇帝と刺し違える発言もこっそり盗み聞きされていた可能性が高いかもよ」

 たちまち見栄子の顔が真っ青になっていく。

「どっ、どうしましょう」

「どうしましょうて言われても困るよ。君が言ったんだから。そもそも中尉は本当にあの皇帝と刺し違えるつもりなのかい?」

「……自信ありません」

「正直でよろしい」

「それより錦衣衛の連中はどうしますか。こっちは車一台、それに対して相手は三台、それに小官の予想では奴らこの先に待ち伏せを仕掛けているに違いないと思われますが」

 運転席から荒木中佐が訊いてきた。

「今、スピードはどのくらいだい?」

「ちょうど時速百kmですが?」

「ならばこのままの速度を維持しつつ品川インターチェンジに向かってくれ」

「よいのですか。それこそ奴らが伏兵を仕掛けるのに絶好の場所じゃないですか」

「ああ、いいんだよ。それで」

 やがて、近衛たちが乗ったBMWが品川インターチェンジに差し掛かったその時、高速の入り口から一台の一六式機動戦闘車が進入してきて、BMWの前方に立ちはだかった。

「参謀長殿!」

「構わん! このまままっすぐ進んで先頭車の横を突っ切れ!」

 近衛の叫び声に無意識のうちに反応したように荒木中佐がアクセルを踏み込んだ。

 機動戦闘車の五十二口径ライフル砲が火を吹いた。

「きゃっ!」

 見栄子が思わず悲鳴を上げる。

 しかし次の瞬間、爆音とともに火だるまになって吹っ飛んだのは近衛たちの乗るBMWではなく、その後方を走っていたベンツのうちの一台だった。

 残る二台も爆風と衝撃をまともに喰らって横転し、高速道路の外壁に激突した。

 それに続くようにインターチェンジの入り口から完全武装した一群の兵士たちが姿を現し、道路を封鎖し始めた。

「一体これは……」

 猛スピードで機動戦闘車の真横を駆け抜けながら荒木中佐がつぶやいた。

「近衛師団の第七中隊だよ」

「近衛師団!?」

「ああ、中隊長の佐竹少佐が僕の幼馴染の友人でね。先日会った機会にさりげなく皇女殿下のことを切り出したら向こうから協力を申し込んできてくれたんだ。奴が身の程知らずにも皇女殿下にひそかに横恋慕していることを知っていたからね」

「なるほど、近衛師団の一部を動かして我々の足止めをさせると同時に帝都を留守にしている皇帝の足元をすくい、さらに御自分の恋敵を捨て駒に利用する。まさに一石二鳥ならぬ一石三鳥ですな。しかし虫も殺さぬ貴公子然とした風貌で恐ろしいことをお考えなさる。ひょっとしたら帝国広しといえどもあの皇帝と互角に渡り合える策士はあなたお一人だけかもしれませんな」

「御明察――と言いたいところだけれど、最後だけが違うな。僕はあんなじゃじゃ馬お姫様よりもっと上品でおしとやかな女性が好みなんだ。それに皇帝と互角って、悪いがこの僕をあんな凶悪なモンスター・チャイルドと一緒にしないでくれ。さすがの僕でも堪忍袋の緒が切れそうになる」

「承知しました。申し訳ございません」

私も人のことを言えませんが、堪忍袋の緒ならばとっくの昔に切れていらっしゃるんじゃないですか――思わず口から出かかった言葉を荒木中佐は呑み込んだ。

「さあ、佐竹少佐も単独で行動を起こすほど馬鹿じゃない。恐らく近衛師団をはじめ、帝都に駐屯している他の部隊にも決起を呼びかけているだろう。彼らが足止めをしてくれている間に横須賀へ急ごう。横須賀の海軍基地に到着し次第、皇女殿下奪回作戦の発動を宣言する。まずは作戦の第一段階として『大和』をはじめ第一艦隊に所属する全ての艦艇を横須賀に集結させ、東京湾の出入口を封鎖するんだ」

「はっ!」

 勢いよく答えると、荒木中佐は車のアクセルをさらに強く踏み込んだ。

 近衛と九条見栄子、そして荒木中佐の三人を乗せたBMWは、帝都で上がった火の手を背後に、夜のハイウェイを横須賀基地を目指して走り去っていった。

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