支配の魔眼

「お待ちくださいませ皇女殿下! これ以上は――」

「ええい、うるさい! 邪魔だ! どけ!」

 真紅のマントにしがみつくようにして制止する侍従たちを振り払いつつ、薫子は全身から怒気を発散させながら足音高く皇宮の奥へと入っていった。

 大日本帝国第一皇女にして連合艦隊司令長官たる彼女の怒りの矛先は今、戦争中の敵国であるアメリカやオセアニア連邦ではなく、自分の弟である皇帝に向けられていた。

 薫子が謁見の間へと続く六枚目の扉を足で乱暴に蹴り開くと、二十人ほどの近衛兵が彼女の行く手をさえぎるように立ちはだかるのが見えた。

「皇女殿下、ここより先はたとえ皇族の方といえども皇帝陛下のお許しがなければ――」

 隊長らしき男がそう言いかけた瞬間、薫子が腰に帯びていた軍刀を一閃させた。

「どけ」

 隊長の鼻先に刃を突きつけながら薫子がドスの利いた声を響かせた。

「殿下……」

「どけと言っているのが聞こえないのか。こう見えて私が北辰一刀流の免許皆伝であることはそなたらも知っていよう。邪魔をするなら全員叩っ斬るぞ」

「おやめくだされ。ここは宮中でございますぞ……」

「宮中だろうが何だろうが知ったことか! やめてほしければ皇帝をこの場に連れてこい! そもそも貴様らのような大人が不甲斐ないからあいつの悪逆非道を止められなかったんだろうが! 私を止めるんだったら何故あいつが核ミサイルの発射ボタンを押すのを止めなかった! いくら皇帝だからって味方の後ろから平気で核を撃つような奴をかばうのか貴様らは!」

「それは……」

「貴様らがあいつを指導できないのなら私があいつの腐り切った根性を叩き直す。それがあいつの姉である私の務めだろうからな。わかったか。わかったらそこをどけ」

「しっ、しかし……」

「これ以上は問答無用だ! どけと言ったらどけ! さもないと本気で叩っ斬るぞ!」

 いきり立った薫子が軍刀を振り上げたその時、近衛兵たちの人垣が揺れ、侍従長の金城が現われた。

「おやめください、皇女殿下。皇帝陛下が特別に謁見を許すと仰せですのでどうかこの場はお納めください」

「何が特別に謁見を許すだ! 相変わらず偉そうに! そもそも金城、そなたら侍従たちの教育がなっていないからこんなことになるんだろうが!」

「教育などと……。私どもの職務はただ陛下の身辺のお世話をいたすことであってそれ以上でもそれ以下でもありません。ともかく、陛下がお会いになるとおっしゃっておられますので、せめてその御刀だけでもお預かりさせてくださいませ。そうでなければ我々一同、たとえこの場で殿下に御手討ちにされようともここをお通しするわけにはまいりませぬ」

「……見上げた忠誠心だな」

 精一杯の皮肉をぶつけると、薫子は気持ちを静めるため大きく深呼吸をして刀を鞘に納め、放り投げるように金城に手渡した。

「ではどうぞ……」

 金城に案内されて謁見の間の扉を通ると、薄暗い広間の奥の玉座に皇帝が座っていた。

「突然皇宮に押しかけてきたと思ったら、いきなり大声で喚き散らし、挙句の果てに抜刀までするとは……。姉上のお転婆ぶりは今に始まったことではありませんが、それにしても今日はいささか度を過ぎていらっしゃるようですな」

 嘲弄するような皇帝の陰険な口調に、薫子は全身の血が頭に上りそうになるのを辛うじて自制した。

「まるで他人事のような言い草だな。一体誰のせいでこんな騒ぎになったと思っている」

 薫子は拝礼も取らず突っ立ったまま皇帝を睨みつけた。

「知っていますよ。余が核を撃ったからでしょう」

 開き直るように、あるいは挑みかかるような眼をして平然と答える皇帝を見て、薫子はもはや怒りを通り越してふと悲しみと無力感に囚われた。

「……一つ訊く」

「何なりと」

「後悔や反省はしていないのか」

「後悔? 反省?」

「そう。悪いことをしたという自覚はあるんでしょう。少しぐらいは……。ねえ、お願いだからあると言ってちょうだい。でないと私、あなたのことを……」

 どこまでも無感情で無表情な皇帝を前に薫子の言葉が震えた。

「泣いて……おられるのですか……」

「自分の弟が核を……それも自国の兵士に対して撃ったと聞いて平静でいられる姉がこの世にいると思う?」

 薫子がそう言うと、皇帝は呆れたように失笑した。

「相変わらず姉上は御優しい人だ。しかしこれにはやむを得ざる事情というものがあったのです」

「事情!?」

「姉上は御存じでないかもしれませぬが、今、この帝国は核を使わなければ倒せないほどの厄介な難敵と戦っておるのです」

「『神龍』とかいう潜水艦のことね……」

「おお、姉上におかれては御存じでいらっしゃいましたか。ならば話は早い。余が何故核を用いたかいちいち説明せずともその理由はご察しいただけるでしょう。何せ余と貴女とは『姉弟』なのですから……。それに余が核を撃ったのにはもう一つ意味があります」

 皇帝は陰険な笑みを浮かべると、手に持っていた一枚の紙を薫子の足元に放り投げた。

「御覧なされ。オセアニア連邦の降伏文書です。やはり核というのは戦略のみならず政治的な面においても絶大な威力を発揮するものですな。メタンハイドレードの採掘権を巡ってあれほど頑強に抵抗していたオセアニアが、珊瑚海に浮かび上がったきのこ雲を見ただけであっさり帝国の軍門に下りましたわ。残るはあの小癪なアメリカとゴキブリのようにしぶとい中国だけ。この戦争、思ったよりも早く終わりそうですよ。それにしても、オセアニアの全権大使とやらが余の眼の前、そう、今、姉上が立っていらっしゃるちょうどそのあたりに、まるで平蜘蛛のように這いつくばって何度も必死に和議を乞うていた光景は実に見ものでしたぞ。今から思えば、姉上も調印式にお呼びすればよかったですなぁ……」

「……それだけ?」

「それだけ、とは?」

「戦争で人を殺すのはある意味仕方がないし、配下の兵士たちを犠牲にするのもある程度は仕方がないとは私も思う。実際、私も規模が違うとはいえ、あなたと同じようなことをしてしまったことがあるわけだし……。それに、私はあなたと違って頭が悪いから、政治とか戦略とかそんな難しい次元のことはよくわからない。でも、たとえあなたの取った行動が政治的、戦略的に見て正しかったとしても、あなたは味方を巻き添えにしてまで核兵器を使っておいて何とも思わないの? 戦争に勝つためなら何をしても構わないの? あなたの撃った核のせいで死んだ兵士たちに対して少しは思いやりとか……申し訳ないとか……償いをしようとかという気持ちはないの……?」

「ああ、無論補償ならば存分にいたします。戦死した将兵は全員特別に三階級特進、さらに遺族年金も二倍、いや、三倍に――」

「そんなことを言っているんじゃない!」

 怒りと悲しみの叫び声を上げながら、薫子は堪えきれずにとうとう皇帝に飛びかかってしまった。

「何をするのですか……。いかに余の姉とはいえ、貴女のやっていることは大逆罪も同然ですぞ」

 玉座から押し倒されても表情一つ変えず、皇帝は逆に相手の不正をとがめるような眼つきで自分の上にのしかかっている薫子を見すえた。

「そんなことはどうでもいい! 大逆罪っていうんなら私を処刑するなり何なりあなたの好きなようになさい! 第三艦隊の兵士たちを核の炎で生きながら焼き殺したように私も殺しなさいよ! でもその前に一言でもいいから『ごめんなさい』って謝って……。今さらあなたに公の場で謝罪しろとかそんなこと求めたりしないから、せめて姉である私に対してだけでも謝ってみせて……。でないと私、本当にあなたのこと、許せなくなってしまう……」

「何故余が姉上に対して……。確かに貴女の許可なくして第三艦隊を捨て駒に利用したことで連合艦隊司令長官としての面目を潰されたお気持ちになるのはわかりますが、しかし軍の統帥権はあくまで皇帝たる余にあるのであって……」

「だから! そんなことを言ってるんじゃないんだってば!」

 薫子は思わず右の拳を振り上げ、皇帝を殴りつけようとした。とその時、まるで金縛りにかかったかのように、彼女の全身が硬直した。

「つけ上がるなこの小娘が……」

 薫子に力づくでねじ伏せられていた皇帝の口から呪詛のような呻き声が漏れる。その黒い瞳の中にまるで鬼火のような真紅の光が輝いているのを目の当たりにした瞬間、薫子の全身に言い知れぬ恐怖感が走った。

「なっ……何……一体何なの……」

「できれば貴女にだけはこの力、使いたくはなかったが、かくなる仕儀に相成った以上は致し方ない。何が兵士に対する思いやりだ。仮にも大日本帝国の第一皇女ともあろう御方が汚らわしい民主主義思想にでもかぶれてしまわれたか。貴女のような非国民は余自らの手で『調教』して差し上げましょう」

 皇帝の眼に宿っていた真紅の光が炎のように燃え上がった。

「いかに姉とはいえ、貴女のような<ただの人間>が力で余を従わせようとするなど笑止千万! さあ、見るがよい! 大日本帝国皇帝たる余の真の力を!」

薫子が恐怖と狼狽の悲鳴を上げる。

「やっ、やめなさい! 一体何を……!」

 皇帝の口元が大きく歪み、陰険な嘲笑を浮かべた。

「そう怖がる必要はありませんよ姉上。ただ、貴女の脳にちょっとした幻覚を植えつけさせていただきます。そう、アメリカ軍のあの野獣のような黒人兵士の集団によって弄ばれ、凌辱を受けるという幻覚を……」

「そんなことが……ああっ!」

突然全身を見えざる手に這い回されるような感覚を感じ、薫子は思わず身をよじった。

「ふふふ……。『神龍』のことを御存じのはずならば<セイレーン・システム>のことも御存じのはず。そして<セイレーン・システム>は人工的に生み出された超能力者の能力を利用していることも御存じでしょう。余の能力もそれと同じ、生まれながらにこの帝国、いや、帝国だけでなく全世界を支配する帝王となるために与えられた能力なのです。これこそ魔道にも等しい大日本帝国の超科学が生み出した<支配>の力! その御身でもってとくと味あわれよ!」

「やめて! やめてぇ!」

「そうだ。もっと喚け。そして悶えろ。この国で余に次いで最も高貴な身分たる貴女が、おのが精神と肉体をなぶられる苦痛と快楽に悶絶し、淫売婦のごとく乱れ狂うその姿、姉上のことをまるで地上に舞い降りた女神のように憧れ慕っている帝国の臣民どもにも見せてやりたいものよ……。しかしあれですな。こうしてじっくり観察してみると、姉上もだんだん大人の女らしい成熟した体つきになってこられましたな。特にこの胸の形が実によい。つい二、三年前まで胸が小さいなどとひそかに悩んでおられたのが噓のような美乳になってこられたではありませんか。大きさはそうですね。推定八十五cm、Cカップといったところでしょうか……」

「嫌……嫌……!」

「おっと、手で隠したりなどしても無駄ですよ。余の<魔眼>は全てを見つけ、全てを捕らえ、そして全てを統べるために造られたもの。一切の抵抗は無意味です。それにしても貴女のその喘ぎ声、そしてその痴態は実に醜悪で、そして実に美しい。その昔、ある俳優が『女性にとって最高の舞台はベッドの上』という名言を遺したらしいが、姉上もなかなか堂に入った女優ぶりですな。ひょっとしてもう男の味を知っておられるとか……。だとしたらいけませんなぁ。未成年者の性行為は淫行禁止条例違反ですよ。これはますますお仕置きをしなければならないようですね……」

「はあ……はあ……」

 苦痛と屈辱に大きく引き歪み涙を流していた薫子の顔が、次第に桃色に染まり悦楽の表情へと変わっていくのを眺めながら、皇帝はとうとう腹を抱えて狂ったように笑い出した。

「いいぞいいぞ、いいですぞ。その調子だ。だんだん愉悦の絶頂に達しつつあるようですな。しかし卑しい黒人どもに蹂躙されているというのにそのような快楽をお感じなさるとは、姉上も所詮は『メス』ですなぁ……。さて、余も貴女のその淫乱な痴態を存分に堪能したことだし、さあ、もうお逝きなされ」

「ああっ! ああっ……!」

 皇帝の燃えるような真紅の瞳がひときわ大きく爛々と光り輝く。その禍々しい光に照らされた薫子は大きく身体を仰け反らせ、そのまま気を失ってしまった。

 皇帝の瞳に宿っていた真紅の光が消え、謁見の間は元の薄闇に包まれた。

 侍従室に控えていた金城がドアを開けて広間に入ってきた。

冷たい大理石の床に仰向けに横たわり、両手両足を大の字に広げたまま気絶している薫子。その汗と涙とよだれでびしょびしょになった顔や、ぐっしょりと濡れた白い海軍服の股間に目をやると、金城は静かな声で皇帝に向かって問いかけた。

「<支配の魔眼>を用いられたのですか」

「仕方なかろう。その女、事もあろうにこの余に掴みかかってきおったのだぞ。これは正当防衛だ」

「正当防衛……。しかしいささかやりすぎなのでは……。いくら掴みかかってきたとはいえ、相手は陛下の実の姉君なのですから……」

 皇帝の陰険な眼がひときわ険しい光を放った。

「何が姉だ。たとえ実の姉であろうと皇帝たる余に暴力を振るおうとした時点で大逆犯も同然だ。この場で殺さぬだけでもましと思え。ともかく余の<魔眼>の力を知られた以上はこのまま開放するわけにもいかぬ。しばらくの間、錦衣衛の牢獄に幽閉しておけ。追って処分を下す。あと、例の物を持ってこい」

「ははっ……」

 金城は一礼すると皇帝の前から退出した。

 ややあって、金の小箱を両手に持った金城が近衛兵の一団を引き連れて、謁見の間に現れた。近衛兵たちが床に倒れている薫子を運び出すと、金城は手に持っていた小箱の蓋を開け無言で皇帝の前に差し出した。

 皇帝が箱の中から大麻の葉巻を取り上げ口にくわえると、金城がさっとライターを出して火をつける。

 大麻から出る煙を深々と吸い込み、そして吐き出すと皇帝は小声で一言洩らした。

「疲れた……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る