第48話 ぞんざいな存在

 薄暗く、鬱蒼とした森の中――


 360度霧で覆われ、一寸先は闇といった森に、ポツンと古びた小さな家畜小屋があった。

 そして、何とそこには2人の幼い容姿をした少年と少女が居た。


「《ヘンゼル!私たちはもう助かったのよ!》」


「《グレーテル、無事だったのか!》」


 まるで、感動の再会かのように、2人は寄り合い互いの無事を確かめ合っている。

 穴が空いたズボンに、薄汚れた服。泥が付いているのか、綺麗な金髪は茶褐色に汚れている。2人の顔はよく似ていた。


「《うん、魔女はもう死んでいるわ!》」


「《嗚呼、グレーテルっ》」


 そう言って、グレーテルにとするヘンゼル。


 と、そこへ





「こらっ!!西条君、私はそこまでしろとは言ってないわ!」


 委員長の大きな怒鳴り声が体育館に響いた。



 ◇


 現在、我らが2Dは文化祭で行う演劇の練習をしている。劇名は『ヘンゼルとグレーテル』で、主役であるヘンゼルとグレーテル役は、それぞれ西条と絵里奈である。あの醜い役決めから1か月程経ち、劇の完成度は着実に高まっている。


「だって原作ではここでハグするじゃんか!」


 負けじと反発する西条。どうしても絵里奈とハグしたいのか、とにかく必死である。


「だ・か・ら、何回言えば分かるの!それは話し合いの結果省くことになったじゃない!」


「・・・」


 心底不服といった様子で顔を顰める西条。

 ほんと、どれだけ絵里奈とハグしたいんだよ。西条を見る絵里奈の顔が、瞳が、氷点下を下回るくらいに冷めている。

 ・・・もう、西条にはチャンスないだろうな。あそこまで冷めた目で見られているのにも関わらず、あいつは不服そうに地団太を踏んでいる。

 ヘンゼルの衣装を着ながら悔しがる西条の姿は、果てしなく、どこまでも滑稽である。


「はぁ・・・本当にキモイ・・・」


「・・・」


 小さな声でため息を吐きながら呟く委員長――川越紗耶香。

 今の声は小さすぎて他のクラスメイトには聞こえていないだろうが、隣にいる俺にはしっかりと聞こえてきた。普段温厚な委員長にここまで言わせるとは、流石は猿条である。

 委員長がこの劇のリーダーなので、彼女がまとめているのだが、劇の練習をする度に疲れた表情に拍車がかかっている気がする。特に西条とあの武者みたいな喋り方する奴に困っているらしく・・・


「西条殿!!何度言えば分かるのだ!絵里奈さんが嫌がっているではないかっ!それ以上そのような行為を繰り返すならば、私がその役を引き継ぐのである!」


「うっせー!自称ボディーガードがっ!!その話し方いい加減キモいんだよっ」


「な、なぬ!!我を愚弄したなっ!許せん!」


 ステージ上と下で言い合う二人。


「はぁ、始まった・・・」


 頭を抱えて溜息を吐く委員長。


 そう、この二人のやり取りは既に何回も繰り返されているのだ。絵里奈を取り巻くこの2名のせいで委員長はストレスが溜まっているらしい。

 当然、クラスメイトのみんなも最初はこの下らない喧嘩を止めに入ったが、何回も繰り返されるうちに到頭面倒くさくなったのか、今では余興の一つとして楽しんでいる節がある。


「おぉーまた始まったよw」

「今日は何見せてくれんのー」

「お前らもうお笑いコンビ組めよw」

「ほんと飽きねーな」

「ばっかじゃねーの?」


 雰囲気に呑まれて乗る人間、冷静に俯瞰する人間、冷めてる人間、様々だがいづれも男たちである。そして女子生徒だが、彼女らはとにかく”無視”している。そこには何もないかのように、自分たちの世界に入っている。女子たちは真面目ちゃんが多いから、先程やった劇の事について話し合っているようだ。当然、絵里奈を交えて。

 絵里奈はいつも通り始まったあの二人のバカみたいな喧嘩を何でもないかのように無視し、通り過ぎて女子陣に戻っていった。まぁ、当たり前の行動である。


「だから、俺はグレーテル役なんだよ。お前はお父さん役だろ?黙って演じとけばいいんだよ」


「なんだとっ!本当ならば我がその座に就くはずだったはずであるっ!」


「そんなはずあるか!」


 まぁ、一口に喧嘩と言っても殴り合いをするような喧嘩ではない。所謂いわゆる口喧嘩である。彼らも思うところが有るのか、流石に手は出さないし、言い合うだけだ。というか、あいつらも実はこの一連のくだりを楽しんでいるのではないかという気がしている。真偽の程は定かではないが。

 ちなみにお父さん役は先程西条が言った通り、武者野郎。お母さん役は神咲さんである。お母さん役はそこまで出番は多くないのだが、いざ彼女の演技を見てみると、演技が上手過ぎて皆驚愕びっくりしていた。当然俺も。ギャルっぽいのにこういうの真剣にやるんだなぁと少し感心した。


 ◇



「小道具班と大道具班ありがとう。みんなのお陰でいい劇ができそう」


 放課後、空き教室にて小道具を作っていると、委員長が総勢約20名の道具作り班にお礼を言ってきた。


「いいや、役演じるよりか全然ましだからいいよ」


 クラスメイトが男子が気を使って言う。


「クオリティーも最高だし、森の絵も物凄く上手だった。あれって誰が描いたの?」


「あ、私です」


 確か美術部の子だった気がする。俺も彼女の絵を描く姿を見ていたが、本当にすごかった。


「ありがとね。それに、小道具班も。衣装の感じも良かったし、いい劇になりそうよ」


 ちなみに衣装は若山さんが中心となって制作していた。彼女は家庭科が昔から好きらしく、家でも服を作るらしい。若山さんがそのようなことに流通していたとは知らなかったため、彼女がミシンで服を作る姿を見た時は、とても驚いたのを覚えている。

 若山さんの一生懸命に打ち込む姿勢は、ミシンで服を縫う横顔は・・・とても、綺麗だった。彼女の姿を見ていると、俺はいつも親になったような、子が成長した時に褒めたくなるような気持になっていた。だが、若山さんの事を全く邪な考えを抜きにして、”綺麗”だと思ったことは無かった。これは決して恋とかではなく、彼女の一生懸命に頑張る姿に、ただただ感動したんだと思う。


「じゃあ、あと少しで本番だから、最後までよろしくね」


 そう言って教室を出た委員長。



「よっしゃ―やるかー」

「あとすこーし!」

「椅子の制作あとどれくらいで終わる?」

「あー、あとすこし」

「背景のこの絵、もうちょっと暗い雰囲気の方がいいんじゃない?」

「ガムテープない?」

「誰これ作ったの?ここちょっと色が抜けてるよー」



 大道具班、小道具班の声が教室中に絶え間なく聞こえ続ける。だが、それは決して悪い事ではなく、一人一人が高い意識をもって制作に取り組んでいる事の証だ。


 ・・・なんか、いいなぁ。


 ゆっくりと、教室を見渡す。 

 こうやって、一つの事に対してクラス全員で全力で挑むことなど、俺の人生では今までなかった。この学校の文化祭には初めての参加だが、俺の中での期待値はとても高い。

 昔から俺は、他人と一緒に居ることが嫌いだった。一人が大好きだった。好きなのは今でも変わっていないが、このように協力し合い、助け合い、完成させる。それがどれだけ”気持ちい事”なのか、今、ちょっとだけ、少しだけだが分かった気がする。

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