第5話
文化祭が終わると、待っていたかのように秋が現れる。ほっと一息つけると同時に、今まで毎日濃密に関わり合っていたサークル仲間や実行委員会の人達とまた疎遠になるので、少し寂しいときでもある。寂しいのであれば文化祭が終わってもずっと一緒にいればいいのだけれど、そうともいかないのが難しいところだ。
毎日同じ学校へ通っているとはいえ、もはや、それぞれは別の道へ向かって歩き出している。一年生のときには、まだ比較的塊のようなものがあって、みんなでその中にいた。しかし、二年生ともなれば、興味のあるものや進路も違う。みんな、もうまるで違う方向を向いているのだ。
同じ授業を受けるにせよ、最初の頃はとりあえず全員が同じようにノートを取っていたのが、今では受験には関係のない科目だと違う勉強をしている人もいる。そういう一つ一つの選択が、積もり積もってそれぞれに異なった人生を形作っていくのだろけれども、そんな中で私は何をしていのかわからないままでいる。
修学旅行が終わり、ざわざわと交わされる教室内での会話も、模試で何点採ったという話題が増えてきている。
それでも、藍田君はいつも淡々と何かを作り続けていた。美術室は離れたところにあって、何かのついでに覗くようなことはなかなかないが、中庭からそっと美術室の窓を見上げると、彼はよく窓際いた。
一度、何かの加減で目が合ったときだった。彼は私に気づいたのか、気づいていると示すように、五秒くらい私の顔をじっと見て、また視線は元に戻った。
立ち上がって窓を開けて手を振ってもらいたかったわけではないけれど、ちょっとつまらなかった。大事な創作の時間の邪魔をしたいわけではないけど、ほんの数秒、手を振ったりすることに時間や筋肉を費やすだけで、果たして創作に響くのだろうか。別のことに気を取られるとアイデアが逃げて行ってしまうとでもいうのだろうか。そうしているうちに、美術室の下を通る機会が減っていった。
そうして、私が美術部を見上げることはあっても、彼が意味もなくギター部の周辺をうろうろすることはない。文化祭のときだって、観にきてはいなかった。まあ、他のメンバーも来ていなかったのだから、彼だけ責めるのは筋違いか。彼らは、知っている人が出るからという理由だけで観に来るようなことはしない。自分の好きな曲が演奏されるとか、ギターの音を聞くといてもたってもいられないとか、そういう理由がないと心を動かされない人たちなのだ。
それはつまり、今の私では彼の心を動かすには足らないということだ。私は文化祭の日、真っ先に彼の作品を観にいってしまったのだから。しかもそれは、同世代の人達の美術作品に興味があったからではなく、藍田君の作品を見て見たかったからだった。まあ、私のような人は他にもいただろうから、ごく一般的な行動をとっただけだといえなくのないのだが。
「難しい顔して、どうしたんだ」
放課後の図書室、本棚の前にいたら、あの人はいつの間にか隣にいた。
「べつに……」
こういうとき、本来であれば「私が何を考えているのか気になるの?」などと言って会話を自分の都合いいように誘導すべきなのだろうか。私はどうも、いつも実直すぎるようだ。
「最近忙しそうだね」
「なんでそう思うの?」
「以前はよく中庭から君が下校する姿が見えてたけど、最近見えないから。帰りが遅いのかなと思って」
「通った人全部を確認しているの?」
「元々知ってる人は目に入るけど、単なる通行人にそこまで関心はないよ」
単なる通行人、だなんて。一応同じ高校の人なのに。でも、元々知っている人、ということは、あの美術部の彼女も該当するのだろうか。
何を考えているのだろう、私は。同じ部活なのだから、わざわざ下校する様子を見なくたって同じ部屋にいるだろうに。そうして私は同じ部活のはずなのに、最近は文芸の集まりがあまりなくて、彼とはほとんど会う機会がないのだ。
私が惹かれているのは、彼の才能なのか、それとも彼自身なのか。才能も含めて彼自身であって、結局のところ、認め難くも認めざるを得ない類の感情が私の中にあるのは、疑いようがないにせよ。
「文化祭のときの絵のことなんだけど」
彼はあまり表情を変えないように努めるけれど、それでもがらっと空気が変わったのがわかった。そして、動揺したのを気づかれないように、敢えて表情をそのままにしていることも。
「モデルって、もしかして美術部の誰か?」
彼は、首を傾げた。
「美術部には人しかいないけど」
ああ、そうだったね、と言ってそれ以上訊くのは諦めた。私が一人で何か勘違いしていたのかもしれないし、特定のモデルがいることを隠そうとしているのかもしれない。それは私の知るところではない。
「窓の外の人に気づくだなんて、いつもそんなに、気を散らせてて創作活動できるの?」
と話題を変えてみる。
「ある程度ぼーっとしているくらいのほうが、いいんだ。あまり集中しすぎると、思い込みがそのまま表れたようなものになってしまう」
「美術作品って、思い込みで作るものなんじゃないの?」
「全部自分の思いこみで作ったものなんて、見てても面白くないだろう? 人によって思うところは違うと思うけど、僕は何かを創る時に、ある程度色々なバックグラウンドを持った人が見てもわかるくらいの一般性は欲しいと思っている。
モデルがいるように思えたと言ったね。誰に似ていたのかわからないけど、僕は誰かの似顔絵を描いていたわけじゃない。似顔絵を描くこともあるけど、あれはそういうつもりで描いたものではなかった。つまり、まだ一般性が足りないということなんだろう」
「美術館へ行ったりしても、誰かに似たような顔の仏像とか、あるじゃないの。身近にいる人の顏に無意識に似てしまうのは、ある意味仕方のないことなんじゃないの?」
藍田君は、少しの間何か考えているようだった。
「じゃあ、本当に似てるかどうか、ちょっと見に来てくれるかな?」
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