第4話

 一度作成現場を覗いてみたことがあるけれど、遠くから見ているだけでも、なんだか怖いくらいに静かだった。もっと鬼気迫る様子で描いているのかと思っていたので、拍子抜けした。気のせいか、藍田君は普段よりも姿勢がよくて、動きも自然にみえた。

 下絵は書かない主義らしいけど、彼には、まるで鉛筆の線がうっすら見えているようで、何のためらいもなく刷毛をすーっと動かしていく。覗いているのがばれたら、鶴の恩返しのようにそのまま鳥になってどこかへ飛んでいってしまいそうだった。


 ようやく出来上がった作品を見ることが叶う日は、朝からそわそわしていた。普段より二本早い電車に乗り、駅から学校までも心持足が軽くなり、校門に着く頃には小走りになっていた。

 学校にたどり着くと、昨日まで何もなかったところに、絵があった。

 まず、その色彩の美しさに驚いた。遠くから見ても、虹色の何か美しいものが描かれているのがわかる。それはとても整った形で、近寄らずにはいられなくなる。人影がまばらな校内では、同じく絵に吸い寄せられた人々がいくらか集まっている。近づけば近づいたで、またその繊細さに魅入ってしまうのだ。


 確かに個性的な絵だった。個性的ではない絵なんてないかもしれないけれども、少なくとも十数年生きただけの私には「これは誰々の絵に似ているね」という例えを思いつけない。

 天女を連想させもするけど、それよりも鳥の要素が強い。中性的な顔立ちの、少女のような体つきをした鳥。手を軽く広げ、上向きに上げていて、羽衣のようなものを身に着けている。体のラインの曲線と、羽衣の曲線とが絡み合う様子に、優美という言葉を初めて思いついた人はこういうものを見たのだろうと思った。

 その、人のような鳥のような生き物は、凛とした表情で、しかしどこか優しい眼差しで、こちらと見ている。


 人の気配を感じて隣に目をやると、いつの間にか藍田君がいる。声をかけてくれればいいのに、無言でいる。私が絵を見ているので、邪魔しないようにと思ったのか、それとも全然違うことを考えているのか。このどこか浮世離れした人から、こうした艶やかな絵が、どうやって出てくるのだろう。

 そっと顔を横に向けてみる。絵に体を向けていた彼も、そっと私を見る。目が合うと、どうだろうとでも聞きたそうな、もしくは出来上がってしまったものに対してはもう何も言わないで欲しそうな、どう読めばいいのかわからない表情を浮かべている。

「何人で描いたの?」

「手伝ってくれてた人は二、三人かな。僕が大まかに描いて、細かい色塗りなんかは、色を指示して分担してもらった」

 多いのか少ないのか、よくわからない。

「僕が細かいことを言うから、みんな嫌になってしまったみたいで。そんな人数しか残らなかった」

「細かいこと、言うの?」

「自覚していないんだけど、けっこう言ってたらしい」

「ふうん。絵の神様でも乗り移ってたのかな?」

 藍田君はふっと笑った。

「そんなことはないけど、しゃべる言葉の量が普段の倍だったらしいね」

 お面作りのときには彼から指示は出すことはほぼなかったけど、この絵にはそれだけ思い入れがあったということなのか。

「細かく指示が出せるってすごいよね。私だったら、やりたいようにやってって言っちゃうかも。どんなものができるか、描いてみないとわからないし……」

「そういう描き方もあるだろうね。でも今回は、はっきりと頭のなかにイメージがあったから、それ以外の色や形が書かれると、気になってしまってね」


 そのとき、あいだくーん、と声がした。

 美術部の部員らしい。小柄で物静かな、それでいてどこか気の強そうな女の子が近づいて来る。

「こんな風に仕上がるなんて思ってなかった」

 精鋭隊の一人なのか。私には目もくれない。

「僕は最初からこうなると思ってたけど」

「藍田君って、もっと落ち着いた色が好みかと思ってたから」

「文化祭をテーマに書いた絵だから、僕の好み云々よりも、それなりに華やかなほうがいいだろう」

「去年以上に話題になると思う」

「それはよかったな。できるだけ多くの人に喜んでもらえるのが、こういう絵の目的だ」

 藍田君の絵か。たまに廊下に掲示してあるのを見るし、私もそれなりに好きではあったけれども、美術部員でない私は、きっとこの人ほどそれについてわかることはない。

 じゃあね、と去って行った彼女は、なんだかこの人面鳥に似ている気がした。 


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