第3話

 高校二年生の夏休み明けは、どこか落ち着かない季節だった。

 高校生でいられる折り返し地点、まだ何も済んでいないのに、時間だけは過ぎていく。秋になり、陽が短くなっているのが嫌でもわかり、何かに追われているような気がしてしまう。そう、私の母校では、九月に入ると学園祭まではろくに授業も行われない。皆で準備に明け暮れるのが通例なのだ。


 まだ二年目だけれども、受験で忙しい三年生に比べて我々の方が動けるので、文化祭を担っているという自負がある。それに加えて、あと半年で学校を去る三年生と違い、まだここにいる時間が長い二年生は、これから残り半分の高校生活を共に過ごすためのパートナーを見つけようと、足掻いてみるときでもあるようだ。

 そんな中で私は、あんたも頑張りなさいよ、との同級生のささやきを、他人事のように聞く。

「ほら、あのよく一緒にいる人なんか、どうなの?」

「あの人?」

「ほら、あのひょろっとしてて、なんだか浮世離れしているような人」

 私が無言でいると、

「そうよね、あの人はちょっとないよね」

 と、何故か向こうが納得して話を止めてしまった。それはあまりに藍田君に対して失礼でしょう、と言うタイミングを逸してしまい、言いそびれた言葉は、延々と空を舞うトンビのように、しばらくの間消えようとしない。


 恋愛対象として見るには身近すぎるのか、我々がよくあるカップルのように並んで歩いているところなど想像がつかない。普通に並んで歩くことはあるけれども、あくまで同じサークルの構成員としてだ。それ以上の何かを思っていたことはない。

 しかし、人はわからないことが多いからこそ、その人に興味を持つというのであれば、彼に興味を持ってしまうのはごく自然のことだった。

 とはいっても、彼に対するわからなさは、時に私が最も苦手とする数学や物理の数式を思わせるようなものだ。受験に使うのでなければ、理解しなくても特段問題はない。世の中の多くの仕組みは数学や物理の難しい数式を元にして動いているということだから、少しは知らないと先代の偉人の方々に申し訳ない気がしないではないけれども、やはりそれは恋愛云々とはかけ離れた次元の話に思われる。


 そんなときを見計らったかのように、「あの人」はひょっこり現れる。彼女はくすりと笑って、去っていった。

「もしや、僕の噂話でもしてた?」

「なんでそう思うの?」

「なんとなく。まあ、僕の勘ってさほど当たらないからな」

 軽く笑みを浮かべ、何もなかったことにした。

 全開の窓から風が吹き込む。九月になっても、まださほど気温が下がった感じはしない。陽が短くなったから、もう夏とは違うのはわかっても、まだ半袖のままでいられる。

「このまま時が過ぎなければいいのに」

 ぽろりと口をついて出てきた言葉に、彼は何も答えない。なにか誤解をしていないだろうかと気になる。私はただ、ずっと二年生のままでいて文化祭の準備をしていたい、と思っただけなのだけど。


 でも、彼とずっと一緒にいたいという気持ちがまるでないかといえば、そうともいえない。家が近所だったからたまたま幼馴染になった人のように、同じサークルにいるから、仲良くなったこの人。住まいはどちらかというと親が決めるものだけれども、どの高校へ行くか、どの部活へ入るかなどは自分で決めることだ。そう考えると、自分で選んだ道のかたわらにこの人がいた、ともいえる。偶然のようでいて、出会うべくして出会った人といっても過言ではないのだろうか、などと思いながら、横目でちらっと彼を見る。

「そうだね、テストが返って来ないままだといいね」

 テスト……それは、始業式の翌日に行われた県下一斉テストのことだった。文化祭が終わったら、返却されることになっている。

「興覚めなこと言わないでよ」

「そのことじゃなかったのか?」

 黙って、軽く睨む振りをする。

「文化祭の準備が忙しくて、全然勉強しなかったからな。どうなっていることやら」

 彼は美術部で、文化祭で飾る絵の作成のリーダーをしているらしい。文化祭では、毎年テーマがあり、それに合わせて三メートル×三メートル程度の大きさの板に絵を描いて飾る風習があるのだ。ちなみに昨年のテーマは、「風」だった。


 去年の彼は、周りのみんながちょっとびっくりするくらいの取り組みようだった。毎日見回りに来る警備員さんに促されるまで帰らないだとか、夏休みに学校に来ると彼を見ない日はなかっただとか、まことしやかな噂が流れていた。

 そう、そのころから彼は頭角を現していたのだ。私は入学したばかりだったのでそれまでを知らなかったけれど、レベルが明らかに昨年までとは違うということで話題になっているのは確かだった。それを、いつも身近にいる目立たない男の子がほとんど中心になって仕上げていたことを風の噂にきいて、びっくりした。美術部員だとはいっても、ちまちまと油絵でも描いているのだろう、くらいにしか思っていなかったのだ。


「今年のテーマは?」

「鳥」

 テーマは、スローガンに沿って決められている。今年のスローガンに「羽ばたき」という言葉が入っていたことから、鳥になったようだ。

「どんな鳥を描いてるの?」

「人面鳥かな」

 出来上がるまで作品を見せたくないらしい。興味があることを伝えると、なるべく美術部には来ないように、と念を押された。

「出来上がるの、楽しみにしてるね」

 できるだけ社交辞令に聞こえるよう、淡々とした言葉を選んだ。


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