第6話 宿敵

 俺はさやに入った“吠丸”を左手に置き、正座して修繕されたばかりの道場の床に正座していた。照明は消され、採光窓から淡く入る月の光があたりをぼんやりと照らしていた。

 親父が亡くなったあと、全国に散らばっていた親父の門下生が募金を募り、半焼はんしょうした道場の修繕準備が始まった。親父の門下生には大企業の重役クラスの人や建設会社に勤める人もいた事からすぐに補修が始まり、翌月の月命日には補修が完了した。その日、つまり今日に合わせて師範代たちが催した補修完了に合わせた門下生同士の団体戦が行われ、その熱気がまだ道場内には残り香と共に感じられた。だが今は皆が帰途につき、道場にいるのは俺だけだった。

 俺は改めて鞘に入った“吠丸”を見た。母さんが親父が仕込み刀として偽装する前の姿、“吠丸”の為に古来作られたさやつばつかを出してくれて換装は終わっていた。鞘は黒蛇柄で手触りから本物の黒蛇の皮が貼られていると思われた。鍔にもやはり蛇の細工が施されていた。

 俺は“吠丸”を静かに手に取り、鞘を払った。鞘を正座した脇に置き抜身の刀身を眺めた。薄暗い中で刀身は最初に目にした時のように青白い明暗を繰り返していた、人間の鼓動のように。俺はそこに親父の魂が宿ったような気がして、気が付くと夜な夜な抜身の“吠丸”を眺めながら深思する時間が増えていた。

 

 この一か月、母さんから言われた通り古来より篁家に伝わる書物を読み漁り、概ね読破する事ができた。もっとも賀茂の助けがなければ読破する事など到底叶わなかっただろう。賀茂はほぼ毎夕、俺の家に寄って難解な古い言い回しに限らず難しい意味についても丁寧に解説してくれた。賀茂はそういった雰囲気をまとってはいなが、かなりの博識で頭の回転も速く、賢い事も分かった…と同時に俺の中に『自分は文武両道でその気になれば誰にも負けない』というおごった考えがこびりついていた事にも気が付いた。

 書物は過去の戦いの歴史と剣術の探求に彩られた壮大な叙事詩であった。今まで“先祖”という言葉は知っていても、実際親父は母さんのそれぞれの両親ぐらいまでしか感覚としても捉える事ができていなかった。しかし、書物の中に何百年もの昔に生きた先祖の苦悩を、そしてささやかな喜びを知り、彼らの息遣いを感じた。そうして遠く先祖の記憶に己の心を飛ばしているうちに俺はある事に気付いた。書物の中で、何度か同一と思われる人物への疑い、その人物との闘争が語られていた。ただ不思議なのは篁家は当然脈々と時代の流れの中で代替わりが行われているのに、その人物の名前はいつの時代も変わらない。一人の人間が何百年、何千年と生きられるはずはない。だとすると代々同じ名前を受け継いでいるのか。ただ…その名前は漫画や小説でも時々目にする名前でそれらの“善”なるイメージと、篁家の記録に残されたその名の持ち主はあまりにもかけ離れていた。その名とは“安倍晴明あべのせいめい”。


 俺は静かに“吠丸”を鞘に戻すと立ち上がって帯にしっかりと差し込んだ。道場の神棚のある方向に一礼すると、改めてゆっくりと“吠丸”を鞘から抜き、正眼に構えた。俺は親父が亡くなる前に俺に託した奥義の“其の一”から“其の三”までを体に染み込ませるように最初はゆっくりと、そして徐々に動作を早くする一人稽古を始めた。次第に体が熱を帯び、神経が研ぎ澄まされ、体の動きを意識する事無く、それでいて奥義の形から繰り出される剣先の動きは次第には速さを増していった。


 『安部清明あべのせいめいは不死なのか?』『小説等に出てくる正義の陰陽師“清明”と、古来より民に仇を成し、賀茂一族と共に篁の先祖と死闘を繰り広げた“清明”は同一人物なのか?』そして『親父が襲われたのもこの古来より連綿と続く抗争の一部なのか?』俺の頭の中では答えの出ないこれらの質問がグルグルと回り続けていた。


「集中できていないようですね。」


 俺は我に返って動きを止めた、振り向くと道場の暗がりの中に賀茂が立っていた。


「心ここにあらず、という感じがしましたが。」


 俺は静かに“吠丸”を鞘に納めた。


「賀茂の言う通り、雑念だらけさ。それでも親父から教わった奥義はだいぶ身についたぜ。雑念でいっぱいの頭でも無意識に形が出来るぐらいにはね。」

「さすが篁の血を引く者、頼もしい。」

「ちょっと待った、上から目線はやめてくれ。確かに古来より篁家の棟梁の務めは代々賀茂の棟梁を守り、協力する事だった。時には身を挺して賀茂の棟梁を助けた事もある。だが俺は身を挺してお前を守る気などない。」


 そう言って俺は賀茂を睨みつけた。書物の中には賀茂の棟梁を自分の命を投げうって助けた篁の記録もあった。その武士でいう“主と家臣”といった関係が俺には納得がいかなかった。賀茂は今までにない厳しい視線で俺の目をみると、暫くの沈黙のあと口を開いた。


「篁君、君のご先祖は何も務めとして命令されたから賀茂の棟梁を守っていたのではないよ。君のご先祖は、民を、そしてこの国を守る為に出来る事をしたのさ。確かに古くは篁家は賀茂家の家来という関係だったかもしれない。でも、僕は篁君にそんな関係を強いるつもりはないよ。上から目線というのは心外です。ただ迫りくる災いに対し、僕だけでは対抗できない。篁君、君の協力が必要なんです。どうか僕を助けて欲しい。」


 賀茂は初めて教室であった時のように右手を差し出した。しかし、俺はその手を握り返す事は出来なかった。


「俺には『民を守る』とか『国を守る』とか話が大きすぎて…。俺の祖先が命を懸けてまで守ろうとしたものがあった事は分かった。親父もそうだったんだろう。だけど…だからって俺もって言われたって『はい、分かったよ』って言わる訳ないだろう。」


 俺はそう言うと賀茂に背を向けた。暫くの沈黙の後、賀茂が俺の背中に語り掛けてきた。


「戸惑って当然だよ。僕もそうだった。そんな僕を導いてくれたのは君のお父さん、景義かげよしさんだよ。」

「親父が?」

「そうだよ。僕の父が亡くなった後に、景義さんが現れて色々と教えてくれたという事は話したよね。」

「うん。」

「君と同じさ。幼い頃から陰陽術の訓練は受けていたとはいえ。それは今にして思えば興味本位で、陰陽術を学び、出来る事が増えると父が褒めてくれる、そんな動機だったよ。父が亡くなったから自分が誰かを守れ、って言われても父の亡くなった経緯もあり、僕は賀茂家の棟梁になる気も、誰かを守る覚悟も無かった。」

 

 俺は振り向き賀茂を見た。賀茂は開いた右手を見つめていた。


「景義さんはそんな僕に、やさしく、そして粘り強く賀茂の棟梁になる覚悟が出来るまで寄り添ってくれた。役不足かもしれないけど、景義さんから受けた恩を今度は僕が返す番だ。」

「俺は自分の事は自分で決める、お前の指図は受けない。」

「篁君、これだけははっきり言っておくよ。さっきも言ったように、過去の賀茂家と篁家の関係を僕は君との間に持ち込むつもりはない。君が君として決心して僕を助けてくれるなそれ以上心強い事は無い。でも…それはあくまで君が決める事。もし君が僕を助けてくれないとしても、僕は君を恨んだりしない。僕は一人でも戦う、安部清明あべのせいめいと。」


 俺は『はっ』として賀茂を見た。


「…安部清明?あの大昔の陰陽師が生きているのか?」


 賀茂は真っすぐに俺の方を見たままゆっくりと深く頷いた。 


「“転生の技”によって、体が滅んでも魂を新しい体を次から次へと移す事で今日まで生き永らえている。確証はないが、僕の父を殺したのも、今回景義さんが襲われたのも、裏で清明が仕組んだ事だと僕は思っている。」


 俺は賀茂に近づくと両肩を掴んで言った。


「清明の事、詳しく教えてくれ。」


 賀茂は俺の両手を掴んで下に下ろさせると清明について話し出した。


「僕が賀茂忠行かものただゆき様の話をした時の事を覚えてる。忠行ただゆき様がその才能見出したのが清明だという話はしたよね。僕の一族に伝わる話では、清明は忠行様に師事してその陰陽術の才能をどんどん開花させていき、師匠の忠行様を凌ぐほどになったそうです。ですがその頃からよこしまな考えを持ち始めたそうで、それは『真に力がある者、つまり自分が日ノ本の国を支配してこそ、民に安寧が訪れる』というものだったそうです。」

「天皇にとって代わる?」

「そう、確かに平安時代には既に天皇は敬われてはいましたが、有力な貴族に利用されるような状況でしたから清明の言っている事も間違っていなかったかもしれません。しかし古からの秩序を乱すという事は恐れ多く、現代では考えられないような禁忌だったと思います。」

「そこで反乱を起こした?」

「いえ、実は賀茂家に伝わる書物によると…清明が粘り強く自分なら世を正しく、豊かに導けると有力貴族に説いて回ってそうですが、疎まれた上に天皇から『反逆の意思あり』と逆に粛清の対象になったそうです。そして京の都を舞台とした暗闘の後、清明は暗殺されました。」

「清明が暗殺された?」

「そう、賀茂家もその暗殺に加わっています。正確には清明の肉体を滅ぼしはしましたが、転生を許してしまったので暗殺に成功したと言えないかもしれませんが。」

「暗殺なんて…それじゃあ清明の恨みをかって当然じゃないか。」

「そうですね。彼は本気でこの国を良くしよう、平和で豊かな国にしようと考えていたのだと思います。ですが、肉体を滅ぼされ、その想いはこの国への強い呪詛へと変わった。」

「そもそも転生なんて事は出来るの?」

「清明の行っている行為は篁君が思う〝転生〟とは違うかもしれません。篁君が思う転生とはどういったものですか?」

「それは…いや転生を信じている訳じゃやないけど、死んだ人の魂が生まれる前の赤ちゃんの中に宿って前世の事は全て忘れて生まれてくる…みたいな感じかな。」

「そうでしょうね。はっきり言っておきますが篁君が今説明したのが〝転生〟ならそんな事は起こりえません。」

「おい、言ってる事がめちゃくちゃじゃないか!」

「人間の魂、いえ、生きるもののすべての魂はその個体に宿り、個体の消滅と共に霊体のみの存在となる。そこには前世の記憶というものもの無く、意識もない。間違いなく存在はするものの認識を伴わない事から逆に虚無とも呼べる。」

「賀茂、俺に哲学の話をしてるのかい?」

「哲学が追い求める真理はこの生命の話と切っても切れないからね。いや、話を戻すよ。一つの肉体に宿る精神はただ一つ。さっきの篁君の話では魂が赤ちゃんに宿るって話だったけど赤ちゃんに宿る魂はもともとちゃんとあるのさ。清明はその魂を目覚めさせないようにして赤ちゃんの体を乗っ取るのさ。」

「ちょっとまてよ!それって殺人?」

「魂を目覚めさせない事を殺人と言うかどうかは分からないけど、霊界も含めたこの世界において、決して許される事ではない。」

「止めさせる事は出来ないの?」

「過去において何度も僕のご先祖達が君のご先祖達と協力して阻止しようとしたさ。でも成功した事は無い。だから清明とは時代を越えて世代を超えてすっと暗闘が続いている。」


暫くの沈黙の後、




 

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勝手に神々を憑依させるんじゃねぇ!(仮) 内藤 まさのり @masanori-1001

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