第3話 一子相伝

 家に戻ると俺はすぐに行動に移った。今日賀茂から聞いた内容は、確かに学校で遭遇した不思議な体験の答えにはなっていたが、帰宅途中に冷静になって考えるとどこか空想めいていて実感がなく、親父に確認する事が必要だと思っていた。俺は親父の部屋のドアをノックした。


「親父。話がある。」


 『なんだ?』中から答える声がしてドアが開いた。


「訊きたい事がある。道場に来てくれないか。」


 俺はそう言い残すと家に併設された道場に向かった。


しばらく待つと親父が道着を着て現れた。


「親父、俺に隠してることはないか。」

「…いきなりだな。息子に隠している事と訊かれて思い当たる事はないが。」


そう言いながら親父は俺の前にゆっくりと座った。


「今日、賀茂の名字を持つ同級生から賀茂家と篁家の話を聞いた。俺の聞いた話が真実であれば、ここまで言えば親父なら分かると思うが。」


親父は表情こそ変えなかったが俺の言葉に返答は無く、沈黙していた。俺も問い掛けが真剣なものであることを示すために沈黙で親父の答えを促した。親子でのにらみ合いがしばらく続いたのち、親父は『ふーっ』と一つ息を吐いて口を開いた。


「隠していたわけではない。平時において、篁家の範士は賀茂家に対し何ら義務を負う事はない。それに現在の範士は私であってお前ではない。範士は加齢、病気等の理由で、有事に範士としての責務が果たせないと判断した時に、自分の後継者に『篁家の勤め』として〝御剣みつるぎ〟、〝奥義〟と共に譲り渡す決まりだ…よって隠していたわけではない。」

「では今は俺には話せないと。」

「今言ったようにその時が来れば話す。」


 親父の性格は知っている、話さないと言い切った以上、今話す親父ではない。


「…分かった。親父が話してくれるまで待つ。だけど賀茂が、あっ、その同級生の名前は賀茂 忠晶ただあきって言うのだけど、賀茂が言うには『厄災が近づいている』と。」

「それは私も感じている。最近巷にはびこる妖魔の数が増え、人間への敵愾心も強くなっている。」

「…親父、実は俺、賀茂と一緒にいる時に、不気味なカラスに襲われた。賀茂が言うには妖魔がからんでいるって。」

「何!?」

 親父は俺がびっくりするような大声を上げて反応すると、静かに目を閉じた。数十秒に渡る沈思のあと、親父は『キッ』と目を見開き、俺の目を見ながら指示を与えた。


「政義、すぐに道着に着替えて来い。」

「…なんだよ急に、この時間から稽古なんて…」


 文句を言おうとしたが、親父が放つ〝気〟に圧倒され、俺は続く言葉を飲み込んで答えた。


「分かった。」


*****************

 

 部屋に戻り、道着に着替えながら俺は親父との時間に想いを巡らせた。親父は詳細こそ話してくれなかったがその反応から賀茂の話が作り話でないという確信は得た。ただ、そうなると突拍子もない賀茂の話が事実だという事になる。その事実を受け止めて改めて俺の親父との歴史を振り返ってみると思い当たる節はいくつかあった。

 親父は周囲に始終気を配っていた。家の中でも、外にいる時でも常に気を張っていた。それは常に親父が常に臨戦態勢であったからではないか。また、俺に課した剣道の厳しい稽古も、ただ剣道がうまくなる為ではなくて、俺の将来、到来するかもしれない役目や護身の力を養うという意味もあったのではないか。道着に着替えた俺は、廊下を歩きながら過去の親父との思い出の数々を次々をたどっていた。道場につくと親父は木刀を脇に置き、静かに瞑想していた。そして俺の気配を察して目を開き、静かに言った。


「お前に篁家秘伝の奥義を伝える。よく見ておくように。」


親父はそう言うと木刀を携えて三歩前に出ると蹲踞の姿勢をとった。木刀を構えると『すっ』と立ち上がって正眼に構えた。


「其の一 !“鎌鼬かまいたち!”」


そう大声で宣言すると、木刀の先を静かに右斜め上に伸び上がるように構えると一瞬で振り下ろしながら斜めに空を切り裂いた、と思いきやそのままの勢いで鋭角に木刀の先を左上に跳ね上げ、更に正面を払うように木刀を体の左側から右側に引き付けつつ元の右斜め上の位置まで持ってくると、再度同じように斜めに空を切り裂いた。しかし今度は斜めに振り下ろした勢いのまま体を左に捻り、体を一回転させなが顔が前に向いた時には木刀は右斜め上にあり、体の回転で刃速を更に上げて三度目の空を切った。切り裂かれる事などないはずの空気が切り裂かれた…そんな衝撃に俺は貫かれていた。


親父は静かに正眼の構えに戻ると息を整えた。


「其のニ 、“猩々しょうじょう!”」


また大声で宣言すると親父の体が不規則に前後左右に動き始めた、それは独特の足さばきからくる動きで、剣道の足さばきが直線的に前後、しかも引く時は引き、攻撃する時は前と明確な意思が明確な動きになるのと違って前に出るようで出ない、後ろに引くようで引かない、更に左右の動きが加わり捉えどころがないというか、見方によっては酔っぱらったような滑稽にさえみえる動きだった…しかし、不意にその動きが止まった時には右手一本で正面に突きが繰り出されていた。


親父は構えを正眼に戻し、荒い息を徐々に沈めて当たりが静寂に包まれた。


「其の三 ! 、“火車かしゃ!”」


親父は数歩後ろに下がると引き絞られた弓の弦から放たれた矢のように、数歩で驚くほどの加速をすると空に飛び上がったかと思うと空中で前回りを始めた。体を丸め頭を下にして縦回転の速度が上がる。頭が再度上に来た瞬間、体は伸びあがり、木刀は虚空で大上段に構えられていた。そして回転の勢いに加えて全体重が乗った木刀が着地と同時にまっすぐに振り下ろされた。俺は木刀が振り下ろされると同時にぶつけられた“気”に圧倒され、数歩あとずさった。親父は道場の床すれすれに木刀を止め、前後に足を大きく開いた姿勢で残心を取っていた。


荒い息をしながらゆっくりと正眼に構え直した後、蹲踞の姿勢から木刀が納められた。親父に近づくと滝のような汗を流している事に気が付いた、剣道の稽古で親父がこんな具合に肩で息をしているのを俺は見た事がなかった。


「分かったか。」


 演武を目の当たりにして、驚きが大きく、親父の声は耳には入らなかった。


「今見せてもらったのは剣道の技?…な訳はないか。対、妖魔用の剣術?」

「そうだ、まず今見せた三つの奥義を習得するのだ。そしてよく覚えておくように。これら奥義は我が家に伝わる御剣みつるぎ吠丸ほえまる”を手に繰り出された時、その威力は何倍にも増幅され、破邪のやいばとなる。」

「〝吠丸ほえまる?」

「今はその名前だけ覚えておけばいい。いずれ、お前が手にする日が来る。」

「親父、親父は〝依り代〟として賀茂家の誰かの力で精霊か何かを憑依させた事はあるの?」

「私には無い。しかし私の父、そうお前にとっての祖父が何度か霊体に憑依された状態で妖魔に対抗したと聞いている…さぁ、其の一から始めるぞ。」


 親父はそう言って話を切り上げると、俺への指導に入った。


*****************


 それから数時間、親父による厳しい指導が続いた。奥義「其の一」は初見で分かったのは連続技の凄さだけであったが、稽古で指導を受けるうちに、その神髄が剣を常に動かす事による牽制と防御にある事が分かってきた。そもそも剣道では正眼を基本として〝静〟の状態から一瞬にしての〝動〟の動きへの変化の中で勝負がほぼ決する。ところが篁流剣術奥義其の一〝鎌鼬かまいたち〟は常に剣を動かす事の奇抜さもさることながら、太刀筋に合わせた体、顔の向きに始まり、目線に至るまで細かな約束事があった。親父の説明でそれらの動きが常に牽制と防御が目的であり、隙が最小になるように考え抜かれたものだった。しかも一つの所作の習熟度を上げる度に、この奥義自体が体に馴染む感覚があった。何と表現すればいいのだろう…階段を上がる度に階段の段差が少なくなって楽に、しかも早く上がっていける。『なんと心地よい…』自然に心と体がこの奥義の習熟を欲しその快楽とも言える感覚の中で俺の意識は遠のいていった…その時だった。


「やめっ!」


 親父の一喝いっかつで俺は我に返った。 


政義まさよし!心を飛ばすな!」


 俺は急に怖くなった。幼い時より竹刀と木刀を振ってきた、蒼く澄んだ静かな空間の自分を置いて。試合でどんな熱戦になってもいつも心は芯の部分で引き締り、その凛と冷えた空間が変わる事はなかった。しかし、生まれて初めて木刀を持ちながらある感情に支配されていた事をはっきりと悟った。ある感情とは…“欲望”だ。


「まさよし、剣とは敵を打ち砕く道具、それをどう使うかは剣を使う者に委ねられる。篁流剣術は千五百年の歴史の年月をかけて、妖魔に対抗する為に練り上げられた“退魔の秘剣”だが、その刃を己の欲望のままに人や妖魔に向けてはならぬ。強くなれば強くなるほど自戒を忘れればよこしまな考えに心囚われる。」


 親父の目は真剣で、今しがた感じた快楽が、親父の言う邪な考えに心が囚われるその淵に居た事が実感できた。体中に冷や汗をかいている事に気付くと同時に悪寒が走った。


「今日はここまでにしよう。明日も夜9時から稽古を行う。風呂に入って寝ろ。」


 そう言い残すと、親父は道場を後にした。俺は急に襲い来る疲労の中、何とか蹲踞の姿勢を取り木刀を納めると床に崩れ落ちた。道場の天井を眺めながら、俺はここ数日で自分の身に起こった出来事を反芻しながら、自分の運命が急速に動きだした事に驚くとともに、高揚感も感じていた。

 


 

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