第4話 暗転
いつもの登下校路、心地よい朝の日差しの中で俺は何度もあくびを噛み殺していた。昨晩はなかなか寝付く事が出来なかった。ここ数日で自分に起こった出来事を頭の中で整理するのも然る事ながら、やはり篁流剣術の奥義の稽古の際に感じた〝力〟を得るにしたがって増大する〝欲望〟、それに身を委ね感じた〝快楽〟を心の中から消し去れず、悶々とした長い夜を過ごす事になった。眠りに落ちたのは朝方に近い。
一時限目の授業が終わると直ぐに賀茂が教室にやってきた。
「お父さんには話してくれたかい?」
「あぁ。今日、放課後一緒に俺の家に来てくれ。それと…ちょっと来てくれ。」
俺はそういうと賀茂を廊下に連れ出した、そして、生徒がまばらにしかいない中庭まできて話を続けた。
「親父に確認した。賀茂から聞いた、『賀茂家と篁家の古からの繋がり』について、親父は否定しなかった。」
「これで僕の言った事が真実だと信じてくれるね。」
「…信じるしかないな。しかも、先週変なカラスに襲われた事を話したら、血相変えて篁流剣術の奥義の稽古が始まった。」
賀茂は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに表情を引き締めた。
「おじさんも異変に気付いているのかな?」
「感じてるんだと思う、昨日『最近巷にはびこる妖魔の数が増え、人間への敵愾心も強くなっている。』って言ってた…えっ、賀茂は俺の親父知ってるの?」
「話してなかったね…僕の父が亡くなった時、
「“誓約”って何?」
「賀茂家と篁家、“棟梁”か“範士”、どちらかの家で新しく伝承がなされる時、“棟梁”と“範士”は必ず一度会ってお互いを確認しあうのさ。その作業が“誓約”さ。」
その時、中庭にも次の授業開始のチャイムが鳴り響いた。
「いけない、戻らなくちゃ。では放課後校門で。」
そう言うと賀茂は背を向けて早足で教室に向かった。俺も自分の教室に急いだ。
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放課後になって俺は校門で賀茂を待ったが中々賀茂は来なかった。20分ぐらい待ってようやく賀茂は校門に姿を現した。
「ごめん。例の部室のガラスが割れてしまった件で校長に呼ばれてて遅くなっちゃった。」
賀茂は息を切らしながら額の前で手を合わせて頭を下げた。
「いいよ、気にしていないから。ここんとこいろんな事が起きて考えることが沢山あってな。暇はしてないよ。」
そう言って俺は歩き出した。
「篁君、考え過ぎは体に悪いよ。」
ニコニコしながら俺に注意する賀茂を睨みながら、俺はすかさず“突っ込み”を入れた。
「…おいおい、俺の生活に色々持ち込んできた張本人が言う言葉か?」
「?いや、僕らがこうやって関係を築くのは古より決まったいたというか、早いか遅いかの違いだけで…」
「いいよ、それより休み時間の話の続きを聞きたいんだけど、棟梁と範士の“誓約”って何をするの?要は『俺が新しい棟梁だから宜しく。』みたいな感じか?」
「師匠からその責務をちゃんと伝承されているなら篁君の言う通り顔合わせの色合いが強いだろうね。」
「そうじゃない場合もあるって言うのかい?」
「あるよ。さっき、僕の父が亡くなったという話をしたろ?例えば幼くして師匠が亡くなってしまい、伝承が不完全だった場合、相方が伝承の補完をするのさ。」
「補完?」
「そう補完。僕の場合は陰陽術ついては幼い頃から父より直接学んでいたが、それは君が幼い頃から剣道をお父さんから教わってきたように、息をするように自然と身に着けたもので、その術を何のために使うのかとかは考えた事は無かった。父は当然時期が来たら僕にそういったすべてを伝承するつもりだったのだと思う。その父が亡くなった時、君のお父さんが訪ねてきたんだ。」
「俺の親父が?突然?」
「そうだね、突然。」
賀茂はその時の事を思い出しているのか遠くを見る目をしていた。
「父を失ってばかり、傷心の中にある僕に君のお父さんはかこう言ったんだ。『賀茂の棟梁、私が篁家が範士、
「親父も陰陽術が使えるのか?」
「いいや、景義さんが教えてくれたのは“伝承の
「“伝承の匣”?宝箱みたいなもんか?」
賀茂は少し笑顔を見せて続けた。
「そうだね。もらってもあまり嬉しくない宝箱。その中には数々の陰陽術の秘術を教える教本や過去の災いとの戦いの記録、そして賀茂家の棟梁が代々担ってきた護国の精神を伝える“賀茂家棟梁心得の条”、そういった書物が入っていたのさ。因みに整理されているのは賀茂家にまつわる書物だけではないよ。篁家についての書物もある。僕に起こったような事が篁家の範士候補の人に起こらないとは限らないからだと思う。でも篁君の場合はそんな書物に頼らなくても景義さんからちゃんと伝承されるはずさ。」
「昨晩俺が稽古をつけてもらった奥義もその伝承の一環?」
「そういう事だね。でも君が羨ましいよ、書物は書物でしかない。書かれた時代は現代とは全く違う世界で、現代に置き換えて色々な解釈やらが必要で…読んで分からない事が出て来るたびに、インターネット等を使って調べるんだけど、最新の流行語は溢れていても、こういった過去の書き言葉の情報なんてほとんどないんだ。といって調べようにもどう調べていいか…」
「大変そうだな、俺が親父から学べるってのはありがたいことなんだな。でもな、俺の親父の稽古って厳しいんだぜ…」
俺は話しながらいつの間に賀茂との距離が友達と呼べるまでに近くなっている事を感じていた。
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俺の家が近くなっても賀茂の話は尽きなかった。
「…それでさ、その鼻の長い精霊が高い木のてっぺんからこちらを見てるの。」
「天狗?」
「そう天狗様、でもね、その長い鼻に見えてたのはよく見ると嘴で、翼もある事から天狗の正体は鳥の精霊だったんだよね。でね、僕が話しかけると人間に自分が見えてる事にびっくりして…えっ、何?」
突然の爆音に賀茂の言葉は遮られた、賀茂が目を向けたその先は俺の家だった。俺も直ぐに異変に気が付いた。俺は反射的に走り出していた。
「待って!」
賀茂が後ろから叫びながら付いて来ていたが構う気にはなれなかった。俺は歯を食いしばって更に加速した。自宅まであと少しに迫り、詳細が見えてきた。自宅に併設された道場から火の手が上がっている…それどころか道場の屋根が一部吹き飛んでいた。不安が胸に迫るなか、そのままの勢いで敷地内に駆け込んだ。
「親父!
俺は道場に近づこうとしたが火の勢いが激しく、先ずは自宅に飛び込んだ。
「親父!
親父と母さんの姿を探して家じゅうの部屋を走り回ったが誰も見つからなかった。『道場か?』悪い予感が益々増大する。俺は風呂場に行くと服のまま冷めた湯船に身を沈め体を濡らした。そして、風呂場を飛び出すと道場に向かった。
自宅を出るとどこか火の回っていない入り口がないかを探した。道場正門側は完全に火に包まれていたが、道場の倉庫に外から入れる裏口にはまだ火が回っていなかった。俺は一瞬で覚悟を決めると裏口に飛びつきノブを回し、中に飛び込んだ。倉庫にも火の手は回っていなかった。武具が仕舞われた倉庫内を駆け抜け、道場への扉を開いた。
そこに広がっていた景色に俺は愕然とした。壁と天井は炎で埋め尽くされ、床だけがまだ火の侵略を免れていた。だがその道場の床の中央に親父が倒れていた。俺は道場の中に一歩足を踏み入れた。猛烈な炎の照射で頬が焼けるように熱かった。親父が動かない、俺は親父に走り寄ろうとした…が親父まであと数歩というところで足を止めた。親父の向こう側、揺らめく炎の陰に誰かいる…僧?おかしい、袈裟に火がついているにも関わらず涼しい表情をしている。
「お前が篁の息子か?『飛んで火にいる夏の虫』とはよく言ったものよのう。」
「誰だお前は?」
「ほう、私の姿を見ても慌てないとは肝は据わっているようじゃな、結構結構。拙僧、名は
そう言うと火前坊は『ヒヒヒ』と甲高く耳障りな声を立てて笑った。其の隙に俺は親父に近寄った。
「親父!親父!!」
俺は親父の上半身を起こすと激しく揺さぶった、近づいて分かったがひどい火傷を負っているようだ。最悪の事態も頭をよぎった。しかし親父は『うぅ…』と苦しそうにうめくと薄く目を開けた。
「…政義逃げろ…」
吐き出すようにそう言うと親父の目は閉じられた。
「最後のお別れは済んだかのう。いや、直ぐにあの世で再会じゃ。」
その火前坊の言葉を聞き、俺の中で増大する怒りが恐怖を遮断した。俺は親父の傍らにあった親父愛用の木刀を拾い上げた、刹那、俺は違和感を感じたが構わずその木刀を正眼に構えた。
「ほぅ、抵抗しようというのかい?いいねぇ、楽しませておくれよ。」
そう言うと火前坊は顔の前で印を結んだ。すると火前坊の前に三つの火球が現れるや異なる軌道で俺に向かってきた。俺は反射的にその三つの火球を左右に体を動かす事でなんとかかわした。
「さすが篁の血を引くもの、それなりの修練は既に積んでいるようじゃな。ではこれはどうじゃ?」
火前坊が先程とは違う印を結ぶと、五つの火球が現れた。
「このわしの攻撃がかわせたら、褒めてつかわそう…」
「そこまでだ火前坊。」
突然背後から声がした。振り向くとそこには賀茂が立っていた、しかも賀茂の周りで何かが高速で回っている…水だ、水が高速で賀茂の周囲で回転し、水の障壁を作っている。賀茂は円筒形の水の障壁の中で火前坊とはまた異なる印を結んでいた。賀茂は言葉を続けた。
「『
「お前が噂になってる賀茂家の新しいひよっこ棟梁か?面白い、二人まとめてあの世送ってやる!」
火前坊はそう叫ぶと火球を俺に向けて飛ばしてきた。火球は前後左右、更に上からの5方向から俺に迫る、『かわせない』そう思った瞬間、俺はプールに突き落とされたように水の中にいた。俺を包む水の球体に構わず火球は俺に向かって飛来を続けたが水の球体に衝突した瞬間に全て消滅した。火球が消えると俺を包んでいた水の球体は急に重力に従って形を崩し、“バシャ”と音を立てて床を濡らした。
自分の攻撃が無力化された事が分かり、火前坊の表情が一変した。そして全身に炎をまとい、叫んだ。
「おのれ賀茂のこわっぱ!」
賀茂は結んだ印の形を変えると目を閉じ、早口で何か呪文らしきものの詠唱を行った。そして“かっ”と目を見開くと俺に指示を出した。
「篁君、僕が火前坊の動きを止める。君のお父さん、景義さんから教わったという奥義!」
途端にあたりに空気に動きが生じ、その動きが一瞬で爆風となり、四方から吹き荒ぶことで火前坊のまとった炎を吹き消した。火前坊の表情が歪んだ、更に暴風の勢いは強まり、その風の力に抑え込まれるように火前坊の動きが止まった。だが俺は動けずにいた。
「篁君!!」
俺はその賀茂の一喝で我に返り、篁流剣術奥義其の一「鎌鼬」の動作に入った。火前坊は空気の壁に押し固められ動けずに悪態をついていた。
「やめろ、俺を滅するとただではすまんぞ。」
木刀の先を静かに右斜め上に伸び上がるように構えると一瞬で振り下ろしながら斜めに空を切り裂き、そのままの勢いで鋭角に木刀の先を左上に跳ね上げ、更に正面を払うように木刀を体の左側から右側に引き付けつつ元の右斜め上の位置まで持ってくると、再度同じように斜めに空を切り裂いた。しかし今度は斜めに振り下ろした勢いのまま体を左に捻り、体を一回転させなが顔が前に向いた時には木刀は右斜め上にあり、体の回転で刃速を更に上げ火前坊の左肩口から打ち下ろした。『がつん』という確か手応えがあり、俺は木刀を引いて三歩後ずさると正眼に構え直した。
「ギエー」
耳障りな断末魔の奇声を上げながら火前坊がのたうちまわっていた、が次第にその姿自体がぼやけてきた。気が付くと賀茂がすぐ横に立っていた。
「これが破邪の
賀茂はそう言いながらも未だ警戒を解かず、既に見えなくなりかけている火前坊から視線を外していなかった。
火前坊の姿が全く見えなくなって暫しの時間があり、やっと俺は口を開いた。
「終わったのか?やっつけたのか?」
『ふーっ』と深い息を吐いて、賀茂が脱力するのが分かった。そして学校でのいつもの口調に戻って俺に答えた。
「正確には実態を失い、完全なる霊体に戻った、いや篁君が戻した、と言った方がいいかな。」
その賀茂の説明を聞いているうちに俺は意識がはっきりし、我に帰った。
「親父は!」
俺は親父に駆け寄った、揺すってみた、が反応がない。
「親父!親父!!」
俺は子供のように親父の上半身を抱えて泣き叫んでいた。
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