第15話 歴史の授業
年が明け六歳となり、本格的な貴族教育を受け始めた三兄弟のために、家庭教師としてトラヴィスが招かれた。
気が乗る乗らないは別として、今や反逆者としてガドモア王国で指名手配されている身としては、一族郎党を匿ってくれているネヴィル家の誘いを断る事は出来ない。
そのトラヴィスが教えるのは基礎学問の語学、算術、礼法、そして歴史である。
アデルたち三人は、トラヴィスにとって全く手の掛からない生徒であった。
それどころかあまりの出来の良さに内々で舌を巻いていたほどである。
六歳にしてすでに語学に堪能で算術も確か。ただ唯一、礼法を苦手とするのみであった。
その苦手とする礼法であっても、不得手だからといってサボるわけでもない。
どんなに苦手であっても、努力してどうにか水準までもっていこうとするその姿に、トラヴィスは好感を覚えた。
「トラヴィス先生、今日は何の授業? 今日も礼法?」
「礼法、俺たち苦手だからなぁ……」
普段から物腰柔らかなトラヴィスに、三兄弟はあっという間に懐いていた。
トラヴィスとしても三人はいささか歳の離れた兄弟のように思い始めていた。
王族や貴族であれば、十数歳、下手をすれば二十歳離れた兄弟がいたとしても、何らおかしなことは無いのである。
「いえ、今日は歴史の勉強をしましょうか。ガドモア王国やその周辺国家の成り立ちについて、お話しましょう」
離れに作られた勉強部屋のテーブルを囲むように座った三兄弟の前に、トラヴィスが一枚の羊皮紙を広げた。
それは一枚の地図であった。
「現在このカルディナ半島には三つの国家があります。ひとつは言わずとも知れたガドモア王国。その東に位置するイースタル王国。そして北西に位置するノルト王国の三つです」
トラヴィスはそれらの国ひとつひとつを指差していく。
その指を目で追うアデルたち三人の顔つきは真剣そのものであった。
かねてより三人は自国のみならず周辺諸国のことを知りたいと思っていたのだ。
「海を越えた南にアルタイユ王国。イースタルの東の海の先にペジャ帝国があると言われています」
両国とも広げられた地図には載っていない。
アルタイユ王国のことは祖父のロスコから少しだけ聞いたことがあったが、遥か東にあるというペジャ帝国についてはまったくの初耳であった。
「このカルディナ半島の付け根を抑えるようにして、西にフランジェ王国、東にベルクト王国があります。海の向こう側のアルタイユ王国とペジャ帝国は別として、ガドモア、イースタル、ノルト、そしてフランジェとベルクトは祖は同じとされています」
遥か昔、このカルディナ半島にはエフト王国という国が栄えていた。
同時期に半島の北にゴルド王国あった。後にゴルド王国は内紛により北ゴルドと南ゴルドの二つに分かれたという。
その北ゴルドに押されるような形で、南ゴルドはカルディナ半島へとやって来た。
そして同地で栄えていたエフト王国を滅ぼし、半島を掌握。
しかしこれまた内紛により南ゴルド王朝は崩壊。ガドモア王国とイースタル王国の二つに分かれることとなる。
一方、北ゴルド王朝もまた南ゴルド王朝と同じく王族同士による内紛の結果、フランジェ、ベルクト、ノルトの三国に分裂した。
「じゃあ、じゃあさ、ウチの北西に住んでるエフト族って……」
「南ゴルド王朝によって滅ぼされたエフト王国の末裔とも言われていますね」
現在ガドモア王国とイースタル王国は、互いに正統なる南ゴルド王朝の後継として争っている。
北でもフランジェ王国とベルクト王国が同じように北ゴルド王朝の正統性を主張して争っているという。
ガドモア王国はイースタル王国と事を構えつつもさらに、鉄などの資源が豊富な北西のノルト王国にも侵略の魔の手を伸ばしていた。
これに対しノルト王国は、東のイースタル王国と秘密裏に手を結び、ガドモア王国に対抗している。
これがガドモア王国歴229年現在のガドモア王国とそれを取り巻く周辺諸国の状況であった。
「ん? ねぇ先生、ノルトは……ノルト王国は自分がゴルド王朝の正統なる後継だと主張してないの?」
「良い質問です。ノルト王国は北ゴルド王朝の王族が興した国ですが、どうやら王族であっても傍流であったらしく、血統的には正当性を主張するフランジェ、ベルクトの両国より劣るそうです。そのためか、両国の争いには関わらず、勝った方の正統性を認めると言っているそうです」
「それって、火に油を注いでねぇか?」
「それが目的かもね」
「というと?」
「地図を見ればわかる通り、ガドモア、フランジェ、ベルクト、ノルトの四か国でいうと、ノルトが一番小さい。その上ノルトは、ガドモアと事を構えている」
「なるほど、フランジェとベルクトが争っている間は、後ろは気にしなくてもよいわけだ」
「でもそのせいで両国に援軍は頼めない。だからイースタルと手を組んでいるんだな」
三人の会話は歴史から軍略へと変わっていく。
その話の内容にトラヴィスはまたしても舌を巻かずにはいられなかった。
「でもさ、これってちょっとガドモア王国やばくない?」
「ああ、二正面に敵を抱えるとは、上の連中は一体何を考えてるんだ?」
「いくらガドモア王国が、ノルト、イースタルの二か国よりも大きく、国力があるとはいってもなぁ……どちらかを攻めると、がら空きの背中を刺されちまうぜ」
自分たちが仕える国を取り巻く状況の悪さに、思わず顔を顰める三人。
「その通りです。ガドモア王国がノルト王国を攻めると、示し合わせたかのようにイースタル王国が攻めて来ます。その逆もまた然り。若様がたならば、どうなされますか?」
「どちらかと和睦する。それか、イースタル王国のさらに東にあるというペジャ帝国と誼を結び、イースタル王国を牽制して貰う」
この意見はまったくをもって正しいとトラヴィスも頷いた。
「しかし、そのどちらも難しいでしょう。なぜならば、イースタル王国とは南ゴルド王朝の正統なる後継という立場をめぐって争っています。互いに正統性を主張するかぎり、和睦は難しいでしょう。次にノルト王国ですが、これは鉄などの資源を狙ってのことであり、この資源欲しさも長期化しているイースタル王国とのためとなると……」
じゃあ、ペジャ帝国の方は? とアデルが聞くと、
「ペジャ帝国とは信奉する神が違いますので……無理でしょう……」
アデルたち三人はこれを聞いて、心の底からくだらないと鼻で笑った。
しかしながらそれを口に出すのは憚られる。
なぜなら、この世界では前世の記憶にある科学で証明されている多くの事柄が、神の御業であるとされる非常に迷信深い世界なのだ。
「まぁ、ガドモア王国は地図を見てもわかる通り大国。今・し・ば・ら・く・は大丈夫でしょう」
含みのある言い方をするトラヴィスに対し、三人は首を傾げる。
この時の三人は、まだトラヴィスが何者であるかを知らなかった。
ただ単に貴族家出身の家庭教師としか知らされていなかったのだ。
トラヴィスが一体何者で、どういった理由と経緯でネヴィル家にやってきたのかを知るのは、まだまだ先のことであった。
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