第10話 トラヴィス
「アレッシオさん、全ての馬車の荷の積み降ろしが終わりました」
手で汗を拭いながら若い荷降ろし人夫は、ゆったりとした服を着て長い髪を後ろで結わえた若者に声を掛けた。
人夫に呼ばれた若者は、まだ厳しい晩夏の日差しを受けながら柔和な笑みを浮かべて頷いた。
この若者の名はアレッシオという。身形こそ商人然としているが、その挙措の一つ一つに気品があった。
整った顔だちにどこか翳りのある姿。見る人が見れば、この若者は決して商人などでは無いと疑うかも知れない。
「では、出発しましょう」
そう言ってアレッシオは伸ばされた御者の手を取り、若者らしく軽快に馬車へと乗り込んだ。
ガドモア王国の西北に位置するノルト王国との国境付近にある村々に、ロスキア商会の荷を運ぶのが今現在のアレッシオの仕事である。
これは偽名であるアレッシオと同じく、ガドモア王国の謀反人としての追跡を巻くための偽装カバーであった。
アレッシオを名乗る青年の本当の名は、トラヴィス・ドーレンという。
ドーレン家は、ガドモア王国建国期からの名家で、子爵号を賜り代々王国の儀典に携わっていた。
しかしながら先日、トラヴィスの父であるサラウニが、何かにつけて派手に式典を執り行おうとする国王を諌めたところ、勘気を蒙り冤罪をでっち上げられ、逮捕、投獄されてしまった。
父親の無実を訴えに王宮へと向かったサラウニの嫡男、トラヴィスの兄であるオラーツィオもまた、謀反人の息子として捕えられた。
このことに身の危険を感じたトラヴィスは、慌てて親族らを引き連れて領地を脱したが、多くの者が逃げ遅れて捕まってしまった。
結果としてドーレン子爵サラウニ及び、嫡男オラーツィオは謀反の罪により死罪。
逃げ遅れ捕まった親族らも同様に謀反人として処刑された。
逃走途中でその報を聞いたトラヴィスに嘆き悲しむ暇は無かった。
トラヴィスは僅かに持ち出すことに成功した財を以って商人としての体裁を整えると、名を変え、一路北西を目指した。
最初トラヴィスは、ガドモア王国に敵対する北方の雄であるノルト王国へ亡命する気だった。
しかしそれを、寸でのところで思いとどまる。
ここ数年ガドモア王国とノルト王国との間に、戦らしい戦は起きていない。
ゆえにガドモア王国の国王であるエドマインは、弛みきり贅を貪っているのだが、これがもしトラヴィスがノルト王国に亡命し、それが受け入れられるとなると新たな火種となる可能性が生じかねない。
もっともこの仮定は亡命が受け入れられた場合のことである。
ノルト王国がガドモア王国との戦を嫌うのであれば、トラヴィスの亡命は受け入れられないだけでなく、もしかすると捕えられてガドモア王国へと送り返される可能性もある。
そうなれば一貫の終わり。これまで共に逃亡してきた親族らの命運も尽きるだろう。
トラヴィスは迷った。隣国に亡命するべきか、せざるべきか。
そのようにして、ガドモア王国とノルト王国との国境付近の村に滞在していたトラヴィスに接触し、取り敢えず匿ったのがロスキア商会だった。
このロスキア商会の行動は、会長であるロスコの独断であった。
ロスコは今やネヴィル男爵家の親族であり、ネヴィル男爵領の発展に大きく関わる、言わばキーパーソン的な存在であった。
そのロスコの目から見て、現在のネヴィル男爵家は些か武に偏り過ぎていた。
だからといって秘密の多いネヴィル男爵家に、迂闊に人材を送り込むわけにはいかない。
送り込むのは信用の置ける人物、あるいは共通の利害を持つ者、または共通の敵を持つ者でなければならない。
そうして目ぼしい人材を探していたところに現れたのが、王国から謀反人の一族として追われ、逃亡の旅を続けているトラヴィスであった。
トラヴィスの血筋、家柄は申し分ない。むしろネヴィル男爵家と比べようも無いほどの名家の出である。
またトラヴィスはサラウニ・ドーレン子爵の次男であるが、おそらくは長男に何かしらあったときのスペアとして、十分な貴族教育を受けているはずである。脱出の際に利かせた機転といい、才覚ある若者であることは間違いない。
そしてトラヴィスにとってガドモア王国は父と兄の仇である。よって、ネヴィル男爵家に迎え入れ、隠された秘密を知ったとしても、それを外に漏らす可能性は低いだろう。
さらには、儀典官を勤めていたサラウニ・ドーレン子爵から直々に教育を受けたとすれば、式典や礼法にも詳しいはずである。
これは礼法の類を苦手とするネヴィル男爵家にとって、喉から手が出るほど欲しい人材と言えるだろう。
ロスコはこの有為の人材を確保すべく、早速行動に移る。
商会の情報網を使い、トラヴィスが偽名を用いて商人の真似事をしながら、追跡を逃れ北上しているのを知ると、息子であるエリオットを使いに出した。
エリオットは国境沿いの村に滞在中のトラヴィスに接触すると、まずは商人として援助を申し出た。
最初は罠かと訝しむトラヴィスであったが、隣国への亡命の決断に迷っていたこともあり、この際逆に利用できるのであればこのロスキア商会を利用すべきとして、エリオットの誘いに乗った。
国境沿いにある寒村の宿の一室で、二人は密談する。
「ではこのまま商人の身分を維持しつつ、徐々に南下して頂きたい。勿論全ての手筈はこちらで揃えますので…………」
「わかりました。ですが、一つだけ腑に落ちないのです。なぜ、私わたくしごとき者にそれほどまでに、手を差し伸べてくださるのでしょうか?」
このトラヴィスの問いに今答えるべきかどうか、エリオットは迷った。
迷いつつ鳶色のトラヴィスの瞳を見つめる。
「トラ……おほん、アレッシオ殿には、我が甥の家庭教師となって頂きたいのです。無論、ご親族の方々共に身の安全は保障致します」
「失礼ですが、私は商家の出では御座いませぬ。エリオット殿の甥御様にお教え出来る事があるとは思えませぬが…………」
トラヴィスは狭い一室の外に、数人の気配を感じていた。
これまでトラヴィスは、儀典官の息子として親子共々戦とは縁遠い生活をしていたが、これまでの逃亡生活で荒々しい殺気のようなものを感じ取れるようになっていた。
(部屋の外に人がいる…………それも複数。おそらくは武装しているな…………この話を断れば、即座にこの場で殺すつもりか…………)
トラヴィスの背筋に冷たい汗が流れる。
ここで自分が殺されてしまうことは即ち、共に逃げて来た親族たちの死を意味するだろう。
「実は我が妹はさる貴族家に嫁いでおりまして、三人の子を産んでおります」
「…………それはそれは…………御目出度きことですな…………」
貴族の青い血に平民の赤い血を入れるとは、よっぽどの物好きか、あるいは変わり物か。何にせよその家には何か特殊な事情があるのだろうと、トラヴィスは思った。
だがなんにせよ、この場に於いてはこの誘いを受けざるを得ないのだとトラヴィスは諦めた。
「お教えするのは吝やぶさかではありませんが、せめてその御家の御名前だけでもお教え頂けないでしょうか?」
そんなトラヴィスの目の色に落ち着きが現れたのを感じたエリオットは、わざとらしい咳払いを二回続けた。
すると部屋の外から発せられた殺気は静まり、徐々にその気配も遠ざかって行った。
それを感じ取ったトラヴィスは、内心でホッと息をついた。
「アレッシオ殿はネヴィルという名を御存じですかな?」
「ネヴィル…………ですか?」
トラヴィスは自分のこれまでの記憶の中から、必死にネヴィルという名を思い出そうとするが、かなわなかった。
そんなトラヴィスを見て、エリオットは逆に少しだけ嬉しそうに目尻を下げた。
やはり中央の連中は辺境の者になど興味が無いのだと。
名前すら碌に伝わっていないこの状況であれば、今しばらくの間ネヴィル男爵家は、国王や中央の貴族たちに目を付けられる事も無く、自由に羽ばたくことが出来るだろうという確信をエリオットは抱いた。
「知らないのも無理もありません。ネヴィル男爵家は、王国の西端。辺境中の辺境にありますゆえ…………」
これだけで聡明なトラヴィス殿ならば、わかるでしょうとでも言いたげなエリオットの表情を見て、すでに自分たちの運命はそのネヴィル男爵家に握られているのだとトラヴィスは悟った。
「…………私どもを匿って頂けるのであれば、どこへなりとも喜んで向かいましょう」
「先程も申し上げました通り、身の安全は保障致します。もしもですが、どうしてもネヴィルの水が合わないというのであれば、ノルトへの亡命も出来る限りお手伝い致します」
このような言葉を鵜呑みには出来ないが、差し当たってトラヴィスには選択肢はないに等しい。
「わかりました。全てをあなたに委ねると致します」
それを聞いてエリオットは笑みを浮かべた。
「全てお任せ下さい。決して悪いようには致しませぬので…………では差し当たって、しばらくの間は我が商会に属して商いを続けて頂きたくお願い申し上げます」
トラヴィスに否はない。今は言われるがままにするしかないと覚悟を決めた。
こうしてトラヴィスことアレッシオは、ロスキア商会の一員として商売をしつつ緩やかに南下し、ネヴィル男爵領へ向かう事となった。
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