第9話 目ぼしい人材

 

 アデルたちが筆頭家老であるダグラスを連れ、養蜂の計画を進めるべく奔走していた時、ネヴィル男爵家の居館の応接室では、ジェラルドとダレン、ギルバート、ロスコ、最古参の重臣であるウズガルド、グスタフの六人が、それぞれ厳しい表情を浮かべていた。


 その内の一人であるロスコは、他の五人と同じように渋い表情のまま、狭いネヴィル男爵家の応接室を見回した。


 応接室の壁には狩りで仕留めた大鹿の頭部のはく製が掛かっている。


 また、ソファーに敷かれているのは、これまた害獣駆除の際に狩った狼の毛皮であった。


 これらは何れもダレンが仕留めたものである。


 全体的に飾り気の無いネヴィル男爵家で、これらが唯一と言ってもよい飾りであった。


 それらに視線を移した後、ロスコはジェラルドを始め室内の五人の顔を見た。


 そして内心で小さな溜息をつく。


 この家は些か武に偏り過ぎていると。


 商人であるロスコの目から見ても、武人としてならばこの場にいる全員が、群を抜いた者たちであることはわかる。


 だが、それだけでは足りないのだ。


 ジェラルド、ダレンの親子二代にわたる野心を成就させるためには、武だけでは駄目なのだ。


 ネヴィル家の中で平民の身分でありながらも、ロスコは唯一のブレーンとして今まで活躍してきた。


 ロスコ自身も今まで十分に、役目を全うしてきたという自負はある。


 だが今以上にネヴィル男爵家が飛躍するには、知の部分が圧倒的に足りない。


 内政官及び、軍略ではなく政略を行う者の不足にいつも頭を悩まされていた。


 ロスコもいい歳である。現在のように商売をしながら、内政のアドバイスをし、さらには諜報も務め続けるのは厳しくなってきていた。




「若君がたは幼いながらも、得難き資質を秘めております。幼いうちからしっかりとした教育を施すことが肝要かと。さすれば成長の暁には武は勿論のこと、知の面でも大いに力を発揮される事でしょう」




 このロスコの言に異論は無い。家中随一の武辺であるギルバートなどは、早くあの三人に手ずから武芸を仕込みたいと、ウズウズしているほどである。


 が、問題は知の方である。三人が優れた知力を持っていることは、最早周知の事実となっている。


 しかしながらその資質を磨き、伸ばす、または足りない部分を補う人物がこのネヴィルには少ない。


 もっとも、皆が期待する三人の知力に関しては、元が優れているのではなく前世の膨大な記憶を引き継いでいるに過ぎないのだが、この場に居る者たちがそれを知る由はなかった。




「むぅ、歯がゆいのぅ。如何に高名な学者であろうと賢者であろうと、迂闊には招くことが出来ぬ」




 ジェラルドははく製の鹿のガラス玉の瞳を見ながら、最近特に白さが際立って来た顎鬚を撫でる。




「左様。少なくとも、我が領の秘密をこの先ずっと共有出来る人物でなければならない」




 これは最低かつ絶対条件であるとダレンが断言する。


 ネヴィル男爵家には、いや、ネヴィル領には他人に、ことにガドモア王国に絶対に知られてはならない秘密があった。




「やはりガドモアに恨みを持つ人物が良いのではなかろうか?」




 猛将の気質を持つウズガルドがそう言うと、その反対の慎重な性格のグスタフが首を横に振る。




「いやいや、その様に都合の良い者がおるかいな。それに王国に強い恨みを抱く者を、安易に若君がたに近付けるのもどうかと思うぞ」




「釣られて性格が捻じ曲がるとでも?」




「可能性は無きにしも非ず。何分、まだ幼いゆえな…………」




「そのあたりは我らが注意すればよかろう」




 と、ジェラルドが言うとウズガルド、グスタフ共に頷いた。


 ここでロスコが一つ咳払いをした。




「コホン…………その人選ですが、私わたくしに些かの心当たりが御座います」




 ロスコの目は確かである。商人としての物を見る目、そして人を見る目もである。


 それは若き日の没落寸前まで追い込まれていたジェラルドと組んだことで、証明されている。




「代々儀典官を勤めていたドーレン子爵家が先日、陛下の御勘気を蒙こうむり改易されたことは御存じでしょう」




「うむ。ドーレン子爵家といえば名門中の名門であるからのぅ。このド田舎までその話は流れて来たわい」




 ドーレン子爵家は、貴族社会から半ば孤立しているジェラルドでも知るほどの名門中の名門である。


 それがいともあっさりと改易されたというニュースは、瞬く間に王国中を駆け巡った。


 ロスコは少しの間を置いてから、事の始まりはこうですと語り始めた。




「ドーレン子爵は陛下に対し直に諫言なされたのです。王国の金庫番であるラグラン男爵と共に。陛下は無駄遣いが多く、このままでは遠からず国庫は空になる恐れがありますれば、緊縮なされますようにと。すると陛下はこう仰られたそうです。ならば、税を上げればよいと」




「なるほど、此度の急な増税はそれも原因の一つか」




 そうダレンが言うと、ロスコは黙って頷いた。


 そして再びロスコは話し始めた。




「両者共に増税にも反対なされたところ、陛下の御勘気を蒙り、逆に二人が地位を利用して王国の財をくすねているという、あらぬ罪を着せられ投獄されました。それに驚いた両家の嫡男が、陛下にご勘如を求めて即刻王宮に向かいましたが、いずれもその場で捕まり同じように罪を着せられ、親子共々処刑されました。両家の一族もまた叛意ありとして、多くの者が殺されたそうです」




 語るロスコを除く全員の口から、悲嘆の溜息が洩れる。




「改易された両家の領地は、宰相閣下とその取り巻きたちのものとなったそうに御座います」




 王国の腐敗はジェラルドとダレンの想像を遥かに超えるスピードで進んでいた。




「で、先程の人選の話に戻るわけですが、ドーレン子爵の次男が子爵婦人らを連れて上手く領地を脱しておりまして…………若いながら才覚があり、また儀礼にも詳しく、若君がたの教育係として打ってつけの人物かと思われますが如何でしょうか?」




 その者、武辺者であるか? と、ウズガルドが問うた。


 この短い言葉には自らの武勇によって、脱出路を切り開いたのかという意味が含まれていた。




「いえ、そういった噂は聞きませぬな。領地を脱する際には商人に化け、弁舌巧みに危機を脱したと聞いております」




「少なくとも、度胸はありそうじゃな。その者は今何処に?」




「今は北のノルトとの国境くにざかい付近の村々を、行商の身に扮して点々としております」




 ロスコは商人独自のネットワークでこの情報を入手すると、さっそくこの若者を調べ上げ、使えそうだとわかるな否や陰ながら支援していた。


 そのため今、彼らが何処にいるかも把握している。




「一度会ってみるか」




 と、ダレンが言った。ダレンも義父の目利きに一目も二目も置いている。


 その義父が若いながらにして才覚ありと言う若者に、興味が湧いて来たのである。




「彼らは、長き逃亡の生活に心身ともに疲れ果てております。安住の地を得られるのであれば、必ずや当家の誘いに乗るでしょう」




「そういえばまだその者の名を聞いていなかったな…………名を何と申すか?」




「トラヴィス…………今はアレッシオという偽名を用いております」




「では義父上、御苦労をお掛けするがそのトラヴィスとやらを連れて来ては頂けぬでしょうか?」




「はい、早速使いを出して呼び寄せましょう」




 そう言って席を立とうとするロスコを、ジェラルドが呼び止めた。




「もう一人の……ラグラン男爵の方は?」




 目ぼしい人材はいなかったのかという意味での問いであるが、ロスコは悲しげに目を伏せ首を横に振った。




「ラグラン男爵家を襲った悲劇は、ドーレン子爵家を襲ったものよりも大きなものでした。先程申し上げました通り、両家の領地は宰相閣下とその取り巻きたちのものとなりました。ドーレン子爵家の領地はそっくりそのまま宰相閣下の手に。ラグラン男爵家の領地はというと、宰相閣下の取り巻きたちの間で激しい取り合いが起きましてな…………土地だけでなく財も人をも奪い合いが起き、さながらこの世の地獄といった有り様だったようで…………」




「わかった。ふぅ…………明日は我が身と思うて、今まで以上に変事に備えなくてはならぬな」




 このジェラルドの溜息混じりの言に、一同は深く頷くのであった。

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