第7話 ロスコ

五月の半ば、真上から照りつける強い日差しを浴びながら、細い一本の崖道を数十台の荷馬車が連なって進んでいた。


 荷馬車の手綱を預かる御者たちは皆、顔どころか全身に汗を掻いている。


 このあとからあとから噴き出る汗は強い夏の日差しのせいだけではない。


 この道の端には柵一つ建っておらず、足を踏み外せば断崖絶壁の崖下へと真っ逆さまに落ちてしまう。


 熟練の御者たちでさえも、一瞬たりとも気が抜けぬそれはそれは恐ろしい崖道であった。


 この崖道はネヴィル領とガドモア王国とを繋ぐ唯一の道であり、表向きにはこの道だけがネヴィル領の命を繋ぐ唯一の道であると思われている。


 この特異な地形により、ネヴィル領は多くの者たちから陸の孤島と揶揄されていた。


 遠くから見ると蟻の行列にも見えなくはないこの荷馬車たちを率いるのは、ネヴィル男爵家お抱えの商人であり、また現当主の義父でもあるロスキア商会の会長ロスコである。




「この道を行くのも、冬以来か…………若君がたの成長ぶりを見るのが楽しみでならぬわ」




 ロスコにとってアデル、カイン、トーヤの三人は初孫である。


 ゆえに目に入れても痛くないほどの可愛がりぶりである。


 現に今も孫のことを考えただけで、長い眉に隠れている目尻が垂れ下がっていた。


 三兄弟も母方の祖父であるロスコを慕っていた。


 ロスコが来ると三人は土産話をせがみ、日がな一日中纏わりついて商売の事は勿論、ロスコが訪れたことのある地の気候や風土を始めとするありとあらゆることを尋ねた。


 変わった孫たちだとロスコは思う。


 土産に持って行った玩具の類にはさして興味を示さず、人の話や書物に大きな興味を示す三人に、さしものロスコも最初は戸惑うばかりであった。


 だが三人が僅か五歳で文字の読み書きを覚え、算術においても優れていると知ると、自分の商人の血が強く現れたのだと喜んだ。


 些か早熟すぎると思わなくもないが、直近に似たような事例があったことを、ロスコは商人たちが独自に持つネットワークで知っていた。


 北の隣国ノルト王国の第一王子もまた、三人と同じく幼少の頃から並外れた知性を発揮して、大人たちを驚かせたという。




「まさに、世が乱れる前兆かも知れぬな。乱世には並外れた力を持つ英傑が、幾人も生まれるというしのぅ」




 露天商から一代で商会を築き上げた、稀代の商人であるロスコの目から見たガドモア王国の未来は暗い。


 凡君、暗君と二代続き、そして今の王太子もまた良い噂一つ聞こえてこないとすれば、いかに大国であるガドモア王国とはいえども、先は長くないだろうと予見せざるを得ない。




「なればこそ、だからこそ…………」




 ロスコは隣で必死に手綱を操る御者に聞こえぬような小声で呟く。


 その白く太い眉の下に隠れているロスコの目には、商人と呼ぶには相応しくないギラつきが見え隠れしていた。






 ーーー






「爺ちゃーーーん!」




 領都カデイアに着くなりロスコは、三人の孫たちから熱烈な歓迎を受けた。


 子犬のようにはしゃぐ三人を見るロスコの目は、好々爺そのもの。


 崖道の途中で見せた、野心的な目のギラつきは鳴りを潜めていた。




「少しの間見なかったとはいえ、随分と大きく逞しゅうなられましたな」




「毎日たくさん食べて、よく寝てるからね!」




 祖父に褒められた三人は、えっへんと嬉し気に胸を逸らした。


 二言三言とロスコと言葉を交わしながらも、三人の興味は荷台で騒がしく鳴く荷物が気になって仕方がない。




「お望み通り、鶏をご用意致しました」




 それを聞いて荷台の檻の中を覗き込んだ三人は、けたたましく鳴く鶏たちの姿を見て、おお、と喜びの声をあげた。




「もしかして、今回の荷は全部鶏?」




「全部とは言えませぬが、殆どそうであります。数にして二千羽ほどになりましょうか」




 その数、二千羽と聞いたアデル、カイン、トーヤの三人は驚きの余り言葉を失った。




「ど、どうしよう……」




「爺ちゃん…………ウチさ、貧乏だからそんなには買えないよ…………」




「いくら家畜の中で一番安いとはいえ、数が…………」




 三人の顔がどんよりと曇った。


 ちなみに、この国の主な家畜で一番高いのは馬である。


 軍事、農耕、運搬、食肉、皮革とあらゆる分野で必要とされる馬が一番高い。


 次いで牛、これは農耕、運搬、乳製品、食肉、皮革とこれもまた利用価値が高い分、値が張る。


 その次は羊と山羊、羊は羊毛と食肉、山羊は乳製品と食肉。


 そして豚、最後に鶏となる。


 意気消沈する三人を見て、ロスコは声を上げて笑った。




「ご心配なされますな。普段から節制を続けておられるネヴィル男爵家ならば、この程度の数の鶏を買い、養うなど造作もないこと」




 それを聞いて三人はホッと胸を撫で下ろした。


 それにしても何処にそんな金があるのかとの疑念に、三人は首を捻った。




「そうだ! 爺ちゃん、俺たち養蜂を始めようと思うんだ」




「ほぅ、養蜂ですか」




「前に爺ちゃんが教えてくれたでしょ。南の海を渡ったアルタイユ王国で養蜂は盛んに行われているって」




「確かにアルタイユでは養蜂は盛んに行われておりますな。それに、遥か北西にあるフランジェとその隣国ベルクトでも養蜂が行われていると聞きます。我が国でも主に東部地域で盛んに行われております」




「おお! じゃあ、多分ウチでも養蜂は出来るな!」




 小躍りして喜ぶ三人。


 だが、ロスコの目から見てこの地で養蜂を大々的に行って成功するかどうかというと、多少の不安要素があった。


 それはネヴィル領が山中の盆地にあるため、平野部よりも少しだけ平均気温が低いというものであった。


 つまり蜂の活動期間が平野部よりも短く、その分集める蜜の量が少なくなる。




「まぁおそらくは大丈夫だとは思いますが……大規模なオリーブ畑もありますので、蜂たちも花の蜜には困らぬでしょう。ですが、質はともかくとして量は東部地域よりも少なくなってしまうかも知れません」




「つまり競争力で東部地域には敵わないってことか。すでに出来上がってしまっている販路に対し、ウチが新規参入するのは難しいということか」




「でも、それならそれでいいんじゃないか? 地産地消でも」




「うん、別に交易品として成り立たなくても、甘味として、また薬として領民たちの役に立つのならば、やるべきだろう」




 この三人の言葉を聞き、ロスコは驚きの余りポカンと口を開けたまま、しばらくの間放心した。


 会話とその内容が五歳児のものではない。まるで大人と話しているかのような錯覚に襲われたロスコは、改めて三人の姿をマジマジと見つめた。




「どうしたの爺ちゃん? さぁ、早く行こう。父上が待ってるよ」




 そう言ってアデルはロスコの手を取った。


 その孫の小さく柔らかな手の感触を受けて、ロスコは我を取り戻した。




「そ、そうですな。先ずはお館様にご挨拶を致しませぬと」




 暖かい孫の手を握りながら、ロスコは確信し、また決意した。


 この三人は尋常ならざる者であると。


 だがまだこの三人は尻に卵の殻を付けたままの雛鳥も同然。


 大空を自由に羽ばたくその日まで、何としても守って見せると。

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