第6話 ネヴィル 其の二

「また増税ですか…………」




 最後に手紙を読み終えたダグラスがフンと鼻を鳴らしなした。


 そしてこうも頻繁に増税されては堪らぬ、陛下は盲目であり聾である、民の困窮する姿も、怨嗟の声も聞こえない、と揶揄した。




「増税に反対したドーレン子爵とラグラン男爵は、あらぬ罪を被せられ粛清。これで宮廷から前宰相派は完全に一掃されたわけだな」




 この手の宮廷内闘争による流血は、エドマインが王座を占めてからは日常茶飯事と化していた。




「増税の理由もまた酷いものだ。新たに後宮に迎え入れた側室のために、ドーハンの湖畔に離宮を建てるためとは…………愚王めが」




 ウズガルド、グスタフ共に露骨に顔を顰めている。


 特に豪傑として名高いウズガルドは、人目も憚らずに王を悪しざまに罵った。




「しかし些か拙いのではありませぬか? 先代様は……その…………陛下と少々相性が悪う御座いますれば…………」




 そんなグスタフの歯切れの悪い言葉尻を蹴り飛ばすようにギルバートが吠えた。




「相性が悪いだと? 父上は売られた喧嘩を買ったに過ぎぬわ! だいたいにしてあの愚王めが当家の誇りを穢すような真似をしたのが悪いのであって、父上は貴族の、人としての誇りを守ったに過ぎぬ!」




 ネヴィル家先代当主であるジェラルドとガドモア王国の現国王であるエドマインとの間に一体何があったのか?


 それは今より十九年前のことだった。


 当時働き盛りであったジェラルドは、各地を転戦しその見事な槍捌きから銀槍と呼ばれ、武辺として名を上げていた。


 一方、王太子であったエドマインは、遊蕩児として悪名を馳せていた。


 東方のとある戦場で二人は顔を合わせた。


 この時もジェラルドは率いる兵は少数とはいえ、銀槍の異名に恥じぬ働きにより敵に少なからず損害を与え、大いに面目を施していた。


 片や遊蕩児である王太子エドマインは、戦場でもその愚劣さを変わらず酒と女に溺れる日々を過ごしていた。


 ある日エドマインは、今回の戦でも武功を立てているジェラルドを呼び出した。


 それを知った人々は、エドマインが武功を立てたジェラルドを賞するものだと思っていた。


 呼び出された当のジェラルドもそう思っていた。


 だが、人々の予想は裏切られた。それも最悪な形で。


 エドマインにとっては単なる戯れだったのだろう。


 呼び出しを受けたジェラルドが、眼前に跪いたのを見てエドマインは、徐に己の一物を取出し、事もあろうにジェラルドの頭に小便を引っ掛けたのだった。




「聞けば少なからず武功を立てたようじゃの? これは余からの褒美じゃ、遠慮なく受け取るがよい」




 酒臭い息を吐き、笑いながら小便をし続けるエドマイン。それを見た取り巻きたちは、わっ、と手を叩き一斉に笑い出した。


 むわっとしたアンモニア臭の中、ジェラルドはただ黙ってその仕打ちに耐え続けた。


 やがてエドマインの小便が止まると、顔から小便を滴らせながら拭いもせずに、ジェラルドはゆっくりと立ちあがった。




「某如き者のために寛大なる御心づかい、感謝の言葉も御座いませぬ」




 このジェラルドの言葉に、エドマインと取り巻きたちは再び大声を上げて笑った。


 武辺だの何だのといっても、所詮はこのようなものよ、と。




「ですが殿下がくだされたこの褒美、某には些か過分で御座いますれば、返上致したく存じ上げまする」




 そう言うとジェラルドは、王太子であるエドマインの顔に拳を突き立てた。


 不意に渾身の右ストレートを喰らったエドマインは、悲鳴を上げる間もなく後ろに吹っ飛んで転がり、鼻血を垂らして伸びてしまった。


 不敬を働いたジェラルドはその場で組み敷かれ捕えられた。


 事が事だけに直ちに王都へと移送され、王直々の裁きを受ける事となった。


 鎖を掛けられ檻車で移送されるジェラルドの姿を見た人々は、口々にその剛毅を褒め称え、かつ同情し憐れんだ。


 逆にエドマインは、軽はずみな行いにより面目を失った愚か者として、今まで以上に人々から軽侮されるようになる。




 この一件を耳にした時の宰相ヨアヒム・ボーデン侯爵は、エドマインを王太子の座から引き摺り降ろす好機と捉えた。


 愚劣極まりないエドマインを廃嫡し、自分の娘と王の間に生まれた第二王子ブリフィンを王太子とし、ブリフィンが王となった暁には摂政たらんとする野望を抱いていた。


 ボーデン侯爵は声高にエドマインの行為を非難し、ジェラルドを命よりも名誉を惜しむ剛の者であると褒め称え、擁護した。


 誰がどう見てもエドマインが悪いうえに、人々の同情も集まっていたこともあり、さらにボーデン侯爵の一声が効き、王都に移送されたジェラルドは死を免れた。


 しかしながら王族に手を上げた罰として、それまで治めていた領地は没収され、変わって当時未開の地も同然であったコールス地方へと領地替えされた。


 ボーデン侯爵は、このコールス地方を飛び領地として治めていた。


 だが治めていたといってもそれは形だけで、侯爵はこの未開の地とされていたコールス地方に興味は無く、開発はおろか代官すら置かずに、年に一度徴税官を派遣するだけという杜撰な統治を行っていた。


 侯爵はこの一件を利用して価値の低いこの飛び領地と、王都に程々近い旧ネヴィル男爵領とを取り換えることを思いつき、裏で手を回したのだった。


 こうして辺境へと追いやられたジェラルドは、事の元凶である王太子エドマインと、卑劣にもこの一件を自己の利益のために利用したボーデン侯爵に対する怒りに打ち震えた。


 ここでジェラルドが絶望していたならば、今のネヴィル家は無かっただろう。


 この逆境をバネとして再び飛躍せんとしてジェラルドは奔走するのだが、世間は陸の孤島と称される未開の地に飛ばされたジェラルドのことを、すぐに忘れ去った。


 なぜならば、宮廷では王太子派と第二王子派が火花を散らし、日々激化の一途を辿っていたからである。


 一時は第二王子派が優勢となり、エドマインを廃嫡寸前まで追い込んだものの、勝利を目前にして気が緩んだのか、ある時ボーデン侯爵が視察中に狼藉者に襲われ命を落としてしまう。


 この狼藉者がエドマイン派の手によるものであることは、誰の目にも明らかであったが、確たる証拠はなかった。


 そして侯爵という後ろ盾を失った第二王子ブリフィンも時を置かず怪死を遂げ、旗頭を相次いで失った第二王子派は宮中から駆逐され、エドマインは王太子の座を守り切ったのだった。


 この時エドマインに与し、裏で暗躍したのがザイゲル伯爵であると言われており、エドマインが玉座に就くとザイゲルは宰相となり無能怠惰な王に代わり国政を牛耳るようになる。


 このようなことがあったため、ネヴィル家はガドモア王国の貴族でありながらも、王家に対する忠誠は微塵も持ち合わせてなかったのであった。

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