第5話 ネヴィル 其の一
息を弾ませながら三兄弟は居館へと帰宅した。
居館といっても大した造りでは無い。
申し訳程度の石造りの壁と、少しだけ広い庭を持つ二階建ての館で、男爵位を持つ貴族の館にしては小さかった。
このこぢんまりとしたネヴィル男爵家の居館と比べれば、金回りの良い中小の商家の方が敷地も建物もよっぽどマシかも知れなかった。
だがそんな比較対象を知らない三兄弟にとって、この街で一番大きな二階建ての館は、大きく誇らしい我が家である。
三人は玄関をくぐり抜け、そのまま勢いよく二階へと駆け上がって行った。
二階には父であり領主であるダレンの書斎兼執務室がある。
その執務室の扉を無作法にもノックもせず開けると、息を切らせながら三人は転がり込むようにして飛び込んだ。
一体何事かと驚くダレンに、三人は目をキラキラと輝かせながら詰め寄った。
「父上、お金を下さい!」
このアデルのいきなりの要求に、ダレンは金貨ではなく拳骨を与えた。
室内にアデルの悲鳴が響き渡る。
「無作法にもノックもせずに飛び込んで来たかと思えば、いきなり金の無心とは何事か!」
「違うんです父上! 僕は、僕たちはただ酒を買おうと思って」
カインは慌てながらも説明しようとしたが、ダレンの拳骨によって遮られた。
「お前たちはまだ五歳だろうが! 酒を求めるなど十年早いわ!」
「ちちち、違うんです父上! 僕たちはお酒を造ろうと思って」
拳骨を貰った二人の兄が涙目になりながら悶えているのを見て、トーヤは顔色を青くしながら説明しようとしたが、
「馬鹿者! 買えぬとなれば今度は造るだと? 子供の内から酒を欲するなど、何事か! そのひん曲がった性根を叩きなおしてやる。三人ともそこになおれ!」
鬼のような形相を浮かべたダレンを見た三人は、頭に出来たこぶを両手で抑えながら、わぁ、と蜘蛛の子を散らすように室内を逃げ惑った。
だがダレンは大柄な体格からは想像出来ぬ様な俊敏さを発揮し、トーヤ、カイン、アデルの順にあっという間に捕まえてしまった。
「三人ともそこに座れ!」
三人はビクリと震えながら、並んでソファーに腰を掛けた。
ソファーに座った三人は、未だに両手で頭に出来たこぶを摩っている。
それを見たダレンは、一つ大きな息を吐いた。
「一体どういうことなのか? 落ち着いて最初から話して見よ」
そう言われた三人は互いの顔を見た後、代わる代わる口を開いた。
「なるほど。領内を富ますために新たな産業を興したいというのだな? その一つが養蜂だと? 蜂の生態を良く知るであろう猟師たちから情報を聞きだす為に、酒を振る舞いたいと?」
「ええ、そうです父上。えっと、その…………ウチって貧乏でしょ? 蜂蜜は甘味だけでなく、薬にもなるし、お酒も造れます。つまり、お金になります」
アデルはそう答えながら、貴族の書斎にしては殺風景な室内を見回した。
ウチが貧乏と言われたダレンは、笑いを噛み殺すのに必死だった。
確かに傍から見れば、このネヴィル男爵家は辺境中の辺境の貧しい貴族に見えるだろう。
この三人がネヴィル領の真の姿を知ったら、一体どんな顔をするのだろうか?
それを想像するとダレンは可笑しくてたまらない。
「…………まだ早い……父上やロスコ殿とも相談してから………」
「え? 父上、何か?」
「いや、何でも無い。よかろう。ただし、目付を付けるぞ。金や酒を扱うには、お前たちはあまりにも幼い。良いな?」
三人に否はない。自分たちの案を認めてくれたことが嬉しくて、飛び上がって喜んだ。
「目付はダグラスが良かろう。近日中に話を通し、金も用意しよう」
ダグラスとはネヴィル男爵家に古くから仕える臣で、あり三家老の一人である。
さらには前領主ジェラルドから正式に騎士に任じられた一人であり、ネヴィル領内にある一ヶ村を治めている。
三兄弟も家老のダグラスのことはよく知っている。
ダグラスも、爺、爺、と親しみを込めて呼ぶ三人を自分の孫のように可愛がっていた。
はしゃぐ三人を仕事の邪魔だと追い出したダレンは、卓上の鈴を鳴らして執事のローアンを呼んだ。
然したる間もなく書斎の扉がノックされ、ノックの主であるローアンが名乗るとダレンは入室を許した。
白髪交じりのごま塩頭のローアンは入室すると静かに扉を閉め、一礼した。
「お呼びで御座いましょうか、お館様」
「うむ、ちと使いを頼む。今晩、父上とギルバート、それに三家老も招集したい」
「かしこまりました。では、直ちに」
「頼む」
ローアンは再び一礼し退室すると、ダレンは引き出しを開いて一通の手紙に目を落とし、大きな溜息をついた。
ーーー
その晩、ネヴィル家の応接室にダレンとジェラルド、そしてジェラルドの子でダレンの弟のギルバート、そして三家老のダグラス、ウズガルド、グスタフが集まった。
書斎同様、飾り気のない殺風景な部屋に大人が六人。
テーブルの上には、葡萄酒の入った瓶とそのつまみとして、去年の秋に採った胡桃を炒って軽く塩を振られたものが置かれていた。
「養鶏の方はどうか?」
ダレンはダグラスに問いかけながら、葡萄酒の瓶をクイっと持ち上げた。
「今のところは上手くいっております。しかし、驚きましたな。本当に若の発案で?」
ダウラスはそう答えながら、押し戴くように杯を掲げた。
ダレンはその杯に並々と葡萄酒を注いだ。
ダグラスは遠慮なく杯に注がれた葡萄酒を一息に飲みほし、大きく息を吐いた。
たいして広くない室内に、葡萄と酒精の香りが広がっていく。
「うむ。これはあの子たちの発案によるものだ。動機自体は単純で、ただ卵が食べたいという幼稚なものだが、案の内容はしっかりとしたものであった。で、卵の配給は出来そうか?」
「鶏の数が人口の五倍くらいは必要ですな。しかし、本当にやるので?」
やる、とダレンは頷いた。
「税を搾り取っても自分たちに恩恵があるとなれば、領民たちも納得し、進んで税を払うようになる。領内の道はだいたい整備し終えた。ここいらで今一度、有効な税の使い方を領民たちに示して、その心を掴んでおきたい。まだ、世の中が平穏なうちにな…………」
そういうことであれば、確かに今しかありますまいなと、ダグラスは頷いた。
「それにしても卵が毎日配られるなど、領民たちに取って見れば夢のような話でしょうな。他領では考えられぬ事でしょうな。領民たちが驚き、喜ぶ顔が目に浮かびますわい」
「領内全ての養鶏場を当家が建てて運営すれば、卵だけでなく鶏肉の流通も当家が牛耳る事が出来よう。時間は掛かるが元は取れるはずだ」
「領民たちは、増々お館様に頭が上がらなくなりますな」
ダグラスはニヤリと笑い、目を細めながら葡萄酒のお代わりを求めた。
ダレンも笑みを浮かべながら、再び差し出された杯に自ら葡萄酒を注いでやる。
他の者たちはというと、それぞれ勝手に各々手酌で葡萄酒を味を楽しんでいた。
「それともう一つ、ダグラス卿に頼みがある」
ダレンは今日の昼間の事を話した。
「いやぁ、我が甥ながら大したものだ。まだ五つだというのに、当家の財政の心配をするとはなぁ……」
そう言ってギルバートは笑った。ギルバートとしても、この館を訪れる度に叔父上、叔父上と子犬のようにはしゃいで纏わりつき、武功話をせがむ甥っ子たちが可愛くて仕方がない。
「しばらくの間、あの三人の御守をして欲しい」
「それは構いませぬが…………確か養蜂は、南の海の向こうのアルタイユ王国で盛んに行われておりましたな。ウチでも出来るものなのでしょうか?」
「国が違えば、蜂の種類も違うかも知れぬ。成功する保証はどこにもない。だが、自由にやらせてみようと思うのだ。たとえ失敗したとしても、そこから学べることもあるだろう」
そのためには多少の出費には目を瞑ると、ダレンは笑う。
そうですな、よき経験になりましょうとダグラスも笑った。
「して…………まだ若様たちには、当家の本当の姿を明かさぬので?」
「うむ、あれらも来年には六つになる。その時にでも話そうかと思っておる。さて、酔っぱらう前にそろそろ本題に入ろう。取り敢えずはこれを読んで欲しい」
ダレンが差し出した手紙をジェラルドが受け取る。
手紙を読み進めるジェラルドの眉間に深い皺が寄るのを見て、ギルバートも家老たちも良い知らせでは無いと知る。
ジェラルドは読み終えると、横にいるギルバートへと渡した。
ギルバートもまた、ジェラルドと同じように読み進める内に自然と眉間に皺を立てた。
それを見た三家老たちは、親子そっくりであると微笑を浮かべた。
だがそんな微笑も、手渡された手紙を読み終えた時には深い溜息へと変わっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます