幕間6 屋敷の日常

 この家の主人である茉由と寛之は不在である。茉由はホルアデス火山に向かっているために留守。もう一人の主人である寛之は魔王軍と行動を共にしている。


 そんな屋敷に住むのは二人以外に六人。洋介、夏海、シルビア、ピーター、ディーン、エレナだ。そのうちの洋介と夏海は茉由と同様、ホルアデス火山に向かっており、留守。


 つまり、現在屋敷に住んでいるのは四人ということになる。そんな四人は何をしているのかと言えば、基本的には冒険者としての仕事だ。中でも、モンスターの討伐が主な任務である。


 シルビアは魔鉄ミスリルランクの冒険者であり、残るディーン、エレナ、ピーターの三人はスチールランク。四人とも、ここローカラトの冒険者の中では実力者の部類に入る。


 そして、普段の冒険者としての仕事を終えたら、夕方ごろから鋼ランクの三人は前庭で自主トレーニング。ディーンとピーターは実際に木刀を用いての模擬戦、エレナは魔法を発動するまでにかかる時間を早くするために、発動準備から発動までの練習をただひたすらに繰り返していた。


 また、シルビアは三人とは別で、一人魔鉄製の剣で素振りを行なっていた。それは三人とは剣術のレベルが違うからという要素もあるが、そこにはそれ以上に大きな理由があった。


「ふぅ……」


 シルビアは剣を壁に立てかけ、ストンと地面に腰を下ろした。片膝を立て、もう片方の足を伸ばす。ズボンを穿いているから特に目立たないものの、乙女としてはいかがなものかという座り方である。


 そんな座り方をして、見つめているのは中庭を流れる小川。それをぼうっと眺めていた。


「シルビアさん」


 そんな時、杖を両手で可愛らしく持った栗色の髪の少女がサイドテールを揺らしながら、シルビアの方へとやって来た。


「エレナか。どうかしたのか?」


「えっと、シルビアさんに魔法のことを聞きたくて……」


「私はそこまで魔法の事は知らないのだが……」


「えっと、そうじゃなくて、魔法の発動速度を速めるコツってありますか!」


 緊張しているのか、エレナの声は裏返り、声を叩きつけるかのような声量になってしまっていた。それをシルビアは笑って流し、質問の内容について顎に手を当てて、真剣に考え始めた。


 シルビアは自分から教えに行くのはおこがましいと思っているから、練習に混ざらなかったのだ。これが三人の練習に混ざらない一番の理由である。


「私は常に魔法を発動するイメージを頭の中に巡らせている。で、そのイメージを描きながら、目の前の相手と斬り合いながら移動しているのだが……」


 思いつくままに言葉を並べていく。説明としては理解しづらいだろうが、エレナはシルビアの言葉を一言一句聞き漏らしの無いよう、熱心に聞いていた。


「……とまあ、こんな感じだ」


「なるほど、普段の練習から魔法のイメージを浮かべて発動しやすくしておく……分かりました!早速、試してみます!」


「ちょっと待て」


 シルビアから呼び止められ、足を止めるエレナ。そんな彼女は、どうかしたのかと首を傾げている。


「本当に理解しているのかを見たい。試しにここでやって見せてくれ」


 シルビアはインプットが終わった直後にアウトプットすることを求めた。シルビアは誰が教えた知識だとしても、使わなければ分からないことが多くあることを経験として知っている。


 そして、エレナは先輩冒険者であるシルビアへの返答として、『NO』を突き付けるなど到底出来なかった。それでは折角教えてくれたシルビアに対して失礼だからだ。


 シルビアもエレナにそう言った手前、見ているだけというわけにもいかなかった。よって、シルビアも先ほどまで使っていた魔鉄製の剣ではなく、木刀を手にしてエレナの前に立った。


「エレナ、今から模擬戦をしよう。先ほどのアドバイス通りやって見せろ!」


「は、はい!」


 シルビアは不器用だ。ゆえに、手加減という事が出来ない。


 いかに実力面で格下であるエレナとはいえ、一切の手加減が無く、風を纏わせた全力の斬撃をエレナに注ぐ。また、シルビアにとっては木刀の形状は普段から愛用しているレイピアとは形状が違うのだが、それによる不利をものともしない鮮やかな剣閃を描いていた。


「きゃっ!」


 エレナはシルビアの振り下ろしを杖で受け止めたが、勢いそのままに弾き飛ばされ、地面を無様に転がっていった。


 シルビアは走りながら、風を纏わせたり、風の刃を放ったりと隙のない攻めを行なっていた。何かの動作をしながら魔法を発動させる。


 それをマネすることさえ出来れば、今よりもみんなの助けになれる。そうエレナは信じていた。


「“風刃”ッ!」


 エレナが起き上がると同時に打ち込まれる数多の風の刃。エレナは向かってくるそれを砂の壁を構築することで防いだ。しかし、“風刃”のいくつかはエレナの“砂壁サンドウォール”を切り裂き、エレナへ牙を剥いた。


「ハッ!」


 シルビアが風を斬って放った大薙ぎの一撃をエレナは後ろに飛び退いて、間一髪回避した。


「“砂嵐サンドストーム”!」


 後ろに飛び退きながら、瞬時に練り上げた砂の砲撃をシルビアへと叩きつけた。エレナは初めての何らかの動作をしながら、魔法を放つことに成功した。しかも、当初の目的であった魔法の発動速度は史上最速であった。


「“旋風斬”!」


 風の竜巻を纏う木刀で豪快に薙ぎ払われる“砂嵐サンドストーム”。その技にエレナはさすがはシルビアだと感心した。


 そして、実際の模擬戦としては、その時点で終了ということになった。


 それはエレナがシルビアの攻撃で腕や足に切り傷を負っているからであった。シルビアは大急ぎで屋敷から治療用の道具を持ってきた。


 まずは、エレナを目の前を流れる小川まで連れて行き、傷口を水で洗い流す。そこからはシルビアが包帯を取り出し、手早く手当てを済ませてしまった。


「シルビアさん、包帯巻くのが早いですね」


「まぁな。私自身、ケガをすることが多いんだ。それに、これくらい早く処置できないと戦いの合間では手当てが出来ないぞ」


 暗に自分のケガの処置は自分で出来て当然だと言われたエレナはガーンとショックを受けたが、すぐ後には頑張ろうと両方の握りこぶしを胸の前の高さに持ってきていた。


 シルビアはエレナに包帯を巻き終えると、束ねていた亜麻色の髪をほどいた。その美しさは隣に居たエレナが思わず吸い寄せられそうになるほど。


「エレナ、お前はまだまだ強くなれるぞ。若いころは成長速度も速い。本気で強くなれるのは今だけだ。年を取ると、十代よりも遥かに成長速度が遅くなってしまうからな」


「でも、シルビアさんってまだ二十代なんじゃ……」


 唐突に年より臭いことを言い出すシルビアに戸惑うエレナ。だが、十代の頃と二十台を比べれば老けているというのは何となく理解が出来た。


「エレナ。お前は十代のうちにもっと強くなれ。自分の胸の大きさが気にならないレベルになるまでな!でないと、必ず二十代になってから後悔することになるぞ!」


「えっ、そっちですか!?」


 シルビアが自らの手を押し当てているのは真っ平な胸。それと向き合う格好のエレナの胸も一切の膨らみがなく、寂しさを覚える。


「その、シルビアさん……やっぱり男の人って胸の大きい人の方が好みなんでしょうか?」


「大体そうだと思うぞ。というか、胸が小さい方が好みだと言っていたのは紗希の兄しか私は知らない」


 エレナの脳裏に『貧乳こそ至高だ!』と言って、直哉が寛之と揉めていた時のことが蘇っていた。


「やっぱり、ディーンも胸の大きな子の方が好みなのかな……?」


「へぇ~、エレナはやっぱりディーンのことが好きだったのか~」


 不意にからかうような口調のシルビアの言葉を聞き、エレナは顔を耳の先端部まで真っ赤にし、恥ずかし気に俯いていた。


「あ、エレナ!こんなところに居たんスね!」


 木の根元でエレナが俯き、シルビアが片膝を立てて座っているところにディーンがやって来た。ディーンはエレナを見かけるなり、駆け寄ってきた。


「エレナ、どこか具合でも悪いんスか!?」


 エレナはディーンの言葉に対して、懸命に首を横に振った。それでも、言葉は発することなく俯いたままであった。


「ディーン。エレナは私との模擬戦で疲れてるんだ。だから、エレナを部屋まで連れて行ってやってくれ?」


「そ、そうッスね!」


 そう言って、ディーンはエレナの肩を担ぎ、屋敷へとゆっくり戻っていった。その時の歩幅はエレナに合わせているのは遠くから見れば丸わかりであった。そう言った気遣いを何も言わずに出来るのが、ディーンの良いところの一つなのだろう。そう、シルビアは感じた。


「エレナの初恋、叶うと良いな。まあ、私の初恋は叶わなかったからな……」


 その瞳は虚空を見ており、過去へと想いを馳せているようであった。


 シルビアはゲイムの迷宮の探索に向かう直前、想いを寄せていたバーナード相手に失恋している。何年も胸の内に押しとどめていた恋慕は数か月前に終わりを迎えた。終わりを迎えたとはいっても、シルビア自身、バーナードのことを完全に諦めることなど出来ずにいた。


「私は醜いな。まだバーナードのことを諦めきれていないのだから」


 バーナードとミレーヌの二人はお似合いの良い雰囲気だ。そのことをシルビアは分かっているし、心から祝福したい気持ちはある。だが、どうしても諦めきれないという感情がシルビアの心に巣くったままなのだ。


 その魔物を冒険者であるシルビア自身、討伐できずにいた。執着という魔物を。


「おう、シルビアさん。こんなところに居たのか」


 シルビアが自嘲気味に笑みを浮かべているところにやって来たのはピーターだった。肩には木刀を担いでいる。ディーンとの稽古が終わったから、中庭まで来たようだった。


「シルビアさん、何かあったのか?」


「いや、何も無いぞ」


「絶対嘘だろ。何もないのにあんな表情、するわけがない」


 シルビアが片膝立てて座っている隣にピーターが腰を下ろした。その時、肌を撫でていくような優しい風が吹き、シルビアの長い亜麻色の髪がピーターの顔にかかった。


「すまない、邪魔だったな。今、結ぶから――」


「いや、良いですよ。そのままで」


「……そうか?でも、風向き次第ではお前に当たるだろ」


「だから、気にしなくて良いですって」


 ピーターにキツめの口調で大丈夫だと言われたシルビアは髪を結ぶのを止めた。二人はしばらく風や小川のせせらぎ、鳥のさえずりを静かに楽しんでいた。


「それで、何か用でもあったのか?」


「……特には」


 ピーターは自分と目が合ったセルリアンブルーの瞳に心臓を跳ねさせたが、すぐに目を逸らした。シルビアは目の前の灰茶色の瞳の持ち主がなぜ、唐突に視線を逸らしたのか、さっぱり理解が出来ないでいた。


「し、シルビアさん。さっきは、バーナードさんのことで悩んでたんですか?」


 直球。シルビアはそう思ったが、ピーターの性格的にそんな遠回しな言い方が出来ないのは知っている。


「そうだな……だが、お前に話すことでもないからやめておこう」


「えっ……」


 悩みを聞く態勢に入っていたピーターは面食らったような感じであった。シルビアはからかうように笑いながら、ピーターの驚きっぷりを楽しんでいた。


「はぁ……まあ、良いですよ。どうせ、俺は相談相手としては不足なんだろうし」


 諦めたような声とトーンで本音の言葉を漏らすピーターなのだった。


「分かった分かった、そこまで落ち込むんだったら話すさ」


 シルビアはあまりにもピーターが落ち込んでいるから、バーナードへの自分の気持ちを素直に話した。


「それで悩んでたのか、シルビアさん」


「そうだ。情けないだろ?」


「いや、そんなことはないですよ。誰だって、悩むことくらいあるだろうし」


 ピーターは頭を掻きながら、恥ずかしそうにシルビアへと言葉をかけた。


「まあ、そうだな。確かに、誰でも悩みくらいあるか。そういうピーターは何か悩み事でもあるのか?」


「はい、二つくらい」


「よし、私に話してみろ」


「えっ……」


「何だ、私は悩みを話したのに自分は明かさないつもりか?卑怯なヤツだな」


 最初は戸惑っている様子であったが、決心したように二つの悩みを話し始めた。一つ目はもっと強くなりたいという事。そこで兄のスコットが死んだことに負い目を感じているという事も素直に話していた。


「俺、このままじゃ兄貴に怒られるような気がして」


「スコットはそういうヤツじゃないだろ。大好きな弟がこうして生きてるんだ。それだけでも喜んでそうなものだが」


 シルビアの話にピーターは深く頷いた。死の直前の兄は笑っていた。まるで、弟を助けられて満足しているかのように。それを思えば、シルビアの言うように自分が生きているだけでも喜んでくれそうだ。


「だったら、俺はもっと強くなって兄貴を驚かせてやりますよ」


「フッ、その意気だ。頑張れよ」


 座っていた体勢から勢いよく立ち上がったやる気に満ちているように握りこぶしを天へと突きだすピーター。兄と同じ彼の柿色の髪は風の中で微かに揺れていた。


「あ、それで、二つ目の悩みというのは何だったんだ?」


 やる気に満ちてピーターの背に言葉を投げかけるシルビア。そんなシルビアの言葉にピーターはピシッと体を硬直させた。


「やっぱり、一つ目の悩みだけじゃダメなんですか……」


「いや、ここまで来たらもう一つも聞いておきたいだけだ。とはいっても、強制ではないぞ」


「……じゃあ、機会があればということで」


「分かった。話してくれるのを楽しみにしているぞ」


 そうして、シルビアとピーターはそれぞれ中庭を後にし、思い思いに普段通りの日常を楽しんだのだった。

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