第154話 思いがけぬこと

 どこからか大勢の人の悲鳴が聞こえてくる。俺は辺りを見回すが、目に見える範囲で大勢の人々が悲鳴を上げるような出来事は発生していなかった。


「直哉君……!」


 呉宮さんは怯えた表情で俺の服の袖をギュッと握り、体を寄せてきていた。腕の辺りに微かな弾力を感じていたいところだが、今はそんな場合ではない。


「ナイスガイ、何が起こっているのかは分かるのかい?」


「いえ、俺にも何が何やらさっぱりで……」


 俺はマヌエーレさんの言葉に大して間を開けずに言葉を発した。にしても、俺のことをナイスガイと呼ぶのは恥ずかしいからやめて欲しい。というか、ナイスガイと言われて振り向いてしまう俺って何なんだ……!


 そうやって、色々と考えたいところではあるが、今は状況を確認する方が先決だ。俺は呉宮さんに彼女以上におびえた様子のエミリーちゃん、オリビアちゃんの二人を任せ、マヌエーレさんにアニエスさんと一緒に逃げることを提案しに向かった。


 最初は出来たばかりの店を放置して逃げるなんて出来ないと言っていたが、命には代えられないことを必死に訴えると、ようやく折れてくれた。


 逃げる先は――伯爵邸。あそこなら、伯爵や伯爵が抱える私兵が駐屯している。この近くであれば、あそこが一番安全な場所だ。


 俺はそのことをその場にいる5人に伝え、早足でクレイアース湖沿いに移動し、伯爵邸へと引き返した。早歩きといっても、呉宮さんとアニエスさんのペースに合わせた。それでもついてこられない子供二人は俺とマヌエーレさんとでおんぶした。


 そうして歩くこと25分。俺たちは無事に伯爵邸に戻ることが出来た。道中、危ない目に遭うことは一度として無かったのは幸運だったかもしれない。


 だが、伯爵邸に戻ると、血と薬品の香りが漂っていた。目の前に広がる庭園には数多の負傷者が寝かされており、ピクリとも動かない人やうめき声を上げている人が数多くいた。


 そんな中を見回しながら進んで行くと、鎧を身に纏ったセーラさんの姿があった。


「「お母さん!」」


 エミリーちゃんとオリビアちゃんは俺とマヌエーレさんから飛び降りて、母の元へと駆け寄っていく。セーラさんも二人の声が聞こえたのか、走って来る娘二人を抱きとめた。その目から涙がこぼれ落ちるのを見て、セーラさんも娘二人が居ないことを心配していたのだろう。


「直哉、聖美。二人もケガは無いですか?」


「幸いなことに無傷です。俺も、呉宮さんも」


 俺は呉宮さんを顧みながら、心配そうにセーラさんへ安心してほしいと伝えた。そこまで心配してもらえるのは照れくさい部分があったが、それ以上に嬉しい気分に浸れた。


「直哉、後ろの二人は……」


「あ、クレイアース湖で料理屋を新しく開こうとしている二人です。その場に残すのは危ないと思って、一緒に戻って来たんですが……迷惑でしたか?」


 俺はマヌエーレさんとアニエスさんを連れていくに際して、セーラさんに対して許可などを取っていない。もし、ここで二人を受け入れてもらえなかったら、どうすれば良いのか。


 俺がそんなことを考えていると、セーラさんからあっさりとオーケーが出た。


「直哉、迷惑かもって考えているのかもしれませんが、民衆を見捨てることなどワタクシにはできませんから」


 セーラさんは胸に握りこぶしを当てながら、優しく俺たちに語り掛けた。マヌエーレさんもアニエスさんもホッと安心した様子であった。


 その後、セーラさんに言いつけられた使用人の人に案内されて、マヌエーレさんとアニエスさんにそれぞれ別館の空き部屋が一つずつ割り当てられた。


 俺と呉宮さんも自分の部屋に戻った。セーラさんも忙しいとのことだったので、エミリーちゃんとオリビアちゃんも俺たち二人で一時的に預かることになった。


 部屋に入ってすぐにソファで読書を始めるオリビアちゃんとは対照的に、エミリーちゃんは部屋の中をくまなく見て回っていた。


「直哉君。さっき、廊下を通った時に皆の部屋の前を通ったけど、戻ってるのは私たちだけみたい」


「そっか……紗希たちはまだ帰って来てないのか。もう日も暮れてるのに帰って来てないとは、町で男にナンパされてたりするんじゃないか?紗希って結構、美人だし」


「それはあるかもしれないけど、紗希ちゃんだよ?」


 呉宮さんの言葉を聞いて俺は納得した。エッチなことをされそうになれば、紗希は即座にサーベルで応じるだろう。だが、相手がイケメンであったならどうだろうか。


 ……考えれば考えるほどに心配になってきた。


「ま、まあ、そのうち帰って来るだろ」


「直哉君。声、震えてるよ……?」


 指摘されたことで俺は咳払い一つしてごまかした。だが、1時間経っても紗希や茉由ちゃんは帰ってこない。二人だけじゃない。イシュトイアにマリエルさん。洋介に武淵先輩もだ。


 ここまで来れば心配にならない方が無理というモノだった。


 さすがに呉宮さんと話す時はナンパにでもあったんだろうと空気が重くならないように冗談めかして話したが、屋敷の庭園で寝かされている人々のことを思い出してしまうと不安が増していくのが分かる。


 そうなった俺はエミリーちゃんとオリビアちゃんのことを呉宮さんに任せ、建物の外へ行くことにした。


 3階から1階へと降りると、外は相変わらずの騒ぎであった。寝かされている負傷者の人数は1時間前と比べても遥かに多い。


 俺はその寝かされている人を見て、これ以上開かないほどに目を見開いた。


「洋介ッ!それに武淵先輩も……!」


 仰向けの状態で、並べて寝かされている男女。洋介の胸部は凹んでおり、傷も痛々しい。明らかに肋骨が折れている。武淵先輩も肩に射抜かれた形跡や、背中からの出血が激しかった。他にも瓦礫が肩などに突き立っていた。


 早く治療を、と怒鳴りたいところであったが、治療班がケガ人の数に追いついていなかった。しかも、治療班の人たちも倒れてしまいそうなほどに血の気のない表情をしていた。


 それもそうだ。何時間も休みなしで負傷者の治療を続けているのだ。疲れない方がどうかしている。俺は二人に治癒魔法を付加エンチャントすることを思いついたが、治せるのは軽度の傷。重傷者など、治る前に死んでしまうだろう。


 しかも、武淵先輩に至っては瓦礫が突き立っており、素人が下手に引っこ抜けば、それこそ危ない。


 俺は何も出来ない自分に嫌悪感を抱かずにはいられなかった。そんな時、二人が俺の方へと駆けてきた。


「ナオヤ、無事やったか……!」


「直哉さん、無事で何よりです……!」


 やって来たのはイシュトイアとマリエルさんだった。二人は案内したいところがあると言っていた。正直、洋介と武淵先輩の元を離れるのには抵抗感があったが、二人の言っていることも気になるので、付いていった。


 イシュトイアとマリエルさんは去り際に、洋介と武淵先輩の方を不安そうな面持ちで見ていた。あの傷だ。不安にならない方が無理だし、俺自身不安でいっぱいだ。


「ナオヤ、ここやで」


 俺が見せられたのは仰向けで寝かされる一人の少女。それは茉由ちゃんだった。どうも、気絶しているらしかった。目を閉じたまま、動かない。だが、胸部がゆっくりと上下しているのには安心した。


 茉由ちゃんは一人で海賊団の偵察に向かった紗希を追っていったという話をマリエルさんから聞いた。二人も紗希と茉由ちゃんの二人を置いて逃げることなどできず、後を追ったら茉由ちゃんが運河の脇で倒れていたんだそうだ。


 その後、セーラさん率いる伯爵家の私兵が駆けつけ、現在に至ることまでを説明してもらった。


「そうだ、紗希はどこに居るんだ?」


 俺は二人に尋ねるが、見つけたのは茉由ちゃんだけで、紗希は近くには居なかったとのことだった。そのことに、俺は目の前が真っ暗になるような衝撃を受けた。


「俺、紗希を捜してくる!」


 気が付けば走り出していた。後ろから、イシュトイアとマリエルさんが陽の落ちた街へと繰り出すのを制止する声が聞こえたが、俺は聞こえないフリをして振り返らなかった。


 運河のところで茉由ちゃんを見かけたという二人からの情報を頼りに、ひとまず運河の方へと向かった。ここ、港町アムルノスにある運河は一つしかない。


 俺はただ前を見て走った。妹のことを心配できない兄など、兄と呼ぶ資格などない。


「はぁ、はぁ……っ!」


 やっとのことで運河までたどり着くも、息切れが酷かった。しかし、休んでいられるほど悠長に構えていられなかった。


 俺は石畳に手をつき、四つん這いになりながら血眼になって紗希を捜した。無論、紗希に繋がる手がかりがないかも含めて。


 しかし、20分探しても30分探しても何も見つからない。


「直哉っ!?」


 へとへとになりながら探していると、後ろから馬蹄の音と共に女性の声がした。誰かと思い、振り返ればセーラさんだった。騎乗した状態で、背後には騎兵の何名かを伴っていた。


「直哉、茉由が目を覚ましました」


「茉由ちゃんが……?」


 一体、セーラさんが何を言いたいのか。俺は半分急かすような気持ちで、セーラさんの次の言葉を待った。


「茉由が言うには、『紗希ちゃんが運河に落ちるのを見た』……と」


 俺はセーラさんの言葉を聞いて、焦った。現在は真冬。気温など、息を吐けば白い息が出るとだけ言えば十分に伝わるだろう。紗希が運河に落ちたのは何時間も前の事だ。


 とてもじゃないが、生きてるとは思えなかった。それでも、生きてるという事に望みをかけたかった。俺は迷わずに運河へと飛び込んだ。


 運河は海とか湖に比べればそこまで水深はない。それでも10メートルはあることくらいは目測で分かる。


 正直、水に潜るなど学校のプールでしかやったことがない。海などで潜ることなど一度も経験したことが無い。


 俺は自分に重力魔法を付加エンチャントして、沈む速度を速めた。底に着いてからは紗希が落ちたであろう場所を探した。


 だが、紗希を見つける前に時間切れが起こった。何せ、この世界に酸素ボンベなど無いのだ。そんな長時間、潜っていられるはずがない。


 俺は口惜しいところであったが、一度浮上することにした。


「直哉!?捕まってください!」


 目の前に垂らされた魔法の糸を掴んだ。セーラさんの糸魔法により、引っ張り上げられた俺はセーラさんからビンタをくらった。


「直哉、しっかりしてください!こんな真冬の水に飛び込むなんて……!」


 この時のセーラさんは怒っていた。いつもの温和で優しいセーラさんではなかったが、心は優しい。無謀なことをして、心配して怒ってくれているのだ。これを優しいと言わずに何というのか。


「直哉君!」


「直哉さん!」


 セーラさんに説教をされ、気分が落ち込んでいる時に呉宮さんとマリエルさんがやって来た。二人からも急に飛び出して行ったことをこっぴどく叱られた。


「直哉君。紗希ちゃんは……」


「見つかってたら、こんな顔はしてないよ」


「そう……だよね……」


 呉宮さんは俺の肩に手を置きながら、声のトーンがしぼんでいくように小さくなった。


 その後、俺に代わってセーラさんの指示で、伯爵家の私兵の人たちが運河に潜って、紗希を捜してくれたが、紗希はおろか、所持品の一つも発見されることは無かった。


 まるで、紗希がこの世から忽然と姿を消したかのような事態に、俺の心は闇に包まれた。


 紗希は生きているのか。それともすでにこの世の人間ではないのか。それがハッキリしないと心が休まることは無い。俺は夜通し探し続けるつもりだったが、みんなから反対されて屋敷へと強制送還となった。


 部屋に帰ると、イシュトイアが居た。エミリーちゃんとオリビアちゃんは本館にある自分の部屋に戻ったらしく、俺たちの部屋には居なかった。


「ナオヤ、大丈夫かいな……?」


「ああ、俺は大丈夫だ。ほら、いつも通り元気だろ」


 俺は笑ったつもりだった。だが、イシュトイアからも呉宮さんからも笑っていないし、血色も悪いことを続けて指摘された。


 ――結局、俺は紗希の事が心配で、その夜は一睡もすることが出来なかった。

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