第153話 女剣士の敗北
ヴェルダ海まで響き渡る数多の悲鳴。それを波風と共に届けられる。
ヴェルダ海の海岸を散歩し、波打ち際で景色を眺めたり、砂の城を作ったり、海水をかけあって遊んだりしていた紗希、茉由、イシュトイア、マリエルの4人はその悲鳴に即座に反応した。
「茉由ちゃん、何かあったのかな?」
「……たぶん。この悲鳴、ただ事じゃないよね」
紗希と茉由はそれぞれ、顔を見合わせた。もしかすると、魔王軍が襲来したのではないかと表情を引きつらせた。
「イシュトイア、マリエルさんを連れて伯爵邸に行ってもらえる?」
紗希が真っ先に考えたのは、非戦闘員であるマリエルの事だった。彼女が戦いに巻き込まれれば、命が危ない。ゆえに、イシュトイアと共に逃げるように頼んだのだ。
「ああ、それは問題ないで。でも、紗希。アンタ、どないするつもりや?」
紗希がサーベルを手にしていることをイシュトイアは鋭く指摘した。
「ボクは何が起こってるのかを見てくる。ボクの魔法なら、状況確認をしてすぐに戻ることも出来るから」
「……分かった。それやったら、ええわ。でも、状況を確認するだけにしときや」
イシュトイアからの言葉に紗希は笑顔で頷いた後、魔法を使って悲鳴の聞こえる方へと駆けていった。それを残された3人はただただ見送るばかりであった。
◇
運河を進んでいく3隻の船。その先頭を行く船の甲板では、首領のリディヤと頭目のセルジが話し込んでいた。
「セルジ、遺跡に着いたら泳ぎの得意な者を選抜して、湖に潜らせましょう。遺跡にいきなり突入するのはリスクが高すぎるもの」
「そう……ですね。恐らく、オレもそれが最善の選択だと思います。ならば、湖に潜るメンバーはこちらで選抜しておきます」
二人が話しているのは、クレイアース湖にある湖底遺跡のことだ。そこをどうやって、内部に侵入するのかや、遺跡がどれくらいの深さに位置しているのかなど、事前に情報が得られなかったのが痛手だという話も出てきていた。
そんな話をしているところに、黒髪をなびかせる美少女剣士が颯爽と現れた。
「君は一体……」
「それはこっちのセリフです」
セルジの言葉を遮るように、紗希の口から鋭い言葉が飛び出した。そんな紗希の手に握られているサーベルを見て、セルジは静かに剣を鞘から引き抜いた。
そんな二人を何歩か離れた場所から見ていたリディヤは、紗希から感じる強者のオーラに驚きつつも、目を離せずにいた。
「お嬢さん。引くなら今の内だ。オレは手加減とか、そういうのが出来ないから」
「それはボクも同じです。あなた方がこの町から出ていかないというのであれば、ボクが力づくでも追い出させてもらいます!」
紗希は思い切りよくセルジへ斬り込んだ。敏捷強化ナシではあったが、並みの人間の眼では捉えられないほどの速度である。
直後、激しい金属音が紗希の耳へと滑り込んで来た。紗希は驚きに表情をしかめながらセルジを真っ直ぐ見つめた。
紗希のサーベルはセルジの剣によって軽々と受け止められていた。これには紗希も目を限界まで見開いた。
まさか自分の一太刀がこうもあっさり受け止められるなど、夢にも思っていなかった。八英雄のシルヴェスターやクラレンスならいざ知らず、言ってしまえば海賊如きに自分の剣を見切られるとは思わなかったのだ。
則ち、紗希の油断と敵を軽く見過ぎたことが、この結果に結びついたのである。
紗希は自らが敵の実力を見誤ったと悟った時には、もう遅かった。そこからのセルジの怒涛の反撃に、紗希はただただ押されるしかなかった。
幾度となく、火花を散らし、衝撃音が弾けていく。これには紗希も冷や汗が幾度となく頬を伝う。また、セルジの刀身が伸び縮みしたり、しなったりしていることも紗希が手こずる要因であった。
セルジの執念の刃に防戦一方の紗希であったが、徐々にセルジの剣捌きのクセなどを見抜き始めた頃であった。
「ハッ!」
紗希の力強い踏み込みと共に放たれた斬り上げは振り下ろされた刃を弾き返した。これにより、胴がガラ空きになったセルジだったが、間髪入れずに間合いを取ったため、紗希に追撃を許さなかった。
また、間合いが取れるや否や、刀身を伸ばして鞭のようにしならせながら先へと攻撃し、紗希が自らに近づくことを拒み続けた。
その後、再び間合いを詰めた紗希とセルジの間で激しい斬撃の応酬が繰り広げられた。何度目か分からないつばぜり合いで、ついに紗希がセルジを押し切った。
紗希はセルジへと容赦なく突きを繰り出すが、首を傾げられてかわされてしまった。航行を続ける船の上で、紗希とセルジの剣舞は終わりが見えないほどにもつれ合っていた。
セルジは船の揺れなどを考慮して、上手く立ち回りながら戦っているが、紗希は不慣れな水上での戦いと言うこともあり、セルジの攻撃に対して後手に回ることが圧倒的に多かった。
不慣れな水上戦での紗希と水上戦に慣れているセルジ。この条件でようやく引き分け。そのことを理解したセルジは地上で戦っていれば、この首は繋がっていただろうかと恐怖を覚えた。
だが、そんなことを考えている時間などない。セルジは紗希が水上での戦いに慣れる前に片を付けようと猛攻を仕掛けた。紗希はそのまま押し切られてしまうかに見えたその時。
「うぐっ!?」
紗希の蹴りがセルジの鳩尾へとめり込み、体勢が崩れた。そこへ紗希が袈裟斬りを放ち、セルジの剣を叩き落とした。揺れの激しい甲板の上を剣はクルクルと回転しながら転がっていく。
セルジは舌打ちをしつつも、剣を拾いに行こうとしたが、そんなことは紗希がサーベルでの斬撃をもって行く手を阻んだ。
「フッ!」
セルジの利き腕である右腕を貫かんと突き出したサーベルは思わぬ邪魔者によって軌道を変えられてしまっていた。
「リディヤ様……!?」
「セルジ、あなたは下がっていて。後はアタシが引き受けるわ」
目の前に立つ強敵に口端を吊り上げて、嬉しそうなリディヤと驚きを隠しきれないセルジ。紗希はそんな二人が話しているのを見て、警戒した。もし、二人同時に掛かって来られれば、万に一つも勝ち目はないのだから。
「リディヤ様……。ッ、分かりました。申し訳ありませんが、尻拭いをお願いします」
セルジはそう言って、未だに甲板をあっちへこっちへ転がっている剣の回収へと向かっていく。それを迷わず追おうとする紗希。しかし、それは大上段から振り下ろされる一撃によって、叶わなかった。
「さあ、今度はアタシが相手になるわ!」
振り下ろされた大上段の一撃の威力に紗希の腕は悲鳴を上げていた。それほどまでの人間とは思えないほどの膂力。彼女だけではない、その前に戦ったセルジでも王城で再戦し、勝利を収めたオルランドよりも遥かに力も強いし、スピードも速かった。
オルランドよりも強いセルジにはやっとの思いで武器を弾き飛ばすことが出来ただけ。正直、これを勝ちとは呼べない。
そして、目の前にいるリディヤという女性はそんなセルジとは比べ物にならないパワーとスピードを誇っていた。スピードは敏捷強化魔法ナシの状態の紗希と同等。パワーに至っては、紗希では到底敵わない。紗希は来訪者組で一番の怪力を誇る洋介でも純粋な力勝負でも押し切られると見ていた。
それほどまでに段違いの強さを見せるリディヤに紗希は戦慄した。それでも戦いを諦めれば、死は確実。
紗希は必死にリディヤの強撃を弾き返し、受け流した。凄まじい剣戟の音をまき散らしながら、両者は斬り結ぶ。
剣の勝負であれば紗希の方に軍配が上がる。それは誰の眼から見ても明らかだった。それでも、リディヤの化け物じみた一撃一撃に紗希が押し返されていた。
そんな一撃を受け続けたことが祟ったのか、紗希の持つアダマンタイト製のサーベルは半ばで折れた。それは紗希の精神の崩壊と同義であった。紗希の眼からは光が失われ、絶望が紗希の心を真っ黒に染め上げていく。
「……アンタ、今まで戦った相手の中で誰よりも強かったわよ」
リディヤの声が聞こえた刹那、紗希の胸部は十字に切り裂かれた。紗希は斬撃の威力で後方へ吹っ飛んだことで、甲板から落下。水中へと重力に逆らうことなく沈んでいく。
「紗希ちゃんッ!?」
それは遅れて駆けつけた茉由に叫び声を上げさせるほどの衝撃であった。茉由にとっての憧れの剣士であり友が目の前で無様に敗北し、水中へ姿を消したのだから。
茉由は焦り、自らも運河に飛び込まんとした。しかし、そうは問屋が卸さなかった。
茉由へと打ち下ろされる棍。それを茉由は反射的に横へ飛び退くことで回避した。誰かと思い、顔を上げてみれば刈り上げたミッドナイトブルーの髪が特徴の男。そのモデルのようにスラリとした体格に茉由は思わず見惚れてしまっていた。
「えっと、あなたは一体……!」
「俺はロレンツォ。海賊団ケイレスの幹部を務めている者だ」
ロレンツォは棍を片手に、茉由を見下ろしていた。ロレンツォ自身、先ほどの一撃で茉由の後頭部を打ち、気絶させるつもりだった。それがかわされるなど、夢にも思っていなかったのである。そんな驚きを表情に出すことはなく、茉由と相対した。
「貴様こそ何者だ?俺の一撃をかわすなど、ただ者ではあるまい」
お返しだ、と言わんばかりにロレンツォは質問を投げ返した。
「私は呉宮茉由。今、運河に落ちた少女の友達です!」
茉由のよどみない言葉に、ロレンツォは運河を見やった。当然ではあるが、少女の姿は水中に消えており、見えることなど無い。
「セルジ、少女を運河に落としたのは貴様か!」
ロレンツォは船の甲板に居るココアブラウンの髪をした男へと声を放った。それはか弱い少女への扱いとは思えなかったからだ。とはいえ、ロレンツォも先ほど茉由を攻撃したではないかと言われれば、それまでではあるが。
「オレも戦ったが、水路に落としたのはリディヤ様だ」
「何?リディヤが?」
その言葉に、ロレンツォは驚いた様子であった。彼はリディヤが無害な人間を傷つけるようなマネをしないのは知っている。であれば、答えは一つ。
「なるほど、その少女が運河に落とさなくてはならないほどの強者だった……ということか」
ロレンツォは一人、頷いて納得した様子であった。そして、茉由の方へと向き直った。
「運河に落ちた少女には申し訳ないが、貴様にはお引き取り願おう」
そう言って、手にした棍をクルクルと高速回転させ、背にピタリと付けるような恰好を取った。そんな好戦的な態度を見た茉由も、佩いていた
その後、一拍ほど間が空いた後、激しく棍と
純粋なパワーでは互角であったが、手数が圧倒的な差を生んでいた。茉由は防戦一方になっているが、すでに腕やら足やら、体の至るところを打ち据えられていた。
本音を言えば、ジンジンと這い上がって来る痛みに茉由は耐えることによって、ロレンツォとの戦いに集中することがしづらい状況にあった。
それでも諦めずに攻撃を仕掛けようとするも、実力差があり過ぎた。茉由の敏捷性ではロレンツォには遠く及ばなかった。戦ううちに、背中や膝の裏まで打ち据えられる有様となっていた。
鎧を付けていればダメージも軽減されていただろうが、防具の類など海で遊ぶために持ってきてなど居なかった。正直、護身用に
「私は紗希ちゃんを助けたいだけなのに……ッ!」
「すまないな。だが、我らの首領が下した判断は絶対なのだ!」
ロレンツォは棍の先端で茉由の鳩尾を鋭く突いた。ドゴッと重く鈍い音が響き、男は決着を確信した。
予想を裏切ることなく、茉由はドサリと石畳に崩れ落ちた。手に持つ
「フン。女だから手加減しやがったな」
「グウィリム、俺は女を殺すことだけはできない」
グウィリムは女性に対して優しいロレンツォを嘲笑った。グウィリムは単純だから、目の前の敵が男であろうと女であろうとぶち殺してしまうのだ。そこだけはロレンツォはグウィリムとソリが合わなかった。
二人は少々口論になりながらも、3隻の船の横について運河の横を歩き始めたのだった。
「ごめんね……紗希ちゃん……」
茉由は力無く、海賊団を見送ることしか出来なかった。そのうちに、意識も手放してしまったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます