第149話 母への憧れ

 ――ドンドン!


 そんなドアを叩くような音が朝日が昇ると同時に響いてくる。そんな音に導かれるように俺はベッドを降りて、部屋を出る。


 そのまま重い足取りのまま階段を降りて、1階の玄関まで向かう。


「は~い」


 そして、目をこすりながら、眠そうな声と共に玄関のドアをガチャリと開ける。


「お兄ちゃん!おはよー!」


「おはようございます」


 寝起きの頭に響くような元気いっぱいな挨拶と、礼儀正しい挨拶が耳に入る。ドアの前に居たのはエミリーちゃんとオリビアちゃんの二人だった。


「おはよう、二人とも」


 俺は二人に朝の挨拶を済ませ、膝を落として目線を合わせる。


「二人とも、俺に何か用事でもあるの?」


「一緒にお風呂屋さん行こうよ!」


 エミリーちゃんは元気いっぱいにジェスチャーと共に伝えてくれる。何だか元気があって見ていてこっちも元気になってくる。


「そっか。それって、今すぐ?」


「はい。お母さんもそこに居ますから」


 俺はオリビアちゃんの指さす方を見ると、ニコニコと笑みを浮かべているセーラさんの姿が見えた。俺はセーラさんに向けて、ペコリと頭を下げる。すると、セーラさんも俺と同様、お辞儀をしてくれていた。


「それじゃあ、二人ともここで待っててくれる?」


「うん!」


「もちろんです」


 俺はそう言って、二人と別れて階段を登った。まずは、2階の部屋に戻り、イシュトイアを起こす。


 ……はずだったが、何度揺さぶっても起きる気配が無かった。仕方なく、俺は『風呂屋に行ってくる』と書き置きを部屋の机に分かりやすいように置いておいた。


 俺は部屋を出て、再び階段を登って3階に向かった。


 3階は手前の部屋が空き部屋になってしまった。なぜなら、ここに泊まっていたバーナードさんは冒険者ギルドマスターとなったことで、地下の執務室が寝床兼仕事部屋になったからだ。


 つい二日前に、部屋にあった荷物もギルドに移動させ終わったところだ。


 そして、奥の部屋。そこにはシルビアさんが寝泊まりしている。最近は頻繁にクエストに行っているようで、部屋に居ないことが前よりも増えた。


「シルビアさん、起きてますか?」


 部屋をノックしながら、扉越しに声をかけるが反応は何も無かった。


「それじゃあ、俺は今から風呂屋に行ってくるので、留守番お願いします」


 俺がそう言って、階段を降りていく途中で、部屋からシルビアさんが飛び出てきた。着ているモノはめちゃめちゃで肌が数か所露出しており、寝癖も酷かった。


 何というか、いつものクールなイメージが崩壊する感じだ。


「紗希の兄!私も行くぞ!」


 息を切らしている様子からして、随分慌てて飛び起きたのだろう。


「それじゃあ、40秒で支度してください」


「ああ!」


 シルビアさんは再びドアを閉めた。その後は一瞬のドタバタが嘘のように静まり返っていた。


 俺はその間に忍びのように足音を立てずに階段を降りて玄関まで戻った。


「おはようございます。直哉」


「あ、おはようございます。セーラさん」


 入り口には幼女二人だけじゃなく、セーラさんもやって来ていた。挨拶の後は何てことのない話をしたりした。


「そういえば、セーラさん。お腹辺りの傷は大丈夫なんですか?」


 俺はふと思い出したことを聞いてみた。マリエルさんを庇って受けた傷だというのは、帰りの馬車でマリエルさん本人から聞いた。


「ええ、傷の方は治りましたよ。幸い、傷跡も残らなかったですし」


 セーラさんはそう言って上品に笑った。俺も「それなら良かった」と胸をなでおろした。


「紗希の兄!待たせて悪かったな……!」


 セーラさんと話している間にシルビアさんも準備を終えたようで、玄関までやって来た。


「それじゃあ、全員揃ったみたいですし、行きましょうか」


「はい」


 セーラさんを先頭にして俺たちは風呂屋へと向かった。


「エミリーちゃん、そんなにお風呂屋さんに行くのは楽しい?」


「うん!」


 俺の言葉にエミリーちゃんは弾けるような笑顔を俺に向けてくれた。やはり、子供が楽しそうにしているのは良い。見ている俺も楽しい気分になれる。


「そっか。じゃあ、どうしてそんなに楽しいのか聞いても良いかな?」


「うん、良いよー!えっとね、えっとね!お父さんと一緒に行くみたいだからだよ!」


 俺はエミリーちゃんは言った“お父さん”という言葉で、セーラさんの表情が曇ったのを見逃さなかった。


「……お母さん、顔色悪いけど大丈夫?」


「えっ、ええ。大丈夫。大丈夫よ?」


 焦って作ったような笑顔を張り付けて、オリビアちゃんを見るセーラさん。オリビアちゃんはそんな笑顔など偽りであることはお見通しの様であったが、騙されたフリをしていた。何とも、賢い子である。


「紗希の兄、セーラさんの婚約者って……」


「ああ、二人が生まれる前に亡くなったんだって。前に聞いた」


「そう……だったのか」


 俺たちの間に少し、暗い空気が流れたものの、目的地である風呂屋に到着した。


「それじゃあ、中で会いましょう?」


「あ、はい」


 俺はセーラさんたちと別れ、脱衣所へと入る。


「にしても、この世界に来てから混浴への抵抗感がカケラも無くなったような気がするな」


 最初の方は混浴など戸惑う要素しかなかったが、今では太陽は東から昇って西に沈むのと同じくらい日常に溶け込んでしまっている。


 俺は蒸し風呂か温浴かで迷ったが、温浴を選んだ。蒸し風呂はすでにイケてるおじ様方が占拠していたからだ。


 ――ガラガラッ


 俺は横開きの扉を開けて、温浴場へと足を踏み入れる。すると、反対側からも扉が開く音がした。男女の脱衣所の入口の間に立てられた衝立群を抜ける。


 そこにはタオル一枚のシルビアさんとセーラさん。それにエミリーちゃんにオリビアちゃんの4人が居た。


「それじゃあ、直哉。二人をお願いしても構いませんか?二人とも直哉と入りたいって言って聞かないので……」


 俺は二人を見ると、二人揃ってニコニコと笑顔を浮かべていた。これは断れないパターンである。


「分かりました。二人とも俺が責任もって預かります」


「それじゃあ、よろしくお願いしますね?」


 俺はエミリーちゃんとオリビアちゃんの二人を連れて、適当な木桶を選んで中に入った。


「ふぅ……やっぱり、風呂に浸かるのは疲れが体が抜けていくみたいで気持ちいい……」


 そんなことを言いながら、脱力している俺を見て、オリビアちゃんはクスクス笑っていた。


「俺、何か変なこと言った?」


「……いえ、そんな力が抜けてるところ初めて見たので」


「ああ、なるほどね」


 そういや、この二人の前じゃみっともないところは見せないように振る舞ってたからな……。でも、オリビアちゃんに言われるまで気づかなかったし、俺も無意識の内に気を張っていたのかもしれない。


「あ、お兄ちゃん!お願いがあるんだけど!」


 オリビアちゃんと話しているところに、エミリーちゃんも混じって来た。それにしても、お願いとは何だ?


「エミリーちゃん、お願いっていうのは?」


「アタシに剣術を教えて欲しいの!」


 ぐいっ、と迫るように言ってくるエミリーちゃん。俺は少し驚いた。まだエミリーちゃんは8才だ。日本で言えば小学生低学年に当たる。そんな子がどうして剣術を?


 ……そんなことを真っ先に思った。


「どうして、剣術を学びたいと思ったの?」


「お母さんみたいに強くなりたいから!」


 俺はそう訊ねた。エミリーちゃんは迷うことなく、そう答えた。だが、俺には迷いが生じていた。


 俺としてはエミリーちゃんの頼みには応えてやりたい。でも、母親であるセーラさんに断りなく、勝手にやるのはマズいだろう。


「分かった。とりあえず、お母さんに相談してからでも良いかな?それで、お母さんが良いよって言ったら喜んで剣術を教えるよ」


「うん、分かった!」


 エミリーちゃんがあっさり納得してくれたことに俺はホッとした。後はセーラさんに話を通すだけか。


「とりあえず、お風呂屋さんを出てから話をしてみるけど、それでもいい?」


 俺がそう言うと、エミリーちゃんは首を縦に小刻みに振っていた。


 その後、俺はエミリーちゃんとオリビアちゃんの二人と色々な話をしながら、風呂でまったりとした時間を過ごした。


「お兄さん、やっぱり女の子ってお胸が大きい方がモテるんですか?」


 唐突にオリビアちゃんが振って来る話題に俺はビックリしてしまった。


「まあ、その方がモテやすいのは事実だろうな。ホント、胸が小さい子の方が可愛らしくって良いというのに、それが分からないヤツが何と多い事か……!」


 ……しまった!アツく、貧乳の良さが分からないヤツが多いこの社会に対しての不平不満を吐き出してしまった……!


 そんなことを思い、二人を見てみるが、別段気にしている様子は見られなかった。というか、純粋に俺が何をそんなにアツく語っているのか、理解が追い付かなかっただけだろう。


「そうだ、エミリーちゃん。お母さんみたいになりたいって思ったキッカケとかはあるの?」


「お母さんが町の人たちのために色々働いてるところ!アタシもあんな風にみんなのために何かできるようになりたいから!」


 ……素直だ。この年頃の子はみんなそうなんだろうか?いい子過ぎて涙が止まらない。


 俺はその後も様々なことを質問した。オリビアちゃんは静かな場所で本を読んで暮らしたいと言っていた。この年で隠居を考えるとは、かなり珍しいだろう。


 そんなこんなで俺たちは風呂を上がり、外で合流した。


「セーラさん、エミリーちゃんのことで話があるんですが……」


「あら、どうかしたのですか?」


 俺は風呂でエミリーちゃんが剣術を俺に習いたいと言っていたことや、セーラさんに憧れているといったことを伝えた。


 後者のことを伝えた時など、よほど嬉しかったのか、セーラさんは溶けそうな表情をしていた。


「……それで、エミリーちゃんに剣術教えちゃって大丈夫ですか?」


「ええ、もちろんです!」


 セーラさんは笑顔でそう言った。俺も安心し、エミリーちゃんにセーラさんからオッケーが出たことを伝えると、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


「それじゃあ、早速帰ったら剣術の練習しようね!」


 あまりにやる気満々なエミリーちゃんに、苦笑いしか返せない俺であった。


 そうして歩いて家に帰る間に、俺は遅めの朝食と昼と夜の買い出しを行なった。余りにも荷物が多くなったので、シルビアさんとセーラさんにも荷物持ちを手伝ってもらった。エミリーちゃんにも「剣を振るためには力がいるから、筋力をつける練習だよ」とか、適当なことを言って、野菜の入った籠を一つ持って貰った。


「ねぇ、直哉。本当にワタクシたちもご馳走になっても良いのですか?」


「はい。風呂屋での料金も出して貰ったので、そのお礼です」


 俺はセーラさんたちの分の朝食も準備をした。シルビアさんにはその間にイシュトイアを起こしに行ってもらった。正直、まだ寝ているとは予想外だった。


「セーラさん、俺の家の中に入ったのって初めてでしたっけ?」


 食堂の椅子に座りながら、家の内装をキョロキョロしているセーラさんに声をかける。


「ええ、何度か家の前を通ることはありましたけど、お邪魔したのは初めてですね」


 俺はそんなセーラさんに家の中を見て回るのを勧めた。セーラさんも最初は遠慮していたが、折れて家の中を探険しに行った。無論、好奇心旺盛なエミリーちゃんもセーラさんについていった。


「オリビアちゃんは行かなくても良かったの?」


「ううん、私、お兄さんのお手伝いがしたいの」


 これはありがたい申し出だ。俺はオリビアちゃんにスープの皿やスプーンを並べるのと、パンの入った袋から皿にパンを二個ずつ置いてもらうように頼んだ。その間、俺は野菜スープを作ることに精を出した。


 そうして、出来上がった朝食を俺とセーラさん親子、シルビアさん、イシュトイアの6人で食卓を囲んでいただく。


 ただ、我が家の食卓には椅子が4つしかないため、エミリーちゃんはセーラさんの膝の上、オリビアちゃんは俺の膝の上に座っての食事となった。そんな状況ではあったが、6人での話は思う以上に弾んだ。


「そういえば、直哉。ワタクシ、明後日から実家に帰るのですが……」


 食事中、セーラさんが話し出したことで、耳をそちらに傾けながら、咀嚼する。


「来訪者の皆さんも一緒に来てみるつもりはありませんか?」


 ――その言葉を聞いた時。俺としては断るつもりだったが、セーラさんの実家の場所を聞いて考えが変わったのだった。

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