第148話 思い出すは過ぎ去りし日々

 冒険者ギルドの執務室の机に突っ伏しながら、ため息をつくバーナード。そんなバーナードの執務机の前にある広めの机ではミレーヌが懸命に書類の整理を行なっていた。


「どうしたの?バーナード」


「いや、半年くらい前までマスターの仕事をしていたとは言っても、ここまで書類仕事が疲れることは無かったな。それに、俺はやっぱり体を動かしている方が性に合っている」


 肩に手を当て、ゴキゴキと首を鳴らすバーナード。その視線の先には壁に立てかけられたサーベルがあった。


「仕方ないでしょ。これが今の私たちの仕事なんだから」


 ミレーヌは愚痴の一つもこぼさずに、淡々と書類を仕分けてはバーナードの元へと運んでいく。


「でも、直哉には感謝しないとな」


 バーナードは穏やかな表情でマスターに就任した時のことを思い出しているようだった。ミレーヌは恥ずかしいのか、顔を赤らめていた。


「そ、それはどうして?」


「いや、俺一人じゃこんな仕事めんどくさくてやってられるかってなってただろうからな」


「ふふっ、確かに」


 バーナードの言葉に否定する要素がカケラもないために、ミレーヌはクスクスと笑っていた。


「でも、実際にやってみて思ったんだが、ウィルのおやじが仕事放り出して脱走する気持ち。何か分かるなって」


「……そう?仕事はどんな状況でもサボるのはダメだと思うけど」


 バーナードはとにかく真面目なミレーヌの言葉に対して、ため息をこぼす。


「ミレーヌ、真面目過ぎるんじゃないか?ウィルの親父ほどはサボらなくて良いから、時々でも肩の力くらい抜いておいた方が良いと思うぞ」


「まあ、たまにだったら」


 ミレーヌは機嫌良さげに再び、書類仕事に取りかかっていく。バーナードも仕事に戻ろうとしたが、その前にふと、昔のことが思い出されたのだった。


 ◇


 ――6年前の雪の日。当時鉄アイアンランクの冒険者だった19歳のバーナードはウィルフレッドの冒険者ギルドを去った。


 当てもなかったが、ギルドを飛び出した1週間後には自分がマスターとなって冒険者ギルドを創設した。だが、最初は白金ランクの冒険者がマスターを務める冒険者ギルドを飛び出した、ただの若僧に付いてくるような冒険者など一人として居なかった。


「今日も雪……か」


 ギルドを創設した翌日、白く凍えるような息を吐き出しながら、新たな冒険者ギルドの入口に立つ。冒険者が一人だけの一件の依頼もない新設のギルド。


 信用もないギルドに誰もクエストなど依頼しに来ない。もし、依頼をしたとしても依頼をこなせるのはマスターであるバーナード一人だけ。そんな状況だ。


「ここは冒険者ギルド……なのか?」


 そんな声が傍らから投げかけれられた。誰かと思って顧みれば、亜麻色の髪をポニーテールに束ねた女性が一人立っていた。そして、腰にはレイピアを佩いている。


「ああ、昨日設立したばかりの冒険者ギルドだが。それで俺がマスターのバーナードだ。それで、用件はなんだ?」


 バーナードが階段の上から女性を見下ろすと、女性は深く頭を垂れた。


「どうか、私を雇ってもらえないだろうか」


 バーナードは突然のことに戸惑ったが、寒いからと一旦女性をギルドの中へと招き入れた。


「まだ何も無いが、とりあえずその辺の椅子にかけてくれ」


 何も無く、だだっ広い建物の中。乱雑に配置された木製の長机と長椅子。その内の一つに女性は腰かけた。


「詳しく事情を聞かせてもあってもいいか?」


「ああ、そうだな……!」


 女性は目の前にいる灰色の髪に翡翠色の瞳を持つ青年に目を緊張を覚えつつも、事情を包み隠さず話した。


 その女性は王国軍を辞めてきたとのことだった。女性がここ、ローカラトの町の王国軍に入団したのが2年前。軍の中で、着々と手柄を立てて小隊長まで出世。しかし、三日前に向かった魔物討伐で、自分の部隊の兵士が全滅した。


 その責任を問われて、耐え切れずに辞表を出して軍を辞めてきたことといった、ここに至る経緯までを語り終え、女性はバーナードへと向き直った。


「要するに、仕事がないから磨いた剣の腕で金を稼ぎたいってことか」


「あ、ああ。そういうことになるな」


 しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。しかし、その沈黙を破ったのはバーナードだった。


「分かった。こちらとしても腕が立つ人間がギルドに入ってくれるのは助かる」


 了承した。それも、あっさりと。その対応の速さに驚いたのか、女性は石化したように固まってしまっていた。


「それじゃあ、ここの用紙に名前を記入してもらえるか?」


「えっ、あ、ああ!名前を書けばいいんだな?」


 女性は渡された紙に筆を走らせ、名前や年齢と言った個人情報を順に記していった。


「これでいいか?」


「どれどれ」


 バーナードは女性から渡された用紙を受け取る。そして、ざっと一通り目を通した。


「よし、シルビア。記入内容に間違いはないな?」


「ああ、渡す前に確認したからな」


 バーナードは女性――シルビアの冒険者登録の用紙を一つの木箱に収めた。


「これは俺が明日、辺境伯様のところに提出しに行く。シルビアは明日、何か予定とかはあるのか?」


「明日なら、寝泊まりする場所を探しに行こうと思っている。今までは軍の兵舎に寝泊まりしていたからな」


 シルビアの答えにバーナードは「そうか」とだけ返し、木製の長椅子を並べ始めた。


「バーナード……さん。何をしてるんだ?」


「ああ、寝床を用意してるんだ。椅子を並べてベッド代わりに使っているんだ。それと、俺の事は呼び捨てで構わない」


「分かった。バーナード」


 シルビアは照れているのか、顔を赤らめながらバーナードを呼び捨てで呼んだ。


「とりあえず、お前もその辺の椅子を並べて寝てくれ。別に椅子がイヤなら、床でも机でも自由に使ってくれていいからな」


「それじゃあ、私も椅子を――」


 シルビアがそういう頃には寝息をたてて眠るバーナードの姿が。


 朝、バーナードが目を覚ますと自分と同じように椅子を並べてシルビアが眠っていた。バーナードは寒くないように、とそっと毛布をかけた。


「それじゃあ、行ってくるか」


 バーナードはその日、辺境伯の元にシルビアの冒険者登録用紙を持っていった。そして、シルビアはその日の内に、カッパーランクの冒険者として認められた。


「バーナード!」


「ああ、シルビアか。どうかしたのか?そんなに焦って」


「ああ!ちょっと一緒に来てくれ!」


 シルビアに手を引かれるまま、バーナードは小走りで移動した。そして、辿り着いたのは宿屋であった。


「ここは、空き部屋が多くなってきて困ってるんだそうだ」


 シルビアについて部屋を見て回ったバーナードは、悪くないと思った。少なからず、ギルドで椅子を並べて寝るより断然生活しやすい。


「シルビアはここに住むのか?」


「ああ。バーナードも泊まるところがないんだろう?ここに住むのはどうだ?ギルドからも近いしな」


 バーナードはシルビアの言葉に一瞬迷ったものの、その宿屋に住むことを決めたのだった。


 そうして、二人で宿屋に移った翌日。冒険者ギルドに一人の青年が駆け込んできた。


 話を聞けば、盗賊団30名ほどが青年の村を襲撃し、占拠したとのことだった。一人、難を逃れた青年はこの町へとやって来たというわけだった。


「どうする?バーナード。相手は30人もいるらしいが」


「そんなもの、俺が一人で潰せば問題ない。お前、村までの地図を書いてくれ」


 バーナードはサーベルを提げ、青年から受け取った地図と共に出発しようとした。


「何だ、シルビアも来るのか」


「ああ、もちろんだとも。私もこの冒険者ギルドの一員だからな」


 バーナードは心の内では心強く思いつつも、それは一切表情には出さなかった。そして、歩いて2時間ほど経った頃。村が見えた。


「バーナード、作戦は……」


 シルビアが作戦を立てようという頃には、バーナードは真正面から村へと突撃していっていた。シルビアも慌てて、レイピアを手に提げて後を追った。


「ブラスト」


 シルビアは目の前の光景に驚いた。バーナードの魔法一つで、9割近い盗賊団が吹き飛ばされ、戦闘不能状態に陥っていた。残っているのは頭目らしき3人の男。


「おい、俺っちたちにケンカ吹っ掛けてくるなんてよ!頭おかしいんじゃねぇのか?」


「いかにも。私たち3人に一人で挑もうなどとはナメられたものだ」


「へっ、二人ともさっさとやっちまおうぜ!」


 セスタス、斧槍ハルバード、大槌をそれぞれ装備した男3人組は一斉にバーナードへと攻撃を仕掛ける。


 シルビアが助けに行こうと魔法を発動準備した刹那の内に、男3人は地面に叩き伏せられていた。


「雑魚が。あまり調子に乗ってると痛い目見るぞ」


 吐き捨てるように投げかけられた言葉に3人は口惜し気な様子であった。だが、もう一度向かっていくようなマネはしなかった。先ほどの一瞬で実力差を理解した様だった。


「お前ら、俺のギルドに入るつもりは無いか?」


 バーナードからかけられた衝撃の言葉に全員が動きを止めた。その後、バーナードは襲われた村の村長と話をつけ、今回の件は水に流し、盗賊団30名を丸々冒険者ギルドの冒険者として加入させた。


 この時にバーナードが倒した3頭目こそがデレク、ローレンス、ミゲルの3人であった。こうして、一気に数を増やしたバーナードの冒険者ギルドは賑わい、それと同時に舞い込んでくる以来の数も右肩上がりとなっていた。


 そんな中で、商人の娘のマリーや付近の農村から出稼ぎに来たスコット、ピーター兄弟もこの時にギルドに所属したのだった。


 ◇


「……ナード!バーナード!」


 いつの間にか眠っていたバーナードはミレーヌに揺さぶられて目を覚ました。


「悪い、寝てたのか」


「ええ。疲れてるみたいだし、今日は仕事も終わりにしない?」


「ああ、そうだな。また、明日も頼む」


 バーナードはあくびをした後、ミレーヌと共に執務室を後にした。部屋の隅で寝ていたレオはミレーヌの腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。


「やっぱり、猫は可愛いな」


「そうね、見ていて仕事の疲れがマシになるし」


 バーナードはミレーヌの腕の中で抱かれて眠るレオの頭を撫でて可愛がった。二人はレオを愛でながら1階へと戻り、食事を済ませたのだった。


「あら、二人とも。夕食、まだだったのね」


「ラウラもまだなの?」


「ええ、昨日は徹夜でシャロン叔母さんの回復薬ポーション作りを手伝わされたのよ。それで寝不足で……」


 そう言って、あくびをするラウラ。見るからに眠そうなオーラが全開である。バーナードもミレーヌもご愁傷様、と心の内で唱えた。


「二人は書類仕事は進んだの?」


「「全然進んでない」」


 二人の声がハモったことにラウラはクスクスと笑っていた。


「そうだ、ラウラ。明日、書類仕事を手伝ってもらえるかしら?」


「イヤよ」


「そう言わないで……お願い?」


 ミレーヌが両手を合わせ、何度も手伝いを頼むも、ラウラは頑なに拒む。そうして、頼んでは断られ、頼んでは断られを繰り返す。それが何度か続いたころ、ミレーヌはため息をついた。


「どうして手伝ってくれないの?昔はよく手伝ってくれたのに」


「だって、お二人の邪魔でしょ?」


 ラウラはからかうような笑みを浮かべながら、ミレーヌに問う。ミレーヌは顔を赤らめて戸惑っていた。


「それに、お二人さんと同じ部屋だと私も相手が欲しくなるから」


「相手……ラウラはその、恋人とかが欲しいの?」


「そうね。周りの友達もみんな結婚しちゃって遊び相手もミレーヌくらいしか居ないのよ」


 ラウラは寂しそうな表情をしながら、机に突っ伏した。


「だったら、ラウラも恋人作ったら良いんじゃないのか?」


 ミレーヌに代わり、バーナードが言葉を投げる。


「でも、身近に良い人とか居ないし」


「じゃあ、こんな人が好みっていう人はいるの?」


「好みの人……直哉かも」


 ラウラの言葉にその場にいた二人は凍り付いた。


「ラウラ、直哉にはすでに恋人がいるだろ」


「それくらい分かってるわ。好みのタイプに近いのは直哉というだけの話。第一、聖美から奪おうというつもりもないし、奪えるとも思ってないわよ」


 そんなラウラの言葉にバーナードとミレーヌはホッと胸をなでおろした。これでラウラが聖美から直哉を奪おうものなら面倒なことになるところである。


「ラウラは直哉のどういう部分がタイプに当てはまったの?」


「家事全般得意なところね。掃除とか代わりにやってもらいたいのよ」


 ミレーヌはラウラの散らかった部屋を思い出し、「なるほど」と納得していた。そして、その中で一つ思いついたことがあった。


「じゃあ、今度は私がラウラの部屋の掃除をするわ」


「ありがとう、ミレーヌ。それじゃあ、お願いするわ」


「……だから、明日の書類仕事手伝って?」


 上目づかいで見つめてくる親友ミレーヌに、さすがのラウラも折れたようだった。ラウラは部屋の掃除と引き換えに二人の書類仕事を手伝うということで手を打ったのだった。

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