第135話 麻痺と救援

 王城の1階の広間では一組の男女が武器を手に向かい合い、激しく息を切らしていた。


「アンタ、前よりも強くなってるわね?」


「そりゃあ、僕だって強くなりたいから……さ!」


 七三分けにした黒髪を揺らしながら、寛之は生み出した障壁を対峙する相手へと突き出した。


 その相手、アレッシアは横に大きく飛んで寛之の攻撃を回避した。その際に緋色の挑発を一つ結びにした髪が動いた勢いで揺れ動いた。


 アレッシアは寛之の攻撃を回避したのち肉薄、褐色肌の手に装備している魔鉄ミスリル製の爪で怒涛の3連撃を見舞った。


「チッ……!」


 寛之はやっとの思いで斬撃をかわしたが、頬と右上腕部に3本線の傷が一つずつ刻まれていた。これが寛之の受けた最初の手傷であった。


「まずは、アタシの先制点ってところね」


 この5分間の戦いでは双方に目立った傷を与えられなかったのだ。別に、お互いに手を抜くような事はしていない。それほどまでに実力のほどが均衡しており、もつれ合ったのだ。


 寛之は身のこなしにおいてはアレッシアを上回っていたが、アレッシアは純粋な力であれば寛之よりも上。


 どちらも大した差が開いているわけではない。正直、視覚で捉えられるかすら怪しいレベルなのだ。


 その後も二人の戦いは続き、凄まじい力の衝突と手に汗握る格闘術の応酬が繰り広げられていた。


 戦況に大きな変化が見られたのは寛之がアレッシアから初めて攻撃を受けてから1分ほどが経った頃。


(何だ、体の動きが鈍い……?)


 寛之はアレッシアの攻撃を回避しながら、体の動きが思っているより遅くなっていることに違和感を覚えていた。そんな違和感を感じた数秒後、寛之は自分の足が絡まり、仰向けに転倒した。


 アレッシアの爪が迫りくるも、障壁を展開したことで何とか防ぐことができていた。


 しかし、体が依然として思うように動かせず、仰向けのままであった。その感覚は麻酔に酷似していた。そのことで、寛之も自分の身に何が起こったのかが理解できてしまった。


 体は1ミリも動かせないのに、思考はこれでもかというほどに動き回ることを恨んだ。寛之の気分としては体と思考の状態を入れ替えたいくらいだった。


「どう?体が動かなくなっていく感覚は」


 フフッと満足げに笑うアレッシアに、寛之は悔しさを覚えた。寛之はアレッシアのからくりは紐解けていた。


(体が動かせない理由はアレッシアの爪だ!あの爪に体を動かせないように麻痺させる毒薬でも塗ってあって、それで僕の頬と右上腕部を切った。それで、体内に毒薬が入り込んだのか……!)


 してやられた、寛之はそんなことを追加で思った。だが、過去のミスを悔やんでいてもアレッシアに追い詰められている現状は何も変わらないのだ。


 寛之は懸命に打開策を考え、実行に移した。


「ちょっと!?」


 アレッシアは突然、宙へと放り出されて驚いた。よく見てみれば、彼女の足元には半透明の障壁が展開されていた。それを上へと持ち上げて、アレッシアを浮かせたのだ。


「なるほどね!でも、アタシをこんなところから地面に落としたくらいで死ぬと思ってるの?」


 アレッシアは空中で笑っていた。寛之が持ち上げたのはせいぜい3メートルほど。さすがに骨折させることは出来ても殺すことは不可能である。


 ――だが、寛之の狙いはそこではない。


 アレッシアが落下しようかというタイミングで彼女の左右に障壁が一枚ずつ現れた。アレッシアも最初は何のことだか分からなかった様子だったが、瞬時に障壁がアレッシアを挟み込んだことで理解した。


(まさか、挟み込んでアタシを圧殺する気!?)


 とっさに障壁を素手で受け止めていたアレッシアだったが、挟み込んだまま空中で止まったままの障壁にどうすることも出来なかった。すり抜けても、下に槍と同じ形状をした障壁が隙間なく並べられている。かといって、じわじわと圧をかけてくる障壁を力で押さえようにも踏ん張るために必要な足場がない。


 アレッシアにとって、これは詰みであった。彼女も踏ん張ったが、少しずつ腕の骨にヒビが入り、肩や肋骨にもヒビが入った。


「こんのぉぉぉぉッ!」


 しかし、アレッシアは人ならざる力で障壁を素手でぶち破って地面へと着地した。


 ナイフと同じ形状をした障壁が突き立ち、赤い血が流れるがすぐさまその場を離脱したことで事なきを得ていた。この時に受けた傷も瞬く間に塞がっていった。寛之にとっては、絶望的な状況であった。


 中々ダメージを入れられないでいたところにようやくダメージが入ったのに、そのダメージが即座に癒されてしまったのだ。この戦いを投げ出して今すぐにでも逃げ出したいところであったが、逃げることなどできない。


 むしろ、背を向ければ後ろからアレッシアの爪で切り裂かれて死ぬのが目に見えている。というか、そもそも動くことができない。


 正直、前回は傷が塞がるなんてことは無かったからこそ勝てたようなモノだと寛之は痛いほどに思い知った。今の寛之にアレッシアが持つ治癒力を上回るほどの火力が出る攻撃など持ち合わせていない。


 歩み寄って来る現実アレッシアに寛之は麻痺している体で数センチほど後ずさった。


 ――みんなが戦っているのに、僕は一人逃げようとしている。


 そんなことを思いながら、寛之は自己嫌悪に陥っていた。


「アタシがユメシュ様から貰った力は麻痺の悪魔。だから、アタシが使っている魔法は麻痺魔法よ」


 勝利を確信したからか、アレッシアは自分の力を口にした。その表情は寛之を侮蔑するかのような笑みであった。寛之は闘志を燃やそうと努力したが、体中が麻痺魔法に蝕まれているために指先を動かすのが限界であった。


「それじゃ、死んでもらうわよ」


 アレッシアがそんな言葉を寛之にかけながら、右腕を関節を曲げて後ろへと引いた。構えからして、心臓を一突きにするつもりだと寛之は悟った。


 ――みんな、僕はここまでらしい。


 寛之は抗うことをやめて、目を閉じた。アレッシアもようやく覚悟を決めたかと思った。


「それじゃあね」


 無慈悲に殺意の爪が突き出されようかというタイミングでアレッシアの背を一つの斬撃が駆け抜けた。


「うぐっ!?」


 たった今、アレッシアが背中に受けた傷は癒えることは無かった。寛之の攻撃で受けた傷は一瞬で塞がったのに、だ。


 答えは簡単だった。クロヴィス同様悪魔の力を持つ者の最大の欠点。光属性の魔法に関して治癒能力は作用しないことである。


 ならば、そんな光属性の攻撃を放ったのは誰なのか。


 寛之が驚きと共に見つめる先にあったのは一人の男の姿だった。


「く、クラレンス殿下……!?」


 クラレンスは寛之の無事を確認して、フッと笑みをこぼした。


「はぁぁぁぁぁッ!?」


 アレッシアは怒りと恐怖から、早まった行動に出た。それは、一直線の突撃。だが、そんな安直な攻撃などクラレンスから見れば子供の遊びを見る大人のようなモノ。


 二人の姿がすれ違う瞬間、アレッシアは腹部から上と下に両断された。無論、その技は“聖竜斬せいりゅうざん”。アレッシアの傷はレーザーで焼かれたように変色していた。


 そして、アレッシアは地面に崩れ落ちる直前、心臓をクラレンスに貫かれた。


 これによって、テオと同様アレッシアも灰色の粉と化した。残されていたのは彼女の灰と衣服と装備のみであった。


 クラレンスはヒュッと空を斬って剣に付着していた血を飛ばした後で、静かに鞘へと納めた。


「大丈夫だったかい?」


 クラレンスは驚いたまま硬直している寛之へと声をかけた。その声は爽やかで、アレッシアを殺したことなど気にもかけていない様子であった。


「殿下、助けて頂いてありがとうございます」


「いいや、別に大したことはしてないよ。私はただ、王城への侵入者を斬り伏せただけだからね」


 静かな怒り。寛之はクラレンスからそんな印象を受けた。自分の家でもある王城をめちゃめちゃに踏み荒らされたこと。そこに怒っているのだ。


「殿下!」


 そんな二人の元にマルケルが駆けつけてきた。その後ろからはイリナ、エレノア、レベッカの3人が続いてくる。そして、最後に姿を見せたライオネルは洋介に肩を貸しながら歩いてきた。


「洋介!」


「おう、寛之。お前、無事だったのか」


 寛之は洋介が生きていたことを喜び、洋介は寛之が無事だったことに安堵を覚えていた。


 その後、とりあえず寛之の応急処置が行われていたが、麻痺の効果が治ることは無かった。なにせ、回復薬ポーションしか持ち合わせがないのだ。


「マルケル、イリナ。この廊下の先にある薬室長の部屋なら、麻痺に効く薬があるかもしれない。行ってくれるか?」


 現在、クラレンスたちがいる1階の廊下を抜けた先にある部屋は薬師が待機している場所だったのだ。もしかすると、薬があるかもしれないと考えるのは当然の事だった。


「ああ、任せてくれ」


「うん、それじゃあ行ってくる!」


 マルケルとイリナは駆け足で薬室へと向かっていった。2人の走る速度なら、往復で3分もかからない距離である。問題は目当ての薬があるかということと、その薬を二人が見つけられるのかという事であった。


「殿下、あの二人で大丈夫なのか?」


 洋介がクラレンスに不安げな声で尋ねるも、クラレンスは一抹の不安もないといった様子で頷いた。


「あの二人は昔から生傷が絶えなかったからな。薬室の常連なんだよ」


 クラレンスが昔を懐かしむように目を細めながら、そんなことを呟いた。


 その後は1階の広間に残った者たちとで他愛もない話で盛り上がっていた。全員先を急ぎたいところだったが、寛之が動けないのでは置いて行くこともできないのだ。


 そのことを寛之も分かっているために自らを密かに責めていた。そして、この間にも誰かが死んだり傷ついたりしていたら、自分のせいでもある。寛之の心は暗くなっていくばかりだった。


「殿下、持ってきたぜ!」


「ごめん、遅くなっちゃった」


 マルケルとイリナは薬室に向かってから5分ほどで戻ってきた。予想以上に早く戻ってきたためにクラレンスは二人を称賛した。


 二人が持ってきた麻痺を治す薬を使用し、寛之も体を思うように動かすことができていた。また、洋介の傷を治す回復薬ポーションも運んできてくれたために洋介も傷が塞がって、ライオネルの肩を借りなくても動けるようになっていた。


「それじゃあ、出発しようか」


 クラレンスがスッと立ち上がり2階へと続く階段に足をかけた。手には剣が握られている。クラレンスも気合十分だというのはそれだけで全員が理解した。


「あ、みんなは先に行っててくれ。僕はお手洗いに寄ってから後を追うからさ」


 寛之の言葉に全員が了解し、先に進むこととなった。


 そこからはクラレンスを先頭にマルケル、イリナ、エレノア、レベッカ、ライオネル、洋介の順に隊列を組んで進んだ。


 彼らが向かう2階では現在、夏海とヴァネッサ、紗希とオルランドの二組の戦闘が行われている。


 ――その戦いがどんな結末になるのか、彼らはまだ知らない。


 ◇


「僕を呼んだのは……」


『そう、オレだ』


 寛之がお手洗いに居た全身真っ白な人型の存在に話しかける。その人型のモノはこもった声で寛之に一つ、頼みがあると言った。


『どうか、万が一の身に危機が訪れた場合に貴様に守ってもらいたい』


「……分かった。それで、見返りは?」


『フッ、報酬は――』


 男は喜びを含んだ声で報酬を告げた。それを聞いた寛之はフッと笑みをこぼした。


『では、頼んだぞ』


「ああ、分かった。任せておいてくれ」


 寛之と真っ白な人型のモノは交渉成立後、静かに別れたのだった。

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