第136話 幻魔、黒鎧の戦士

 相対する槍の穂先が交わり、激しい火花が舞い散った。夏海とヴァネッサの戦いは、2階の広間から奥の廊下へと場所を移しての激闘が続いていた。


 二人の間での槍術の応酬が続いていたが、槍の技では夏海の方が数段上であった。そして、一突きに籠められる力も夏海の方が強かった。


 ゆえに、夏海の攻撃にヴァネッサが僅差で押し負けるような状況が続いていた。


「ねぇ、この数か月でどれくらい強くなったの?」


「さあね。そもそも、どれくらいと聞かれても返答に困るわ……ねッ!」


 二人は突きと言葉を交わしながら、戦闘を継続させていた。また、槍捌きでは夏海の方が上だと言ったが、それは純粋な槍捌きでの話。


 夏海の使う槍術とは違い、ヴァネッサが使うのは人を殺すための槍の技である。夏海のように相手を殺さないように無力化するためのモノではない。


 つまり、槍技に殺意が籠っているのか、いないのか。ここが二人の一番の違いであった。


 ヴァネッサの容赦のない突きには前に戦った時も含めて、夏海は苦戦させられた。だが、今回も前回と同様に夏海には魔法と言うアドヴァンテージがある……はずだった。


「……妙ね」


 夏海の渾身の突きが空ぶった。これには夏海も「おかしいわね」と小首を傾げた。だが、夏海に外したつもりは一切ない。ヴァネッサの左大腿部を的確に突いたはずであった。


 また、正確には空ぶったというよりかは突いた手ごたえがないと言った方が良いか。夏海の槍先はヴァネッサの左大腿部に刺さっているのに血が流れないのもおかしい。


「――ッ!?」


 夏海が疑問に感じていると、背後から殺意を感じた。とっさに体を捻ると右の二の腕を何かがかすめていくのが分かった。


「あら、これをかわされるとは思わなかった。今ので楽にしてあげようと思ったのに」


 夏海はヴァネッサの声が聞こえた方を首がねじ切れるのではというほどの速度で振り返った。しかし、そこには


 最初はその状況をいぶかしんでいただけであったが、夏海の心の内に恐怖が芽生え始めた。何せ、360度見回してもヴァネッサの姿が見えないのである。まるで、幽霊でも相手にしているようであった。その恐怖が芽生えたのは夏海自身が幽霊が大の苦手だという事が一番の要因であった。


 それからも夏海は何度もヴァネッサ目がけて鋭い突きを見舞うものの、一切手ごたえを感じなかった。これによって、ますます恐怖の感情が募っていった。


「怖いでしょう?私がどこに居るのか、分からないものね」


 幽霊ではないかと少しだけ怯える夏海を嘲笑うようなヴァネッサの声が不気味に廊下中に響き渡る。


「あがっ……!」


 それと同時に夏海は体のあちこちに槍が立て続きに突き刺さった。ダラダラと血が床へとこぼれていく。刺された傷から這い上がって来る痛みに夏海は表情を歪めた。


 ヴァネッサが一体、どうやって自分の姿を隠しているのか。その手段が魔法なのか、魔道具なのか。皆目見当が付かなかった。


 それに、見えない敵などどう対処すればいいのか。夏海には全く分からなかった。見えない敵は心の目で見て倒すというのがセオリーだが、夏海にそんな芸当はできない。


「でも、紗希ちゃん辺りなら出来ちゃいそうよね」


 夏海は何でもやってのけてしまいそうな紗希のことを思い出した。だが、この場に紗希はいないのだ。


(弱音を吐くな!武淵夏海!)


 そんな叱咤をかけて自らを励まし、現状を打開するべく策を練ろうとした。しかし、現状を打開するための策など思いつこうと思ってポンッと思いつくものではなかった。


 夏海が考え込んでいる間にもヴァネッサの槍は夏海の心臓に吸い寄せられるように突きだされてくる。突き出される方向が毎度違ううえに、タイミングも不規則。そして、足音がしない。この三点が厄介極まりない部分であった。


(方向が毎度違う……?)


 方向が毎度違う、タイミングが不規則。この二つの点が夏海の中でスッと繋がった。


 方向が違うというのは、ヴァネッサ自身が移動しなければ不可能なこと。タイミングが不規則なのは移動時間に毎度ズレがあるからなのではないか。


 そうなれば、ヴァネッサは夏海を槍で貫ける距離を保って、周囲をグルグルと廻っているだけなのではないのか。


 つまり、どの辺りに居るのかを見破れれば夏海の攻撃も届くという事。ただ、どうやって居場所をあぶり出すかが一番の問題であった。


 殺意を感じた方からの槍をギリギリのところで槍の柄で受け止める。もしくは槍の軌道を逸らす。この2パターンのやり方で夏海は殺意を纏った突きを捌いていた。


 そんな中で、夏海はヴァネッサの居場所をあぶり出す方法を思いついた。


「“重力波グラヴィティ”ッ!」


 夏海は自分の周囲に円形状に重力魔法をかけた。


(急に上から重力魔法をかけられれば、何らかの反応があるはず!)


 夏海の狙いは的中した。短くうめき声が聞こえたのは、夏海の右斜め前だった。


「ハァッ!」


「くっ!」


 夏海の槍はヴァネッサの左肩の上をかすめただけに留まった。正直、今ので左肩を突いて槍を扱いにくくしたかったのだが、それはヴァネッサの暗殺者としての勘が阻止したのだ。


 だが、今の一撃でヴァネッサの姿が見えるようになっていた。これだけでも大きな成果である。ただ、今までヴァネッサの姿が見えなかったのが魔法によるモノだったのか、魔道具によるモノだったのかまではさすがにハッキリしないのが夏海の心残りであった。


「やっぱり、あなたは油断できないわね……!」


「そろそろ決着をつけましょう。ヴァネッサ!」


 夏海は片手に持った槍先を真っ直ぐヴァネッサへ向けた。夏海の表情には笑みが戻っていた。これは、少し心の中に余裕が出てきたという事が良く分かる表情である。


「私はヴァネッサ。ユメシュ様から幻魔の力を与えられた者。夏海、から!」


 ヴァネッサが言った今回は負けないの部分に背筋が凍り付くようなモノを感じた夏海は、その感覚に弾かれるように先んじて攻撃を仕掛けた。


「なっ……!」


「だから、その攻撃は丸見えだよ?」


 ヴァネッサはのだ。不気味な雰囲気を漂わせることによって。それで夏海が決着を急いで攻撃してくる。それを織り込み済みで、後の先を取ったのだ。いわば、カウンターである。


 夏海はそれにまんまと引っかかって一撃を貰ってしまったのだ。ただ、ヴァネッサ的には心臓を貫けなかったのは想定外であった。


 別に夏海が攻撃をギリギリでかわしたわけではない。夏海は体を捻るよりも早く重力魔法で槍の軌道を少々上にずらしたのだ。


 夏海は左肩に突き立った槍を引き抜けないように左手で握りしめた。


「ちょ、噓でしょ……!?」


 普通は槍を引き抜くところだが、夏海は引き抜くどころか槍を掴んで手繰り寄せ始めていた。槍は夏海の肩口を突き進み、やがて


「ごめんなさいねッ!」


 夏海は槍を手放すかどうか、戸惑っているヴァネッサの心臓に謝罪の言葉と共に槍を突き立てた。槍が届くかどうかは危うい賭けであったが、夏海が伸縮式の槍にありったけの魔力を注いだことで届いたのだった。


 心臓を貫かれたヴァネッサの口から赤い血がポタポタとこぼれていった。夏海がすぐさま槍を引き抜くとその傷口からも大量の血があふれ出る。ヴァネッサは地面に崩れ落ちたが、数秒後には灰となってしまった。残されたのは衣服と装備のみである。


「悪いことをしたわね、ヴァネッサ……」


 涙を流しながら、夏海もまた地面へと崩れ落ちた。まさに、魔力も体力も底を尽いた形となったのだった。


 ◇


 その頃、王都にある宿屋の一つ。そこにはローカラトの冒険者たちが宿泊している。そんな宿屋の前で、黒鎧を纏い、両刃斧を操る男とロクに装備を纏わずにサーベル一本で斬り結ぶ男の姿があった。


 黒鎧の戦士――バートラムは刈り上げられたライラック色の髪をしており、両刃斧の刃は血で赤く染め上げられていた。その斧は血染めの斧と呼ぶに相応しいモノだった。


 そして、そんな男にサーベル一本で立ち向かう男は灰色の髪が特徴トレードマークであった。その男の名はバーナード。バーナードは翡翠の瞳で、仲間3人を惨たらしく殺害した襲撃者を見据えていた。


「バーナード。貴公の剣捌きは良い剣筋であられる」


「黙れ、お前に褒められても何とも思わないんだが……なっ!」


 バートラムに薙ぎ払われるも、すぐに体勢を立て直して斬りかかって来るバーナードの勇敢さにバートラムは興味が湧いていた。


「貴公を殺すのは惜しい。我らが魔王軍に加われば魔王軍の素晴らしい戦士になれるであろうに」


 バートラムはバーナードと得物を交わしながら、勧誘を行なった。だが、そんなものになびくような事などバーナードには天地がひっくり返ってもあり得ないことだった。


「ブラスト!」


 バーナードの左腕に付けられた義手アガートラムから小規模の爆裂魔法がいくつも放たれた。それらによって、バートラムの周りは爆風と爆炎に包まれた。


「ふむ、貴公の魔法はその程度ですかな?」


 今の爆裂魔法の爆炎で腕などの露出している部分の皮膚から黒い煙が立ち上っていたりするものの、目立った外傷ダメージは与えられていなかった。


「フンッ!」


「うぐっ!」


 一瞬の内に間合いを詰めたバートラムの両刃斧での薙ぎ払いに、またしてもバーナードは弾き飛ばされてしまっていた。


 何度も、地面の上をバウンドし、宿屋の入口のドアを破壊してようやく止まることが出来ていた。


「……ッ!」


 体の節々が痛むが、バーナードに眠っている暇などない。というより、眠れば最後。永遠の眠りにつくことになってしまう。そうなれば、死ぬ気で意識を保つしかない。


 ――止まっていてはダメだ。


 バーナードは自らの意思で前進を選び、バートラムの両刃斧と数多の火花を散らした。その火花の散りようにはバーナードの必死さが表れていた。


 バートラムも味方に引き入れるのは諦め、目の前の青年の相手に全力を尽くした。正直、筋力や身体能力的に敏捷性といった身体能力的にはバートラムの方が圧倒的優位に立っている。


 しかし、そんなバートラムの全力をもってしても、あと一歩バーナードから命を奪うことには足らなかった。むしろ、バートラムが全力を出せばバーナードもそれに比例して剣捌きを加速させてくる。


 まるで、敵が強ければ強いほど自分も強くなるかのようであった。


 バートラム自身、ユメシュによって生み出されて11年ほどであるが、これほどまでに食らいついてくる戦士は見たことが無かった。


 それゆえに驚いたが、何より彼をそこまで突き動かすものが何なのかが気になって仕方がなかった。


 そんなことを探りながらの時点で、戦いに集中できていないというのは否めない。だが、それがバーナードを生きながらえさせる要因にもなっていた。


 その後も幾度となく、両刃斧とサーベルは交差し、激しい剣戟音と火花を周囲にまき散らしていた。そして、何度目か分からない鍔迫り合いの後、両者は再び距離を取った。


「フッ!」


 両刃斧が地面に叩きつけられると、凄まじい衝撃波が一直線にバーナードへと走って来た。その威力に宿屋の石畳は割れ、攻撃の対象となったバーナードは体を宙に浮かされた。


 体勢を立て直すべく、足のつかない空中で足搔くバーナード。その上に黒鎧の男の姿はあった。黒鎧の男は両刃斧ではなく、鎧で包まれた足での蹴りを放った。


 『しまった!』と、バーナードが思った刹那に彼は宿屋の2階へと叩き込まれた。凄まじい衝撃と共に宿屋の壁を何枚もぶち抜く頃には店の外であった。


 バーナードは宿屋を突き破った際にレンガ壁との衝突によって、体中がズキズキと痛む。特に、バートラムの蹴りを受けた肋骨の痛みが酷かった。感覚的には何本か折れている。そして、彼の背中からはレンガで切ったりぶつかったりしたことで、真っ赤に染まっていた。


「おや、まだ生きておられたのですか。これは想定以上にしぶとい」


 そんな瀕死のバーナードの元に、宿屋の屋根からバートラムは現れた。


 ガチャッガチャッと重そうな鎧の音を響かせながら、忍び寄るかのようにゆっくりとバーナードの前に立ったバートラム。


「もう、よろしいでしょう」


 お前は悪くない。十分によく頑張った。


 そんな風な言葉を言外に含んでいるような声にバーナードも死を受け入れようとしていた。だが、そんなものはバートラムの足元に投擲された投擲ナイフが許さなかった。


 バートラムがそのナイフが飛んできた方を見てみれば、宿屋の1階に灰色の髪にスカイブルーの瞳を持つ婦人の姿が。


「よくやったのぅ!シャロンッ!」


 今度は宿屋の屋根の上から飛来した影。その影の主である老戦士からの攻撃をバートラムは目を見開いて防御した。


 その老戦士の力と全体重を載せた重撃にバートラムはギリギリのところで、耐え切れなかった。ゆえに、その攻撃を受け流してかわそうとした。


 しかし、直後にバートラムの右足背から突き抜けた痛みによって、思い通りにはいかなかった。


 老戦士の大戦斧の一撃が胸元をかすめた。鎧を斬り裂いたとはいえ、皮膚を薄く切っただけに過ぎないにせよ、貴重なダメージ。


 バートラムは恐怖した。老戦士から間合いを取ったところで、自らの右足を顧みれば、足には投擲ナイフが力強く突き立っていた。


 刺さっている投擲ナイフは先ほどバートラムの足元に撃ち込まれたモノである。そして、バートラムが大戦斧を受け止めている間にバーナードが残された力を振り絞って、突き立てたのである。


「バーナード、大丈夫じゃったか?」


「……この耄碌爺、俺の状態を見て本当に大丈夫に見えるのか?」


「ふっ、それもそうじゃのう!」


 老戦士――ロベルトはそう言って豪快に笑った。そして、2階に居る婦人――シャロンはそんな二人を見てクスリと笑みをこぼした。


「バーナード、シャロンからじゃ。飲め」


「……ああ、助かった」


 バーナードはロベルトから回復薬ポーションを受け取り、一息に飲み干した。これにより、大方の傷の応急処置は済んだのであった。


「よし、3人であいつを片付けるぞ」


 バーナードがサーベルを差し示し、これによって再び戦いの火蓋が切られたのだった。

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