第127話 理想のシチュエーション

「はっ、直哉君!」


 聖美は飛び起きた。手は何かを掴もうと前へと伸ばされている。一体、何を掴もうとしたのか。それは直哉がどこか遠くへ行って消えてしまう夢を見たからに他ならない。


 聖美は恐怖からか左右の腕を交差させ、ギュッと二の腕を掴んだ。


「直哉君、また居なくなったりしないよね……?」


 聖美は怯えていた。何か明確なものではないが、夢で見たように直哉が居なくなってしまうのではないかと。大空洞での件がその不安をかき立てるが、それを払拭しようと聖美は横に首をブンブンと振った。


 聖美は窓の外に広がる王都の景色を眺めながら、着替えを済ませて出かける準備をした。


「あれ、そういえば夏海先輩は……」


 聖美は夏海と相部屋で泊っているのだが、その夏海の姿は部屋に無かった。しかし、部屋を見渡してみれば、机の上に一枚の紙が置かれていた。


『聖美ちゃんへ。今日は洋介と出かけるから、一人にしちゃうけどゴメンなさいね。聖美ちゃんも、良い一日を!』


 机の上に置かれた紙はまだ眠っている聖美を起こすのは気が引けた夏海が残していったモノだった。


「本当にあの二人って仲が良いよね」


 聖美は手紙を見ながら、微笑んだ。聖美はその紙を机の引き出しにしまい、街へと繰り出した。


 昼前の王都は一層賑やかで、商人の声や通りを行く人々の声が聞こえてくるばかりだ。


「えっと、直哉君の泊まっている宿屋は……」


 聖美は昨晩、直哉との別れ際にもらった地図を頼りに王都を進んだ。直哉はギンワンたちテクシスの冒険者たちと同じ宿屋に泊まっている。それは今聖美たちが泊っている宿屋に空きが無かったからという理由がある。


「えっと、この路地裏を抜ければ……」


 聖美はドンッと人にぶつかって尻もちをついた。地図を見ながら歩いていたために前方への注意が足らなかった。


「あの、ごめんなさい……」


 聖美は顔を上げてみれば、イカツイ風貌の褐色肌の男が3人ほど。腕には入れ墨などが入っており、見るからにヤバそうな雰囲気が出ている。


「おい姉ちゃん、どこ見て歩いてんだ?」


 聖美にぶつかられた男が拳をバキバキとならし、聖美の方へと地面を踏み鳴らして歩いてくる。聖美も街中での戦闘は避けたいところだが、最悪の場合は……と、覚悟をしているところに見慣れた黒髪ロングの美少女が颯爽と現れた。


「誰だ、テメェ?」


「悪党に名乗る名はありません」


 聖美の前に立ち塞がる紗希はどこかで聞いたことがあるようなセリフを言った後で、ドヤァと腰に手を当てて自慢げであった。


「この純真無垢な少女がぶつかったのは事実ですが、彼女は謝りました。それでもう良いじゃないですか!」


 紗希は人差し指をイカツイ男へと向けた。この路地裏での騒ぎに通りを歩く人々も一度、歩みを止めて成り行きを見守っていた。


「アアン?この胸ナシ女が……調子乗ってんじゃねぇぞ!」


 意見されたことが頭に来ているのか、苛立っている様子の男。後ろに控える二人の男も『胸ナシ女』の部分で吹き出し、笑っていた。


 対して、紗希はと言えば無言である。聖美は知っている。紗希は怒っている時は無言になるということを。今がまさにその状態だ。聖美はイカツイ風貌の男たちも怖いと感じたが、それ以上に紗希から放たれるオーラの方が明らかにヤバかった。


「胸がデケェ女だったら、ベッドで一緒に寝てくれりゃあ話は済んだんだが――」


「胸が小さいことの何が悪いんですか!」


 これが男の最後の言葉だった。男は意識が激痛と共に吹き飛んだからだ。紗希が一瞬で男の股間を蹴り上げたのだ。力の加減など一切なく、全力で。


 後ろの男二人が驚く間に片方の男の股間が蹴り飛ばされた。もう一人は逃げようとしたが、壁を走って先回りをしていた紗希によって洩れなく蹴り上げられた。


 ものの数秒で、路地裏の件は型がついた。紗希は終わると、笑顔で聖美の手を引いて直哉のいる宿屋へと走ったのだった。


「紗希ちゃん、さすがにやり過ぎたんじゃ……」


 聖美の言葉に返されるのは紗希の無言の笑みだった。聖美もそれには口を塞ぐしかなかった。


 紗希に連れられて直哉の部屋に入ると、机と椅子とベッドだけの殺風景な部屋だった。


「兄さんは今、防具を買いに行ってるから、しばらくは戻らないと思うけど」


 直哉はクロヴィスとの戦いで防具が破損したために新しく購入することにしたのであるが、それを紗希から聞かされて聖美は何も言えずに俯いた。


「そうだ、紗希ちゃんは今日一人なの?」


「はい、茉由ちゃんは守能先輩と出かけましたし、エレナちゃんもディーン君と出かけましたから」


 紗希は聖美に気軽に遊べる友達は二人揃って好きな男とデートしていて羨ましいと語った。


「ボクも彼氏欲しいな~くらいは思ったりはしますけど……。まあ、ボクみたいな女の子っぽくない人間には縁遠い話ですよね」


「ううん、そんなことないよ!紗希ちゃんはスタイル良いし、髪もサラサラだし、素直で良い子だし、真面目で優しくて気が利くし、料理もできるし、私よりも女の子らしいくらいだよ!」


 紗希が女の子らしくないと言うのに対して、聖美は全然女の子らしいと激しく抗議した。事実聖美の言う通りであるであるのだが、紗希本人に全く自覚が無いところが、この場合の問題だと聖美は認識した。


「ありがとうございます。聖美先輩。そう言われると、お世辞でも嬉しいです」


 お世辞じゃなくて本心なんだけど、と聖美は心の中で思ったが口には出さなかった。


「あ、紗希ちゃん。『こんな彼氏が欲しい!』みたいな理想像みたいなモノってあるの?」


「……それは特にない?ですね」


 その後も聖美は紗希に彼氏関連の話を振るものの、めぼしい成果は上がらなかった。そうこうしている間に直哉が帰ってきた。


「お、二人とも来てたのか」


 直哉は部屋に聖美と紗希が居るとは思わなかったのか、少し驚いたような表情をしていた。その後ろにはイシュトイアが立っていた。


「兄さん、何か良い防具は買えたの?」


「まあな。この前のクロヴィスとの戦闘で籠手が壊れたから、新しいのを買ってきた。あと、鎖鎧チェインメイルも新調した」


 直哉は脇に抱えている防具類を紗希に見せた。その間にイシュトイアは聖美と何かの話をしていた。


「直哉君、そんな装備で大丈夫?」


「大丈夫だ、問題ない」


 聖美からの言い回しを聞き逃すことなく、直哉は即座に投げられた会話という球を投げ返した。その後は二人とも吹き出して笑っていた。


「直哉君、防具に細工とかするの?」


「確かにしておきたいけど、敵に合わせて組み替えるから、今急いでする必要は無いかなって思って」


 笑い終えた後で真面目な話に戻り、聖美は心配と申しわけなさが入り混じったような面持ちで尋ねた。


 直哉も顎に手を当て、少し考えた風であった。だが、付加術であれば短い時間でエンチャントをやり為すことが可能なため、実際に敵を前にしてから考えるやり方でも問題は無いのだ。


「そっか、確かに付加術は実戦の中でも素早く発動できるからね」


 聖美も直哉の説明で納得したのか、首を縦に振って頷いていた。そんな聖美を優しく直哉が見ていると、服の袖をクイクイと引かれた。


「どうかしたか?紗希」


「うん、さっき聖美先輩と話してたんだけど……」


 紗希は直哉に先ほどまで聖美と話していた話題の事を耳打ちした。これには直哉も取り乱さざるを得なかった。


「ダメだ、うちの紗希は嫁にはやらんぞ!」


「兄さん、一度落ち着いて!」


 直哉が「娘さんを俺にください」に対しての父親のあるある回答を口にしながら、明らかに動揺していたために紗希が必死でなだめた。


「紗希、誰だ!誰にたぶらかされた!?名前を言ってくれればすぐにでも――」


「そうじゃないから!」


 直哉の大パニックはほんの1分ほどで終息した。紗希もその辺りは直哉の扱いは心得ていた。


「何だ、ただの理想像的な話だったのか……。それだったら、先に言ってくれ。心臓に悪いからな」


「兄さん。ボク、最初からそう言ったよ……」


 直哉は紗希の話の中で、『彼氏』という単語が出た時点で紗希に彼氏ができたモノだと早とちりをしていたのだ。


「いやあ、本当に紗希に彼氏ができていたら査問委員会にかけなければならないところだったぞ」


 直哉は軽く笑い飛ばしていたが、紗希は自分に彼氏ができたら直哉が暴走して何をしでかすか知れたものではないため、そこを恐れている節が無いとは言えない。


「それにしても、紗希でも彼氏欲しいとか思うんだな。『ボクはそんなのいらないよ』みたいな感じだと思ってたからな」


「でも、そんなに高望みはしないけどね。というか、薪苗紗希(cv.薪苗直哉)みたいなことはやめて……さすがに気持ち悪い」


 紗希はドン引きと言った様子で直哉を見ていた。これは『ボクはそんなのいらないよ』のところだけ直哉は紗希っぽく話したことへの嫌悪感である。


「それで、呉宮さんと話して何か気づいたことはあるのか?突然の再会で運命感じる~とか、いきなりイケメンにキスされるとか、食パンくわえながら走ってて曲がり角でぶつかるとか……」


「直哉君、それ少女漫画とかでありそうなシチュエーションを列挙してるだけなんじゃ……」


 直哉が目を閉じて指を立てながら話すのを、聖美は傍らで聞きながら思ったことを口にした。だが、紗希は妄想の世界に旅立ったのか、普段のキリッとした感じとは真逆の状態になっていた。


「直哉君、当たってたみたいだね……」


「どれが当たっていたのかが気になるが、俺は『いきなりイケメンにキスされる』に小金貨一枚をかける」


「えっ、それって結構高額なんじゃ……」


 妹の理想のシチュエーションに小金貨一枚、日本円であれば十万円をかける兄がどこの世界にいるだろうか。


「あ、ゴメン兄さん。それで何だっけ?」


「紗希の理想のシチュエーションの話だったんだが、どれが一番ときめいたのかを聞いても良いか?」


「最初の2つを合わせたヤツ……なんだけど」


 紗希は恥ずかしそうにもじもじしながら打ち明けた。これには直哉は唸った。半分正解で半分不正解の場合をどうするのかという部分だ。だが、それは聖美の提案で紗希が聞いてないのだから何も無かったことにすれば良いと言われ、直哉もそれに同意したのだった。


「紗希の理想は突然再会して運命感じちゃったイケメンにキスされたい……か。中々難しそうな感じがあるな……」


「に、兄さん!この話はここまでにしよう!」


 直哉に改めて自分の理想を口にされて恥ずかしくなったのか、紗希は無理やり話題を終了させたのだった。


 その後は昼食を食べに行ったり、聖美と紗希、イシュトイアの3人のガールズトークに直哉を付き合わせたり、4人でしりとりをしたりして日が暮れるまでの時間を楽しく過ごした。


 ――その夜に惨劇が繰り広げられるなどとは夢にも思わずに。

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