第125話 君に夢はあるか

 俺たちはその後、ゲイムの迷宮を抜けて王都へと戻った。迷宮を出る時には、すでに陽が落ちていた。ギンワンさんたちは抜け道の入口に残して来た馬を連れて帰るために、俺たちとは別ルートで迷宮を出ていった。また、別れ際にクロヴィスと戦う直前に預けていたものを返してもらった。


 俺も馬に乗って来たから同行すると伝えたのだが、ギンワンさんには「君は仲間と一緒に居た方が良いだろうからね」と言った具合に断られてしまった。


 あと、王都へ戻る時に馬車と一緒に待っていたジョシュアさんとマリエルさんに俺が居ることを驚かれてしまった。でも、二人とも泣いて喜んでくれたのは本当に嬉しかった。


 迷宮から王都へは丸一日かけて馬車を走らせて、到着したのは翌日の夜だった。俺たちは、そのままウィルフレッドさんが「今日は飲むぞ!」と言い出したことで王都の酒場を貸し切って飲み明かしていた。


 大勢の人間が集まるような場は俺は苦手なのだが、ギルドのみんなと一緒に飲んだり、食べたりして騒ぐのは心が躍るほどに楽しかった。これほどまでに多くの人に囲まれて楽しく過ごせるだなんて、日本に居た時は思いもしなかった。


 もしも、呉宮さんがユメシュに攫われることが無ければ、この人たちとも出会うことが無かったのかと思うと複雑な気持ちになったりする。


「呉宮さん、ちょっと風に当たらないか?」


「あ、うん!行こっか」


 俺は呉宮さんと席を外したことを伝えるように紗希に伝言を頼んで、酒場を抜け出した。俺たちは夜の大通りを抜けて、広場までやって来た。偶然にもベンチが空いていたために二人並んで腰かけた。


「呉宮さん、これを」


 俺は呉宮さんにリボンと2本の矢を渡した。2本の矢にはそれぞれ、黒と赤の印が付いている。


「直哉君、これは?」


 呉宮さんは一度、矢へと視線を落とした後で、不思議そうに俺の顔を見つめていた。


「誕生日プレゼント。ホントは髪を留める用のリボンを買ってたんだけど、大空洞での一件で失くしちゃったからさ」


 そう、誕生日に渡すはずだったが、その前にディアナの“天空槍”を受けた時に失くしてしまったのだ。それを思い出して探したが、結局見つからず仕舞いだった。


「そっか、私が使ってるの古くなってきてたもんね……。そうだ、リボン。早速付けてみてもいい?」


 呉宮さんが今も付けているヘアゴムに触れながら、懐かしそうな笑みを浮かべていた。その後でヘアゴムを外すと束ねられていた呉宮さんの髪がファサッと腰元まで垂れた。その時の風が良い香りを鼻まで運んできた。


 俺は呉宮さんが準備を終えるまで、呉宮さんを見ないように目を閉じた。折角だから、結び終えた姿を見てドキッとしたい。


「直哉君、どうかな……?似合ってる?」


 俺は呉宮さんにポンポンと優しく肩を叩かれてから、ゆっくりと目を開けて秒で鼻から赤い液体が漏れてしまった。


「うん、もの凄く似合ってるよ」


「直哉君、鼻血が……!」


 俺は呉宮さんに上を向いて、鼻の付け根を押さえておくように言われた。呉宮さんが言うには、それを5~10分すれば鼻血は止まるとのことだった。


「鼻血が出た時って、仰向けになったりした方が良いって聞くけどベンチで寝ちゃダメかな?」


「あ、別に仰向けになる必要はないんだよ?鼻の付け根を押さえるのが最優先なんだから」


 俺の純粋な疑問に呉宮さんは優しく微笑んで答えてくれた。それにしても、鼻血の時に寝ころばなくて良いなんていうのは初耳だ。


 その後は、「鼻にティッシュとかをつめると静脈が傷つくからダメだ」とか、「出てきた血を拭くといい」など色々と教えてくれた。


「呉宮さん、妙に鼻血とか詳しいけど、医学とかに興味があったりするの?」


「ううん、たまたま調べたことがあっただけだよ。それに、将来の夢とか考えたことなかったよ」


 呉宮さんはそう言いながら、視線を星の輝く夜空へと移した。俺もそれにつられて、鼻を押さえながら空を見上げた。この世界で見る夜空はいつも星が輝いていて美しい。


 ――今日は星がキレイだ。でもまあ、君の美しさほどじゃないが。


 そういう感想をカッコつけて言いたいところだが、取りやめた。雰囲気ぶち壊しだ。


 それに、今は二人で星空を眺められているだけで幸せな気分になる。


「にしても、呉宮さんが将来の夢を考えたことなかったのは意外だなぁ……」


 そう、優等生である呉宮さんならサッサと将来の夢を決めて頑張ってるものだと勝手に思っていた。というか、将来の夢とかを聞いたのは今が初めてかもしれない。


「フフッ、意外でしょ?私も何かになろうとしたけど、なりたいモノが見つからないんだよね……」


 呉宮さんは自嘲気味に笑っているが、俺も将来の夢など無い。同じ『将来の夢が無い』でも、俺と呉宮さんは違う。呉宮さんは見つけようとして見つからなかった。俺はそもそも見つけようとすらしてなかった。


 『将来の夢なんて、明日にも死んでるかもしれないのに何を悠長に夢なんか語ってるんだ』って、ずっとそんなことを思って生きてきた。


 俺はみんなと何でもないことで笑いあえて、毎日が楽しければそれで良かった。だから、今日を楽しく過ごすことだけを考えていた。


 夢と言っても良いのか分からないが、願いなら一つある。


 ――『ずっと子供のままが良い。大人になんてなりたくもない』


 学生時代のようにラノベを読んで、アニメを見て、ゲームをして、友達と遊んで……それで一日が終わる。


 でも、大人になれば働かないといけない。やりたくも無い事をやって疲れてしまう。そんな日々の中で心が死んでいって、本当に死ぬ。


 俺はそれだけは嫌だった。ずっと、子供のままで居たい。これは俺の本心からの願いなのだ。


「ねぇ、直哉君の夢は?」


 独りの思考の世界の外から呉宮さんが話しかけてきてくれる。俺の夢。それなら、今決めた。


「なんだかんだ言って、俺を愛してくれる人を泣かせないことかもしれない」


 今回の事で身に染みて分かった。俺が居なくなって、本気で心配する人が想像以上に多い事を。そんな人を泣かせないこと、それが俺の夢……なんだと思う。


 というか、将来の夢と聞けば、職業を答えるモノ。でも、俺は働きたくないから職業名は出さない。絶対にだ!


「それって……」


 呉宮さんが言葉に詰まっている様子だった。俺が言った『愛してくれる人』の中には、もちろん呉宮さんも入っている。


「これ以上、呉宮さんやみんなを泣かせたりしたくないんだ」


 俺は大空洞の一件で呉宮さんをはじめとして、多くの人に悲しみを与えてしまった。これからはそんなマネはしないという自戒を籠めての夢だ。


「うん、その直哉君の夢、絶対に叶えてね」


「叶える。約束するよ」


 俺は呉宮さんと約束した。それに、俺がここに居るのは呉宮さんの力のおかげ。それに、


 ――君が繋ぎとめてくれたこの命を絶対、無駄にはしない。


「直哉君、鼻血は止まった?」


「ああ、止まってる」


 俺は鼻血が出ている感覚が消えたのが分かった。不安そうに鼻血が止まったかを呉宮さんが訪ねてくれたが、問題ナシだ。そのことを伝えると、安心したと言わんばかりの満面の笑みを浮かべた。


「そうだ、直哉君。この矢は?」


「ああ、それはスタンドをレクイエム化させる……」


 俺がそう言って、呉宮さんの方を向くと笑顔だった。でも、目が笑ってなかった。俺は冗談を言うのはやめて、真面目に矢の説明をした。


「それ、鉄製の鏃の矢を買ったんだけど――」


 俺は呉宮さんがアイアンランクに昇格したことをギルドで聞いた後に矢を買ったのだが、その時はムラクモさんに立ち会ってもらって刺さった相手から矢が抜けないようにする『返し』が付いている物にした。


 そして、ここに来る道中でそれぞれの鏃に付加エンチャントを行なった。黒の印が付いている方の矢には親父の魔法破壊魔法、もう一本の赤の印が呉宮さんの吸血魔法。


 黒の印の矢が突き立った相手は矢を抜くまで魔法の発動を封じられ、赤の印の矢が突き立った相手は矢を抜くまで血を吸い取られ続けるというものだ。


「直哉君、こんな矢を貰っても……」


「あくまで奥の手として取っておいて欲しい。今回のクロヴィスとの戦いの時のように、俺が毎度毎度駆けつけられるとは限らないから」


 呉宮さんは俺の話で渋々受け取ってくれたが、やはり嫌そうではあった。呉宮さんは優しいと心の底から思う。呉宮さんもここぞという時は覚悟を決めてできるが、そこまで心を決めるのに時間がかかるのを俺は知っている。だからこそ、その優しさで呉宮さんが身に迫る危険を回避できなかったらと思うと俺は怖い。


 使わなくて済むのなら、俺は両手を挙げて万歳する。ただ、もし使うような場合になればためらわずに使って欲しい。そう、願うばかりだ。


「さ、呉宮さん。そろそろ、酒場に戻ろうか」


「うん、戻ろっか」


 俺と呉宮さんは酒場まで他愛もない話をしながら、ゆっくり歩いた。酒場に到着すると、ウィルフレッドさんにロベルトさん、ギンワンさんは酔いつぶれて眠っていた。


「あ、兄さん。おかえり~」


「おう、戻ったぞ」


 酒場に入ると、紗希が笑顔で手招きをしていた。近づいていくと、座るように促されたので、呉宮さんと席に着いた。紗希と同じ席にはディーンとエレナちゃん、セーラさんが居た。


「ねぇねぇ、兄さん。どうして戻って来たの?」


「どうしてって言われても、プレゼントなら渡したし……」


 俺の言葉に紗希はため息を返してきたのだが、ため息をつかれる理由が全く思い浮かばない。


「そうじゃなくて、そこは二人でベッドの上で愛し合って――」


「ちょっと、待て!何がどうすればそうなる!紗希、何か様子がおかしいぞ」


 よく見てみれば紗希が少し赤くなっている。そして、近くに置かれたカップの中に入っている液体。セーラさんに聞いてみれば、ブランデーとの事だった。


 このスカートリア王国では15歳で成人を迎え、同時に飲酒も解放されるのだ。紗希は現在15歳だから飲めてしまうのだ。つまり、だ。


「紗希、酔っ払ってるのか……!」


「直哉。ごめんなさいね……」


 どうも、冗談半分でセーラさんが飲んでみるように勧めたのだという。そして、飲んで一口でこの状態なのだという。


 酒に酔っているのなら、先ほどの言動も頷けるというモノだ。


「ねぇ、兄さん。今日はボクと一緒のベッドで寝てくれない?」


「それは無理だな。同じ部屋なら、問題ないが」


 同じ部屋と言ったところで呉宮さんに視線を向けて、確認してみた。すると、笑顔と共に手でOKのマークを作ってくれた。可愛すぎてもう一度鼻血が出そうになってしまう。


「ええ~、ヤダヤダ!一緒に寝るぅ~」


 今度の紗希は目に涙をためながら、駄々をこね始めた。ここまで行くと、紗希の『兄想いのクールなキャラ』が壊れてしまっている。これ以上、この場に紗希を居させるのは酔いが醒めた時に紗希が恥ずかしくて死にたくなるパターンだ……!


 俺はこの場で紗希に生き恥をさらさせないため、紗希を連れて帰ろうと席を立った。お勘定をどうしようかと思っていたら、セーラさんが払うと言い始めた。


「払わせてください!」


「大丈夫ですよ。俺たちも飲み食いしたんで、紗希の分もまとめて払いますから……」


 このやり取りを何往復もして、セーラさんが払うことに落ち着いてしまった。紗希がこんな状態にしてしまったのは、自分がブランデーを紗希に勧めたから。だから、そのお詫びに、とのことだった。


 俺はセーラさんの好意に甘えて、紗希の肩を担いで酒場を後にした。だが、酒場に出てからあることに気が付いた。


「あ、紗希たちが泊ってる宿屋がどこか聞くの忘れてた……」


 紗希たちはすでに宿を取っていて、荷物もそこにあると確かに言っていたが、その宿屋の場所がそもそも分からないという大問題。


「直哉君、待って!」


 俺が立ち止まってどうしようかと思い悩んでいると、後ろから呉宮さんが走って来た。


「呉宮さん、どうかしたの?」


「直哉君、私たちが泊ってる宿屋の場所知らないんじゃないかと思って……」


 俺は呉宮さんに紗希の泊まっている宿屋までの道案内を頼んで無事に宿屋の部屋へと帰り着いた。


「よいしょっと」


 俺が紗希をベッドに寝かせる。紗希はスースーと寝息をたてながら、よく眠っていた。


「紗希ちゃん、よく眠ってるね」


「ああ、そうだな。それと酒に酔いやすいみたいだから、今後、酒は飲ませないように気を付けよう」


「そ、そうだね」


 俺も呉宮さんもベッドに腰かけて話ながら、笑みが自然とこぼれた。紗希は宿屋の2階で、茉由ちゃんと相部屋とのことだった。そして、俺と呉宮さんが並んで腰かけてるのは茉由ちゃんのベッドだ。


「勝手にベッドに座ったりして、茉由ちゃんに怒られたりしない?」


「ううん、怒らないと思うよ。後から座った事だけ伝えれば大丈夫。まあ、黙ってたら怒ると思うけど……私がね」


 そんなことを話した後、楽し気に呉宮さんは茉由ちゃんの話をしていた。茉由ちゃんの性格に始まり、食べ物の好き嫌い、昔したケンカの事。何だか、呉宮さんと想いでの共有しているみたいで聞いていて楽しかった。


「何か、ごめんね。私ばかり話しちゃって……」


「全然、気にしなくていいよ。それに楽しそうに話してるから、こっちも聞いてて楽しいし」


 さすがに愚痴を延々と聞かされれば、退屈くらいはするだろうが、昔の思い出話だ。不快に思うことなど何一つないし、俺も聞きたい。


「直哉君」


「呉宮さん?どうかしたの――」


 俺が隣の呉宮さんの方を振り向くと、口に柔らかな唇の感触が伝わってくる。


「大好きだよ」


 呉宮さんから『大好き』と言われ、中々に恥ずかしかったが、それ以上に嬉しいという気持ちの方が大きかった。


「俺も呉宮さんのこと、大好きだよ」


「直哉君――」


 ――このあと滅茶苦茶、吸血された。

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