第105話 神殺しの剣

「……ここは?」


 何も見えない闇の底で一人の男が目を覚ました。男の名は薪苗直哉。


「そうか、俺は……」


 直哉は自分の末路を脳内で描いた。ディアナから投擲された槍が自分の体を貫いた後、“天空槍”の風の奔流に呑まれ、大空洞の外へと放り出されたことを。


 大空洞を突き抜け、最後に見たのは意識を失ったままの妹と幼なじみであり、恋人。落下していく際に見えたのは急速に遠のいていく大空洞と宙を舞って落ちてくる2本の腕と2本の足。肉片らしきものや血液なども降り注いでくるのが分かった。それらすべては、一番見慣れたであることは、すぐさま理解できた。


 その時の直哉は体を部位ごとに解体された状態であり、体は風の奔流でミキサーにかけられたような有様で降って来る肉片の中には心臓などの臓器も混じっていた。


 そして、落下する際に風が耳元をもの凄い音を立てて通り過ぎていくのを感じながら、勢いそのままに崖底に叩きつけられた衝撃で直哉は意識を暗転させた。


 ――それからどれくらいか時間が経って直哉が目を覚ました。これが“今”である。


 直哉は手足を動かしてみたが、どこにも異常は見られない。いつものように動く。


「あれ、手も足もある……。俺は確かにバラバラになったはず――」


 直哉は目を見開いて体を順番に触ってみる。触られている感覚があり、手の温もりも感じる。そして、腹の傷ですら何事もなかったかのように塞がっている。それがどうしてなのかは良く分からないが、生きていることだけは分かる。直哉はそんな状況にひとまず安堵の息を吐いた。


「……どうやって戻るかが一番の問題だな」


 なぜ、自分が助かったのか。別に転生したわけでも何でもない。だが、直哉なりに一つの可能性に至っていた。


 バラバラに解体された肉体を治癒させるような回復薬など存在しない。出来るとすれば、吸血鬼といった悪魔が持つ治癒能力。


 聖美が吸血鬼の力が使えるようになったのは吸血鬼の血液を輸血されたからである。


 思い返してみれば、直哉を貫いた槍には確かに血がべっとりと付いていた。ならば、その血は誰のものか。大空洞へ踏み込んだ時の状況を思い返せば、聖美の血である確率は極めて高い。


 もし、その血が“天空槍”でバラバラにされる前に直哉の血と混じっていたとすればどうだろうか。


「俺も吸血鬼の力が使えた……?」


 直哉は自らの手へと視線と言葉を落とした。この仮説が正しくないとするならば、なぜ助かったのかは不明だ。だが、このように考えればストンと腑に落ちるものがあった。何にせよ、直哉が助かったのは事実である。そして、奇跡でもあるわけだ。


 直哉はそのことを胸に立ち上がり、一歩、また一歩と歩き始めた。


「紗希や呉宮さん、みんなのところに俺は帰るんだ……!」


 すべては在りし日の日常に帰るため。直哉は自らを叱咤して前進を続けていると、目の前に一つの祠があった。山頂にあった『聖なる祠』という感じではなく、かまくらを土で作ったというのがしっくりくる感じである。そして、壁面に見たこともない紋様が無数に刻まれている。


 一体、何の祠なのか。こんな谷底に誰が何のために作ったのか。何もかもが分からないまま中に入るのは、さすがに直哉も気が引けた。だが、今は何でも手がかりが欲しいところであるため、一縷の望みを繋ぐために中に入る決断を下したのだった。


 祠の内部の空気はどこか神聖さを感じさせるものがあった。そして、祠の内部にも外壁同様、何やら訳が分からない数多くの紋様が描かれていた。そして、その一番奥の祭壇に一振りの剣が突き立っていた。


 ――アンタ、誰や?


 突如、祠中に静かに声が響く声色からして若い女性である。直哉は怪しく思いながらも、問いに答えることを決めた。


「俺は薪苗直哉、どこにでもいる死にぞこないだ」


 ――プッ!


 直哉の答えに声の主は笑いを堪えきれなかったらしく、小さく笑い声をもらした。


 ――『どこにでもいる死にぞこないだ』……なんて言葉、生きてて初めて聞いたわ!お前おもろいな!


 笑いが未だに収まっていないのは声を聞いていれば分かる。それに声の主が意外なことに関西弁であった。そして、声の主の笑い声に直哉も釣られて表情が緩まった。


「俺はこの谷底から山頂まで戻りたいんだが、何か抜け道とかは知らないか?」


 神聖で重苦しい空気が軽くなったところで、長居したくない直哉は手短に本題に入った。


 ――さあ?そんなもん、むしろウチが知りたいくらいや。


 どうやら、声の主も知らないらしい。そのために直哉はクルリと180度向きを変えて祠を出ようとしたのだが、声の主が慌てたように呼び止めた。


「俺の用は済んだし、帰らせてほしいんだが……」


 ――自分の用件が済んだら帰るって、アンタ、ホンマに自分勝手なヤツやな!


「俺は早くみんなのところに帰りたいんだ。時間が惜しい」


 ――じゃあ、ウチをここから連れだしてくれるならアンタの力になったるよ。まあ、帰り道のこと以外でならな!


 直哉と声の主のやり取りは状況に反して、実に明るいモノだった。だが、直哉は声の主に対しての不信感が募りに募っていた。


 ①道のことを聞きたいが、声の主は道が分からない。


 ②なんか、連れだしたら面倒ごとに巻き込まれそう。


 ③封印を解いたら豹変して体を乗って来るパターンかもしれない。


 何にせよ、ロクでもない結果になるのは直哉としても望むところではない。声の主はそんな直哉の心の声を察してのことなのか、自分がここにいる理由を話し始めた。


 ――話は今から90年前。


 来訪者であるゲイムという人物はスカートリア王国の近郊に地下迷宮を創り上げた。そこに同じく来訪者であったシュミートという人物が作った神殺しの剣を最奥の間に納めることになったのだという。


 直哉の目の前の祭壇に突き立っている剣こそが滅神剣イシュトイアであり、声の主であると。直哉は人格剣インテリジェンスソードのようなモノを即座に思い浮かべた。


 そのゲイムの記した書物には滅神剣はオリハルコンで造られた剣であり、世界最高の剣であると。


 その後、世界中の国々が滅神剣イシュトイアを手に入れようと迷宮攻略へと乗り出した。それによって、滅神剣イシュトイアが世界に解き放たれ、戦争の火蓋になることを危ぶんだゲイムの孫が、現在の祠まで運んできて再度封印を施した。それが50年前の話なのだという。そして、ゲイムの孫もすでにこの世の人ではないことも語られた。


「それを聞いたら、なおさら封印を解くわけにはいかないな」


 ――ふ~ん。じゃあ、アンタの人生はここまでって事やな。


 直哉がイシュトイアに言葉の意味を聞こうと声を出した瞬間、祠を凄まじい衝撃波が襲った。その衝撃で祠の外壁にヒビが入るような音が聞こえた。


「一体、外で何が……!」


 ――これは、魔人のオーラやな。しかも、相当強いヤツやで。


 イシュトイアの言葉で直哉の脳裏に真っ先に蘇ったのは、ディアナの姿だった。


(まさか俺を追ってここまで来たのか?だとしたら、相当用心深い性格だな)


 直哉は今までのディアナの行動からして、ここに来たのはディアナではないと推測した。ディアナの自分からは動かない性格であれば、部下を先に送り込んでくるはずだからだ。よしんば来るとしても、であろうとも推測できた。


 ――アンタ、武器持ってへんのやろ?だったら、ウチを……


 イシュトイアが最後まで言わない内に、彼女は祭壇から引き抜かれた。


 ――アンタ、そこまでの力をどこに……!


 イシュトイアが驚いたのは封印が一瞬で解除されたということだ。封印は3重もの魔法陣が組まれていた。それをこうまで迅速に解除されるとは夢にも思わなかったのだ。


 直哉が封印をどのようにして壊したのか、それは簡単だ。魔法破壊の魔法を封印の魔法陣にそれぞれ一つずつ付加エンチャントしたのだ。これによって、瞬時に封印が解除されたというわけである。


 何はともあれ、直哉は即座に武器が必要だと判断して滅神剣イシュトイアの封印を外すことを迅速に決断したのにはイシュトイア自身、舌を巻いた。


「悪いが状況が変わった。力を貸して貰うぞ、イシュトイア」


 ――はあ、分かった分かった。封印も解いてもらった恩だけでも返したるわ


 直哉の頼みに嫌そうな口ぶりながらも、嬉しそうな声色のイシュトイアであった。


「貴様、あの時はよくもオレを崖から落としてくれたな……!今から、その借りを返してやる」


 祠の入口に立っていたのは大槌を肩に担いだ男。直哉が崖から落下させたことで死んだと思われていた、あのサイモンであった。


 直哉は崖から落ちてなお、闘志をみなぎらせているサイモンに驚いたものの、すぐさま思考を切り替えて目の前の戦士へと相対した。


 サイモンはすでにリーフグリーンのオーラを鎧のように身に纏い、戦闘態勢であった。直哉もイシュトイアを構えて、サイモンの攻撃に備えた。


「フッ!」


 サイモンから大槌での左薙ぎ払いが風切り音を響かせながら飛んでくるのを、真正面からイシュトイアで受け止めた――かに見せて、衝撃を受け流して防ぎ切った。


 その後もサイモンからの大槌での連撃は祠の床を、壁を破壊していく。直哉は受け流したりかわしたりして、攻撃をやり過ごしていた。


 だが、直哉は無傷でかわし続けていたわけではない。サイモンによって打ち砕かれた床や壁の破片が体のあちこちに突き刺さっていた。


 ――大丈夫なんか?


 イシュトイアからの心配の声に直哉は目を優しく細めた。サイモンの風の身体強化時のパワーには筋力に自信のある洋介でも吹き飛ばされるほどだ。直哉からすれば怖くて近づかれるだけで悲鳴を上げたくなるほどだ。


「大丈夫。こんなところで止まってる場合じゃないからな」


 それでも止まるわけにはいかない、直哉の中には紗希や聖美と言ったみんなの顔が次々に浮かんできていた。直哉の心に『生きて帰って、みんなとまた会いたい』という希望の炎が燃え盛っていた。その炎は竜の炎となった。


 そのメラメラと燃え盛る活力はサイモンにも十二分に伝わっていた。


 ――決着を付けよう


 直哉はイシュトイアに光と砂と炎を混ぜ合わせたものを纏わせた。サイモンは体の周囲に風を纏わせ、大槌に覚悟と残るすべての力を籠めた。


 両者の間に張りつめた空気が貯蓄されていたが、それが祠の天井から一つの石が落ちたことで決壊した。


「ハァァァァァァッッ!!」


「“聖砂爆炎斬”ッッ!」


 両者の残されたすべての力がぶつかり合った。やがて“聖砂爆炎斬”がサイモンの大槌を破壊してサイモンの肉体を呑み込んでいった。周囲を爆風と霧散した魔力が吹き荒れる。


 ――これは、倒せたんとちゃう……か?


「だと良いんだが……」


 イシュトイアの声は心配が混じったような感じであり、直哉もそれは同じだった。そして、“聖砂爆炎斬”の炎の中から姿を現したのは皮膚まで焼け焦げたサイモンだった。


 目からは闘志が失われた様子は無く、直哉の前までゆっくりと一歩一歩を踏みしめるようにやって来た。


 だが、あと一歩。あと一歩で振りかぶった拳を直哉に見舞うことが出来るという距離で、地面へうつ伏せに倒れこんだ。


 直哉はサイモンが命尽きていることを確認して、祠の横に亡骸を埋葬した。


 ――お前、意外と優しいヤツやな


「そうか?まあ、敵にこんなことをするのは優しいのかもしれないけど、俺が2回殺したようなモノだからな」


 一度目は崖から谷底へ落とした時、二度目は今。ある意味で直哉なりの罪の清算ともいえる。


 魔王軍は大勢の人間を殺しているが、だから魔王軍すべてが憎いわけでは無いのだ。直哉は穏やかな心持でサイモンを見送ったのだった。

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