第104話 勇者はここに眠る

「……何を手こずっているの?」


 ドローレムの場所に立っているのは、ディアナだった。槍を提げて、ドローレムの残骸を踏みつけ、聖美たちを見下ろしていた。


 自分よりも遥かに強い魔人のアーシャでも手こずるドローレムを一撃。以前にも八眷属の力のほどは目の当たりにしたことがあった聖美ですら、表情を驚愕に染めていた。聖美の手は、体はガクガクと恐怖に震えていた。


 そんな中、ディアナがドローレムを倒したことにより大空洞の最奥にあった扉が重い音を響かせながら、ゆっくりと口を開けた。ディアナとアーシャがスタスタと奥へと進んで行くのに追いかけるように聖美は扉へと駆けた。


 しかし、聖美が扉を通り過ぎた直後、腹部から槍の穂先が。状況の理解が追い付かず、背後へと目を動かす。すると、ディアナが顔を伏せて槍を持っている右手を前へと突き出している姿がそこにあった。


 聖美の体を突き抜けた槍から竜巻が生じ、聖美の体を肉の内側からえぐっていった。


「あがぁあ!!」


 聖美はその激痛に耐え切れず、床に崩れ落ちた。扉の内側から見ているアーシャの瞳は「さすがにやり過ぎなのでは」といった風であり、目も向けられずに視線を逸らした。


 床に崩れ落ちた聖美の頭の中では前に居たはずのディアナがいつ後ろに回ったのかが皆目見当もつかないでいた。


 ――いつの間に後ろに回ったの?


 そんな言葉が聖美の脳内を駆け回る。そして――


「――直哉君」


 今この場には居ない自らが愛してやまない、自分を助けるために危険を顧みずに異世界までやって来た愛しい男の名を呼んだ。そんな聖美の目からいくつもの雫が重なって零れ落ちていく。


「呉宮さん!紗希!」


 ――そんなところに彼は来た。


 直哉は紗希と聖美が道中に倒したハーピィの死体を手掛かりに大空洞までやって来たのだ。そして、直哉は血を流して倒れている聖美を見て、表情を絶望の色に染めて唇を噛んだ。


「兄……さん……!」


「紗希!?」


 直哉は入り口から離れた場所で壁に寄りかかって座っている紗希を見つけた。


「先輩!お姉ちゃんは……!」


 少し間が空いて、やって来た茉由も目の前に広がる光景に絶句した。


「茉由ちゃん、紗希を頼む!アカネさんとビャクヤさんも!」


 直哉は茉由の後ろに居たビャクヤとアカネの2人にも紗希を頼むように言い残し、剣を片手に聖美の方へと一心不乱に駆けていく。


「ディアナ様。大空の宝玉は無事に手に入れたわ」


「……分かった。それじゃあ、あなたは先に魔王城に帰還して。私はあの男を黙らせてから帰還する」


 直哉が向かってくる中、ディアナはアーシャに大空の宝玉を持って、魔王城へ帰還するよう命じた。ディアナは鋭い殺気を直哉にだけ注いだ。直哉はディアナからの殺気を感じ、唐突に走る方角を変えた。


「届けぇ!」


 宙を舞うアーシャの元へ、直哉は跳んだ。それほどの脚力がどこにあったのか。それは走りながら竜の力を解放していたからに過ぎない。


 アーシャに迫る直哉。アーシャもしまったと言わんばかりに表情を変えた。しかし、直哉は風を纏う槍によって地へと叩き落とされた。


「早く行きなさい」


 アーシャに迫る直哉を撃墜したのは、ディアナだった。そして、ディアナの言葉に反射的に入口へと飛んでいくアーシャ。それを氷の刃や光の矢、炎の虎の爪が追撃するも、いずれも撃墜させるには至らなかった。


 大空洞を抜けていったアーシャを茉由とビャクヤが追撃するべく走り去っていった。


 撃墜された際に生じた砂煙の中から姿を現したのは直哉だった。直哉は血走った目でディアナを睨んでいた。だが、ディアナからの直哉を見る目というのは実に冷たいモノだった。


「何をそんなに汚らわしい目で私を見ているの?」


 ディアナは槍を小脇に抱えながら、爪をいじって遊んでいた。


「呉宮さんを傷つけたのは――」


「ええ、そこの女の腹を貫いたのは私の槍だけど」


 直哉は聖美の腹部に出来た風穴を見た後でディアナに質問をした。だが、声が震えている。それは怒りなのか、恐怖なのか。あるいはどちらもなのか。それは分からない。


 ディアナの持つ槍の穂先には聖美のモノであろう血がべっとりと付着していた。それを見せつけるように直哉の前に突き付けた。


「どうするの?私と戦って死にたいか、今すぐそこの醜女しこめたちを連れて私の視界から失せるのか選んでくれるかしら?」


 聖美を串刺しにしてなお、ディアナが余裕ぶった態度を取るのは直哉の心の中を怒りと復讐心が支配するのにそう時間はかからなかった。


 聖美の傷は吸血鬼の再生能力で半分くらいはすでに塞がっているのだが、今の直哉は視野が狭まっているために、そのことに気づいてすらいなかった。


 直哉はディアナに肉薄し、左からの斬り上げを見舞う。だが、冷静さを欠いた直哉の剣筋ではディアナ相手には通用するはずがなかった。


 ディアナは子供の遊びに付き合う大人のように直哉の剣を捌いていた。それを傍から見ていたアカネは止めようと直哉に何度も声をかけたが、直哉には届いていなかった。


 直哉に声を届け、正気に戻せるであろう紗希と聖美は二人ともピクリとも動かずといった状況だった。


「このままじゃマズいわ……!」


 アカネが一人、この状況に焦りを覚えているとも知らずに直哉は怒りと殺気をまき散らしながらディアナに斬撃を浴びせ続けていた。


 それが5分ほどした頃。ディアナもさすがに飽きたのか、直哉をサーベルごと槍で薙ぎ払った。


 直哉は余りに強力な薙ぎ払いを受けて、地面の上を転がった。そして、体を起き上がらせたことが致命的であった。


「“天空槍”」


 ディアナから放たれた風は血塗られた槍と共に直哉を貫き、風の奔流を生み出した。その息吹の威力は大空洞の壁をぶち抜いた。あの巨体のドローレムが暴れまわっても、破壊することは出来ないほどの強度の壁を魔法一つで崩壊させる攻撃の威力。もはや攻撃の威力の次元が違う。


 その暴風の余波を受けて紗希が意識を取り戻した。聖美も吸血鬼の力で体を動かせるほどには回復し、やっとの思いで起き上がったところであった。


 大空洞に開けられた大穴。そこに残されていたのは、直哉の装備していた鎖鎧チェインメイルの破片とサーベルの柄だけであった。そして、装備の破片が飛び散っていたことや、まき散らされた赤い雫。特に赤い雫は大穴の周囲にある土を彩るようだった。


「兄……さん?」


「な、直哉……君……!」


 紗希も聖美もただ目の前に広がる状況を飲み込めないでいた。それは、理解することを彼女たち自身の脳が拒んでいるというのが正しいか。


 アカネに至っては今日だけで二人も身近な人間が命を落としたという事実に膝を落として何も言葉を発することが出来ないでいた。


「私は任務も果たしたし、これで失礼するよ」


 ディアナは愕然とする彼女たちを憐れむように流し見た後、大空洞の方へと歩いて行く。


「これが私たち魔王軍に盾突いた者の末路よ。こうなりたくなければ、金輪際私たちの邪魔はしないで」


 ディアナはそんな言葉を置き土産に、口を開けた大穴から魔王城へと飛び去っていった。


「兄さんが死んだなんて、そんなの嘘だよ……どうせまた、ひょっこりと顔を出すに決まってるよ……」


 そういう紗希の声は震えていた。そんな紗希の目から大粒の涙が止まることなく溢れていく。


 ――どうせ、何でも無かったかのようにひょっこりと顔を出すに決まっている。


 そんなことをその場にいる全員が思っていた。しかし、10分待てど、30分待てど姿を現すことはなかった。


「何かの悪ふざけならやめてよ」と大空洞の中で紗希と聖美の声がこだまする。しかし、帰って来るのは皆無である。人の気配もしなければ、音も自分たちが動いた時に生じる物音だけ。


「イヤだよ、直哉君……こんな所でお別れなんてヤダよ……」


 聖美の体の傷は治癒能力を持って完全回復していた。しかし、直哉を失ったという悲しみだけは癒えることはなかった。紗希に至っては体も心もズタズタである。アカネはそんな二人を見て、かけられる言葉など一つも無かった。


 大穴が空けられた大空洞には静寂が訪れていた。耳を澄ませば、3人分の呼吸音やすすり泣く声が2つ聞こえるくらいである。


 大穴からは虚しい風が大空洞の中へと吹き込んでくる。それは余計に虚しさを掻き立てた。


 アーシャを取り逃がした茉由とビャクヤは戻ってきた時に見た光景は、心の支えを失ったことで呆然としている聖美と紗希、そんな彼女たちを見て涙を流すアカネだった。


 茉由とビャクヤは比較的意識があるアカネから何があったのかを聞いて、現状を把握した。そのうえで、二人を連れてここから離れる決断を下した。


 アカネが紗希の肩を担ぎ、茉由が姉である聖美の肩を担いだ。ビャクヤは大斧を構えて敵の襲来に備えるという形で大空洞から撤退した。


 5人が大空洞を抜けて、山頂へと戻ると陽がすでに傾こうとしていた。外ではギンワンと寛之、ムラクモ、ミズハの4人を介抱する洋介と夏海、ヒサメの姿があった。そして、シデンの亡骸には上から白い布が被せられていた。


「下で一体何があったんだよ……?」


 洋介が心配そうな声で地上に戻ってきた5人に声をかけた。それもそのはず、紗希と聖美の目は焦点が定まっていないのだから。そんな目を見れば、ただ事ではないことくらいは分かる。問題は何でそんなことになったのか、である。


 現場を直接見たアカネの口から告げられたのは直哉の死。目の前でディアナの攻撃を受けて、跡形もなく消し飛ばされたということが3人に告げられた。


 洋介も夏海も直哉の死を受け入れることが出来ないでいた。ヒサメは話を聞いて俯いたままであった。


「アカネ、私とテクシスの町まで戻るわよ」


「ヒサメ!?アンタ、何を言って……!」


 ヒサメは冷たい声で帰還することを告げた。それに対して、アカネがみんなを置いていくのかと詰め寄る。


「アカネ、勘違いしないで。これだけの死傷者を運ぶのよ。どう考えても、人手が足らないわ」


「あっ……!」


 ヒサメが冷酷になったようにアカネの目には映った。だが、ヒサメは動けるメンバーの中で足の速い自分たち二人が急いで町まで戻って、応援を連れてくると言いたかっただけなのだとアカネは理解した。


「ビャクヤ、みんなを任せたわよ」


「おう、分かったぜ。サッサと戻って来いよ」


 ヒサメとビャクヤは一言ずつ交わして別れた。ヒサメとアカネが町に戻り、冒険者たち10人を連れて頂上まで戻って来たのは陽も暮れて夜になった頃であった。


 夜の山登りは大概危険なモノだが、事態が事態であるために全員が緊急で馳せてきたのだ。


 その後は一度、祠の内部で焚火をして夜を明かした。山頂では敵が戻ってきた時に上空から狙われてしまうからだ。眠るのは祠内部の地下で行い、見張りは祠の外というような配置で一晩を越した。また、見張りは2時間おきの4交代で行なった。


 朝、陽が登り始めたのと同時刻に死傷者を担いで下山を行なった。テクシスの町に戻った際、マリエルにも直哉の死が伝えられた。マリエルも直哉の突然の死に悲しんだ。町に戻ってからは寛之とギンワンのケガの治療が行われ、あっという間に二人は回復した。


 そして、直哉の死を悲しむ中で、シデンの葬式が執り行われた。


 シデンの葬式には町中の人々が参列し、街中が悲しみに暮れた。それと同時に魔王軍への憎しみが町に芽生え始めていた。


 シデンの葬式から3日後。あの日、山を登った聖美や紗希、茉由、寛之、洋介、夏海の来訪者6人とギンワン、ヒサメ、ムラクモ、ビャクヤ、ミズハ、アカネら6人にマリエルを合わせた13人で直哉が死んだ場所である大空洞の大穴の前へとやって来た。


 聖美と紗希はそこに落ちていた直哉の遺物である鎖鎧チェインメイルの破片やサーベルの柄を回収し、土の中へと埋めて簡易な墓標を築いた。


 遺品が埋められた土の膨らみに立てられた石碑にはこう刻まれていた。


 “魔王軍と戦いし勇者・薪苗直哉ここに眠る”――と。

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