第102話 風を司る眷属

 その部屋は中央に円卓が置かれ、その下には人間の血と同じ色をした絨毯が敷かれている。壁と床は鼠色の石で造り上げられており、壁には等間隔で松明が掲げられている。


「やあ、みんな揃ったかな」


 卓上に肘を置き、手を組む男。その男は黒いローブに身を包み、黒髪に毛先だけが紫という器用な髪色をしている。その男こそ、魔王軍総司令ユメシュである。


 その男の左隣には静かに笑みを浮かべながらレティーシャが腰かけている。腰元まで伸びるしなやかな乳白色の髪と髪と同じ色の一対の翼を持つ様は天使かと思うほどに美しい。


 そして、ユメシュの右隣にはゲオルグが腰かけている。いつも通りの真紅髪にタンクトップ姿である。相変わらず、机の上で足を組むという偉そうな態度に変わりはない。


 部屋では、その3人の間で会議が始められた。


「まず、君たちも知っての通りだが、ヴィゴールが深手を負わされた。深手を負わせたのは20年前の魔王グラノリエルスを討伐したジェラルドという男だ」


 ユメシュが淡々と言葉を紡ぎ始めたのをレティーシャとゲオルグは目をつむり、黙って話を最後まで聞いた後で、それぞれが口を開いた。


「ヴィゴールがやられるくらいでありんすし、それは警戒する必要が……」


「――ねぇだろうが!そんなもん、俺がぶっ潰してやる!」


 レティーシャの言葉を遮り、ゲオルグは好戦的な意欲を示した。これにはユメシュもため息をこぼした。


「ヤツは現在、ローカラトの町を去ったことだけは確認済みだ。ただ、どこに行ったのかまでは分からない」


 ユメシュのやれやれと言った様子を見て、ゲオルグは「ちっ!」と舌打ちし、そっぽを向いた。てっきり、ユメシュもレティーシャもゲオルグが癇癪を起こして殴りかかって来ると思っていたために、その態度に一安心といった様子だった。


「そして、ヴィゴールが戦闘不能になったことに伴って、魔王様から援軍として二人の眷属がこの大陸に派遣されてきている」


 ユメシュの言葉にレティーシャもゲオルグも初耳だといった風な表情をしていた。


「なお、ベルナルドは戦績不振によって、その二人と入れ替わりで魔王様のおられる南の大陸へと戻された」


 南の大陸にあるルフストフ教国の侵攻は、ローカラトにヴィゴール率いる軍が押し寄せた1ヶ月半ほど前までは破竹の勢いで進んでいたが、国の中心部にある大教会から首都全体を包むように施された“破邪の結界バリアダデファレッツオン”を破ることが出来ずにいる。


 その間、魔王軍は南の大陸近辺にある島国3つを暇つぶしがてら殲滅し終えていた。ただ、あまりに大陸本土での戦いに進展がないために指揮官を入れ替えることを魔王自身が決定したのだとユメシュは語った。


「それで、誰が来たんだよ」


「確かに、それが一番気になるでありんすねぇ」


 ゲオルグとレティーシャの表情を窺ってから、ユメシュが影騎士シャドウナイトに部屋の扉を開けさせた。重く扉が開く音がした後に入って来たのは大鎌を提げ、立派な髭を蓄えた初老の男と長槍を肩に担いでいる長身の女だ。


「二人とも改めて自己紹介をしてくれるかな?」


 ユメシュが笑顔で言葉を投げかけると、初老の男が一歩前へと進み出た。


「ワシがザウルベック、氷のエレメントを司る者じゃ。よろしく頼むのう」


 ザウルベックと名乗った初老の男はゆっくりと大鎌を杖代わりに歩いて行き、ユメシュの反対側の席に腰かけた。


「私はディアナ。風のエレメントを司る者よ。どうぞ、よろしく」


 ディアナは言葉少なに自己紹介を終えて、レティーシャの左隣の席に着いた。


「さて、5人全員が揃ったところで本題に入るのだが――」


 その後、ユメシュから次々に命令が下された。それは、ディアナは軍を率いて大空の宝玉を入手するためにダグザシル山脈へ向かうこと、ザウルベックも別で兵を率いて竜の国の手前に広がるザルモトル雪原に陣地を構築し、人間と竜の国の行き来を断つようにという内容であった。


 レティーシャはジェラルドの行方を探ること、ゲオルグは魔族領の防衛のために各地に兵を分けるように追加で指示を下された。


 このことにより、再び魔王軍は動き出したのだった。


 ――――――――――


 ――場面は戻って、ダグザシル山脈。


「私は魔王軍総司令であるユメシュの命令でここに来た。今すぐ退いてくれるのなら、貴方たちを殺すのは後にするよ?」


 ディアナの言葉の節々から「あなたたちはいつでも殺せるから邪魔しないで」というようなことが読み取れる。そのため、侮られていることに対して直哉たちは憤りを覚えた。ただ、語尾が疑問形であるため選択肢を与えられているのは扱いとしてはマシだとも思っていた。


 何より大空の宝玉がどれほどの価値あるものかは明確には分からないが、魔王軍に渡すことだけはマズいことだけは直哉たちは理解している。そのことを視線を交わして確認した。ギンワンたちに関してはシデンのことへの怒りの炎が鎮火することは無さそうだった。


「サイモン、全力で人間共を始末。アーシャはハーピィを率いて祠の内部へ」


「「ハッ!」」


 直哉たちの戦う意思のある様子を見て、ディアナは抑揚のない声で殲滅の命令を下した。


「これ以上、ディアナ様の御前でみっともない姿は見せられんな」


 サイモンが目を閉じ、俯いて集中する素振りを見せた。そのタイミングでサイモンの体をリーフグリーンのオーラが包み込んだ。先ほどまでとは感じる気迫がまるで違う。


「薪苗君、あのサイモンって人たちは私と洋介で相手をするわ」


「分かりました!武淵先輩、洋介。後は頼みます!」


 サイモンの前に洋介と夏海がそれぞれ薙刀と長槍を持って立ち塞がる。その間に直哉は残るメンバーで祠の入口まで移動することを全員に伝えた。


「兄さん!アーシャって人がハーピィを引き連れて祠に!」


「紗希、呉宮さんと一緒に追撃を頼む!」


 紗希がアーシャとハーピィの群れを見て大声を上げたことに、直哉は即座に判断を下した。直哉はアーシャの足止めと言わんばかりにアーシャの空を飛ぶ魔法を“魔法破壊魔法”を付加エンチャントすることで破壊した。


 アーシャが魔法を再発動させている間に、紗希は敏捷強化で祠までの距離を詰めていった。


「それじゃあ、直哉君。私も洞窟まで行ってくるね!」


「ああ、紗希のことを頼むよ」


 ――なぜ直哉はアーシャたちを追う役を紗希と聖美に任せたのか。それには理由がある。


 紗希は敏捷強化魔法を使えば、アーシャに追いつくことが可能であること。そして、聖美の場合は陽の光が関係している。聖美は陽の光の当たらない場所であれば、吸血鬼の身体能力や肉体再生能力、吸血魔法が扱える。要するにここに残るよりも日の当たらない祠の中での方が全力で戦えるのである。


 直哉たちが祠の入口に着く頃にはアーシャとハーピィの群れは全て祠の内部、地下へと入った後であった。だが、後続のコカトリスの群れが入ることだけは阻止できた。


 寛之が祠の入口を塞ぐように障壁を展開し、その内側にはシデン、ムラクモ、ミズハの3人が入った。シデンは未だに目を覚ます気配は無く、祠の壁に寄りかからせている。ムラクモは近づいてくるコカトリスを障壁の内側から弓で狙撃し、ミズハは残り少ない投擲用のナイフでコカトリスを次々と仕留めていっていた。


 障壁の外では直哉、茉由、ギンワン、ヒサメ、ビャクヤ、アカネら6人がコカトリス相手に白兵戦を挑んでいた。


 白兵戦を挑んで10分ほど経った頃。二つの人影が吹き飛ばされるのが直哉と茉由の視界に映った。その二つの影は洋介と夏海の二人。二人が吹き飛んでいく様は、実にトラックにでも弾き飛ばされたようなとてつもない速度であった。


 直哉の眼はやっとの思いで立ち上がろうとしている二人に、濃密な殺気を放ちながら駆けていくサイモンの姿を捉えた。


「先輩、行ってあげてください!」


 茉由からの一言に直哉は反射的に二人の元へと疾駆した。


「死ね!」


 二人を死へと叩きつけるために振り下ろされた大槌は一本のサーベルが横から斬撃を加えたことで軌道が逸れた。逸れた大槌は地面を爆砕した。


「洋介、サイモンって人のパワーがさっきとは比べ物にならねぇ……」


 直哉は洋介と夏海の無事を確認しながら、改めてサイモンへとサーベルを構える。洋介と夏海も「ありがとう」と礼を言いながら、直哉の横に並んで武器を構えた。


「直哉、俺もさっき戦った時はあの人にパワーで勝っていたから、今回で確実に倒してやるってつもりだったんだがな」


 洋介が皆まで言わなくても、直哉には分かっていた。ディアナが来る前、サイモンの体がリーフグリーンのオーラに包まれる前は洋介と夏海の二人で充分に相手が務まっていた。


 だが、今の状況は明らかにパワーもスピードも格段と上がっている。このままでは確実に押し切られる。現在、茉由とギンワンたちはコカトリスの相手だけでも手一杯だ。


 そこにこのサイモンという魔人がなだれ込めば全滅は免れない。そうなれば、祠の中にいる紗希や聖美の身も危うくなる。


「薪苗君、ここが踏ん張りどころよね……!」


「ですね」


 夏海からの言葉に直哉は肯定で返した。踏ん張りどころというところは直哉も同意見だ。洋介もそのことは心得ているといった表情をしていた。


「直哉、身体強化魔法を破壊することって出来ないのか?」


「さすがにそれはキツイな……魔力がほとんど残ってない。魔法破壊魔法の付加エンチャントは結構魔力を食うんだよ」


 付加エンチャントは同時に発動すればするほど魔力の消費も大きくなる。また、魔法の種類によっても、それは異なる。火、水、風、土、雷、氷、光、闇の8つの属性であれば魔力の消費を1とすれば、無属性の魔法は魔力の消費量が5くらいになる。


 直哉は先ほどアーシャの足止めとして魔法を一つ破壊している。そして、ここまでの連戦の中で何度も付加術を使用しているために魔力も底を尽きかけている。


「だが、やるしか勝つ手段は無さそうだな」


 直哉は覚悟を決めた。魔力を回復する術は無いが、今は出し惜しみが出来る状況ではない。


「洋介、武淵先輩。20秒……いや、10秒だけで良いから、足止めしてもらっていいか?」


「おう!」


「分かったわ!」


 直哉の言葉に洋介と夏海の勇ましい言葉が投げ返された。直哉はその言葉を聞いて、残りの全魔力をひねり出して付加エンチャントをするべく、すべての意識を付加術の発動に注ぎ込んだ。


 その10秒の間に直哉に迫る大槌は薙刀と長槍の加護によって、守られていた。


「いてつくはどう!」


 10秒の時間が空いて、直哉の声と共に放たれた付加術はサイモンの纏うリーフグリーンのオーラを消し飛ばした。


 サイモンもこれには驚いた様子だったが、そこへ間髪入れずに頭上から地面の方向へと圧力がかかり、その場からサイモンは動けない状態に陥った。


 それを夏海の放った重力魔法であることを理解した瞬間、雷の奔流がサイモンを飲み込んだ。


 洋介と夏海の抜群のコンビネーションに直哉は心の中で賛辞を贈った。夏海と洋介は「上手くいったね」と、ハイタッチをしていた。


 しかし、サイモンは“雷霊砲”を食らって倒れたモノの、再び立ち上がって来た。


「俺は絶対に負けられん……!」


 サイモンの肉体は再び、リーフグリーンのオーラを纏わせていた。それを見て、直哉はサイモンへと直線状に駆けた。


「よせ!直哉!」


「薪苗君、ダメよ!」


 洋介と夏海の制止も聞かず、サイモンへと直進した直哉に執念の大槌が振り下ろされた。


 大槌が地面を砕く轟音を響かせた時、直哉の姿はそこには無かった。直後、サイモンの大槌が叩きつけられた地面にピキリと亀裂が走った。その好悪系に洋介も夏海も目を見開いた。


 直哉はサイモンの攻撃を先読みして、緊急停止からのバックステップを踏むことで大槌での一撃を回避していた。


 地面に亀裂が走ったことで、サイモンがいる場所は崩れ始めた。偶然にもサイモンと戦っていたのは山の頂上の中でも少し飛び出た場所だったのだ。直哉はそれに気づき、サイモンの身体強化が発動した状態の全力攻撃をのだ。


 そのために危険を冒してサイモンに突貫するようなことをしたのだ。勝つのが面倒ならフィールドの外に追い出せばいいという考えの下、直哉はサイモンを底の知れない真っ暗な崖底へと落としたのだった。


「~~~~~ッ!」


 サイモンの声にならない声を響かせながら、崖下へ落下していく。それを誰も救うことなど出来なかった。サイモンの主君であるディアナは負け犬には興味がないといったような素振りで落ちていくサイモンを見送っていた。


 直哉にもサイモンを崖下に落とすのには抵抗感がないわけでは無かった。しかし、この場に居る友人たちの命とサイモンの命を天秤にかければ、前者を取るのは必然であった。


 直哉は戦士サイモンに一礼をした後で、祠の方へと駆けだした。洋介と夏海も直哉に倣い、敬意を表して一礼を贈り、その場を去ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る