第87話 経験の差

 翌朝、俺は体が重いのと同時に温もりを感じた。ゆっくりと目を開けてみると、目の前には寝息を立てて眠る呉宮さんの姿が。


 何度も肩をポンポンと優しめに叩いてみたり、ゆさゆさと揺さぶってみたりするも起きる気配は無かった。


 俺は呉宮さんを起こすのを諦め、静かにベッドを降りた。だが、俺は呉宮さんにそっと手を握られてしまい、ベッドから離れない状態になってしまった。それにしても、朝日で照らされる彼女の寝顔は愛おしく、どこか神聖な感じがあった。


「直哉君、それはまだ早いよ……私たちまだ結婚してないんだから……」


 俺は急に呉宮さんが話し出したから起きたのかと思ったが、そうではなかった。寝言を笑みを浮かべながら話しているだけらしい。というか、早いって何!?一体夢の中の俺は呉宮さんに何をしているのやら……


「兄さん、朝から幸せオーラが凄いね」


「うおっ、ビックリした……。紗希さんや、このわしを驚かせんでくれ……心臓に悪いからのぅ……」


 俺が後半だけふざけて年寄り風に言葉を返すと俺を見る紗希の目がチクリと刺さるので、ふざけるのを止めた。


「で、紗希。こんな朝早くからどうかしたのか?」


「うん、兄さんと今日の準決勝の打ち合わせでもしようかと思って」


 ……やはり紗希は真面目が過ぎる。何事にも準備をして臨む、その真面目さには感服する。


「紗希、今回の試合は俺がマルケルさんの相手をしてもいいか?」


「え、兄さんが戦うの……?」


 紗希は俺の一言に戸惑っていた。それは様子を見ていれば分かる。今回の試合は自分がメインで俺がサポートに回る……みたいな感じだったのだろう。だが、今回は俺も全力で参加させてもらう。


 話し合った結果、俺はマルケルさんの相手をすることを紗希も了承してくれた。だが、紗希の心配は俺の実力だった。剣術も親衛隊と渡り合うには実力不足であるため、近接戦闘ができないことを起点に言われたい放題であった。


「でも、兄さんを信じる。ただし、負けたら修行をもっとハードに――」


「分かったからそれだけは勘弁してくれ!大丈夫だ、兄ちゃんに任せておけ!」


 俺が胸を張って自信ありげに言うと、紗希には呆れたという風に肩をすぼめられた。


 俺と紗希が話し終えた頃、エミリーちゃんがベッドからムクムクと起き上がって来た。それに釣られてオリビアちゃんもあくびをしながら起き上がって来た。


「紗希、二人の着替えとか手伝ってやってくれるか?」


「うん、分かった。エミリーちゃん、オリビアちゃん。あっちで着替えよう」


 紗希が二人の背を押してゆっくりと部屋の隅にある衝立の裏へと入っていったのを確認して俺は呉宮さんの頬をつまんだりして起こそうと努めた。


「ダメだ……全然起きない……!」


 しかし、彼女は全く起きる気配がない。脇をくすぐろうかとか考えたのだが、許可なく脇をくすぐるとか変態行為なのではと思い、あきらめた。


「兄さん、二人の着替えは終わったよ……って、聖美先輩まだ起きてないの?」


「ああ」


 紗希は俺と呉宮さんの顔を交互に見やった後、「眠り姫みたいにキスしたら意外と起きたりして……」とか言い出した。


「紗希、俺に呉宮さんの唇を奪うほどの度胸がある男に見えるのか?」


「そんなキメ顔で開き直られても困るんだけど……」


 俺はボケたつもりだったのだが、全くボケとして認識されなかった。ボケる側として一番悲しいのは、ボケとして認識されなかったということである。


「兄さん、もう何でも良いから聖美先輩を起こさないと……」


「……直哉君、紗希ちゃん。おはよ~」


 紗希がそろそろ起こさないといけないと言って、ピシッと指を立てた辺りで呉宮さんが眠気が残った声と共にゆっくりと起き上がって来た。


「ああ、おはよう呉宮さん」


 俺は寝起きの彼女に「おはよう」と返した後で、9時からの寛之と茉由ちゃんの試合に間に合わなくなるということを説明し、呉宮さんに急いで着替えてもらった。


 その後、俺と紗希とで幼女を一人ずつおんぶして会場まで走った。観客席に付いたのが、試合開始5分前だった。


「直哉、遅かったな」


「バーナードさん、遅れてすみません……」


 俺たちが観客席に到着すると、バーナードさんがいつもウィルフレッドさんが座っている場所にいた。


「バーナードさん、ウィルフレッドさんは……?」


「ウィルのおやじは寝坊だ」


 どうやら寝坊したのはウィルフレッドさんもらしい。ギルドマスターが寝坊しちゃマズいだろ……と、思ったがマスター補佐のバーナードさんが居るので別に良いか。


 俺はバーナードさんと一言二言かわした後で席に着いた。後ろの席からラモーナ姫に引っ切り無しに背中を突っつかれたのは鬱陶しい限りであったが。


 俺は闘技場を見渡してみて感じたことが一つ。闘技場の空気がキャッキャとした異様な感じがあった。その理由はクラレンス殿下だ。あの銀髪の貴公子ぶったところが女性陣に人気らしく、女性ばかりのギャラリーは興奮状態で騒ぎ立てていることが闘技場の空気がキャッキャとした感じになっている根本原因だ。


 ……これだからイケメンというのは嫌いなんだ。


 そんなことを思いながらため息を一つ。会場を見下ろしてみれば、寛之と茉由ちゃんペア、その反対側からはクラレンス殿下とライオネルさんが入場してきた。


 両組、それぞれが向かい合って数秒の間を開けて鐘の音が観客の耳を穿った。


 試合開始と同時に、クラレンス殿下は一歩後ろへ下がり、代わってライオネルさんが前に進み出た。これはクラレンス殿下が二人の相手はライオネルさん一人で十分だと判断した……ということだろうか。見事に舐められてるな。


「てめぇら二人、まとめて叩き潰してやるぜぇ!」


 ライオネルさんは大戦斧片手に走り出した。茉由ちゃんは片手剣ショートソードに冷気を纏わせ、これを迎え撃った。


 激しく火花を散らしながら、大戦斧と冷気を纏う剣は幾度も交わった。しかし、パワーでは互角だが茉由ちゃんがスピードで劣っていることもあってか翻弄されていた。正直、ライオネルさんが見た目に反して動きが早いことに驚いた。


 これには寛之も驚いた様子だったが、茉由ちゃんに迫る大戦斧を障壁を張って防いだ間に茉由ちゃんが反対側から冷気を纏った斬撃を放つものの、すんでのところで受け止められてしまった。


「寛之さん!」


「ああ!」


 茉由ちゃんは自分だけでは攻め切れないと悟り、寛之も前衛へと上がっていった。茉由ちゃんの剣と寛之の杖と拳での攻撃で、手数によって押し切れるかに見えたが、ライオネルさんは最初こそ手間取っていたものの即座に対応して見せていた。


 身体能力ではそこまでの差が開いているようには見えない。しかし、それでも寛之と茉由ちゃんの二人が勝てないのは明らかに戦闘の経験の差だ。


 ライオネルさんの攻撃で、大戦斧がめり込んだタイミングを狙っても、それは想定内のことなのか防がれていた。


「グッ!」


「ウッ……!」


 寛之は鳩尾みぞおちに蹴りを叩き込まれ地面を跳ねながら壁に激突し、茉由ちゃんは大戦斧での薙ぎ払いを剣を縦にして受け止めたものの、その一撃の威力を殺しきれずに壁面にめり込むほどの勢いで叩きつけられたのだ。


 二人とも別方向へ飛ばされ、壁際で体をピクピクと痙攣させてはいるものの、起き上がって来る気配は無かった。


 こうして二対一で、もつれ合った準決勝第一試合は開始が15分が経った頃。体力切れした寛之と茉由ちゃんの二人がそれぞれ強力な一撃を叩き込まれたことであえなく終了したのだった。


 試合後、試合会場に佇むライオネルさんの元へとクラレンス殿下が歩いて行き、肩に手を優しく置いていた。


「ライオネル、戻ろうか」


「ハッ!」


 ライオネルさんは規律正しく礼をしてクラレンス殿下の後について会場を去っていった。


 寛之と茉由ちゃんはラウラさんの治癒魔法をかけられた後、一度洋介と武淵先輩のいる医務室へと運ばれた。二人は今日の決勝には動けるようになる程度の傷だから休んでおくようにと言われていた。


 洋介と武淵先輩の二人は昼からの俺と紗希の準決勝から見れると言っていた。ギルドのみんなは「お大事に」と言って医務室から撤収していった。残っているのは俺と紗希、呉宮さんの3人と医務室のベッドで横になっている4人だけだ。


 茉由ちゃんのところには呉宮さんと紗希が行っており、隣のベッドに居る武淵先輩を組み込んで、明るく女子トークを繰り広げていた。


 対して、俺と寛之、洋介の野郎3人組は……バカ騒ぎしていた。


「おお寛之!しんでしまうとは なにごとだ!」


「そもそも死んでないし、所持金が半分になったわけじゃないぞ」


 とか、どこかのRPGの死んだ時のことをネタにしたりした。洋介は話に付いていけず、静かに見守っているだけだった。


「プッ、にしても負けるとかダッセ~」


「お前、それケンカ売ってるのか!」


 続いて、寛之が負けたことをネタにしてからかったりした。ここでは「さすがに看過できない」と洋介からストップが入った。


 その後は女性陣4人を交えて医務室で大騒ぎしていたのだが、昼時になり俺と呉宮さん、紗希の3人は医務室を抜けることにした。


「おい、直哉。昼からの試合は勝って、決勝で大男の鼻を明かしてやれ」


 医務室を出るタイミングで寛之からそんなことを言われた。


「……当たり前だ。次の試合も決勝もあの手この手で勝たせてもらう。それでもって決勝では、あのいけ好かない銀髪イケメン王子をイケメン罪でぶっ飛ばして、優勝賞金の大金貨10枚も手に入れる。うん、これは勝ったな、ガハハ!」


 俺は肩を揺らし、大口で笑いながら医務室を後にした。


「聖美先輩、何で笑ってるんですか?」


「ううん、直哉君のネタ聞いて懐かしいなって思ってね」


 どうやら紗希には通じなかったが、呉宮さんには通じたようでくすくすと笑っていた。別に、全然勝ってもないのに「勝ったな!」と言っているところで突っ込んでくれても良かったのだが。


 それはさておき、昼食を食べた後。俺と紗希は準決勝だ。気を引き締めなければ。


 ――――――――――


「紗希、試合前に頼みことがあるんだが」


「イヤだ」


 俺たちは今、待合室に居る。そして、隣の椅子に紗希が座っている。室内は静寂そのものだ。俺はそんな中で紗希に一つ、お願いをしようとしたのだが……お願いの内容を言う前に断られてしまったのだ。


「せめて、お願いの内容を聞いてから断って欲しかったんだが……」


「……エッチなお願いとかじゃないよね?」


「なぜ、試合前にエッチなお願いをするんだよ。試合前にそんなこと頼むわけないだろ……」


 紗希はそれでもエッチでは無いにせよ、変なお願いをしてくると思っているようで、俺を不信な眼差しで見てくる。俺って信用されてないんだろうか……


「それで、兄さん。お願いの内容は何?」


「俺がマルケルさんを倒すまで、イリナさんを倒さないでくれないか?」


 俺の言葉の後、1拍だけ潮が引いたかのような静寂がやって来た。さすがの紗希も情報の処理が追い付いていないようでポカンとしていた。


「え、それって普通に倒すより難しくない……?」


「紗希なら出来ると踏んでの頼みだ」


 紗希が何か言いたげにしていたが、最終的には了承してくれた。やはり持つべきものは兄より出来過ぎた妹である。


 俺はその後、紗希の衣服に治癒魔法を付加エンチャントした。


「兄さん、これは?」


「紗希の戦闘中にリホイミがかかるようにしておいたぞ」


「……治癒魔法を付加エンチャントしてくれたんだね。ありがとう」


 俺は紗希に素直にお礼を言われたのが、嬉しくて体をうねうねさせていた。だが、紗希には「シンプルに気持ち悪い」と辛らつな一言に撃ち抜かれてしまった。その時、ある重大なことに気が付いた。


「……紗希、俺は今大変なことに気が付いてしまった」


 紗希は俺の焦燥に駆り立てられた声で何かを察したのか、真面目な表情で俺の方へと振り向いた。


「兄さん、どうかしたの……?」


「さ、サーベルが……」


「サーベルがどうかしたの?」


 紗希は疑問符を浮かべたような表情をしているのに対して、俺は焦ってしまって思考がまとまらなかった。


「サーベル2本とも宿屋の部屋に忘れてきてしまったんだ!」


「は、はぁ~~~!?」


 俺と紗希の試合前に前代未聞の出来事に直面した絶叫は待合室の外へと放出されたのだった。

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