第88話 丸腰
直哉と紗希は鼓膜が破れるほどの大声を上げた。その時の声は白い石壁と木のドアを突き抜け、外にいる者たちを驚かせた。
「兄さん!サーベル忘れたって、ど、どういうこと!?」
紗希は慌てた様子で兄である直哉に問いかける。
直哉は今日の朝、大急ぎで部屋を出た際にサーベル2本を窓際に置いてきたことを紗希に語った。ただ、
つまり、直哉は試合開始5分前の時点で丸腰なのだ。紗希はサーベルは1本しか持ってないので、直哉に貸すということは出来ない。直哉は今から始まる準決勝を素手で挑むことになったというわけだ。
「紗希、試合全部任せても良いか……」
直哉がそう言いながら隣にいる紗希を見ると、ニコリと笑みを浮かべている。だが、これは心の底からの笑みではない。笑顔で怒っているというのが、一番正しいだろう。
「兄さん」
「ひゃいっ!」
直哉は驚きのあまり、変な声を上げてしまったことを恥ずかしがりながら紗希の方へと向き直った。紗希は腰に手を据えてぷりぷりと怒っていた。
「兄さん、いくらボクでも二人同時に相手は出来ないんだからね!それに兄さんがマルケルさんは自分で倒すって言ったんだから……」
その後、試合を丸投げしようとする直哉とそうはさせまいとする紗希との間で攻防が続いた。
――結果としては直哉が押し切られてマルケルの相手をすることが決定した。
「というか、相手のマルケルさんも素手なんだから大丈夫だよ!」
「いや、相手は格闘術のプロだろ……?俺、格闘術とかド素人なんだが……ケンカも勝ったことないし……」
紗希はいつまでも弱腰な直哉を見かねて、両肩をガシッと勢いよく掴んだ。
「兄さん!どうせサーベルがあっても、剣術が下手で役に立たないんだから一緒だよ!」
紗希が放った強烈な一言に直哉は完全に打ちのめされてしまっていた。
「……俺はサーベルあっても弱いんだから素手でも良いかもしれない」
直哉は紗希からの一言で「サーベルがあっても弱いのなら、素手でやっても同じか」と見事に開き直ってしまったのだった。
「……兄さん、ない物は仕方ないんだし行こうよ」
「だな!」
直哉も紗希も一抹の不安を抱えながら、試合会場へと足を進めた。会場は試合開始前だということもあって盛り上がっていた。
直哉と紗希が入場してきた場所の反対側からはコバルトブルーの髪をツーブロックにしたマルケルと緋色の髪をセミショートにしたイリナがやって来る。
これを見た直哉と紗希の表情は強張った。直哉はクルリと向きを変えて入口へと向かおうとしたため、紗希がその肩を掴み、直哉の動きを阻んだ。
「兄さん、どこに行くつもり?まさか敵前逃亡なんてことは……」
「おいおい、紗希。少しは俺を信じてくれよ……。ちょっと身軽になってくるだけだから」
紗希は一瞬、考えるような素振りを見せた後、直哉の肩から手を放した。
直哉は小走りで入口まで戻り、
直哉は壁に立てかけた
試合前に敵の前で装備を外すという直哉の行為に会場全体がどよめいた。マルケルとイリナの両名は不愉快そうに表情を変えた。恐らく、直哉の行動から「舐められている」と判断したのだろう。
「兄さん、何で装備を外したの?」
紗希は直哉の耳元でそんなことをささやいた。直哉はそれにフッと笑みをこぼす。
「俺の実力を持ってすれば武器も防具も不要ということだ。まあ、手段を選ばずに無茶苦茶にやるからな。紗希は俺がマルケルさんを戦闘不能にするまでイリナさんの相手を頼んだ」
何か、考えあっての行動だということを知った妹は兄を信じて前の対戦相手に向き直った。そして、静かにサーベルを抜き払い構えた。隣にいる直哉は隣で腕を組んでいるだけだ。対して、マルケルとイリナの二人は静かに拳と短剣とを構えた。
それから一拍の間を空けて、鐘の音が試合の始まりを告げた。
「マルケルさん、さあ、ご一緒に…3…4ー、ハッピー、うれピー、よろピくね~~~~~」
直哉から会場全体の人間へと思考を停止させる言葉と、注目を集める独特な動きが放たれた。これには隣にいる妹ですら理解が追い付かず、あんぐりと口を開けていた。
しかし、真っ先に思考を回復させたマルケルは一足で近づき、直哉の顔面へ拳での一撃を見舞った。
紗希は顔面への一撃に反応することも出来ずに吹き飛んでいく兄の無様な姿を見て我に返り、自らに向かってきたイリナとの近接戦を展開した。
一方、後方へ殴り飛ばされた直哉はマルケルから続けざまに鉄拳での一撃が見舞われていた。
「直哉君……!」
観客席では見てられないと言った風に聖美は目を手で覆い、指の隙間から試合を観ている。だが、ウィルフレッドやロベルト、バーナードの3人はニヤリと笑みを浮かべていた。
「バーナード、今の直哉の動きは見えたかの?」
「ああ、見えたぜ。直哉のヤツ、喋りながら変な動きをしていた時にマルケルの両拳に何か
観客席で解説をするロベルトとバーナードに他のギルドのメンバーが聞き入っていた。
「会場内の全員が、あの独特な動きに気を取られていた。その間に魔術を展開するとは、直哉も中々小賢しいことをする」
ウィルフレッドさんはそう言って近くに居る聖美と洋介、夏海に語りかけた。三人とも信じられないと言った風に一方的に殴られ続けている直哉へと視線を戻した。
「恐らく、直哉が使ったのはジェラルドの魔法破壊する魔法だ」
直哉が
「ということは、薪苗君は相手の魔法を先手を打って封じたって事よね?」
「そういうことになるな」
両方の拳に“魔法破壊”の魔法が
「だがよ、直哉があれだけ殴られているのに目立った傷が少なくねぇか?」
洋介はすでに全身に何十発と拳を叩き込まれている直哉を指差した。直後、脇で見ていたミゲルが大声を上げた。
「おい、直哉が自分の体に
ミゲルの一言でウィルフレッドはすべてを理解した。硬化魔法は物理的なダメージのみを軽減するだけであり、魔法は通じてしまう。そして、予めマルケルの魔法を封じていることで拳での物理的な攻撃のみとなっている。
「つまり、直哉のマルケル対策は開始直後の時点で完了していたということか」
直哉が初っ端のマルケルの顔面への一撃を防げなかったのは自らに硬化魔法を
「ほらほら、どうした!反撃はしてこないのかよ!」
マルケルは魔法が使えないことに違和感を感じながらも攻撃を立て続けに打ち込んでいた。
「ほらよ!」
「マジかよ!」
直哉の雷を纏った拳が撃ち込まれたことで、マルケルの脳裏には洋介の“雷霊拳”が過ぎった。マルケルはこの直哉の攻撃をとっさに後ろへ跳んで攻撃をかわした。
「何ッ、今度は重力魔法だと!?」
着地と同時に膝にかかるズッシリとした重み。マルケルは足元に展開されている魔法陣と自分にかけられている効果を見て何の魔法なのかを悟った。
直哉はマルケルが後ろへ跳ぶことを考慮し、着地点に目星をつけて地面に重力魔法を
「へっ、意外とやるじゃないの」
マルケルは地面に力一杯の鉄拳を叩きつけ、地面にヒビを入れて描かれた魔法陣の効力を弱めて脱出した。
マルケルが再び間合いを縮めようとする構えを取った刹那、直哉は突っ込んでくるであろう場所に光の刃を設置した。
「あれ、俺の“聖刃”じゃないッスか!?」
観客席でディーンが驚愕の声を上げた。直哉はディーンのように光の刃を放つことが出来ないために光の刃を設置したのだ。
「ハッ、そんな見え透いた罠にかかるわけないだろ!」
マルケルは高い身体能力を活かして素早く、かつ器用に光の刃を潜り抜けて直哉の目の前に迫った。驚く直哉に対し、マルケルの表情から勝利の笑みがこぼれる。
――ザシュッ
そんな肉を切るような鈍い音が響いた後に、マルケルは体のあちこちから熱と痛みが響いてくるのを感じた。
マルケルが痛みに耐えながら傷の方をチラリと見ると、浅い切り傷がいくつも刻まれていた。
直哉は光の刃はかわさせるために設置しておき、その隙間には目では捉えにくい風の刃を配置してマルケルに突っ込ませたのだった。
「ふっふっふっ、これがファントムイレイザーだ」
直哉はバックステップを行ないながら、どこかの死神が使いそうな技名を口にした。一方の観客席では風の刃を見たシルビアが「今度は私の魔法……」とため息混じりに言葉を吐き出していた。
直哉はその後も、冒険者ギルドのメンバーの魔法を立て続けに
試合時間が半分の15分を過ぎた頃、目が慣れてきた直哉はマルケルの拳での攻撃を9割がた回避できるようになっていた。
そんな時、突如マルケルの拳に冷気が纏われた。これにはマルケル本人も思いがけず、笑みをこぼした。
そのまま放たれたパンチは直哉の胸元に命中。しかし、命中直後にマルケルから悲鳴が上がった。マルケルは右の拳を抑えながら地面の上を転がり、悶えていた。
直哉はその光景を眺めるだけで攻撃を仕掛けるようなことはせず、マルケルが起き上がって来るまでその場を一歩として動かなかった。
「おい、アンタ!俺に何をしやがった!」
「俺はアンタには何もしてないぞ!」
直哉の挑発を帯びた声に、痛みに耐えながら起き上がったマルケルは冷気と怒りを載せた鉄拳を連続で放つ。が、直哉に見事にかわされてしまっていた。
「見せてやるぞ、ゴロツキどもがやる貧民街ブースボクシングの技巧をな!」
直哉はマルケルの顔面に拳をめり込ませた後、どこかで聞いたことがあるようなセリフを口にしながらニヤリと笑みを浮かべた。
「このままッ!!親指を!目の中に・・・・・つっこんで!殴りぬけるッ!」
マルケルは殴り飛ばされ、無様に地面の上を跳ねた。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァーーーッ!!」
マルケルが体勢を立て直し、やっとの思いで起き上がったところへ、今度は直哉も追撃をかけ、容赦なく
今までの受け身な対応から転じて拳での攻撃で畳みかける直哉に対してマルケルも反撃を試みるも、そんな隙など一切与えられずに戦闘不能まで追いやられてしまった。
「ちょっ、マルケルッ!?」
隣で相棒が派手にやられたのを見たイリナはマルケルの元へ駆けつけようとするも、紗希が行く手を阻んで行かせなかった。
「紗希!もう終わらせて大丈夫だからな!」
直哉が紗希に声をかけると紗希は頷いて返した。
「これで終わり!」
紗希が一度、間合いを取り加速してからの横薙ぎに斬撃を放った。この斬撃でイリナの短剣2本が手元から弾き飛ばされる。
「“プラントウォール”!」
紗希の刃はイリナとの間に出現した植物の壁によって遮られてしまった。驚く紗希へ足元から生えてきたツタに
「……ッ!」
紗希は会場の壁へと勢いよく突っ込んだ。しかし、土煙の中から怯むことなく紗希がイリナへと直進していく。
「だから、また来ても同じことだって言ってるでしょ!」
イリナは植物魔法で植物の壁を作る準備をして待ち構えた。対して紗希は直哉へウィンク一つを送っただけだった。
紗希がイリナから見て目測5mに達した時、植物の壁が紗希の姿を隠した。しかし、その壁は瞬時に炎の壁となり焼け落ちた。
「何ッ!?」
何がどうなったのか、理解する前にイリナは紗希のみねうちを受けて意識を暗転させたのだった。
「ナイスアシスト、兄さん」
「そりゃあ、植物と来たら燃やすしかないだろ」
直哉は紗希からのウィンクを受け、“プラントウォール”が出現したのと同時に炎魔法を
二人はハイタッチをした後に、マルケルをどうやって倒したのか聞かれた直哉は足元に転がっていたイリナの短剣を拾って紗希に渡して自らを斬ってみるように言った。紗希も最初は戸惑っていたが、覚悟を決めて直哉の左足へと一閃を放った。
結果は短剣が半ばから折れただけで終わった。そして、直哉には傷の一つも付いていなかった。
「兄さん、これってどういうこと?」
「ああ、泉でシルビアさんとマリーさんの二人と戦った時に攻撃を目の前の空気に鋼の強度を
紗希は直哉の無茶苦茶なやり口に内心呆れつつも、健闘を称えた。だが、紗希の胸の内には一つ心残りがあった。
「でも、兄さん。あんなにポンポン付加術使ったら、魔力なんてほとんど残ってないんじゃ……」
「……ああ。これじゃあ、決勝ではロクに戦えないだろうな」
紗希は直哉の偽りない正直な答えに頭を抱えた。だが、直哉からは大して心配している風な素振りは見受けられない。
その理由を聞いてみれば、直哉も紗希も切り札と呼べる竜の力や敏捷強化をまだ使っていないから、いざという時はそれを使えば何とかなるだろ……とのことだった。この楽観的な意見にはさすがの紗希も呆れて、ため息しか出なかった。
「直哉君!紗希ちゃん!」
紗希がため息をついたタイミングで聖美が二人の元まで駆けてきた。そのままの勢いで聖美は直哉と紗希の二人に抱きついた。
「二人ともケガとかしてない?大丈夫?」
聖美からの問いかけに、二人は笑顔で頷いて返した。その後、一応ラウラから治癒魔法をかけられた二人はウィルフレッドに魔力が残り少ない中でどう立ち回ればいいのかを尋ねた。
「……だったら、長期戦だけは避けた方が良い。あと、宿のベッドでゆっくり体を休ませて疲れを取っておけ」
二人はその言葉通りに宿屋に戻って休むことに決め、試合が始まるまで静かな眠りが訪れたのだった。
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