第59話 魔の手と追憶
ここは魔族領とスカートリア王国の境にあるセベマの町。この町は周囲を鉱山に囲まれているために、スカートリア王国各地への採れた鉄鉱石や金、銅といった鉱物を輸出で栄えている。
朝。いつものように鉱山へと向かう鉱夫たち。店を開け始める者、宿屋を出て、町を出る者。なんてことのない平穏な日常。
そんな日常はある日、突然に崩れ去った。
高らかに鐘の音が響き渡る。この早く細かく打ち鳴らすような敵の襲来を知らせるものだ。
この音を聞き、詰め所を出る王国兵。ここセベマの町には町の広さには似合わない2000もの数の王国兵が詰めている。何せ、このセベマの町は資源が豊富なのだ。そして、この町の街道を東へ進めば王国南部の防衛の要であるローカラトがある。敵はここで食い止めなければならなかった。
「敵の数は?」
「はっ、2万はくだらないかと。大地を埋め尽くすほどの魔物の大群です」
隊長らしき男からの質問にはきはきした声で答える若い兵士。
「敵はざっと見、ゴブリンやコボルトが8割近くを占めているように見受けられます。また、奥の方にはオークが控えているようです」
兵士は先ほどの敵の数に付け加えて敵の大雑把な内訳を隊長に伝えた。
「ゴブリンやコボルトは1体1体はさほど強いわけではないが規模が数万ともなるといかんせん防ぎようが……」
隊長らしき男は対処に頭を抱えていた。
「隊長!何者かが陣頭に出て参りました!」
隊長は部下と共に城壁の上へと向かい、敵の大軍勢を見下ろした。確かに報告通り、真紅髪のタンクトップ姿の男が一人陣頭に出てきていた。
「おい、人間ども!聞こえているか!」
その声からは威厳こそ感じられなかったが、尋常ではない迫力があった。
「聞こえている!そなたは何者だ!何のためにここを攻めるのだ!」
城門の上から隊長が大声で返事をした。
「俺はゲオルグだ!魔王様の命により、この町を陥落させに来た!」
『魔王』という言葉に兵士たちの間に動揺が走る。
「抜かせ!『魔王』は17年前に……」
「死んではおらん!確かに傷を負ってはおられたが、すでに傷もすべて癒えておられる!」
兵士たちには予想外の敵だった。ただの魔物の大群ではないのだ。言うなれば魔王軍。20年前に数多くの人間の命を奪い、蹂躙したといわれる魔王軍であるのだ。兵士たちは恐怖から一気に逃げ腰になった。
「これから攻撃を仕掛ける!覚悟するがいい!」
男の言葉と共に空中に男の髪と同じ色の火球が出現した。大きさは直径50mほど。
「全部の人間を相手にするのは手間がかかって面倒だからな!この炎を受けて無事だった者の相手をしてやろう!」
男が手を振り下ろすと同時に火球が放たれた。放たれた炎は町を焼き尽くしていく。城門にいた兵士は城門ごと焼き払われ、城壁を焼き尽くした炎は町を飲み込んでいく。
火球が放たれてから1分と経たずにすべてが灰になった。人は骨の一つも残らずに焼かれ、建物も残骸すら残っていない有様だった。例えるなら、煙だけが立ち込めている灰色の海。
ゲオルグの炎によって、まるでそこには人は存在していなかったかのように消し去られた。
「……無事だったものの相手をしてやるといったが、誰一人として生きているものは居ないようだな。実に人間とはひ弱な生物だな」
男はセベマの町があった場所を見ながらそう呟いた。その後、男は全軍に魔王城までの撤退を命じ、その場からは魔物も人の姿もなくなったのだった。
王国にセベマの町が突然消滅したことが伝わったのは、それから1週間が経ってからだった。
――セベマが焼き払われたのと同じ頃。王国東部にある港町・アムルノスにも魔王軍が現れていた。
セベマ同様、2万を超える魔物の大群だったが、偶然にも精強を持って成る王国騎士団第1部隊が駐屯していたため、魔物たちは次々と討伐されて数を減らしていった。
このことを受けて、攻撃せよとの命しか受けていないために魔王軍の指揮官であるベルナルドは、撤退の指示を出し、魔物の軍勢と共に船に乗って南へと退いていったのだった。
――――――――――
場所は変わって、ここはローカラトの町。西にあるセベマが焼き払われたことなどつゆ知らず、人々は日々変わらぬ日常を過ごしていた。
「武淵先輩、ハッピーバースデー!」
そんな中、冒険者ギルドの2階では夏海の誕生日会が開かれていた。こっちに転移してきた日から数えると今日は9月23日になる。つまり、夏海の誕生日になるというわけだ。
「みんな、ありがとう!嬉しいわ!」
誕生日会に参加しているのは夏海以外に6人。直哉、紗希、聖美、茉由、寛之、洋介だ。人以外にも、洋介の雷の精霊と猫のレオが部屋の隅でじゃれあっている。
7人と精霊と猫が入るには狭い部屋だが、飾りつけまでして誕生日ケーキ……ならぬ誕生日タルトを用意していた。タルト生地の上にスパイスで味付けされたリンゴやイチジク、レーズンなどをのせてある。
ささやかではあったが、参加している者にはそんなことは関係なかった。
みんなで楽しそうに話をして過ごす。何気ないことだが、それが何よりも楽しいものだと雰囲気から物語っていた。
夕方から夜遅くまで、パーティーは続いた。その日は全員、床で倒れるようにして眠ってしまっていたのだった。
そして、朝になり皆各々の家へと帰っていった。そんな中で夏海と洋介は残って後片付けをしていた。
「ねえ、洋介」
「ん?どうかしたのか?」
「なんか、もう18になったんだなって思って」
「……そうだな。暗いところ怖がってばかりの夏海姉さんがもう18なんだからな」
洋介はニヤリと笑みを浮かべながら夏海の方をチラリと見る。夏海は「もうっ!」と言って洋介の肩を叩く。
「そういえば、俺と夏海姉さんが初めて会ったのって……」
「14年前よ」
「そっか、俺がまだ幼稚園に入ったばかりの時だったな」
――洋介が幼稚園に入った頃。14年前の洋介は今のように背が高い訳でもなく力も弱かった。かっこいいとは程遠い、どちらかと言えば可愛い系の男子だった。そのため、よく周りの男子から「女の子みたい」とからかわれていた。
そんなこともあってか、いつしか男子とは遊ばなくなった。そして、なぜだか女子からも避けられることが多くなり一人で遊んでばかりいた。
「やーい、おんなおとこ!」
ある日、洋介はいつものように男子たちにからかわれていた。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ!」
幼稚園に入って3か月ほどが経った頃。洋介を庇う女子が現れた。それこそが夏海だった。
「だいじょうぶ?」
「うん」
「あなた、なまえは?」
「……洋介」
「そうなんだー!ワタシ、夏海っていうんだ!よろしくね!ヨースケ君!」
この日、二人は初めて知り合った。その日以降、夏海は洋介と居る時間が増えた。最初こそ、戸惑った洋介だったが知らぬ間に夏海が居ることに慣れていった。
その頃から、同級生のからかう対象は洋介と夏海の二人に移っていった。二人は恋人だの夫婦だのと好き放題言われた。時には幼稚園の園庭に大きな相合傘まで描かれたこともあった。
「なんでボクにかまうの?」
「……ダメ?」
「ダメじゃないけど……どうして、キミはいつもいっしょにいてくれてるのか気になってさ」
どうして皆にからかわれても尚、洋介と一緒に居てくれるのか。それは前々から洋介が胸の内に秘めていた疑問だった。
「ワタシがヨースケといっしょにいたいからだよ!」
その言葉を聞いてから洋介はその年上の、気兼ねなく接してくる、自分を避けない1つ年上の夏海を感謝の意を込めて夏海姉さんと呼ぶようになった。
――そして、時は今に戻る。
「……懐かしいな」
「フフッ、でしょ?」
夏海は洋介の表情を覗き込むような前傾姿勢を取り、手を後ろで組んでいる。表情はニコニコとしていて機嫌もすこぶる良さそうだった。
「頼れる良いお姉さんだと思ってたら暗いところ全般が苦手だったり、虫を見ただけで悲鳴を上げたりして、一緒に過ごしていくうちに優しい頼れるお姉さんってイメージが俺の中で崩れていったんだよな」
「今はもう虫くらいは触れるようになったわよ!……暗いところは嫌いだけど……」
何とも幸せな空気が部屋中を包み込む。そんな中、夏海と洋介は楽しそうに談笑し合った。
夏海は部屋の窓に寄りかかった。
「見て、洋介。夜景が綺麗」
「そうだな、明かりがキラキラしていて良いな」
洋介も窓の方へと近づく。二人の距離は少し強く息を吹けば顔にかかる距離。
「そうだ、姉さんにこれを渡そうと思って」
「……ヘアピン?」
洋介は夏海に渡したのは、白のヘアピン。
「嬉しい、でもどうしてヘアピンにしたの?」
「姉さん、こっちの世界に来た時に持ってきてたヘアピン失くしたって言ってただろ?」
「うん、中学の修学旅行の時に洋介からお土産で貰ったやつ」
「なんか、失くして凹んでたから今日、渡そうと思って買っておいたんだよ」
その洋介の言葉のあと、夏海のヘアピンに一粒、また一粒と透明な雫が零れ落ちる。
「ど、どうしたんだよ!?何か俺、気に障ることでもしたか!?」
「ううん、そうじゃないわよ……」
夏海は瞳から零れ落ちる雫を指で拭う。
「なんか、嬉しくて。また洋介からヘアピン貰えるとは思ってなかったから……!」
洋介は何も言わずにポケットからハンカチを夏海に差し出した。夏海も「ありがと」と言って受け取り涙を拭いた。
「まあ、今度は失くさないで貰えると嬉しいんだが」
「うん、絶対に失くさないようにするから」
そう言って夏海は貰ったヘアピンを前髪に留めた。
「……どうかしら?」
「おう、似合ってるぞ」
洋介のその言葉を聞いた夏海は嬉しそうな表情をして、片づけを再開した。一方の洋介はその時の夏海の笑顔が頭の片隅に残り続けたのだった。
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