8話目 行き先

 ゆっくりとこちらに近づいてくる廊下の足音は、ゴツ、ゴツ、と固く、重量のある響きだった。

 素足や、靴下を履いた足の音ではない。ブーツのまま廊下を歩いているのか。いや、それ以上に硬質だ。まるで、陶器が床にぶつかっているような、そんな音だ。


 リビングのドアが開き、現れたのは、ハニワだった。


 全身ベージュ色で、ツルッとした質感。身体からだの形状は、人間のそれとは少々ことなり、細長い釣り鐘のような胴体から、腕が2本生えている。腕は大きな U の字を描くようにカーブし、左腕の先端は顔の横に添えられ、右腕は胴体の下部、人間でいうヘソのあたりに添えられており、その先端にバッグを提げていた。


 その顔も、よく見るハニワそのものだ。目と口は、ただの穴で形成されていて、中は闇で満たされている。

 こちらを見て驚いているようにも見えるが、もともとこういう顔なのだろう。


 何が起きているのか分からず、上等なクロマグロの刺し身を咀嚼そしゃくしながら、ハニワを見つめるしかなかった。


「あー! 喰ってるー!」


 間もなく、ハニワは甲高い声を出し、右腕に提げていたバッグを床に落とした。

 どうやら、こちらがクロマグロを食べていることに驚いているようだ。


「あ、どうも。いただいてます」


 ハニワは、こちらのあいさつには何も応えず、全身を揺らし始めたかと思うと、左右交互に半回転しながら近づいてきた。足が無いため、このようにして移動するらしい。

 一歩歩くごとに、ゴツ、ゴツと音が鳴る。

 なるほど。廊下から聞こえた足音は、たしかにこの音だった。


 テーブルの近くまで来たハニワは、床の上で、ほぼ半身状態になったクロマグロを見たらしく、再び甲高い声を上げた。


「あー! 綺麗におろされてるー」


 言った直後に、ハニワの身体からだに小さな亀裂がいくつも入ったかと思うと、その場で、ガラガラと音を立てながら、文字通り崩れ落ちてしまった。


 どうやら、大変なショックを受けたらしい。


「食べちゃ、まずかったかな」


 欠片の山に語りかけてみた。


「ああ、マッターホルンちゃん……」


 欠片の山のままでも、しゃべることはできるらしい。


 待てよ。マッターホルンだって?


「マッターホルンって、未踏峰の?」

「うう……。そうですよ」


 メソメソしている欠片に、引き続き語りかけてみる。


「ひょっとして、君、佐々木なの?」

「はい。なんで……なんで……マッターホルンちゃん、食べちゃったんですかぁ……」


「マッターホルンさんって、2メートル超のムキムキニューハーフだったでしょ。なんで、このクロマグロがマッターホルンさんなの?」

「マッターホルンちゃんは、クロマグロだったんですよ」


 どうにも話が見えてこない。


「その状態だと、なんとなく話がしづらいな。ちょっと復元してあげるよ」

「いえ、大丈夫ですよ。僕はこのまま、ここで朽ち果てますから」


 そこらの引き出しを手当たり次第に開けてみると、瞬間接着剤があったので、欠片の山から、それらしいものをつなぎ合わせて、顔っぽい部分を復元してやった。

 作業中、何回も「やめてください」という声が聞こえたが、作業を続けた。


 よし。多少いびつで隙間があいてるけど、まあ良いだろう。

 その顔をテーブルの上に、こちらと相対するように置いた。


「これで少し話しやすくなったね」

「僕は、あのままで構わなかったんですが」


 ちゃんと、テーブルに置いた顔のほうから声が返ってきた。どういう仕組なのか分からないが、今はこの顔部分が本体なのだろう。


「マッターホルンさんのことを、ちゃんと分かるように説明してくれない?」

「僕、マッターホルンちゃんと付き合ってたんです。僕は、彼女を愛してたんですが、彼女は、僕の愛を受け入れるのが怖いって言って、ベッドではいつもマグロ状態でした。僕はハニワで彼女はマグロで、ベッドは静かなものでしたよ」


 ここでいうマグロは、魚のマグロではなくて、比喩としてのマグロだろう。

 ハニワは続ける。


「昨夜、マッターホルンちゃんが言ったんです。僕の愛を受け入れてくれるって。"でも、本当の愛を受け入れたとき、私は本当にマグロになってしまう"とも言ってました。そのときは、僕、その言葉の意味が分からなくて。だって、今までもマグロだったし。

で、昨夜は、そこのリビングの床で、彼女と愛し合ったんです。そうしたら、その最中に、彼女は本当にクロマグロになってしまって……そのまま。うう……」


 ふうむ。この絶品のトロが、マッターホルンなのか。


「あの、もうマッターホルンちゃんを食べるの、やめてくれませんか」


「え」

「この話を聞いてたら、普通、食べるのやめるでしょ」


「いや、でも美味しいよ」


 とびきり美味そうな大トロの刺し身を1枚、箸でつかみ、ハニワのほうへと差し出した。


「やめてください! 僕は食べたくない!」


「まあ、そう言わずに」


 そうは言うものの、相手は、口を閉じることもできないハニワだ。その、ぽっかり開いた口の中に、大トロを放り込んでみた。


「あ、美味しい」


「でしょー」


 どうしても確認したいことがあり、ハニワの頭を少し持ち上げたみた。が、そこに大トロはなかった。つまり、ハニワの口に入った大トロは、どこかに消えたのだ。

 ううむ。マッターホルンも不思議だが、このハニワも不思議だ。


 そして、もうひとつ確認したいことがある。


「その、愛するマッターホルンちゃんをここに放置して、どこに行ってたの」

「それは……」


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 ハニワ(佐々木)はどこに行っていた?

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