2話目 降りた先には
車両から降りる大勢の人の波に押し流されるようにして、結局、自分も降りてしまった。
そうだ。この駅は、人の乗り降りが激しく、車両内の大半の乗客が降りる。よほどいい位置に陣取らない限りは、自分だけ降りないなんて真似は難しい。
最初から、降りないという選択肢はなかったのかもしれない。
もっとも、一度降りてから、再度乗ることはできるだろうが。
降りてしまったものは仕方ない。今日も会社に向かおう。
いつもと同じ日常を積み上げるために。
駅から出て、大通りに沿って5分ほど歩き、途中で左に折れて、裏通りに入る。さらに5分ほど歩くと、細長い7階建てのビルがある。
2階には、怪しげなマッサージ店。3階には、怪しげな消費者金融。4階には、これまた怪しい除霊系の店が入っており、ファントムバスターなんて、ふざけた名前を付けている。
驚くべきことに、この怪しげな店が詰まった雑居ビルの1階に、自分が勤める会社がある。
エレベーターへと続く、薄暗い廊下に入り、途中、左手にある灰色のドアの向こうにオフィスがある。
細長い外見通り、ビルの中は決して広くない。デスクが10台と、プリンターやシュレッダー、それにちょっとした什器だけで、もうスペースは限界だ。
よし。今日もそつなく仕事をこなして、できるだけ早く上がろう。
いつものように、心の中でつぶやいてから、灰色のチープなドアのノブに手をかけた。
現在、8時55分。
始業は9時で、自分はいつもぎりぎりに出社するので、自分がデスクに着くときには、自分以外の社員は全員来ており、各々のデスクで、とっくに仕事を始めている。
今日も、そんな光景を想像しながら、ドアを開けた。
「おはようございまーす」
言いながらオフィスへと入る。いつもであれば、みんなからあいさつが返ってくるところだが、何もない。
それだけでなく、オフィス内が騒がしい。
最もドア寄りの自分のデスクに着き、パソコンを起動させながら、様子をうかがう。
「ちゃんとしまったのかよ!」
「しまいましたよ!」
「じゃあ、なんで無いんだよ!」
「私に言われても、知りません!」
山田社長と、経理の秋山さんが、何やら言い争いをしている。
何人かの社員は、自分のデスクの椅子から立ち上がったまま、不安げな表情で、言い争う2人に目を向けている。
ある社員は、クリップボードに挟まれた紙を見て、ため息をついている。
ふと、自分の右隣を見ると、同僚の加藤が、我関せずといった空気で、
現状について、加藤にたずねてみることにしよう。
「何かあったの?」
「金庫の金が無くなってるんだと」
加藤は、キーボードを軽やかに叩きながら、こともなげに答えた。
「え! マジで!?」
「マジで。それで、経理の秋山さんがまっさきに疑われてるってわけ」
うちの会社では、金庫を開ける鍵は経理――つまり秋山さんが管理することになっており、さらに、金庫を開けるための番号は、山田社長と秋山さんしか知らない。
「でもさ、秋山さんが、もし金庫のお金を盗ったんだったら、この状況で会社に来るかな。自分が犯人だって言ってるようなものじゃない」
「そう思うよな。社長も、盗まれたって確信があるなら、押し問答してないで、さっさと警察呼べば良いのにな」
警察という単語を聞いてどきっとした。
そうか。本当に盗まれてたなら、これは犯罪なんだ。いつもと同じ日常のつもりで会社に来たら、こんな事件が起きてるなんて。
不謹慎だと思いながらも、少しわくわくしている自分に気づく。
先ほど、クリップボードの紙を確認していた同僚が、山田社長の近くまで行き、言う。
「昨夜の、最終退出記録がありません」
うちの会社では、最終退出者のチェックシートがある。毎日、最後に退勤する社員は、日時と名前をそのシートに記入し、戸締まりをして帰ることになっている。
ただ、記入忘れも度々ある。何より、最終退出者の善意で記入するものなので、悪意がある者が、意図的に書かずに退出することは容易だ。仕組みとしてはザルと言える。
「昨日、最後に退勤したのは誰だ」
山田社長が、社員全員に向けて問いかけた。
問われて、昨夜の記憶をたどってみた。
昨夜は、自分も結構遅くまで残っていた。最後に退勤したのが自分ではないことは確実だ。自分が帰る際、まだ2人くらい残っていた気がする。
誰だっただろう。
秋山さんと……佐々木だったかな。
そうだ。そんな気がする。
「昨日の最後、佐々木かもしれない」
隣の加藤に小声で言った。
「佐々木か」
言いながら加藤は、首を伸ばしてオフィス内を見回す仕草をし、続けた。
「そう言えば、今日、佐々木は来てないな」
言われて、自分も佐々木のデスクに目をやった。デスクには誰も座っておらず、真っ暗なPCのモニタがあるだけだった。
本当に、犯人は佐々木なのかもしれない。
でも、昨日の最後が秋山さんである可能性もある。
いや、そもそも犯人は外部の人間かもしれない。この雑居ビルは、怪しい店のオンパレードなのだ。金庫破りのひとりやふたり、居たって不思議ではない。
最終退出者を問う社長に、なんと答える?
それとも何も答えない?
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