『諦念と余歌』
少しだけ文章を書こうと思った。
小説なんて堅苦しいものじゃなくていい。ただ、文章を書こうと思った。物語性もなければ、起承転結もない、ただの独白みたいなものだけれど、やっぱり僕は文章が好きで、美しく流れる言葉の川が好きで、その川が澄んでいれば澄んでいるほど、ずっと眺めていたくなるから、小説だったり、詩だったり、文章だったりというものが、好きなんだ。
だから久しぶりに書こうと思った。
けれど、何を書いたら良いのか分からない。
突発的なもので、何の計画もない打鍵作業だ。そこに、大きな物語を完成させようとか、誰に読ませようとか、そういう気概はない。いや……あるのかもしれない。
ふっと思い浮かぶのは君のことだ。
最近、疲れてないか。
色々大変そうだけど、体は平気か?
君とは別段、特別な関係だったというわけじゃない。まあ、一般的に見れば、奇妙で、特別と言えなくもない関係だったかもしれない。不思議なもので、情の問題かもしれないけど、一度も会ったことなんてないのに、君のことが時折気に掛かる。
特別な気持ちがあるはずもない。
けれどなんだか、気に掛かるよ。
君は真面目だから、毎日色々とやることが多いんだろう。仕事に、私生活に、趣味や娯楽だって忘れちゃいけない。僕は最近、やっと普通の人間じみてきたから、そういう当たり前のことをようやく認識し始めたところだよ。人は寝なきゃ辛いし、遊ばないと心がすり減るし、恋をしないと、枯れてしまう。
花のようだよ。
君のことを考えるのは、君が僕を楽にしてくれるからかもしれない。ただ、辛い毎日から逃げ出そうとして、君を思い浮かべるのかもしれない。逃避だ。でも、君だってそうかもしれない。お互いに逃げ込んだ場所にお互いがいて、そこでうっかり、意気投合してしまって、それで妙な関係を築いたのかもしれない。
やはり、一度も会ったことのない関係なのにこんなことを言うのは変かもしれないし、僕が知っている以上に、君の人生は混沌としていて、僕が知り得ない苦しみを持っているのかもしれない。僕なんか気楽なもんさ。中流家庭に育って、大きな問題もなく大人になって、好きなことをして青年時代を過ごして、今ようやく人並みの苦しみを味わっている。たったそれだけだ。
安いものだよ、僕の痛みなんて。
そもそも、痛みなんて言うのもおこがましいんだ。僕はただ、普通なんだ。普通の生活に対して、普通の苦しみを感じているだけだ。それを大袈裟に苦しいというのは、やはりいささか子どもすぎる。そういう時に、どうしても君のことを考える。
君は僕より大変で、それなのに頑張っていて、逃げ出さないでいる。戦いに疲れる日もあるだろうに、頑張っている。
自分が惨めになるくらいに。
僕が君に何かしたいと思うなんてことは、ちょっと考えると馬鹿みたいな話だ。僕なんかがいなくても君は立派に生きていけるし、僕がいなくなっても、君の生活は続く。
ひとつ娯楽を失うだけだ。
けれど、僕は少し、慣れない生活に疲れてしまって、そのせいで心の余裕が薄くなって、毎日のように、君のことを考える。君は今日も頑張っているんだろうか。辛い毎日に耐えているんだろうか。立派だ。すごいよ。もう、よく分からない。どうしてそんなに気丈でいられる。どうしてそんなに普通に過ごそうと頑張れる?
僕には出来ないことを君はたくさんしてる。
だから、そんな君のことを考えたら、僕は今日も疲れていて、早めに寝ようと思ったけれど、いつか……もう、忘れられてしまうかもしれないし、僕のことを思い出す暇もないくらい、忙しい日々を送っているかもしれないけれど、それでも、僕の自己満足みたいなもののために、君のために何か出来ないか、と思う、あまりにおこがましい僕の、自己中心的な考えの末に、僕はこれを書いてる。
恩着せがましいこと、この上ない。
それでも、僕の正直な気持ちだ。
僕が書いた物語のいくつかは、君が読んでくれるから書いた。全部が全部君のためとは言えないけれど、それでもいくつかの物語は、君がいたから産まれた。
君が読んで、そして褒めてくれるから書けた。
僕は基本的には臆病で、弱虫だから、君みたいに、何を書いても喜んで読んでくれるような人が……特に、僕が本当に美しいと思って書いたものを褒めてくれるから、だから書いていられた。
小説のことを考えると、すぐ隣に君がいる。
それは特別な感情とはまた違うものだ。勘違いしてしまうことも多いし、本当は同じものなのかもしれないけれど、僕は今も別のものだとして捉えている。
触れ合わずに、惹かれ合わずに、
焦がれても恋せず、溺れても愛さず、そういう風にお互いを、ずっと幻影のように探し続けて、ふとした瞬間に真の美しさと触れ合えるような関係を、きっと君も理解してくれることだと思う。
生々しい人間らしくない、あまりに幻想的で芸術的な人間関係が、多分君で、そして僕はその美しさを損なわないために、君とは会わなかったのだ。
ただの独白だから、君が気に病むようなことはないのだけれど、君が僕の文章を読む時感が出来て、それを受け入れられる余裕がある時に、この文章を読んで、少しでも楽しんでもらえれば……君の娯楽になれれば、僕は嬉しい。
体に気をつけて。
君は美しい人だよ。
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