『いのちの輝き』

 都内某所にあるマンションの一室。今日からここが私の住処だった。二○二五年に開催される大阪・関西万博までのおよそ五年間、私はこの部屋で暮らすことになる。

 土台おかしな話だと思っていたのだ。私のような、学歴もなければ何の資格もない四十手前の独身男が、公務員になどなれるはずがない。何か裏があるに違いないとわかっていた。しかし、就職氷河期に直撃し、定職に就けぬままこの歳まで過ごしてきた私にとって、ハローワークで見つけた公職の募集は、とても輝いて見えた。宝くじを買うようなものだ。もし叶えば人生が変わる。受からなかったとしても、そこに一歩踏み出せない人生でいるのは嫌だと思い、反射的に応募していた。

 そして、持病がなく健康そのものである身体的評価を受け、採用された。

 だから今私は、ここにいる。

「〜〜〜〜」

 私は空っぽのリビングで膝を抱え、壁に背を預けていた。

 目の前に、赤いリング状の何かが蠢いている。いくつかの球体が連なって、リング状になっている何かだ。いや、私はその正体を知っている。二○二五年に開催される大阪・関西万博、つまり日本国際博覧会の、ロゴだ。言葉にするとよくわからないが、その説明で正しいはずだ。リング状のロゴは、フローリングの床に仰向けになって倒れている。仰向け? 仰向けという表現が正しいのか、私には説明が出来ない。ただ、眼球のようなものが天井を向いているから、恐らくは仰向けなのだろう。

 赤いリング状のロゴは、ところどころの球体が、さらに白と青の球体で彩られている。白と青で構成された球体は、まさに眼球と形容するに相応しい。その眼球が、視線の先が、天井に向けられていた。だからこれはきっと仰向けなのだと、私は膝を抱えながら思っていた。

 私の仕事はロゴの世話だ。

 仕事と呼ぶべきなのかもわからない。しかし、私は正式な公務員であった。五年後に万博が開かれるまでの間、このロゴを世話する仕事を仰せつかっていた。外部との接触を断たれ、社会的に孤立し、世話をする。説明されたうち、理解出来たのはほとんどこの部分だけだ。

 世話の仕方は誰も知らない。何しろ、ただのロゴなのだ。ロゴなのに、いつの間にか市民権を得て、実体を持っていた。もっと調査したり、解剖したり、そういうことをするんじゃないのか? という疑問はあったが、役人の答えは「必要ありません」の一点張りだった。おそらく、私が抱くような疑問は既に提言され、解消済みなのだろう。なればこのロゴを公の物とし、大衆の面前に晒すという方法もある。人気を博しているうちに、愛してもらう方が良いという考え方もある。

 だが、国はそうはしない。

 ひとりの人間の手によって、ロゴを保護する方針を取った。

 正確に言えば、万博の主催は財団法人であり、国ではない。しかし、世界各国から人の集まるイベントである、国が関与しないわけもない。それに、このような得体の知れない生き物が周知されたら、一昔前なら良かったかもしれないが、監視社会の二○二○年において、その損失は計り知れない。否、混乱と言い換えた方が良いか。

 とにかく私は、これから五年間、このロゴと共に、社会から隔離されて暮らす。そして、一般的な平均年収を上回る賃金を得る。諸々の手当がついているのだと聞いた。危険手当だの、特別手当だの、色々。ただしあくまで、成功報酬として。何しろ五年経過するまで、私は外出を許されていない。緊急連絡先へ一報を入れ、給料から買い物をすることは可能らしいが、誰にも会えない、外にも出られない空間で、一体何を欲しがるというのか。

 私の仕事は、ロゴの世話だ。同時に、ロゴを二○二五年まで生かす必要があった。そんなことは研究者に任せておけと私は思ったが、実物を見て理解した。国の宝である研究者たちを、このような物体とひとつ屋根の下で暮らさせるのは、非道の一言に尽きる。立派な施設を拵えて研究するにしても、未知の情報が多すぎる。貴重なサンプルを殺すくらいなら、大々的に万博で見世物にすることを、偉い誰かが決めたんだろう。

「〜〜〜〜〜、!」

 私の目の前で、ロゴは起き上がった。筋肉があるのか? リング状のロゴは、私の正面に立った。どうやって安定しているのかわからない。身体に穴の開いている生き物(生き物?)を直視するのは、なかなかに異様な光景だった。学生時代、友人がピアス穴の向こう側を覗かせてくれたことがあったが、あれと同様に、おぞましい光景だった。そこに、行動し、脈動し、活動する生物らしきものがいるにも関わらず、その向こう側には白い壁が見えている。穴とは、非現実に近いのだと気付く。目も、鼻も、耳も、口も、尻の穴も、女性器でさえ、あるいは原始たる臍でさえ、どこかに繋がっていて、また向こう側は透けない。しかしロゴは、私に向こう側を見せる。

「〜〜! 〜〜〜〜、♪」

 私は思わず、身構えた。ああ、これは現実なのだ。恐ろしい。アニメや漫画で見る優れた表現のひとつに、例えば目玉のおやじがそうするように、眼球であるにも関わらず、微笑む描写がある。笑顔の図形が線三本で描けるのは、まぶたがあるからだ。しかしロゴにまぶたはない。眼球であるかさえ、確かではない。だが今、ロゴは、確かに笑った。球体であったはずの青い丸を、横一文字に変形させた。

 私には笑っているように見える。

 だからこそ怖く、私は現実を知覚した。

 まぶたはないのだ、そこに。

 あるのは図形だけ。

「〜〜〜〜〜〜♪」

 しかし、ロゴは私に危害を加えようとはしない。ただそこにいる。世話をしろと言われても、どうすることも出来ない。穴はあるが、口はない。尻もない。摂取も、排泄も出来そうにない。私に出来ることはなんだろう。皮膚(皮膚?)は赤く、滑らかに見える。どこにも入り口はない。毛穴も見当たらない。薄い膜に覆われているように見える。その赤は、血液なのか。その白は、その青は——考えれば考えるほど、わからなくなる。

 だが、生きている。

 こんな状態でもなお。

 動いているからか?

 それとも、喜怒哀楽が見られるからか。

 それが喜怒哀楽であるかさえ、私にはわからない。

 私は膝を抱えたまま、ロゴをじっと見る。ロゴは、私の気持ちなど素知らぬ様子で、弾んでみせる。筋肉があるのだ、きっと。反動を利用している。跳ねたロゴは着地し、また機嫌良さそうに動く。

 私はこれから五年、このロゴと暮らす。

 決してロゴを死なせぬよう生きるのが、私に与えられた使命だった。


 ◆


 ロゴは私の枕になる道を選んだ。

 最初に感じた恐怖は、私の思い違いであった。ロゴは、非常に優れた柔軟性と、友好性を持ち合わせていた。柔軟性にはもちろんふたつの意味がある。身体的な柔軟性と、環境に適応する生物としての柔軟性だった。

 暮らし始めて数日間は、ロゴと私は疎遠であった。私はロゴの一挙一動を注視し、危険がないように務めた。ロゴは私の存在を気にしていないようだったが、それでも必要以上の距離を詰めてはこなかった。

 しばらくして、私はロゴのことを考えないことにした。一人暮らしだと思い込むことにしたのだ。一日中ロゴのことを考えていたら、あっという間に廃人になってしまう。私はロゴを踏んだり、ロゴが危険な場所に入り込まないことだけに注意しながら、自分の生活を満足させることにした。

 幸い、設備は整っていた。テレビも、ラジオも、インターネットも、頼めば本も配達される。こちらからのアクションは封じられているため、受動的な生活にはなるが、それでも孤独を感じない程度の設備は整っていた。

 二週間も経つ頃には、私は自分の生活に満足し始めていた。一個体として飛び跳ねたり、弾んだり(踊っているのか?)しているロゴは、私の監視を必要としなかった。大きく開けたリビングの中央で、ロゴは常に楽しそうにしていた。私はたまにその様子を見て、現在の生活が担保されていることを認識し、また自分の生活に戻った。

 一ヶ月が経過した頃、目を覚ました私を、おぞましい感覚が襲った。

 ロゴだった。

 ロゴは、私の顔面の横にいた。

「うわっ!」

 思わず悲鳴を上げて、私は飛び起きた。ロゴはまた、青い球体を閉ざしていた。まぶたがないのに、目を瞑っているように見える。ロゴに聴覚はないはずだが、私が飛び起きるやいなや、青い線を丸に変え、のそのそと動き始める。

 そして、ベッドの上で小さく弾んだ。

 まるで、おはよう、と言っているようだった。

「おはよう……」

 私が言うと、ロゴはさらに弾んだ。

 これがもし勘違いだとしても、私は自分に、意思疎通が出来る力が備わったのだと思い込んだ。

 それから私は、一ヶ月も共に生活してきて初めて、ロゴに触れるという選択をした。不可抗力とは言え、頬にはロゴのその感触が残っている。触れても害はないという、生物的な危機感が解消されたのだろう。リビングで跳ねるロゴにゆっくり近付くと、ロゴは私の気配を察知して、跳ねるのをやめた。

 そして、不思議そうに、青い丸を私に向ける。

 私を見ている。

 私が何をするのか、伺っている。

 そうとしか思えなかった。

 私は出来るだけ、ロゴを怖がらせないよう、ゆっくりと手を近づけた。ロゴは恐れなかった。私が恐れていなかったように。私はもはや、ロゴを不気味だとも、恐ろしいとも思っていなかった。毎日脳天気に活動する、気のいい生物だとしか認識していなかった。

 能動的な行動を制限され、ただ甘受するだけの生活に、温もりはない。娯楽はあれど、優しさはない。恐らくは私も飢えていたのだろう。私は可能な限り優しく、ロゴに触れた。その表面を、球体が連なった側面を撫でるように、優しく触れた。

「!! 〜〜〜〜〜! ♪」

 ロゴは驚くべきことに、私の腕に絡みついた。輪の外側を撫でていたはずが、気付けばロゴは自らの空洞を私の腕に嵌めていた。大きかったはずの穴は収縮し、私の手首を、限りなく優しい力で締め付けていた。

 ああ、これは抱擁だ。

 ロゴなりの愛情表現だ。

 私は愛おしい気持ちを感じて、空いた左手でロゴの側面を撫でた。また、青い丸は青い線になっていた。まるで、目を細めて飼い主に甘えるペットのように。私は愛おしいそのリングの側面を撫でる。収縮しているはずなのに、ロゴの身体は柔らかかった。ほとんど液体のような感触だ。これは収縮というよりは、部分的な凝固かもしれない。私は膝をついたまま、しばらくの間、ロゴを撫でた。ロゴは私が手を離すまで、長い間、ずっと私の手首を抱擁していた。


 ◆


 私とロゴが気持ちを交わしたその日の夜、ロゴはベッドに眠る私の元へやってきた。昼夜問わず弾んでいたのに、突然だ。否、恐らくはその前日から、ロゴは私のベッドに来ていたのだろう。しかし私は気付かなかった。ロゴのことを、心の外側に置いていたからだ。

「ああ、いいよ。一緒に寝よう」

 言葉が通じないとわかっていながら、私はロゴに語りかける。ロゴもきっとわかっていないだろうに、その呼びかけに応じるように、ぴょん! と跳ねた。床からベッドの上まで。しかし、ほとんど液体で、ほとんど重さを感じさせないロゴが跳ねても、騒音はない。ベッドに乗った振動すら感じない。

「私に潰されないようにね」

 暗い室内でも、ロゴの赤さは強く輝いていた。ロゴは私の耳元で、小さくなるように凝固した。鼓動の音はない。寝息も立てない。だが、そこにいる感覚だけがある。不思議なものだ。呼吸も、鼓動も、物音すら立てないのに、生きているのだという確信があった。ロゴは確かに生きている。そこには、確かないのちがあった。

 ロゴのことを考えながら眠りにつき、翌朝目を覚ますと、私の横にロゴの姿はなかった。寝たままで左右を確認し、ロゴがいないことに気付いた私は、勢いよく上半身を起こした。

「どこだ?」

 しかし答えはすぐにわかった。ロゴはいつの間にか、私の頭の下に移動していたのだ。どのようにして、後頭部と枕の隙間を縫ったのかはわからない。しかし、私が頭を乗せていた部分には、平べったくなったロゴが、目を閉じて眠っていた。まるで、揚げる前のドーナツのようだな、と思った。

「そこにいたのか。おはよう」

 私が声を掛けると、ロゴはゆっくりと目を開けて、ふっくらとした。平べったかった身体を、立体的にした。きっと起き上がったのだろう。仰向けの体勢から起き上がり、枕の上に垂直に立つと、身体を震わせて、小さく弾んだ。

「〜〜〜〜〜〜! !! 〜〜♪」

「寝起きが良いんだね」

 私はしばらく、ベッドの上に座ったまま、ロゴのダンスを見つめていた。起きた瞬間から一日を堪能しているロゴを見て、なんて素晴らしい生き方をしているのだろうかと、感心してしまったほどだった。


 ◆


 ロゴと暮らし始めて半年が経過した頃、ロゴが突然、弾むのをやめてしまった。

 いつものように私の枕になっているロゴだったが、枕の仕事を終えた後は、朝も昼も夜も、フローリングの上で仰向けになるようになってしまった。まるで抜け殻のようだった。だが、生きてはいると感じる。その理由はわからないが、死んでしまったのだという不安はなかった。

 ただやはり、心配ではある。

「一緒にテレビ見ないか」

 ロゴに話しかけても、ロゴはなんの反応も返さなかった。ただ、仰向けになって、床に落ちている。一日、二日、三日と経つにつれ、私はロゴに何かあったのではないかと不安になってきた。普段、テレビを見たり、インターネットで動画を見るだけだった私が、不安のあまり、ロゴの周りを右往左往するほどだった。

 四日目の朝、私は意を決して、緊急連絡先へと電話を掛けた。この電話は、私を管理する組織への直通電話だった。ここに電話を掛けることで、私は何らかの孤独を感じてしまうだろうと思い、今まで一切使わずにいた。だが、今頼るべきは国しかない。ロゴのためなら、私の孤独など、なんてことはないと思えた。

「はい、國崎さん」

 電話を掛けると、ワンコールで相手側の応答があった。相手は私を知っているが、私は相手を知らない。

「ええ、國崎です。緊急連絡先はこちらで合っていますか」

「問題ありません」若い女性の声だった。「本日はどうなさいましたか?」

「ロゴの様子がおかしい」

「ロゴ?」

 ずっとふたりで暮らしていたせいで認識がおかしくなっていたのかもしれない。恐らく、世界中の誰に聞いても、ロゴと言って生き物を思い浮かべる人間はいないだろう。私は慌てながら、まるで言い訳でもするように、電話口の女性に、ロゴについての説明をした。

「ああ、万博のロゴのことですね。いのちの輝きちゃん」

「そんな名前だったのか?」

「いえ、公式なものではありませんが、皆さんそう呼んでいます。輝きくん、とか」

「……とにかく、ロゴでも輝きでもどっちでもいいんだが、様子がおかしいんだ。誰か、有識者に問い合わせてくれないかな。普段は、飛んだり跳ねたりしているのに、ここ数日、ずっと元気がない。床に寝転がって、ぼうっと天井を見ているだけだ。明らかに様子が変なんだ」

「それはまあ、ロゴですから」

 返ってきたのは、ひどく冷たい言葉だった。

「生きているのであれば、問題はありません。我々は、五年後の万博でいのちの輝きが生物として大衆の前に姿を現すことを目的としています。変色した、動かなくなった、消滅した、などであれば問題ですが、現在のお話を伺う限りでは、特に問題ありません。ご用件は以上ですか?」

「問題ない? ……いや、問題あるんですよ。ロゴはもっと、普段から元気なやつなんです。こう……なんて言うかな……元気が溢れていて、生きることを楽しんでるようなやつなんです。それが、ここ数日、何もせずに寝転がってる。だから……そう! そうだ! うつ病なのかもしれない! 刺激がなくて、つらくなったのかもしれません。誰か、お医者さん……獣医とか、連絡が付きませんか」

「國崎さん」

 電話口の女性の声に感情はない。

「契約書はきちんとお読みになりましたか。あなたの部屋は、あらゆる箇所から監視されています。その上で、我々は、いのちの輝きに問題がないと言っているんです。確かにここ数日、日中帯の活動は活発とは言えません。しかし夜になればあなたと眠っています。生きているのだから、問題ありません」

「……」

 私は受話器を持ったまま、フローリングで仰向けになるロゴを振り返る。そこには、ほとんど生気のないロゴが横たわっているだけだ。

「……あんたに何がわかる」

「は?」

「あんたに何がわかる! 映像を通してロゴを見ているだけで、どうして問題がないって言い切れるんだ! あいつは……苦しんでるのかもしれないんだぞ!」

「國崎さん、これは専門家による判断です。監視と申し上げましたが、その部屋はさらに高度な機器によって管理されています。いのちの輝きが持つ特定の生体反応は常に監視しているということです。ですから、危険を感じた際にはこちらからご連絡を致しますので、國崎さんは普段通りの生活をなさってください」

「普段通りでいられるわけがないだろ! あいつがあんなに無気力でいるっていうのに! 何かあってからじゃ遅——」

 私の叫び声は最後まで続くことなく、無機質な電子音によってかき消された。

 私はここで暮らし始めて数ヶ月ぶりに、身体の中に怒りを蓄えていた。

 だが——その怒りを機械にぶつけて、何がしたい?

 なんで私は、第三者に頼ろうとしているのだろう?

 無機質な電子音は、私の脳をクリアにした。私にまだこれだけの生命力が残っていたことに驚いていた。

 ふいに、私は冷静になった。フローリングで横たわるロゴを見て、私は突然、自分の行為を恥じていた。私は……何をしているんだ。ロゴが無気力になっているというのに、それをただ見て、怯えて、他者に助けを請い、あまつさえ怒り狂っている。なぜこんなことをしているんだろう。

 私は気付けば、ロゴの横に膝を折り、その小さな身体を両手で掬い上げていた。ロゴは無気力に青い瞳を開いていたが、私が身体を高く掲げると、力なく、その視線を私にぶつけた。

「……もしかして、私の真似をしていたのか」

 私はロゴに尋ねる。無論、答えはない。

 だが、その姿に、私は覚えがあった。数日前までの私だ。ここに来て、最初の数日間こそ怯えたり、喜んだり、楽しんだりしていたが、ロゴとの意思疎通が叶って以降の私は——無気力そのものだった。私は、ロゴが毎日楽しそうに生きているのを、ただぼんやりと眺めるだけの人生を送っていた。無気力に、ただ無気力に。テレビをつけ、たまにインターネットを開き、天気の良い日は窓を開けて、ロゴが楽しそうにしているのをただ見ているだけだった。

 ロゴが眠るようになったのも、あるいは私の真似事なのかもしれない。睡眠を必要とする生き物には思えないのだから。私が夜になると眠るのを真似て、ロゴは眠っていた。そして今、ロゴは私の無気力さを真似て、寝転がっているのではないか。

「……そうか、そういうことだったのか。ごめん、ごめんよ、ロゴ……」

 私は手のひらの上でくたびれるロゴに、何度も何度も謝罪の言葉を口にする。

「私は、甘えていたんだな……ロゴが毎日、何もしなくても元気でいることに、甘えていたんだ……お前は勝手に生を謳歌出来るんだと、思い込んでいた……お前が元気にいるから、私は頑張らなくていいと、無意識に思っていたのかもしれない。明るいお前は、ずっと明るくいるものだって、思い込んでたんだ。でも考えてみれば、一番身近にいる私がこんな体たらくなのに、お前だけは明るくいてくれなんていうのは、都合が良すぎるよな……」

 私はロゴをソファに寝かすと、カーテンを開け、太陽光を取り込み、インターネットで昔よく聞いていたシティポップの動画を見つけ、それを再生した。

「よし、私は踊るぞ! 生きているのが楽しくなるまで! だからロゴ、お前も元気になったら一緒に踊ろう! お前が私の真似をしたくなるまで、私は一日中踊るよ。だから、お前もまた、元気な姿を見せてくれ! いや、お前が踊ってくれなくたって構わないさ。ただお前はそこで、私が踊るのを見ててくれ! 今度は私が、お前を楽しませる。生きることを、楽しむんだ!」

 私はその日、動けなくなるまで踊った。そして、死んだように眠った。翌日、身体のだるさを覚えながらも、また一日中踊った。そのさらに翌日、流石に私は筋肉痛になり、一歩も動けなくなった。

 ロゴはまだ動こうとしなかったが、表情(表情?)に変化が現れているように、私には思えた。


 ◆


 ロゴと四つの季節を過ごした。

 私とロゴは、目を覚ますとカーテンを開け、ラジオ体操をするのが日課になった。半年近く続けていたせいか、ロゴは次第に、ラジオ体操の動きを覚えた。もちろんリング状であるから、それっぽい動きにしかなっていない。呼吸器官もないから、深呼吸も出来ない。それでも傍目には、ラジオ体操を踊っている。

 私が丁寧な生活を心がけると、ロゴも同じような動きをするようになった。床やソファ、ベッドの上などで食べていた食事を、きちんとテーブルで行うようになった。毎日三食、決まった時間に食べるようにした。するとロゴも、食事の時間になると、私の近くに来て、何やら脈動する。私はいやいやながら組織に連絡し、初めて自分の給料に手を付け、ロゴ用の小さな椅子を買った。今、私とロゴは、同じ食卓を囲んでいる。

 ロゴを通して、私は自分の荒れきった生活を見つめ直した。ロゴが元気に生きている姿を見ると、私は自分の生活に自信が持てる。私が正しく生きていると、ロゴもまた、その元気を反映してくれる。

 これが生物と生物の在り方なのだと、私は痛感した。自分の都合だけで生きていることの、なんと愚かしいことか。確かに、規則正しい生活が億劫になることもある。それを投げ出したくなることもある。しかし、ロゴが毎日元気にいてくれる方が、私にとってどれほどありがたいか。

「今日は時間を掛けて、一からカレーを作るよ。昼から始めて、夜に食べるんだ。なんだか贅沢な気分だろ」

「〜〜〜〜〜♪」

「お前は鼻もないからわからないだろうけど、すごく食欲をそそる香りがするんだよ。じゃあ、包丁を使うから、お前はそこでおとなしくしてるんだよ」

「〜〜! !、!」

 ロゴはキッチンに置かれた椅子におとなしく腰掛ける。わかっているはずがない。理解しているはずがない。毎日の模倣の賜物だ。しかし私は、ロゴに言葉が通じていると思っている。いつか話してくれると思って、話しかけている。いつか匂いを感じてくれると思って、自炊を始めた。

 そしてこれは、願いでも、望みでも、ましてや祈りでもない。

 私がしたくてしているのだ。

 見返りを求めているわけじゃない。

 きっと私は、ロゴを通じて、生命を感じているのだ。いつか聞いた、いのちの輝きという呼び名の通り、この意味不明にも脈動し、ただ生命を謳歌するロゴを見て、私は生きていることの喜びを感じている。

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