短編小説置き場

『せめて浮気になればいいのに』

　彼女が結婚したあとも、私たちは頻繁にふたりだけの逢瀬を重ねている。

　お互い、誰とも結婚しないで、このままおばあちゃんになるまで一緒にいようねって誓い合ったはずなのに、彼女は勝手に結婚してしまったし、勝手に幸せそうにしている。さらに身勝手なことに、月に一度のペースで私と会っている。これって浮気じゃない？　と私が言っても、友達と遊んでるだけだよ、と当たり前のように笑う。旦那さんにも、友達と遊んでくると言っているらしい。ねえ、旦那さんは平凡な世界で育って来たから女同士では何も起こらないと思っているのかもしれないけど、そうじゃないよ。

　それでも私は彼女のことが好きだから、不満があっても、彼女と会うことを拒めない。こっちの都合なんてろくに考えていないような笑顔が好きだし、いじわるそうな目つきが好きだし、全てを包み込みそうな包容力とは裏腹に、とても繊細なところも好き。だから彼女の身勝手さに振り回されてる。恋愛に敗北した側の、悲しい習性だ。

　身勝手な彼女は、私にキスしたあとで、結婚とか考えてないの？　なんて残酷なことを簡単に言う。本気で言っているのか、私を夢中にさせたいだけなのか分からない。そもそも、結婚とかってなに。とかって。私は答えないでもっと彼女にキスして、その行為を拒まれないことをバカみたいに喜んでる。今、ふたりですっごく浮気をしているのに、彼女は多分本気で、これは大丈夫だなんて思ってるんだろうなって気付くと、すごく心がモヤモヤする。そのモヤモヤがゾクゾクになって、弱い力で抱き締めてしまう。彼女が抱き返してくれなくても、拒まれないだけで嬉しい。

　彼女の指は結構しっかりしていて、なのに肌が白いからとても綺麗に映る。私の手指は痩せっぽちでつまらない。彼女は綺麗だねと言って褒めてくれるけど、本当にそうかな。でも彼女がそう言うなら、そうかもしれない。美人だね、なんてお世辞を言われても、はいはい、って感じだけど、あなたに言われるとちょっと信じたくなるんだよね。それってあなたが好きだからなんだよって言いたくなるけど、多分、そんなことないよって冷たいことを言うんだろうな。

　私に本気になってくれない彼女も、いつかは私に本気になってくれていたはず。疑ってなんかいない。信じてる。だって、お互いを認め合った時、もうこの人しかいないって思ったはずだよ。そもそもさ、普通に男女が両想いになるってだけでもすごい確率だよ。人間が何億人もいて、奇跡的に片方と片方が好き合うってすごい。私たちはその二倍すごい。だって女同士だし。それって奇跡じゃなくて何？　もう本当嬉しい、ずっと好き。人生でこんなに素敵なことってない。って、ふたりで言い合って、愛情の分け方がわからなくて抱いて触れて口づけて、どうしようもない気持ちを肌でしか表現出来ないくらい、言葉が褪せるくらい愛し合わなかったっけ？　でもさ、今って実際、惰性じゃないの？　女同士で疑われないから都合が良くて、昔の自分みたいにいられるから一緒にいるんじゃないの？　私は従順だし、あなたは日々の夫婦生活とか、家事とか、労働とか、親戚付き合いとか、そういうものを忘れるために私と会うんじゃないの？　それって嬉しいけど、複雑だし、すごくイライラする。

　でもいなくなって欲しくない。

　ただ会ってくれるだけでも嬉しい。

　だけど本当はもっと夢中になって欲しい。

　これって浮気じゃない？

　そう言ったら、ちゃんと認めて欲しい。

　浮気してるんだよ、私たち。

　それって、すごく好きってことでしょ。

　彼女も結構、毎日ストレス感じてるのかもしれない。ベッドの上でお互いにバカになって、シラフじゃ思いつきもしないセリフを吐き合った後、彼女は疲れて眠ってしまう。私はこの日のために体調を整えてきたから、全然眠くない。結構丸顔な彼女の頬にさわって、どうして嫌いになれないのか考える。でも答えなんてあるはずないか。好きになった理由がないんだから。

　私は彼女の薬指に光る指輪を見つけて、ちょっと撫でたあと、ムカムカして強引に外そうとする。でも案外あっさり、指輪は抜けてしまった。結婚した後、痩せたのかな。私はそんなことには全然気付かなかった。多分盲目なんだろうな。

　指輪を指先で転がして、紅い日差しに輝かせて、こいつをどうしてやろうかと考える。どうしたら分かってくれるんだろう。どうしたら思い知らせてやれるんだろう。私に疑いが掛からない方法で、彼女にばれない方法で。

　指輪を口に放り込んで、舌先で何度か弄んで、唾液をいっぱい溜め込んだ。

　飲んだ。

　飾り彫りが私の喉に痛みを植え付けて、感覚がしっかり分かるほどの質量を持って、喉を通って、食道を通って、胃の中に異物感。

　ほら、これで困るでしょ。

　いつ気付くんだろう。出来れば家に帰るまで、気付かないで欲しいな。その程度の存在であって欲しいよ、指輪なんて。で、旦那さんに言われたらいいよ。指輪どうしたの、って。そうやって疑われればいいじゃん。ずるいかな？　最低かな？　でもどうしようもないんだよ、ごめんね。

　私は本気で好きなのに、あなたが遊ぶなんて言うから。私は友達でもないし、遊んでもいないってこと、あなたも少しは分かってよ。

　私は本気であなたが好きだから、あなたが本気じゃなくてもいいから。

　この関係が、せめて浮気になればいいのに。