『どこかで君が死ぬのを待ってる』
会員登録のために自分の生年月日をホイールから選んでたら、ご丁寧に三十八歳と出て来て、言われなくてもわかってるよと思うと同時に、タイムリミットが来た。
何歳まで本気で平気だったのか忘れちゃったけど、多分三十五歳くらいまでは結構平気だったんだよな。男だからかな。男だからかもしれないな。年齢の割には若く見えるよな、なんて思いながらずるずる何も考えないように仕事ばっかりしていたら、三十八歳だ。三十八歳ってすごいな、一気におじさんみたいだ。二十八歳になった時にも、そろそろ大人にならなきゃ、と思ったもんだけど、三十八歳はまた一段とすごいな。強制的におじさんだ。自他共に認めるおじさんだ。ようやく自認した。
課長に昇進して、まあまあ金も持ってて、仕事もまあそんなに苦じゃないし、休日は美味いもん食ったり旅行に行ったりして、まあそれなりの人生だななんて思ってたけど、急に寂しくなって来て、結局会員登録も途中で出来なくなっちゃって、俺は何故か急に昔好きだったバンドの曲なんかネットで探して、PVを見付けて、繰り返し聞きながら泣いていた。タイムリミットが来た。
それなりの人生だったけど、これ以上良くはならないんだろうなってことが、感覚的にわかったんだ。今から婚活して、自分が残りの人生一緒に過ごしてもいいかなって思える人に出会ったとして、妥協だったり惰性だったり、そういうもので選ぶことになるわけだよな。うん、夢見るのはよしたほうがいいな。この先、燃えるような大恋愛があって、奇跡的に同年代くらいの女性と結婚出来ることなんかあるはずないんだから。負けちゃったんだな、人生に。昔はメロディが好きでよく聞いてたのに、ろくに考えもせず聞き流してた歌詞が、今の俺のことを歌ってるみたいで、余計に泣ける。
それなりなんかじゃ全然なくて、つまんねえ人生だったなと思ったら、急に涙は止まって、壁に頭預けて口開けながらヘッドフォン付けて、遠くを見てると懐かしい匂いがする。中学校かな。中学校の渡り廊下っぽい匂い。記憶の匂いは昔好きだった女の子のことを思い出させて、俺はあの子のことが好きだったなって今更ながらに本当に後悔し始める。あの子のことが本当に好きだったのに、どうして俺は何もしなかったんだろう。断られたっていいから、声くらい掛ければ良かったのに。あの頃に聞いてた曲だから、あの頃の匂いがするのかな。
初恋の女の子は十年以上前に結婚してるし、子どもがいることも知ってる。だからもう、十歳くらいの子どもがいるのか。子どもはふたりかな、確か。二十代の後半に、フェイスブックで知ったよ。結婚式の写真も見たよ。まあ、どこが好きなのか分からんような薄い顔の女の子だったけど、可愛かったし、好きだったな。昔は何度か遊んだりもしたんだけど、好きだってことは多分向こうも気付いてないんだろうな。
最近ほとんど見なくなったけど、よく夢に出て来るよ。幸せなパターンもあるし、当時の記憶を再現しただけのパターンもあるし、嫌われるパターンもあるし。まあでも、あの子が夢に出て来ると、なんとなくテンション上がってたかもなってことに気付いて、つまんねえ人生どころか、最悪の人生だなってことにも気付く。そっか、もうどうしようもないんだな。幸せになるためのタイムリミットはとっくに来てたけど、それを見ない振りが出来てたのに、今はもうダメだ、それすら通用しなくなってしまった。曲が終わる度にまた再生ボタンを押して、繰り返して聞いてる。CDの方がよっぽど便利だったな。
どう考えたって初恋の子と今更結ばれることもないし、向こうが俺のことを好きになることもないし、生まれた子どもの存在がなくなるわけでもないし、そもそも案外付き合ってみたら嫌なとこばっか目について嫌いになるかもしれないし。
嫌いになれれば良かったのに、もう初恋を消費するタイムリミットも過ぎてしまったんだろうから、俺は多分一生それを引きずって死ぬんだろうな。淡い期待でもない、僅かな希望でもない、あり得ないってわかってる夢を見ながら死ぬんだろうな。でもそれ以外に選択肢なんてないんだし、もうあとはうまく折り合いつけて生きて行くしかないでしょ。
だからって自殺したいわけでもないしな。終わりでいいんだけど、もう。タイムリミットに間に合わなくて、ゲートは閉じて、物語は進まなくて、その辺の敵だけ狩り続けるRPGだとしたら、終わりにしたいよ。これ以上進まない物語なんて読みたくないよ。生きてりゃいいことあるって? 確かにそうかもしれないね。いいことあったよ、たくさん。昨日だっていいことあったよ。そりゃ生きてりゃいいことも悪いことも起こるだろうね。でも幸せになれるかって言ったら、それは違うんじゃないの。わかんないけどさ。
もう音楽を再生する気力もなくなって、ヘッドフォンは付けたままで、それでも時間になったら勝手に寝て、自動で起きて、仕事に行って、職場に着いたらそれなりに満たされて、誰かと喋ってると気が紛れて、家に帰ってひとりになって、やっとまた同じ気持ちになって、死にたいなんて思うんだろうな。
むしゃくしゃしてフェイスブックにアクセスして、全然覚えてないアカウント名とパスワードを必死になんとかしてログインして、めちゃくちゃ通知が来てるけど、俺宛のコメントがあるわけじゃない。二十人程度の友達の中から、あの子のアカウントを見付けて、開いてみる。十年くらい前に見た時から全然更新なんかされてなくて、でも、アイコンだけがその子の顔写真から、ふたりの子どもと撮ったらしい写真に変わってる。下の子がようやくひとりで立てるようになったって感じの年齢だけど、多分もう小学生とかなんだろうな。会ったことないし、名前も知らないけど、そうか、大きくなったんだなって思って、悔しいやら情けないやらでまた涙が出て来る。
今、なんかしたら、気持ち悪いよなって分かってる。お互い忙しい。お互い? いや、勝手に片方と片方が忙しい。いやいや、そもそも他人だ。俺は仕事で忙しい。この子は育児で忙しい。お互い三十八歳。お互い七十歳くらいになったら、なんか、昔はあなたのことが好きだったんですよ、くらいは言っても許されるかな。旦那も許してくれるかな。別にいいよなそれくらい。七十歳つったらジジイとババアだし、浮気もクソもないよな。だって順当に行けばこの子もババアで、孫とかいて、旦那も多分流石に定年退職してて、あーでもそうなると夫婦水入らずで暮らしてて、それか息子夫婦と同居してて、孫の世話とかしてんのかな。でもさ、生きてたら七十歳記念とか言って同窓会企画して、なんとかしてこの子のこと呼んで、面と向かって、中学生の頃の初恋だったんですよ、って言うくらいは許されるんじゃないか。お互いもう老い先短くて、多分その頃には、この子もタイムリミットだろうし。いやどうなんだろう。孫の成長とか見るの楽しみで仕方なかったりすんのかな。でもまあ、もう自分が主役じゃなくなってる人生の中に、昔の同級生が、昔は好きだったんですよって花を添えるくらい、許してもらえるんじゃないかな。
だったらせめてその一言が言えるくらいには身なりもちゃんとして、なんとかハゲないように頑張って、上品な老紳士って感じになって、その一言のために頑張るのも良いかな。でもあと三十二年か。長いなあ。でもあっという間かもな。実際、この十年、あっという間だったし。
それまでにもし俺かこの子が死んだら、そこで終わりにしよう。勝手に人生の目標にさせてもらおう。悪いけど、それくらいしか興味のあることがないんだ。趣味もないし。旅行も最近、疲れるだけだし。だから悪いけど、うん、そうする。申し訳ない。
途中で飽きるかもしれないけど、まあそういう……勝手に、七十歳くらいでのビッグイベントがあるって考えると、不思議なもので、あと三十年以上あるんだなって勝手な気持ちになってくる。それは全然幸せなことでもないし、良いことでもないけど、楽しみではある。
それまでに彼女が死んだら、五十歳はないにしても、六十歳とか、そのくらいで死んだら、そこで終わり。それまではせめて生きないとって気持ちになってきて、連絡を取るわけでもないけど、勝手に俺ひとりで決めて、そういう野望を生み出す。
もうあと七十歳まで生きるだけでいいんだって思うと、急にすごく開放的になってきた。そのままベッドに寝転がる。寂しい家で一人暮らし。プライベートで会話した記憶なんて久しくない。だけど七十歳のことを考えると、久しぶりに楽しみながら眠れそうだ。
寝る前の想像だけが楽しい。
幸せな気持ちになれる。
そうだ、素敵な紳士になろう。身体を鍛えよう。人に優しくなろう。紳士的になって、誰からも好かれるような老人になって、ちゃんとした身なりで散歩とかしよう。もしかしたら、誰かに好かれるかもしれない。意外と早いうちに、結婚を申し込まれるかも。それか、俺が申し込みたくなる人に出会えるかも。タイムリミットとか言ったけど、一旦延長。もうちょっとだけ。少なくとも七十歳の同窓会が俺の生きる目的だから。
そうやってなんとなく上手く行ったらいいなって思いながら、電気消して、布団掛けて、目を閉じて、想像する。
だからどうか死なないで、元気でいて欲しい。
どこかで君が死ぬのを待ってる。
俺の知らないどこかで。
俺の全然関係ないところで、幸せな状態で、たくさんの人に囲まれて、惜しまれて、でも大往生って感じで亡くなって、俺はその時、今よりはちょっといい状態で変わらず生きてて、君の生死なんて知らないまま、生きているか、まあ先に死んでいてもいいし、とにかく君の死を知らないままでいたい。
どこかで君が死ぬのを待ってる。
それでも運良くお互い生きていて、お互いにそれなりで、お互いに健康で、お互いに同窓会なんかに顔を出す気力があったら、気障な感じで告白して、俺の長年の計画なんて知りもせずに笑い飛ばしてくれればいい。
それまで一切無関係で、今まで通りに遠い存在で、頭の片隅にもない、言われて思い出すくらいの距離で、けれどどこかにはいて、だけどいなくなっても分からないくらいの場所で、死ぬのを待ってる。
君がいてよかったよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます