『花瓶』

 鉢植えの土に水をやる。土が、湿って乾いてを繰り返している。乾いたらまた水をやる。芽は出ない。花も咲かない。それでも水をやり続けている。

 通りすがりの鬼が、不思議そうにその行為を眺めている。鬼には、きっとその気持ちが理解出来ないんだろう。「何か?」と鬼に問いかけると、鬼は驚いたように目を丸くして、「いやあ、何をしているのかと思って」と、やはり不思議そうに言う。

「水をやっているんですよ」

何故なぜ水をやる」

「花を咲かせるためです」

「かれこれ、一年近いんじゃないか」

 鬼はストーカーの癖もあるようで、この行為の長さを知っているらしい。「それでも咲くまで続けるんですよ」と鬼に言うと、鬼は首をひねって、指をさす。

「あの花瓶」

「はい?」

「あの花瓶、枯れた花が刺さったままだが、また新しい花を咲かすのか」

「いいえ。あの花瓶の花は、過去の栄光です」

「過去の栄光とはなんだ」

「私が咲かそうと願って、そして咲いた花です。今はもう枯れました」

「じゃあ何故新しい花を咲かす。花瓶の花を、もっと大切にしたら良かったじゃないか」

「大切にしましたが、この花では、喜んでもらえないんです。だから、喜んでもらえる花を咲かすんです」

「そんなの、苦しいだけだ」

「苦しいですよ」

 ぽろぽろとこぼれる涙が、鉢植えの土を濡らす。鬼は困ったように、「悪かった」とか、「すまなんだ」と言う。鬼は分かっていない。鬼は悪くないのに。

「その花が咲いたら、花瓶はどうするんだ」

「花瓶の花は、捨てなければなりません。でも、捨てられません。私の生き甲斐がいだったからです」

「もう、その鉢植えに水をやるのはやめたらいい。花瓶の花と同じ花を、また育てたらいい」

「出来ません。あの花は、咲かすのに、とても時間がかかるんです。だから私は、この鉢植えに、水をやらなければ」

「一年経っても咲かないじゃないか」

「咲かせなければ」

 私は乾いた土に、また水をかける。鬼は困ったように、「やめろ、もうやめろ」と泣いた。私も泣いていた。私だって、もうやめたい。でも、咲かせなければ喜んでもらえない。

「その花が咲いたら、お前は嬉しいのか。お前はもう泣かずに済むのか」

「花が咲いたら、枯れないように、ずっと泣きます。泣きながら、花を育てます」

「どうしてそんなに辛いことをするんだ」

「花瓶の花が枯れてしまったから、私は新しい花を咲かせないといけません。もう、それ以外に、生きる理由がないのです」

 私と鬼は、またぽろぽろと泣いた。花は咲かない。土はすぐに乾いてしまう。花が咲いても、喜べない。それでも水をやらなければ。

 鬼は何も分からないままに泣いた。

 あなたが泣いても花は咲かない。

 花が咲いても、涙は止まらない。

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