短編小説置き場

福岡辰弥

『上映』

 映画館に、客はひとりだった。赤いベルベットで作られた百席ほどの観覧席は、ひとつを除いて閉じられている。中心にほど近い席に、ひとりの少女が座っている。ポップコーンもジュースも持たずに、上映を待っている。

 彼女が手を振るのに気付いて、歩み寄る。彼女とは知り合いではないが、歩み寄っていた。隣に座ると、「こんにちは」と彼女が言う。上映時間まで、まだ二日も時間がある。

「映画を見られるんですか」彼女はスクリーンを見つめたまま言う。頷くと、「私もです」と、まるで共通点でも見つけたかのように、彼女は喜んだ。おかしな人だ。映画館にいるのだから、映画を見るのは当たり前なのに。けれど、喜ばれると、悪い気はしない。彼女が、女だからだろう。異性が喜ぶと、男は嬉しい。

 これから上映される映画の内容は知らない。ただ、毎日降り続ける雨から逃げるために、映画館に駆け込んだのだ。次の上映は二日後だよ、とに言われたけれど、気にしない。雨はまだ止む気配がない。雨宿りが出来るなら、どこだっていい。

 少女はちらちらとこちらを見ながら、何も言わずにスクリーンに向き直る、という行動を何度も続けていた。「何か?」と尋ねると、「お話がしたいのですが」と言う。歓迎だった。「どうぞ」と言うと、彼女は嬉々として、私に体を向ける。

「どうして映画を?」

「雨が降るからだよ」

「雨は降っていませんよ」

「外は降っているんだよ」

「そうですか。もう、何日も外に出ていないから……」

 雨が降り始めたのは、もう一週間も前のことだ。彼女はその間、ずっと映画館にいるのだろうか。

「いえ、私は生まれてからずっと」

 悲しいことだ。いや、羨ましいことだろうか。ずっと外の世界にいると、時々、荒れる天気や、気温の変化に、辟易へきえきとする。「それは素敵なことだね」と言うと、彼女は言いにくそうに、「つまらないですよ」と言った。

「つまらないのか」

「この映画館は、ずっと同じ映画を上映しますから。見飽きていても、ずっと見続けるんですよ。あなたが来るから、話が出来ます。あなたが帰れば、私はまたひとりです」

「他の客が来るさ」

「来ませんよ。あなたの映画館は、ここだけです」

「僕が来なければ、君はずっとひとり」

「そうです」

 でも、と言って、彼女は席を立つ。

「あなたは帰らなければ。雨は止みません」

「雨は僕の世界で降るんだ」

「あなたの憂鬱は、人を困らせます」

 手を取られ、劇場の外まで連れ出される。不思議そうな顔をすると、少女に見送られ、雨の中に送り出される。

 雨は降り続いていて、傘もない。けれどいつかは止むだろうか。憂鬱は晴れないままでも、いつかは止むだろうか。

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