第8話  切り取られたヒマワリ

 道を見つけ、ようやくアヤカの落ちた崖下へとたどり着いた。

 もう辺りは薄暗くなっている。

「……いない」

 荒い息を整えながら、もう一度確認する。

 地面には枝や鉛筆が散らばっていて、落ちた形跡は確認できる。だが、肝心の彼女の体がどこにもなかった。

 崖を見上げる。さっきまで歩いていた道があるはずだが、暗くてよく見えない。

 到底無事で済む高さではない。

 改めて周囲に目を凝らしたところで、暗がりの中で鮮やかな金色に光るものを見つけた。

 ひまわりだ。

 日差しもろくに届かない山の中にもかかわらず二メートル大の立派なひまわりが咲いていた。

 その大輪は半分だけしか存在しない。

 半円の花が、金色の輝きを放って揺れている。

 よく見れば、森はその部分だけ切り取られたように開けていた。木々が開かれ赤く染まった空が見える。地面も、むきだしになった断面から地層の覗いていた。

 まるで空間にハサミを入れて、取り出したみたいだ。そのハサミの上にひまわりがあって、半分だけが残ってしまっているわけだ。どうやってそんなハサミを入れたのかとか、どうして切り取ったひまわりが腐らずにすんでいるのかはわからない。

 だが、透には心当たりがあった。

「これは……」

 神社の森。

 ひまわり。

 秘密基地だ。スイの能力を使って、秘密基地を作ったのだ。そのとき、基地を守る城塞に見立てて、ひまわりで壁を作った。

 透は、スイのスケッチブックを取り出した。

 秘密基地の絵を見つける。そして、目の前の風景と見比べてみた。

「……なんだよ、これ」

 スケッチブックの右端には、紙面に収まり切らなかったひまわりが、左半分だけ描かれていた。その右半分が、今目の前にあるひまわりとぴたりと一致する。

 さらに、絵と目の前のひまわりと一致させると、切り取られた森もまた同じようにぴたりとはまった。まるでジグソーパズルのように。

 ハサミで切り取られ、そのまま絵の中に閉じ込めた。そうとしか思えないほど、目の前の光景と絵の描写は完璧に一致していた。

 そのひまわりの横に、リュックが逆さになって落ちていることに気づいた。

 アヤカのリュックだ。

 崖から落ちた拍子にここまで飛んできたのだろう。

「…………」

 なかば茫然となりながら、リュックを拾って中を見てみた。

 スケッチブックが数札入っているだけだった。

 彼女の荷物は他にはない。直接手に持っていた、この村を描いているスケッチブックと色鉛筆セットだけだった。

 着替えも財布も洗面用具もない。

 スケッチブックの、いちばん古いものを手に取った。

「これは――」

 中を開いた瞬間、


 透は、あふれた涙で何も見えなくなる。


 涙をぬぐい、確認する。

 これは、村を描いたスイの絵だ。卓越した技術では同じだが、アヤカの絵とは確実に違う。

 鉛筆だけの素描なのにもかかわらず、生命力にあふれた絵だ。

 この異常なほどの存在感には、覚えがある。

 現実に生み出したときの絵だった。

 めくってもめくっても、スイの絵が描かれている。同じように、命そのものであるかのような輝きを放つ、白と黒とのスケッチが描かれている。

 学校。

 一本杉。

 お稲荷様の社。

 透の家に、ばーちゃんの姿。

「……うそ、だ」

 それは、村の全景だった。

 今日アヤカとともにめぐってきたすべての光景だった。

 思い出す。

 不自然な村中に走った継ぎ目。それは、無理やり景色をツギハギしたようではなかったか。

 テレビと食い違う、猛暑の天気予報。それは、この村だけが他の土地とは異なる空間であるようではなかったか。

 なくなったはずの商店に昔のタバコの料金を置いていく村岡さんに、いつまで経っても透を小学生だと思い込んでいるばーちゃん。いつまでも変わらない人たち。

 人だけではない。村そのものが、あの日から何も変わっていないように見えた。実際、何も変わっていなかったのだ。

 この村は、スイが生み出したものだったのだ。

 さらにスケッチブックをめくると、土石流が描いてあった。神社を封じていたあの土石流もまた、スイが生み出したものだった。

 この神社に、答えがあるはずだ。

 透は立ち上がろうとして、それに気づいた。

 土石流の絵の中に、道ができていた。

 それはさっき、アヤカが見つけたものだ。

 描かれた当初からあったのだろうか。だとしたら、はじめからあの道は存在した上で出現していて、とっくに透が見つけている。

「どういう……」

 何とはなしにスケッチブックをめくろうとすると、透の言葉が止まった。

 学校の絵だった。最初は目の錯覚かと思った。が、見る見るうちに絵の輪郭ぼやけていき、数秒と経たずに白紙になってしまった。

「……これは」

 紙の表面をなぞるが、スケッチは完全に消えている。ただ、紙面の端には細長いものが残っていた。イチョウの木の枝だ。

 その枝が、目の前の半分になったひまわりと重なる。

 これは、消え損ないなのだ。

 絵は、もうひとつの現実だ。絵によって生み出されたものは、絵ともつながっている。だから現実に生み出した土石流に道ができれば、絵の中にも同じように道ができる。

 なら、絵が消えるとはどういうことか。

 なぜ消えてしまったのか。

 ――くそっ。

 透はスケッチブックを脇に抱え、走り出す。

 アヤカだ。

 彼女は生きている。

 そして、この村にきた本当の目的を果たそうとしているはずだ。

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