第5話 残された絵
ばーちゃんの宿泊許可はあっけなく決まった。
心なしかいつもより豪華な食事を終えたあと、透は部屋からスイの絵を持ち出す。そしてアヤカの前に広げた。
「これは?」
「スイの絵です。あ、アヤカさんを描いた絵もありますよ」
そういってスケッチブックを開く。物憂げな表情をしたアヤカの絵が出てきた。
そして今目の前にいるアヤカも、同じ表情をしている。ため息。
「昼にも言ったと思うけど、あなたの幼馴染のことを私は答えられない」
「あ、はい。知らないんでしたっけね」
まさにその話をしようとしたところだった。出鼻をくじかれてしまう。
「な、なら純粋に絵としてはどうです? 絵描きとしてのアヤカさんから見て、スイの絵は」
「…………」
そう言われて、アヤカはスケッチブックをめくっていく。頬杖をつきながら、いかにも億劫そうだ。
「透は、どうして学校に行ってないの」
視線を絵に向けたまま、アヤカがたずねた。
一瞬、透は息を詰まらせる。
「い、いきなりなんですか……」
「気になったから聞いてみている。働いてるって感じでもないから」
ちらりと視線を上げてくる。
「私も君の要望に応えている。透も応えるべきだ」
「うぅ」
そう言われては、返す言葉もない。
透は自分の過去を説明した。自分をおいて消息を絶った親のこと。風邪で寝込んでいる間に消えたスイのこと。そして、周囲のものが消えることに不安を抱える自分のこと。だから、中学校から先は学校に行っていないこと。
アヤカはスケッチブックに目を通しながら、ずっと黙って聞いていた。
「まあ、こんな話しても、信じてもらえないかもしれませんけどね」
「君がいても消えるときには消えるし、消えないものは消えない」
透は、何を言われたのかわからず、言葉が出てこなかった。
ただ、胸の中にわだかまっていたものがときほぐれた気がした。数秒たってから、それが安堵なのだとわかった。
突飛な理由を否定せずに、受け入れてくれて、その上で励ましてくれたことへの安堵だ。
「……変な言い方しますね。普通は、モノはそう簡単に消えるはずない、とか言いそうなのに」
「でも消えた。君の幼馴染は」
いくら透でも、自分の話が簡単に受け入れられるとは思っていない。かといって、彼女が適当にその場をあしらっているだけとも思えない。
もしかしたら、と思いつつ、透は誰にも話したことがない問いかけをした。
「アヤカさんは、モノが現実に現れるほどの絵を、描いたことはありますか」
アヤカは、目線を上げる。
「スイが、そうでした。彼女は、心に思い描いたモノを紙に写し取れば、それが現実に現れると言っていました。現に、僕も見ました。本当に、魔法のように現れるんです」
透自身がモノが消えるという突飛な不安を抱えている一因に、スイの能力を目の当たりにしていた、ということがある気がしていた。絵を描くだけでモノが現れる能力があるなら、いきなりモノが消えることもあるのではないか。
「……なるほど。それなら、納得できる」
そうつぶやいて、アヤカはスケッチブックを閉じた。
「これ。うまいと思う」
「え。あ、はい」
スイの絵の話になったらしい。いきなりで戸惑うが、ほめられたのでちょっとうれしくなった。だが、
「だけど、それだけ。これは『絵』じゃない」
「え?」
「絵で描くのは、被写体そのものでなくて、それを通した自己の内面。絵っていうのは、作者の思想、願望、感動――そういう、言葉では表せない心の動きを反映させたもの。でもこれは、ただそこにあるものをただ描いたというだけ。それ以上でも、以下でもない。それなら、撮ったものを処理・加工できるデジタルカメラのほうが優れてる」
透は自身が批判されたかのような気がして、固まってしまう。
「その話を聞いて、納得した。現実にモノを生み出すために描いているなら、それは絵じゃない。もっと別の、恐ろしい何か」
「…………」
ふと、思い出したことがあった。
スイが生み出した子犬のことだ。そのことをきっかけに、スイは絵を描かなくなった。
年を経るにしたがって、スイはあまり能力を使いたがらなくなった。それでも透が頼めば、生み出してくれていた。
子犬を生み出してほしいと透が頼んだのは、そんな時期だ。透自身は彼女とは逆で、その能力の異質さに麻痺していた。前の日にテレビで動物番組を見たという理由だけで、子犬を生み出してもらったものだった。
だが三ヶ月経ったある日、その子犬はトラックに轢かれてしまう。田舎で交通量が少ないので綱を離して散歩をさせていた矢先だ。
透は、轢かれる瞬間をたしかに見た。トラックが、子犬の体を踏みつけてバウンドするのを、運転手の引きつった表情を、今も記憶している。
だが、子犬は無事だった。
怪我どころか、傷ひとつなかった。すぐに透の足元に駆け寄り、尻尾を振って飛び跳ねていた。
たぶん、気のせいだったのだと思う。轢かれたと思ったが、タイヤは子犬をよけていて、大きな石か何かを踏みつけてバウンドしたのだろう。そうに違いない。
そうは思ったのだが、それ以来、その子犬を見るたびに背筋に寒気を感じるようになってしまった。
結局、その子犬はスイが引き取ることになり、そして彼女と一緒に消えてしまった。
「スイは、あまり絵を描きたくなかったみたいでした」
「普通は、そんな自然の摂理に反した能力、恐ろしくて使えない。子どもでも、うすうすその意味を感じていたのかも」
「だから、消えてしまったんでしょうか」
「それは……」
「絵を、描かせたのは僕なんです。彼女は僕の頼みを聞いてくれただけ。この村の風景だって、僕が頼んだものなんです」
子犬の事故から、スイはまったく絵を描かなくなった。透もそれは同じだった。が、気まずい空気と笑顔が消えたスイのために、あえて提案したのだ。
村の絵を描いてみないか、と。
何かを生み出すためのものではなく、ただの、二人の思い出を残すための絵。
そしてその絵だけを残し、スイは消えてしまった。
「僕が絵を頼んだから、僕のせいで、スイは消えてしまったんでしょうか」
手を、引かれる。
体に力が入らず、そのまま引き寄せられて倒れそうになった。
が、床に倒れる前に、やわらかいものが透の体を包み込む。
「え……」
アヤカだった。
彼女に抱きしめられている。
「あの……」
彼女の服が濡れて冷たくなっていた。自分の頬を押し付けていたところだ。どうやら、自分は泣いていたらしい、と気づいた。
なんだか甘い香りがする。
不思議と気分が落ち着いた。スイの絵を見ているときのような感じだ。
だが、すぐにここは居間で、近くにばーちゃんがいることを思い出した。
「ちょ、ちょちょっと――」
慌てて彼女の体を押しのける。ちょっと名残惜しい気はしたけど、そんなこと言ってられない。さすがに恥ずかしいし。
アヤカのほうも、なぜか顔を赤らめ、慌てているようだった。まるで彼女も我に返った感じだ。
「ご、ごめん」
「い、いえ、こっちこそ。なんか昼も倒れちゃったり、情緒不安定ですみません……どうにかならないですかね、これ。ははは」
彼女の目を見れない。代わりに、足元なんか見てしまうが、細くて長い足がジーンズ越しでもわかったりして、この人は大人の女の人なんだと思って変な気持ちになったりして困る。スイとは全然違うんだ。
そう。スイとは違う。なのに、どうして彼女の絵と同じように安堵を感じるんだ。
「君のそのトラウマなら、なんとかできるかもしれない」
アヤカが言った。もう冷静な口調に戻っている。
「君の消えてしまうことへの恐怖は、幼馴染の子とのことを消化しきれていなかったからだと思う。わけがわからないうちに消えてしまった。だから現実を受け入れられず、ただ消えてしまわれることの恐怖だけが残った。だから、ちゃんと彼女のことを消化しきれば、そのトラウマも消えるはず」
「でも、どうすれば」
「私の絵描き、手伝ってほしい。幼馴染の子との思い出の場所を案内してほしい。そして君と彼女の夏を、やりなおそう」
そんなことで本当によくなるのか。
そう思ったが、アヤカの真剣な目つきを見たら何も言えなくなった。
「で、でも、あの夏にやったことを繰り返して、もしアヤカさんが消えるようなことになったら――」
「だから、君のせいで消えるわけじゃないが……まあ、わかった」
アヤカはひとつ咳払いをして、
「先に宣言しておく。私は、消える」
一瞬、心臓が凍りついたような気がした。
心臓自身もそう感じたらしい。すぐに熱を帯びて熱い血液を全身に送り出そうとする。今度は体を冷まそうとしてか冷や汗が出てくる。
「私が、ずっとこの村にいると思った?」
「そういうわけじゃ、ないですけど」
「いや、そういうこと。私は、君の前から消える。人と出会い、別れるとはそういうこと。今回、そのプロセスを正しく体験することで、正しい認識を学ばせる。言い換えれば、私と別れることが、君のゴール」
理屈はわかるが、いまひとつうなずききれない。
「ちなみに、彼女がただ君の言うままに絵を描いていた、というのはちょっと違うと思う」
アヤカが、スケッチブックのとあるページを開いた。
そこには、幼い透の姿が描かれていた。川辺で釣りをしてる姿だ。麦藁帽子を被って、こちらに振り向いている。あくびした直後の気の抜けた表情をしている。
「これだけは、『絵』になってる」
「え。それって、どういう――」
「そのスイって子は、君のことだけは冷静な目で見ることができなかった、ということ」
アヤカは、ポケットから紙を取り出す。チラシだ。裏返すと、真っ白な紙面に一本の黒い線だけが描かれていた。張られたワイヤーのようにも見えた。
その横に何かを描く。驚くべき速度で描かれたのは、透の絵だ。写真に写したかのように精巧に描写している。ただし、目だけは少女マンガのようにキラキラしている。
「私は、少しうらやましい。そんな風に、筆が曇るほど人を思うことができるなんて。だから、彼女の気持ちを、君を通して知りたい」
「え。それって――」
「そう。私も、スイと同じ。本当の意味での『絵』を描くことが、できない」
笑顔で、言われた。
彼女がどれだけの気持ちでそう言ったのか、透にはわからない。
けれど、できることはあった。
「じゃあ、お願いします」
「お願いされるのはこっちのほう」
そういって、彼女は屈託なく笑った。
透は気づいた。
顔は全然違うけれど、アヤカの素直に笑う表情はスイの笑顔とよく似ている気がした。
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