第4話 失われた夢
どさ、と体が落ちた感覚。
ベッドで寝ていたはずなのに、透はパジャマ姿で外に倒れていた。
「んむ?」
起き上がって、ぺっと吐き出す。口の中に土が入っていた。
昨日はたしかにベッドで寝た。小学生最後の夏休みなのに、風邪でダウンしていたからだ。
見渡す限り、むき出しの地面と満天の星空だけ。空は地平線で山の稜線に切り取られている。
その山の見え方に見覚えがあった。ちょうど、うちの庭から見たときの形と同じなのだ。
「まさか――」
ここは紛れもなく自分の家があった場所だ。寝ていたはずの場所で、家やベッドのほうが消えてしまったのだ。
消えたのは家だけではない。隣の田中さんの家も、向かいの大川さんの家も、学校も、公民館も、中根商店も、一本松も、お稲荷様も、みんな消えている。
「ゆ、夢だ――」
すがるように、その言葉をつぶやく。
「夢だ、夢だ、夢だ、夢だ――」
頭を抱えて座り込み、必死にその言葉を繰り返す。
「――っ」
ふと、気配を感じて後ろを――。
風鈴の音で、透は目を覚ました。
自宅の縁側だった。タオルケットだけを腹にかけられ、頭には冷えたタオルが乗せられていた。
空が赤い。西の空に日が沈みかけていた。
また風鈴が響く。昼の熱が嘘のように、風が心地よい。
――なんで寝てたんだっけ?
遠い日の夢を見ていた気がする。そのせいか、寝てしまう前の記憶があいまいだ。
体を起こそうとしたら、めまいに襲われた。
それで、思い出す。
絵描きの少女と話していたら、商店が消えているのを見て、倒れてしまったのだ。
――消えている。
思わず、身震いする。
――落ち着け。消えるわけ、消えるわけが……でも、今回は本当に……
普通に考えたら、唐突に消えるはずがない。だから今まで、ギリギリで耐えられていた。だが今回は、そんな理屈をあざ笑うかのように、忽然と消えたのだ。
傍らに置いてあったスケッチブックを手繰り寄せる。だが、体の震えは治まってくれなかった
「おぉ、透。起きたのけ」
泥だらけの姿で、ばーちゃんが歩いてくる。畑で野良仕事を終えてきたのだろう。
「スイちゃんに礼、言っとけよぉ」
「え? スイが?」
その名前を聞いた瞬間、胸の中に暖かいものが広がる。震えが消えた。
が、すぐに疑問に思う。
なぜ、スイが。
まさか戻ってきて――
「今、どこ?」
「停電直すっつって、裏さ行っだな」
立ち上がろうとする。が、足元がおぼつかなく、バランスを崩した。
「おっと」
透の体が、支えられる。
振り向くと、昼間に出会った女性だった。
「無理したらいけない。まだ寝てたほうがいい」
「あ、あなたは――」
どうしてここに。
そう思いかけたが、それどころじゃない。スイを探しに行かなければ。
「ああ、スイちゃん。修理は終わったのけ」
「はい。配線つなぐだけだったから」
そういって彼女は、居間の蛍光灯の紐を引く。カチカチと何度か明滅したあと、ぱっと明かりがついた。
「んじゃ、ばーちゃん晩飯の支度すっからよ。ちょっと待っといてな」
ばーちゃんは台所へ去っていく。
「……スイって、もしかして」
「どうも、私のことを君の幼馴染と勘違いしてる。何度か訂正しようとしたけど、伝わってないみたい」
ああ、そういうことか。透はため息を吐く。
「ばーちゃん、ちょっとボケてるんです。僕のこともまだ小学生だと思ってますし。この村の子どもは僕とスイだけでしたから、若い女の人を見たらみんなスイなんじゃないですかね。すいません」
「別に、いいけれど」
そういって、彼女は手にしていた紙を折りたたんでポケットに入れた。スーパーのチラシのようにも見えた。
「ごめんなさいね」
唐突に、彼女が言った。
「なにが、ですか?」
「私と話してたせいで、倒れてしまった」
「あ。それは別に、あなたのせいじゃないですから。かえってこっちが申し訳ないです。運んでもらっちゃって。僕の家、探すの苦労したんじゃないですか」
「……狭い村だから」
彼女は目を伏せている。透が大丈夫だと言っても、申し訳なく思っているのだろう。
モノが消えることにおびえてしまう自分の症状を説明しようとも思うが、やめた。信じてもらえないだろう。症状だけならまだしも、商店がいきなり消えただなんて。
と、そこで思い当たった。
そう。普通はなくならないのだ。手品にも、ものが消えるのにはタネがある。今回の商店はなんなのだ。
彼女と話す直前、透自身で商店の姿は確認している。ほんの十数分後には消えてしまった。
地盤沈下。超局地的な地震。あるいは秀吉の一夜城もかくやというほどの高速移転工事。
考え付く可能性は、どれも現実的ではない。
――見間違い?
そんなはずはない。けど説明がつかない。
ふと思う。
この人は、見たのだろうか?
と、彼女に目を向けると、部屋の隅のリュックを手に取っていた。
「君の無事も確認した。私は失礼する」
「え」
「これから寝床を見つけなければ」
透は焦る。商店のこともそうだが、スイのこともまだ聞きたい。本人は知らないといっているが、スイが消える前に出会っていたのはたしかなのだ。詳しく話を聞けば、何か手がかりになることがあるかもしれない。
「寝床って、どうするんですか」
「あ、そうだな。宿の場所だけ教えてくれると助かる」
「宿なんてありませんよ。帰省者すらほとんどいない村ですから」
一瞬、彼女が固まった。
「――外で寝ても死にはしない」
「そ、それならうちに泊まりませんか? ほ、ほら、ばーちゃんもスイだと思ってますし。喜びますよ」
彼女はしばらく考える。
なぜか少し頬が赤くなった。
「迷惑でないなら……」
「じゃあばーちゃんに伝えてきます!」
台所へ向かおうとしたところで、彼女が言った。
「ありがとう、透」
透。
とっさに、振り返る。
彼女が、きょとんとした表情をしていた。
そう、彼女だった。スイに呼ばれたように感じたのは、ただの錯覚だった。
不思議だ。
見た目も雰囲気も全然違うのに、ときどき彼女がスイと重なる。
「どうした?」
「いえ。そういえばまだ名前聞いてなかったので」
慌てて取り繕う。彼女も「ああ」と答えてくれた。
「人には、アヤカ、と呼ばせている」
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