第7話

 パチンと音を立て薪が爆ぜる。満天の星空に、火の粉が螺旋を描いて舞い上がっていく。焚き火から少し離れると、そこは漆黒の闇が支配しており、ククルの森からは断続的に獣の咆吼や鳥の鳴き声、虫の声が聞こえてくる。


 焚き火を中心に、四人は各々寛いでいた。


 ヨハンは地面に敷いた布の上に横になっており、アリアスはマントにくるまり、大きな岩に背を預けていた。ルージュとシシリィは、隣り合うように布を敷き、その上に三角座りをしていた。


 燃えさかる焚き火の上では、余った兎の肉が燻製にされている。明日から入るククルの森でどんなトラブルに見舞われるか分からない。食料があるに越したことはないだろう。


「私、こう言うの初めてです……」


「田舎者以外、初めてなんじゃない」


「いいですよね。こうやって、仲間同士で火を囲むのって」


「お腹が空いていなければ、特にね」


 よほど空腹なのだろう。兎を捌く時にはあれほど反対していたルージュだったが、その目は焚き火の上で燻製にされている兎の肉をチラチラと見ていた。


(それほどお腹空いているなら、意地を張らずに食べればいいのに)


 結局、兎を食べたのはヨハンとアリアスだけだった。味付けが塩だけだったが、アリアスは旨いと言って自分の分をペロリと平らげた。女性陣は、今まで生きていた兎を食べることがどうしても出来ないようで、木の実と水だけで我慢していた。


 ゴロンと横になったヨハンだったが、目が冴え、とても眠れるような状況ではなかった。


 昼間、アリアスとルージュに言われたことは、正直言って堪えた。適性試験の結果が良かろうと悪かろうと、この試験を頑張れば、アルバレイス学園に合格出来ると思っていた。人並み以上の才能がないのは自分自身が一番良く分かっている。しかし、この国を思う気持ちだけは、誰にも負けない自身があった。


 ローズのように立派になり、この国のために尽くす。それだけを目標に、シャーロックから出てきたのだ。だが、突きつけられた現実は過酷だった。アルバレイス学園の現状に失望や怒りよりも、悲しさを感じた。自分は夢だけを見ており、現実を見ていなかったことを痛感した。


 ヨハンの育ってきた村では、お金よりも人との繋がりを大事にする。もちろん、お金が無ければ生きてはいけない。お金は魅力的な物だし、少ないよりも多い方が良いと思う。


 お金で人の心は買えない。そのようにヨハンは教わってきたし、そうだと思う。お世辞にも裕福と言える村ではなかったが、誰もが笑顔で、毎日を楽しく生きている。アルバレイスでは心よりもお金が大事なんだと思うと、それだけで残念な気持ちになる。


「そう言えば、シシリィの家はオールージュにあるって言っていたか?」


 薪が爆ぜる音だけが聞こえていたが、不意にアリアスがシシリィに質問を飛ばした。


「ええ、そうです。昔はそこそこ大きな貴族だったらしいんですけど、今は斜陽貴族、……いいえ、没落貴族と言った方が良いかもしれません」


 炎を見つめるシシリィは、そう呟くと悲しそうな笑みを浮かべた。


 シシリィ・オーガス。ヨハンは、今日一日で何度彼女に救われただろう。ルージュに叩きのめされる度に、シシリィは優しい言葉を掛けてくれた。持ち前の知識を生かし、地図を手に先頭に立って此処まで進んでくれた。


 シシリィでなければ、アリアスもルージュも指示に従わないだろう。ヨハンの言葉をルージュが聞き入れるとは思えないし、此処まで辿り着く事は出来なかったかも知れない。


 アリアスは卓越した剣技と魔晶術を操り、ルージュは弓術に秀でている。シシリィは知識とリーダーシップに長けている。三人ともそれぞれ得意な分野があるのに対し、ヨハンにはそれがない。この三人の荷物でしかない現実が、よりヨハンに重圧を与えていた。


「もしかすると、シシリィはアルバレイス学園に入って玉の輿に乗るつもり? やっぱり、親の命令は絶対なのね」


「い、いえ! とんでもありません!」


 ルージュの言葉に、慌ててシシリィは否定する。


「私は、自分の意志でアルバレイス学園に入学するために来たんです。此処を卒業すれば、それなりの所で働けます。そこで出世をして、オーガス家を再建したいんです。玉の輿とは言っても、好きでもない人と結婚は出来ません……」


 ヨハンは肘を枕に、三人の様子を伺った。


 シシリィは変わらず炎を見つめ、アリアスは火の中に小枝を投げ込みながら、その目は何かを言いたそうにルージュに向けられている。ルージュと言えば、アリアスの視線を感じているのかいないのか、不機嫌な顔をして空を見つめていた。


「好きでもない人と結婚か、耳が痛いわね」


 刺々しい言葉がルージュの口から放たれた。和やかだった空気が、その言葉により張り詰める。


「え?」


 シシリィが驚いたように、横に座るルージュを見る。アリアスは始まったかとばかりに、フンッと鼻を鳴らす。


「生憎、私の家は、エバーラスティング家は、そうやって貴族の位を高めてきたの。没落貴族のオーガス家を再興したいなら、アルバレイス学園で各上の貴族を捕まえて、結婚してしまえば済む話じゃない。その方がよほど現実味があるし、簡単じゃない」


「それで尻軽貴族と笑われても、か?」


 今度は、アリアスが割って入った。


(また始まった……)


 そろっと起き上がったヨハンを、『放っておけ』と、心の声が引き留める。


 ヨハンはルージュの表情を見つめた。激しい怒りを炎に浮かび上がらせる様は、まるで夜叉だった。美しいルージュを、そんな風にさせる理由があるのだろうか。きっと、ヨハンには理解の及ばない、貴族ならではの悩みがあるのだろう。


「アリアス、もう一度言って見なさい!」


「そういきり立つな。お前を馬鹿にしているわけじゃない。俺の家だって、地位を守るために同じ事をしているんだから」


「…………」


 アリアスの言葉の意味を理解したのだろう。ルージュは溜飲を下げ、膝を抱き抱える。シシリィは炎越しにアリアスを見つめる。


「結局、俺達は何も出来ないってことさ。今までのことも、これからのことも、全て親が決める。俺達が決められる事は何一つ無い。くだらねーよ、俺達の人生は、な」


「それを言わないでよ」


 ルージュは膝の中に顔を埋める。


「お二人と状況は少し違いますけど、家に振り回されるって事は、私も同じですね。貴族と言いつつ、何一つ自由がない。裕福な暮らしをしているが故の、代償なんでしょうかね」


 シシリィの言葉を最後に、三人は押し黙ってしまった。今まで以上に重く沈痛な沈黙が、霧のように深く立ち籠める。


 三人を見つめていたヨハンは、居ても立ってもいられず言葉を発した。『オイ、止めておけ』と、心の声が聞こえるが、それは無視した。


「くだらなくなんか無いよ。代償なんて無いよ! 僕には、三人の暮らしは、本当に羨ましい」


「羨ましい?」


 アリアスが、目を細めてこちらを見つめる。闇よりも深く黒い瞳を、ヨハンは毅然とした態度で見つめ返す。


「なんで、アリアスもルージュも、そんなに自分の家を嫌がるの? 裕福だし身分もあるし、二人には素晴らしいセンスがあるじゃないか! だけど僕には何もない。この試験を受けるのだって、村の人達がやっとの思いで集めた金貨を寄付してくれたんだ」


 ヨハンは言葉を切り、アリアス、ルージュ、シシリィの順番で見回す。


「……みんなは、本当に自分のやりたいことがあるの? これだけは譲れないって事があるの? ただ、それを見つけられないから、全部を親のせいしているんでしょう? こうなればいいと思うだけで、まだ何も行動をしていないんじゃないかな? 僕と違って、三人はやりたいと思えることを、やれるだけのスキルも、お金もあるじゃないか。僕にしてみれば、本当にみんなが羨ましいよ」


「やりたいことをやれる? アンタ、私達に喧嘩売ってるの!?」


 凄い剣幕で、ルージュが怒鳴った。


「家のしがらみも何もないアンタに、私達の何が分かるって言うのよ! 分からないでしょう? 分かるわけ無いわよね! 生まれた時から自由で、なんの心配もなく生きていたアンタに、私達の苦しみなんて想像も出来ないでしょう。自分で行動を起こさないですって!? 起こせる物なら起こしているわよ! 私も、アリアスも、シシリィも、家を離れて生きていく事なんて不可能なの! 

 貴族なんてね、名前だけなの! その名前が無くなったら最後、私達には何も残らないわ! 銅貨一枚も、後ろ盾も失うの! 失う事の恐ろしさが、初めから何もないアンタに分かる? 親の言いなりになるしか私達は生きられないのよ!

 どうせ、アンタだって親に旨い事言われてここに来たんでしょうよ! 運良く学園に入学できれば、良い暮らしが出来るものね! 子供を道具としか思っていないのは、貴族も市民も同じよ! ただ、アンタはそれが分かっていないだけよ! 気づいていないだけよ!」


 激しい剣幕で捲し立てるルージュに、ヨハンは閉口した。炎がちらつく向こう側に見えるルージュは、激しい怒りをその表情に宿していたが、瞳は何処か寂しそうだった。


「……僕に両親はいないよ」


 ポツリと呟いたヨハンの言葉に、ピクリとルージュは眉根を寄せた。


「ちっ、くらだらねーぜ……」


 アリアスはゴロンと横になった。


「ルージュさん、落ち着いてください。私達にもヨハンさん達の生活が分からないように、ヨハンさんにも私達の生活は分からないんですよ」


「分かってるわ。だから、むかつくのよ。貧乏人からは、アルバレイス学園の受験資格を剥奪すべきだわ。こうまで価値観の違う奴と一緒に勉強なんて出来るわけ無いじゃない。金貨一〇〇枚を村人から寄付してもらったですって? 笑わせてくれるわ。金貨一〇〇枚なんて、私にとってはポケットマネーよ? フンッ、ヨハン、アンタはどれだけ貧乏なのよ! そのダサイ旅装だってマントだって、全部手作りじゃない。そんな奴と机を並べるなんて、絶対に嫌よ!」


「ルージュさん!」


 ルージュの言葉を遮るように、シシリィが立ち上がった。シシリィの大声がククルの森に響き、鳥や獣がそれに答えるように騒ぎ出した。


「言い過ぎです! ヨハンさんが貧乏ですって? それは違います! ルージュさんはアルバレイスだけしか見たことがないから、そんな事を言えるんです。オールージュもそうですけど、金貨一〇〇枚というのは、市井の人にとっては、大金なんです! 一般人がもらう月給がいくらだか、ルージュさんはご存じですか?」


「月給? そんなの、金貨一〇〇枚位じゃないの?」


 ブハッ、とアリアスが吹き出した。笑い転げるアリアスを睨み付けたルージュは、「いくらなのよ」と立ち上がるシシリィを見上げる。


「銀貨三〇枚程度です。金貨一〇〇枚は、本当に大金なんです。受験のため、村人から寄付してもらうというのも、よくある話なんですよ」


「だから何よ。アルバレイス学園の受験料を決めたのは、私じゃないわよ。お金が無いなら、アルバレイス学園なんて受けなければいいのよ! つまらない夢なんて、見なければいいのよ!」


 フンッと不機嫌に鼻を鳴らしたルージュは、リュックから携帯用毛布を取り出すと、それを被って横になってしまった。


 立ち尽くすシシリィは、やるせない溜息を吐き出しつつ、「すいません」と言いながら座り直した。


「ううん、良いんだよ。良い勉強になったよ、本当に、僕は何も分かっていなかったんだなって、それを知る事が出来たよ」


 再び、ヨハンは横になった。汚れたマントを頭まで被り、目を閉じる。


 先ほどの言葉は、恐らくルージュの本音だろう。いや、貴族の本音と言った方が良いかもしれない。同じ容姿で、同じ言葉を話すと言うだけ。特権階級の筆頭である貴族と一般人は、それだけ認識や感覚の差が激しい。貴族は一般人のことを同じ人間と見ていないのかも知れない。


(婆ちゃん……、悲しいよ。アルバレイスって所は、本当に辛い、寒い所だ……)


 閉じた目から、熱い雫が流れてくる。


 『気にするな』と、心の声が聞こえてくる。ヨハンは、コクリと頷くが、涙は止まることなく流れ続けた。

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