第6話

「…………で、これがアリアスの取ってきた食材? 育ち盛りの私達、舐めてるわけ? いや、完璧に舐めているでしょう? バカにしているでしょう?」


「そう言うお前がやったのは、水筒に水を一杯にすることだけか?」


 周囲は闇の帳が降りていた。雲一つ無い夜空には、満天の星空と満月に近い月が輝いていた。月明かりが周囲を照らしていたが、アルバレイスで育ったアリアスには信じられないほど暗く感じた。


 アリアスの前には鞄一杯に詰め込まれた木の実。ルージュの前には、並々と水の入った四人の水筒が置かれている。睨み合う二人の横では、ハンドブック片手にゲホゲホと咳をしながら必死に火をおこすシシリィの姿があった。


「シシリィ、いつまで火を付けているのよ。ライターとかマッチでチャチャッと点けちゃえばいいじゃない」


「その二つは、出発前の荷物検査の時に取られちゃいましたよ」


 必至に木の棒を擦り合わせて火種を創り出そうとするが、白い煙が濛々と上がるだけで、枯れ木に火のつく気配はない。煙にしみた目を擦りながら、シシリィは弱音を吐く。


「シシリィ、退け」


 シシリィを下がらせたアリアスは、手首に嵌めているリングを指でなぞった。リングに埋め込まれている魔晶石が輝きだし、アリアスの手に赤い光を灯す。アリアスは指先に宿った光を、集められた枯れ木の中に投げ入れた。鮮やかな光が弾け、次の瞬間には炎が立ち上った。


「少しは役に立つじゃない、アリアス」


「まあな、矢を誘導するだけの魔晶術じゃ、こんなマネできねーだろうけど」


 焚き火の脇に腰を下ろしたアリアスは、ルージュが文句をいう前に暖を取った。昼間は初夏の陽気だったが、夕暮れから急速に気温が下がった。日付が変わる頃には、もっと気温は下がるだろう。


「アリアスさん、そう言えばヨハンさんは? 一緒じゃないんですか?」


「もうすぐ戻ってくると思う。この木の実も、ヨハンが食べられると言っていたからな」


 アリアスの取ってきた木の実をしげしげと見つめたシシリィは、それを口の中に放り込んだ。モグモグと口を動かしたのもほんの数秒、すぐに苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。


「ま、味は保証できないって、付け加えていたけど。何も食えないよりはマシだろう」


 アリアスは水筒の水を一口飲んだ。胃が収縮するほど冷たい水は、ヨハンの言うとおり何の雑味もない。その味や口当たりは、普段口にしている薬品臭い水とは雲泥の差があった。


 正面に座ったルージュは、木の実を指先で弄んだかと思うと、それを火の中に投げ入れた。パンッと音を立て木の実が弾ける。


「あ~、もう~……最悪。今日はこんなのしか食べられないのかしら。白身魚のソテーが食べたい、子ウサギの赤ワイン煮が食べたい……」


「あるわけねーだろ、んなもん」


 舌打ちをしながら、掴んだ木の実を口に押し込んだ。確かにまずい。渋みはないが、皮の酸味が強い。果肉はほんの少しで味が無く、大きな種が入っている。小指の先ほどの大きさだが、これで腹を膨らませるにはかなりの量を食べないと無理だろう。


 食材は簡単に手に入ると思ったが、大間違いだった。この草原を探しても、見つかるのは得体の知れない昆虫ばかり。森の中を歩き回っても、アリアスを嘲笑うかのように動物たちは逃げてしまう。至る所に気配は感じるが、アリアスがそちらに気を向けると瞬時に居なくなってしまう。


 結局、狩りを諦めたアリアスは、ヨハンに教えられた木の実を取る事に専念したと言うわけだ。


(これは、ある種の拷問だぜ)


 アリアスが此処にいる原因を作った張本人、ルージュを憎々しく見つめた時、背後の森で音が聞こえた。


 ピクリと反応したアリアスは、腰に差した剣の柄に手を置いた。ルージュも脇に置いた弓を手に取り、シシリィも槍を手にしていた。


 ザワザワと闇が蠢いている。音の調子からして、小動物の発する音とは違う。大きな生物が草を掻き分け、枯れ木を踏み砕く音だ。


 ククルの森には、オークを初めとする様々な魔物が存在する。もし遭遇したら、その時は戦うしかない。


 だが、アリアス達の緊張を解いたのは、森から歩み出たヨハンだった。月光の下に現れたヨハンは、満面の笑みを浮かべていた。


「お待たせ、大物が取れたよ!」


 そう言って掲げる右手には、耳を持たれた兎が一羽、つぶらな瞳を輝かせてぶら下がっていた。


「ちょっと! それなによ!」


「そうです! ヨハンさん、それを食べるつもりですか!」


「え? 何って、兎だけど。貴族の人達は、兎って食べないのかな?」


 不思議そうな表情を浮かべ、ヨハンはアリアスの左隣に腰を下ろした。


「いや、そりゃ、兎は食べるわよ。今だって、食べたいって思っていたし。だけど……可哀想よ! 生きてる兎を食べるなんて出来ないわ! すぐに逃がしてきなさい!」


 恐怖にほおを引きつらせるルージュ。しかし、ヨハンにはルージュの言っている意味がよく分からないようだ。


「何を言ってるのさ、生きていない兎なんていないよ。ルージュ達が食べる兎だって、元は生きていたんだ。それを、他の人が殺して、みんな食べているだけだよ。まさか、ソテー用の兎の肉が畑になるなんて思ってないよね? 兎が駄目だって言うなら、牛なら良いの? 羊なら良いの? どのお肉だって、元を辿ればみんな生きているんだよ? 僕達は、それを食べて生きているんだ。生かされているんだ」


「それは、分かっているけど……だけど……」


 ルージュは、無言の眼差しをこちらに送ってくる。ヨハンを説得して、兎を助けろと言うのだろう。


「まあ、目の前で捌かれるのを俺達は見た事がないからな。だけど、ヨハン、お前の言う通りなんだよな。目の前で殺すか、他で殺すか。調理されて出てくるか、生のまま目の前に出てくるか。それだけの差でしかないんだよな」


 アリアスの言葉に、ルージュもシシリィも口を噤んだ。


 当然とも言えることを、アリアスは今まですっかり忘れていた。それだけじゃない。アリアス達は、ヨハンの事を何も見ていなかったのかも知れない。適性試験のプリント一枚、貴族か市井かという肩書きだけでヨハンを判断していた。この四人の中で、一番人間としての感性、良識、常識があるのはヨハンなのかも知れない。貴族という特権階級で生まれ育ったアリアスには、誰にでも見えている物が、見えていなかったのだ。


 嫌っていた貴族だったが、自分もしっかりとその一員だったのだ。


 ヨハンの手の中にいる兎が小さく鳴いた。身を寄せ合う女性陣二人。アリアスは、兎の体に大きな傷があるのを見て取った。恐らく、ヨハンが捕まえる際に兎を傷つけたのだろう。その傷は大きく、誰の目にも致命傷であることは確かだった。


「ヨハン、兎を捌けるか?」


「うん、出来るよ」


「じゃあ、早くやってくれ。ソイツが、可哀想だ」


 コクリと頷いたヨハンは、南にある川の方へ歩いていった。彼なりにルージュ達に気を遣ったのだろう。


 三十分後、ヨハンの手には綺麗に捌かれたウサギの肉があった。それは、アリアス達が皿の上で目にする形であった。


「ヨハン、貴方って最低ね! 人間のクズよ! あんなに可愛いウサギを殺すなんて! やっぱり、市民とわかり合えなんて、不可能だわ!」


 吐き捨てるように言ったルージュは、忌々しげに木の実を口に放り込んだ。


 一方的な非難をその身に受けたヨハンは、困った表情を浮かべながらアリアスの横に腰を下ろした。

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