第2話

 竜の墓標はアルバレイスの遙か西に位置する。アルバレイスから約一日は何の変哲もない平原が続く。平原の先には、深い木々の生い茂るククルの森がある。


 ククルの森は一年中深い霧で覆われており、奥へ行けばオークなどの魔物が巣を作り暮らしている。ククルの森を抜けると、徒歩一日の距離にウィザーバレーがあり、そこに竜の墓標と呼ばれる洞窟が存在し、最深部に目的のローズの遺品があるとされている。『されている』、と言うのは、過去数十年同じ試験を繰り返しているが、ローズの遺品を持ち帰った者は疎か、その目で見た者もいないからだ。最近では、ありもしない宝探しを試験にするのではなく、より厳密で厳格な選考基準のある試験に切り替えようという話が持ち上がっている。


 アルバレイスから西南へ移動したシシリィ一行は、踝程度の草が生い茂る平原を歩いていた。一見すると真っ平らな緑の絨毯に見える平原だったが、当然整備された道があるわけではない。下草によって凹凸の判別が難しく、歩き慣れていないシシリィ達は、ちょっとした段差につまずきバランスを崩した。


「ったく! 何なのよ、この道は!」


 石に躓いたルージュは、足元に向かって怒鳴り散らす。地図を手に先頭を歩くシシリィは、ルージュの悪態がつかれる度にビクリと体を震わし後方を確認する。


 運動よりも読書、剣を持つことよりもペンを握ることを好むシシリィの回りには、体育会系と呼ばれる人種の人達が少なかった。その為、大声を出されると相手が怒っていないにも関わらず、鼓動が早くなり萎縮してしまう。


 理論派のシシリィは、感情だけで行動したり、声を荒げて自分の考えを押し通す人は苦手だった。この班のメンバーでは、ルージュがそれに当たるだろう。


 最初の数分こそ箱入り娘を演じていたが、人目の付かない場所にでるや、態度も性格も一変した。こちらが素のルージュなのだろうが、その二面性を目の当たりにしたシシリィとヨハンは、目を丸くした。アリアスだけはルージュの本性を知っていたらしく、とりわけ驚く様子もなく、最後尾を付いてきている。


 先頭をシシリィが歩き、その後ろをヨハン、ルージュ、アリアスと続いている。初夏の日差しは暑く、ルージュはすでに息が上がっており、羽織っていたマントは背負う鞄の中に強引に納められていた。アリアスは、息こそ上がっていないものの、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。一番心配だったヨハンは、意外にも平然な顔をして鼻歌を歌うような暢気さで歩いていた。


 前を向きながらも、シシリィは背中にアリアスの気配を感じ取っていた。アリアス・サーバイン。適性試験の時、シシリィの前にいた人物だ。まるで、絵画の中から抜け出してきたような冷たい美形。アリアスと再会したとき、シシリィはドキリと胸が高鳴るのを感じたが、当の本人は、シシリィの事など何も憶えていないようだった。


 時折見せるアリアスの鋭い眼差し。その視線の先にあるのは、今は愚痴しか零さない美少女、ルージュ・エバーラスティングだった。初めて見た時は綺麗な女性だと思ったが、ヨハンに対する口調などを考えると、どうやら美しいのは外見だけのようだ。良しにしろ悪しきにしろ、典型的な貴族の少女。それが、シシリィが抱いたルージュへの感想だった。


 一体、アリアスとルージュはどんな関係なのだろう。ただならぬ関係を敏感に感じ取ったシシリィの注意は、自然とルージュとアリアスの言動に向けられていた。


「まったく! ククルの森はまだなの? もう四時間は歩いてるわよ! いつになったら着くのよ!」


 毒づくルージュ。偶然目が合ってしまったため、その質問は自分に投げかけられたと思ったシシリィは、方位磁石と地図を見比べ、およその時間を算出した。


「このペースだと、およそ五時間後ですね」


 額に浮かんだ汗を、袖で拭いながら答える。その答えを聞いたルージュは、足を止め、ウンザリとした表情で天を仰ぐ。


「ご、五時間? マジで最悪。何だって、私がこんな事に……」


「ゴチャゴチャとウルセー女だな。嫌だったらさっさと棄権しやがれ」


 体を揺らしリュックの姿勢を整えたアリアスは、すれ違い様にルージュに吐き捨てた。


 瞬間、その言葉を聞いたルージュの顔が怒りで真っ赤に染まった。


「アンタに言われたくないわよ! アンタこそ、一番この試験を受けるのに向いていないんじゃないの?」


「どういう意味だよ?」


 足を止めてアリアスが振り返る。その目は、これから数日間を共に過ごす仲間に向けるものとは思えない、悪意の込められた鋭いものだった。


「言葉通りの意味よ。サーバイン家の一族は、学園を卒業していなくても親の口利きで軍部に入るんでしょう? なんで試験を受けたのよ、私たちに対する嫌がらせ?」


「何だと? 尻軽貴族の末娘が言うセリフかよ! お前だって、どうせどっかの馬鹿貴族に嫁ぐんだろうがよ。噂になってるぜ? あのライバットとデキてるんだってな?」


「何ですって! 誰があんなゲテモノとデキてるのよ! そう言う貴方だって、私と似たような物でしょうが! 親の言いなりで、政治の道具として使い捨てられるだけの存在が!」


「テメェ!」


 殺意さえ込められるアリアスの眼差しを、ルージュは毅然とした態度で受け止め、更に睨み返していた。


 オロオロと二人の顔を見つめるだけのシシリィは、助けを求めようとヨハンへと視線を送るが、ヨハンはニコニコと微笑みながら興味深そうに二人の喧嘩を見つめている。


「ヨハンさん!止めた方が良くないですか?」


 走り寄ったシシリィはヨハンの耳元に囁く。早くしないと、二人とも取っ組み合いの喧嘩を始めそうだった。いや、取っ組み合いの喧嘩ならまだマシだろう。すでにアリアスは腰に差してある二振りの剣の内、一つの剣の柄を握りしめており、対するルージュは肩から下げていた弓を左手に持ち、右手には矢が収まっていた。


「まあ、良いんじゃないの? 喧嘩なら、僕だって幼馴染みのアンとするよ? それに、喧嘩するほど仲が良いって、昔から言うじゃないか」


「喧嘩するほど仲が良いって、それは状況にもよるでしょう! これでは喧嘩じゃなく、殺し合いが始まってしまいます! これは、私の予測の範囲(カテゴリー)ではありません!」


 興味津々とばかりに二人の様子を見つめるヨハン。この人は当てにならない。そう判断したシシリィは、意を決して二人の間に立った。


「二人とも、止めてください!」


「退きなさい! シシリィ!」


「ああ、退きな、メガネッ子! ソイツの矢は狙いがイマイチだから、離れていないと巻き添えを食らうぜ」


「私の狙いがイマイチかどうか」


 ルージュの手にする弓は、普通の弓と一風変わっていた。握りの部分は太くナックルガードのようになっており、握りの僅か上に矢が一本通るほどの穴が空いていた。何よりも不思議なのは、その弓には弦がなく、握りの前面には半球形のビットが備え付けられていた。


「その体で味わってみなさい!」


 ブンッと音を立て、握りの前方にあるビットが動いた。四つに分かれたビットは一メートルほど先に飛び出し滞空した。四つのそれぞれが青い光で結びつき、正方形のスクリーンを作り出す。弦の無かった弓に同じく青い光の弦が発生した。握りの上面に開いた穴に矢を入れたルージュは、光り輝く弦を引き絞った。


「それがお前の魔晶術か」


 グッと腰を落とし半身になったアリアスは、左手で剣の鞘を握り、右手を柄に添えた。右足が前で左足が後方、この構えは抜刀術の構えだった。


「前面に展開しているビットがある限り、命中率は限りなく一〇〇%に近づくわ」


「その長い髪が邪魔をしていてもか?」


「この髪は男性を虜にする自慢の髪よ? 私の一番大切な物の一つなの。その髪が邪魔になるわけないでしょうよ!」


 草原を走る風によりルージュの髪が宙を舞い、光の弦にまとわりつく。

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