第8話
アルバレイド王国一の学園と言う事もあり、図書室には一生掛けても読み切れない程の膨大な書籍と、資料が詰め込まれていた。図書室にある本は、一部を除き誰でも閲覧が可能となっている。
ヨハンは本棚と本棚の間の床に腰を下ろし、「う~ん」と一人唸っていた。ヨハンの正面にある柱時計は、すでに十二時を過ぎていた。この時間ともなると、在学生はもちろん、図書室を管理する事務員の姿も無い。
床の上に胡座を掻くヨハンの前には、赤い魔晶石の埋め込まれた薄汚れたリングが一つ転がり、魔晶術の専門書が円を描くように広げられていた。
ヨハンの蒼い目が、リングと専門書の間を行ったり来たりする。
「……分からない。一体、どんな魔晶術をライティングすれば良いんだ?」
何度も疑問を口にしながら、ヨハンはボリボリと頭をかいた。久しぶりに温かいシャワーを浴びて髪を洗ったため、少し動くと髪から仄かなシャンプーの香りが漂う。身につけている服も汚れた旅装ではなく、クリーム色の新しい寝間着だった。新品の寝間着であったが、アルバレイス学園を受験する受験者の中では、やはり見劣りはする。
思い悩むヨハンの脳裏に、夕刻聞いたマーリーンの美しい声が蘇る。
「今から、皆さんに一つの魔晶石を手渡します。この魔晶石に、どのような魔晶術をライティングするかは皆さんの自由です。味方を癒すのも良し、敵を退けるのも良し、自身の身体能力を高めるのでも良し、必要だと思う物をライティングして下さい。ただし、条件があります」
この時、マーリーンは声を少しだけ低くした。
「この試験中、魔晶術のライティングを行えるのは、ただの一度きりです。そして、使用できる魔晶術、魔晶具は一つだけとします。それを破った者は、何人たりとも合格は出来ません」
薄汚れた鉄製のリングを手に取ったヨハンは、マジマジと透き通る赤い魔晶石を見つめた。
星の内側を巡るエネルギー、魔晶。学園にあるエレベーターや、灯りなど、魔晶を使用した機械や器具が魔晶具であり、魔晶を閉じ込め、持ち運びを可能にしたのが、この魔晶石だ。魔晶石には、魔晶術と呼ばれる様々な効果を持つ力(・)を書き込む(ライティング)ことが出来る。
魔晶石に書き込まれた魔晶術は、書き込んだ本人でなければ発動することが出来ない。分かりやすく言えば、鍵と鍵穴の様な物だ。人に滞留する魔晶の流れは千差万別。指紋と同じように、同じ物は二つと存在しない。
魔晶石を取り付けた魔晶具にも様々な物があり、ヨハンの物は故郷の質屋で売っていた安物のリングだ。他にも、武器や防具に魔晶石を埋め込み、魔晶具とする者もいる。
ライティングできるのは一度だけ。試験中は変更は出来ない。魔晶具は疎か魔晶石さえ初めて手にしたヨハンには、どのような魔晶術をライティングすればいいのか、皆目見当が付かなかった。
「これは……、炎を発する魔晶術か……えっと……目安として魔晶のセンス4以上必要……」
口から溜息が漏れる。
めぼしい物を見つけても、ヨハンの魔晶術センスと使用ランクが異なっている場合が多い。適性試験を受け、ヨハンは自分の魔晶術センスがどの程度か知る事が出来た。適性試験の結果を参考に魔晶術を選ぶが、ヨハンの魔晶術センス2では、選ぶ物にも限りがあった。
「う~ん……。僕のセンスじゃ、食材を風でカットとか、土を耕すとか、その程度しかできないのか」
腕を組み頭をフル回転させる。周囲に広げた魔晶術の専門書に目を通すが、試験に使えそうな魔晶術は見当たらない。
「あ~っ、難しいな! まったく思いつかないや!」
大きく伸びをし、ゴロンと寝転がった。
「早くも降参か?」
仰向けに倒れたヨハンの目の前に、眉間に皺を寄せたファーガスの顔があった。大声を上げて飛び退いたヨハンは、本棚に激しく背中を打ち付けてしまった。ぐらぐらと揺れた本棚から、バラバラと盛大な音を立て分厚い本が頭の上に落ちてきた。
「ヨハン・クルロック、お前は落ち着きがないな」
険しい顔を崩さず、ファーガスは落ちてきた本を拾い上げると、元あった場所に並べ直した。その姿を呆然と見つめていたヨハンだったが、「お前も手伝え」という差すような視線を受け、ファーガスと一緒に本を元の場所に戻すことにした。
「魔晶術は初めてか?」
「はい」
本を並べながら、ファーガスが唐突に聞いてきた。戸惑いながらも、ヨハンは正直に答える。
「何に悩んでいる? ライティングの方法か?」
「いえ、ライティングのやり方は、受付でもらった冊子の中に入っていたので問題はありません。ただ」
「ただ?」
「どんな魔晶術にすればいいのか分からなくて。僕の魔晶術センスじゃ、大した物は使えないので」
しょんぼりと肩を落とし、ヨハンは分厚い辞典を元の場所に収める。元通り、整然と並べ終わった本棚をボンヤリと見つめるヨハンを、ファーガスは鼻で笑った。少しムッとしながらも、ヨハンはファーガスに顔を向ける。
「今回の試験で必要なのはチームワークだ。自分が主役じゃなくても問題はないだろう。人を役立てる、チームのために役立つ魔晶術を見つけるのも一つの手だぞ」
「あっ」
ファーガスの言葉が、嵐のように頭の中を駆け巡った。真っ白だった頭のキャンバスに、一つの魔晶術が浮かび上がった。
「そうか、試験はチームで行動するんだ。だったら、あれなんか良いかな」
ファーガスの一言により、光明が見えた気がした。キラキラと輝く目が捕らえているのは、ファーガスの足下に広げられた一冊の魔晶術の専門書だった。
「結論が出たようだな。なら、早くライティングを行い今日は寝ることだ。明日、遅刻したら、その時は承知しないからな」
「はい、ファーガス先生。……所で、僕を助けてくれるために図書室に来てくれたんですか?」
ファーガスの足下に座り込んだヨハンは、パラパラとページを捲ると、一つの魔晶術を見つけた。ライティングのテキストを見ながら、早速ライティングに取りかかる。
ファーガスはヨハンがライティングする魔晶術を見て、「ほう、考えたな」と独り言のように呟いた。
目を閉じ、呼吸を整える。体を巡る魔晶が光となり、手の平に集中することを強くイメージする。光となった魔晶に魔晶術のイメージも同時に刷り込み、魔晶石に注ぎ込むのをイメージする。
フッと貧血になった時のように体の力が抜け、ライティングが成功したことを知らせるシグナルの役割を果たした。
「座敷童みたいな奴が居着いて、図書室を閉められないと苦情が来たんだ」
「ここには、座敷童が出るんですか?確かに、古い図書室ですものね」
ニコニコと無邪気に笑うヨハンに、ファーガスは禿頭を撫でつけた。
「……もう良い。早く片付けろ。施錠するぞ」
こうして、ヨハンは魔晶石に自分にピッタリあった魔晶術をライティングする事が出来た。後は、しっかり目覚まし時計をセットし、寝るだけだった。
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