第3話
アリアス・サーバインは手にした適性試験の結果を一瞥すると、つまらなそうに鼻を鳴らしポケットに押し込んだ。
アルバレイス学園の中庭は、中庭と呼ぶには余りにも広い場所だった。四方を高い壁に囲まれているが、十分な広さが確保されているため閉塞感はない。それどころか、中庭には噴水や様々な木々、喫茶店や雑貨店などの物販店も壁沿いに並んでいる。比喩や例えではなく、全寮制のアルバレイス学園は卒業まで一歩も外に出ないで暮らせるだけの設備が備わっているのである。
中庭の中央辺りで足を止めたアリアスは、受付でもらったスケジュール表を確認してみる。今日の予定は、適性試験と明日から始まる試験の説明会だった。説明会まで、まだ一時間ほど余裕がある。
アリアスは手頃なベンチに腰を下ろすと、受験生で賑わう中庭を見渡した。
誰もが仕立ての良い服を身につけ、人生の苦労を何一つ知らない顔をしている。此処にいる大半が貴族の出身者であり、一般人の受験者はあまり見受けられない。自分も貴族の一員だと思うと、胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。
小さな溜息をついたアリアスは、遠い眼差しで四角く切り抜かれた青空を見上げた。
何故自分は此処にいるのだろう。アルバレイス学園に入学などせずとも、家庭教師を数名付けるだけで十分な知識を得られるはずだ。幼い頃から自由という自由を与えられず、親の言う通りに生きてきた。それに反発しながらも、こうして自分はまた親の命令に従っている。アルバレイス学園と呼ばれる石造りの牢獄に、無条件で捕らわれようとしている。
「チッ、くだらねー」
舌打ちをしたアリアスは刺すような視線を感じ、空に向けていた顔をそちらに向けた。
「よう、サーバイン家の坊ちゃん」
口元に薄ら笑いを浮かべて近づいてくるのは、ライバット・ザーラ。青い髪を整髪料でつんつんに尖らせた彼の瞳は、夕焼けを連想させる鮮やかなオレンジ色で、その目には嘲りの色が伺える。赤と黄色を基調としたジャケットは、様々な場所に宝石や金糸の刺繍が施してあり、陽光を受けて嫌みな輝きを放っていた。この中庭にいるどの貴族よりも華美で悪趣味な服を纏った男は、仁王立ちでアリアスの前に立ちはだかった。
「何の用だ?」
いつになく不機嫌な眼差しをライバットに注ぐ。鋭い眼差しにライバットはたじろぎながらも、気を取り直すように後ろに控えるゴードンとスルトに視線を送る。
長身であるアリアスよりも頭二つは大きいだろう。巨躯のゴードンは、小麦色に焼けた肌の下に岩のような固い筋肉を持っていた。大きな体に栄養を取られ頭まで十分な栄養が回らないのだろう。強大な体に乗っている頭はいかにも軽そうで、ライバットの言葉に「あ~」だの「う~」だの、どもった声で答えている。
もう一人、ライバットの腰巾着であるスルトは、ゴードンと対照的な猫背で背の低い男だった。小さな顔にぎょろぎょろとした目、少し飛び出した口からは前歯が飛び出している。アリアスには、このスルトという男が人間よりもネズミに近いのではないかと思えるくらいだ。
「何だよ、お前もついにアルバレイス学園に入学か? あれほど集団生活を嫌っていたお前が?」
ライバットが笑うと、ゴードンとスルトがつられるようにして笑う。面倒な奴に出会ってしまった不運を呪いながら、「面倒くせ」と小さく呟いた。
ライバットを無視し周囲に視線を泳がせるアリアス。次の瞬間には、目の前に立つ三人の姿が、中庭を取り囲む校舎の壁と同じように、背景の一つと化した。
そっぽを向く仕草が癪に障ったのか、ライバットはアリアスが視線を流した先に体を移動させる。どうしてもアリアスの注意を引きたくて仕方がないようだ。
「大方、お父様の将軍様にでも言われたんじゃないのか? 『サーバイン家の跡取りたる者、学校の一つでも出ていないといけない』、とか」
大人びた口調で父の声を真似るライバット。
ピクリと反応したアリアスは、目の前で大仰に手を振るライバットにピントを合わせる。背景の一部としか捕らえていなかったライバットの姿が鮮明になり、視界の中央に治められる。なおも話を続けるライバットに、アリアスは不穏な眼差しを向ける。
「お前も苦労するな! あんな厳格で、国益のためにしか興味のない親を持つと。道具にされている子供の気分も少しは分かってもらいたいよな~」
ライバットは、アリアスが静かな怒りと殺意を立ち上らせていることに気がついていない様子だ。ベンチの背もたれに乗せていた腕に力がこもり、拳がきつく握りしめられる。
「学校に入学するのに家柄は関係ねーだろう」
高々と組んでいた足が静かに下ろされる。
「ライバット様、そ、そ、その辺りで……」
ゴードンが、アリアスからライバットを引き離すように体を押さえつける。
「そ、そうですよ。こんな奴、放って置いていきましょう」
甲高い声を上げるスルトは、怯えるようにアリアスを見つめる。
ライバットが幸運だったのは、頭は悪いが場の空気を読むことに長ける二人を従えていたことだろう。そうでなければ、十秒後にはライバットは鼻から血を流し、この中庭に倒れていただろうから。
ゴードンとスルトに押さえられ、ライバットは漸くアリアスの激情に気がついたらしい。サッと顔を青ざめたライバットは、頬を引きつらせながらジリジリと後ずさる。
「チッ、ウゼエ! よく回るその舌を切り刻んで、オークの餌にでもしてやろうか?」
「バ、バカ!じょ、冗談に決まっているだろう。まあ、その、あれだ……! お互い明日の試験頑張ろう!」
体を反転させ足早に立ち去るライバット。彼を追って、ゴードンとスルトも足早に歩き出す。
逃げるように立ち去る三人の背中を見つめていたアリアスは、ライバットの顔に拳を叩き込まなかった事を後悔した。此処で問題を起こせば、アルバレイス学園に入学しなくても済んだのかも知れないのに。
「くそっ、くだらねーな。くだらねーよ」
結局、自分はライバットが言ったように道具として使われているだけなのだろう。この中庭にいる大半の人間が、胸に希望を抱いているに違いない。しかし、自分にはそれがない。結局、自分は何も出来ない人間なのだという思いが、アリアスの心を重くした。親、家柄、使命、本来背負うべき物事から逃げているだけだと言う事は、自分が一番良く分かっていた。
燦然と陽光が降り注ぐ中庭で黒装束を纏ったアリアスは、アルバレイド王国とアルバレイス学園の抱える問題を体現した、一点のシミのようだった。
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