第2話

 シシリィ・オーガスは白い肌を青白く染め、緊張で顔を強ばらせていた。ボリュームのある長い緑色の髪を三つ編みにし、大きな丸メガネの向こうにある眼をせわしなく周囲に走らせている。整った顔立ちだが、綺麗という表現よりも、愛らしいと言った方が適切だろう。フリルのついたワンピースを着ているシシリィは、幼い容姿と相まって、十八才という年齢よりも幼く見えた。


 賑わう測定室の片隅で事の成り行きを見守っていたシシリィは、大きな眼鏡の位置を何度も直しながら、測定者の手元を見つめる。太い注射針が腕に刺さり、ガラスのシリンダーが真紅の血液で満たされていく。禍々しい血の色を見るだけで体から力が抜け、意識が彼方へ飛びそうになる。シシリィは頭を振ると、パンッと両手で頬を叩いた。周囲の人達がその音に振り返ったが、他人の視線を気にしている余裕などなかった。


 白衣に身を包んだ測定者は、医師と言うよりも科学者に近いだろうか。測定室も見た事のない魔晶具の器機で溢れ、甲高い音や足下を振るわせる重低音が間断なく響いている。


「次の方、シシリィ・オーガスさん」


 名を呼ばれたシシリィは、「ハ、ハイッ!」と裏返った声で答える。


 観測者のいるテーブルは全部で十脚。十人の観測者が、アルバレイス学園の入学希望者の血液を採取し、適正を検査しているのである。


 関節が固まってしまったかのように、ギクシャクと体を三番テーブルへ向ける。丁度、前の人が席を立ち、挙動のおかしいシシリィを見つめる。


 黒く艶やかな前髪は中央で左右に分けられ、長い後ろ髪は首元で一つに揺ってある。険のある鋭い眼差しに、薄い唇。白い肌に生気の感じられない表情は、一見すると伝説の魔物ドラキュラを連想させる。


「あっ、どうも」


 一瞬目が合ったシシリィは、ペコリと頭を下げる。その青年は、顔の中で唯一意志の感じられる黒い瞳をこちらに向けた。強い意志を秘めているが、どこか寂しそうで悲しい眼差し。


 この人、凄く気になる。頭ではなく本能でそう感じ取ってしまったシシリィは、失礼を承知で初対面の相手をマジマジと見つめてしまった。見つめられた青年は、小動物のような純真無垢な眼差しを受け、険を含んだ表情を一瞬揺るがせると、その場から立ち去ろうとした。


「あっ、サーバイン様! アリアス・サーバイン様! お待ちになって下さい! これが、適性試験の診断結果です」


 白衣の観測者が慌てて立ち上がると、アリアスの前に回り、深々と頭を下げて診断結果がプリントされた用紙を手渡す。


「流石はアリアス様。サーバイン家のご子息であらせられる! 全てのセンスが最高ランクなんて、私、初めてお目にかかりました!」


 アリアスを褒めちぎる観測者だが、アリアスは至って平静だった。無表情でプリントを受け取ると、「俺のセンスと家は関係ないだろう」と不機嫌に吐き捨てる。呆気にとられる観測者を残し、アリアスは振り返ることなく部屋から出ていってしまった。


 悄然と肩を落とす観測者は、後ろに立つシシリィの存在を忘れてしまったかのようにアリアスが出て行った扉を見つめていた。


「え~、あ、ゴホンッ!」


「あ、ああ……、シシリィさんですね、さあ、どうぞ」


 シシリィの咳払いに我に返る観測者は、イスに座るように手で示した。


「では、適性試験を始めます。血液を採取し、魔晶具の診断機に掛ければ、貴方の秘めるセンスや、これまでで培ってきたスキルの診断結果が表示されます。これは、受験の合否とは直接関係ありませんので」


 「さあ、腕を」と、観測者は大きな注射器を左手に持って笑顔を浮かべる。彼に他意は無いのだろうが、シシリィの目には彼が獲物を前にした悪鬼のように映った。


 クイッとメガネを中指で押し上げたシシリィは大きく深呼吸をすると、キッと表情を改めた。鬼気迫るシシリィの顔に、観測者は目を丸くする。


「このシシリィ・オーガス。腐っても貴族です! 逃げも隠れも致しません! 覚悟はとっくの昔に出来ています! さあ、いつでもいいですよ!」


 歯を食いしばり顔を横に背ける。目を閉じなかったのがせめてもの意地だったが、その意地も、隣の席で血を吸い取る注射器を見るまでだった。簡単に意地は折れ、きつく目を閉じた。


「はあ、では……」

 ちくりとした痛みが皮膚を通り越して血管に入り込んでくる。血を抜かれる、と言う感覚はないが、腕の中に細い異物が侵入しているという不快感は感じられる。一呼吸、二呼吸、三呼吸をする前に、観測者が注射器を抜き取り、消毒された脱脂綿を傷口に押し当てテープで留める。


「いいですよ」


 震える瞼を開けたシシリィ。目の前には、シシリィの血を吸った注射器があった。赤黒いどろりとした血液。今まで自分の体の一部だったそれが、今は物質となりシリンダーに満ちている。ふらりと体が横に傾ぐが、机に手をつき何とか倒れるのを堪えた。


 観測者は採取した血液を診断機に掛ける。診断機が血液の成分を分析し、センスを導き出す。一分もしないうちに、診断機の横にあるプリンタが一枚の紙を吐き出した。


「はい。これがシシリィさんの診断書です。顔色が悪いけど、大丈夫ですか?」


 観測者が心配そうに覗き込んでくるが、シシリィは首を横に振ると、プリントを受け取って立ち上がった。一瞬、膝が折れ机に両手をつくが、中腰になって手を伸ばしてくる観測者に笑顔を向けた。


「だ、大丈夫ですぅ~、これも、予測の範囲内(カテゴリー)ですから」


 ヨロヨロとおぼつかない足取りで、一秒でも早くこの部屋から出るべく、シシリィは人混みを掻き分け出口へと向かった。

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